稲生が原名塚白山社は、稲生ヶ原の戦いの際、信長方の佐久間大学がたてこもった名塚城跡と言われており、戦死者の霊を祀るために建てられたのだそうです。
堀越にあった白山社と違いここは菊理媛命(くくりひめのみこと)と崇徳天皇を祀っています。
名塚白山社
中へ入ります
境内
本殿
白王稲荷社
●お城の歴史●
織田信長が織田家の家督を継いだばかりの頃、うつけと呼ばれていた信長より、評判の良い 弟・信勝が家督を継ぐべきと、有力な家臣である林道勝・光春兄弟、及び柴田勝家らに謀反の 動きがありました。 信長はこれらに対抗する為に、この砦を築き、佐久間盛重に守らせました。 砦の完成二日後である、弘治二年(1556)8月24日に、稲生(現・西区)で信長本体と 柴田・林連合軍(信勝方)の戦いがあり、信長方が勝利を得ました。 以後、信勝は信長に詫びを入れましたが、信長の病気見舞いに清洲城を訪れた際謀殺されています。 ●現況● 庄内川の南側に位置した名塚町にある、白山神社の境内が砦の跡地とのことでした。 遺構は残っていませんがここより更に南へ50m程行った所に、稲生合戦の戦死者を葬った庚申塚があります。 |
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