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書庫お城散策(三重県)

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鳥羽城跡

2015.2.7 訪城
九鬼嘉隆により文禄3年(1594)築城
大手門が海に開いた水門で四方を海に囲まれた海城
信長死後は秀吉に仕え、小田原征伐、四国・九州攻め、朝鮮の役など、水軍の将として活躍した。関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、答志島に逃げ助命が許されたが、家臣の間違いで切腹させられた。

ウォーキングを終え折角なので足を伸ばし訪城です。
駅からも近くありがたい。

三の丸広場
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これは当時のものではなさそうですが・・・
しかし迫力あります
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本丸西側の石積
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本丸、小学校の運動場として使われていたそうで、天守台は破却されています。
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本丸より鳥羽湾。すぐ下の水族館のショーの声が聞こえる。
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本丸南の石積み(一部当時ものも)
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幼稚園下の石積み(ここも小学校同様閉園しているようです)
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相橋の石積み。
陸側からの登城口とのことです。
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今回も見学中誰にも会うこと無く一人見学でした。

松坂城城跡

2014.8.16 訪城
100名城15城め
三重県7城め

蒲生氏郷が天正16年(1588)に築城。
陸奥黒川に移封後天正19年(1591)に服部一忠、文禄5年(1595)に古田重勝と城主がかわり
元和5年(1619)徳川頼信が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以後明治を迎える。

表門
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本丸石垣
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本丸、天守台石垣
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中御門
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御城番屋敷
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さすが、蒲生氏郷というべきか、すばらしい石垣まさに要塞。
時間の関係であまりしっかりと見て回れなかったのが残念(一緒に行った家族はこれでも沢山見たと
言っているあたりが普通の人なのかも。

田丸城跡

2014.8.16 訪城
三重県6城め

建武3(延元元、1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が築城し、南朝の拠点とした.
元亀2年(1571)、玉丸中務少輔直昌が城主となったが、天正3年(1575)、北畠氏の養子となった織田信雄が大河内城を廃して、城を田丸に移した.
天正8年、田丸城が焼失したため、信雄は松ヶ島に城を築いて移った。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで家康に味方した稲葉道通が田丸に本城を移し、大改修し、子・紀通が継いだが、摂津国中島へ転封となり、元和5年(1619)、紀伊領となった。

[イメージ 1

本丸虎口
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本丸
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天守台石垣
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二の丸より本丸石垣
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二の丸虎口
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夏場のお城めぐりはあまりよくない。
暑い、草が凄く良く見えない、虫が大変。
この日は、気がつけば、冷たい風が吹き始め、ゴロゴロと雷鳴が、あわてて車に戻ると
降り始めた、消化不良でした、また、ゆっくりと訪れたいです。

桑名城跡

2013.1.12 訪城

慶長6年(1601)、家康の命を受けた本多忠勝が築城した。同時に城下町の整備も行い、大山田川・町屋川の流れを変え外堀として利用し、揖斐川を利用して城内から船で川に出ることができた。天守は四重六層の勇壮なものだったが、元禄14年(1701)の大火で焼失し、以後再建されなかった。幕末戊辰戦争の際(1868)、桑名藩は旧幕府方につき、藩主松平定敬は東北地方を転戦し、最後は五稜郭で降伏した。その間に国元は新政府軍に降伏し、無血開城して市内は兵火を免れた。新政府軍は天守閣の役目を果たしていた三重の辰巳櫓を焼き払って桑名城落城のしるしとした。

駅から歩いていったので、三の丸堀の看板で現存石積みとわかり、感激です。
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かなりの城域は現九華公園となっていて、のどかです。
公園いりぐちの看板で、天主台跡を見つけいってみました現地には、案内看板などがなく、ちょっと不安イメージ 2

辰巳櫓台跡
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川沿いに蟠龍櫓が外観再建されています。
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内部2階の展示スペースにあったもの
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津(安濃津)城址

2012.12.15訪城

織田信長の弟信包によって築城、1580年(天正8年)五層の天主が完成、その後富田氏が城主となり
1600年(慶長5年)関が原の時に戦火を受けた。
 1608年(慶長13年)藤堂高虎が伊予松山より移る
このとき大改修を受け現在に至る
 現地案内看板より

しっかりと、石積みがのこっていて、すばらしいです、
ただ、かなり、石積みがいたんでいるようで、大変そうです。
 今回もレンズとのマッチングが悪く、露出が大きくずれていて、修正うまくいきません。
かなり見苦しいです、スミマセン

丑寅櫓(再建)三重です。

イメージ 1

本丸内は公園となっていて、中には、藤堂高虎公の銅像があります。
ただ、枡形などの遺構は感じられません。

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本丸内(公園内)西の隅にひっそりと天主台の石積みがあります。
残念ながら上には登れないようなので、周りを一周。

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 ここの段は何のため?石積みのずれ?
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内堀と戌亥櫓台を望む
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