首里城2奉神門から入城すると正面に正殿が見られます。
見学順路は右側の建物からになっていました。
正殿
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。
正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいでしょう。 首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られています。なお、下地の一部は漆です。 番所
庭から向かって右側が「番所(ばんどころ)」、左側が「南殿(なんでん)」である。
「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。
御差床(うさすか)=玉座
県芸大と末吉公園
淑順門
「淑順門(しゅくじゅんもん)」は国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称は「みもの御門」「うなか御門」である。
建物の創建年は不明とされており2010年(平成22年)に復元された。 門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺となっている。 右掖門
「右掖門(うえきもん)」は眼下に見える歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)から淑順門(しゅくじゅんもん)へ直接通じている門で、往時は淑順門から御内原(おうちばら)へ入った。
この門は歓会門から東にあり、ほぼ直線で約160メートルの石畳道が続いている。
別名「寄内御門(よすふぃちうじょう)」ともいい、創建は15世紀頃と伝えられる。 沖縄戦で焼失したが、1992年(平成4)に櫓から下の城壁部が復元され、2000年(平成12)に櫓(やぐら)が復元された。
久慶門
「久慶門(きゅうけいもん)」は別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。
歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。
国王が寺院を参詣(さんけい)したり、浦添から以北の地方へ行幸(ぎょこう)するとき等に使用した門であった。創建は1477〜1526年【尚真王代(しょうしんおう)】といわれ1983年(昭和58)に復元された。 |
沖縄県の名所
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首里城1歓会門
歓会門
花壇
瑞泉門
内庭
漏刻門
広福門
下野御庭
広福門(右手:入場券売場)
奉神門
奉神門(入城口)
首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人。
琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間でした。 今、琉球の建築文化・美術工芸、そして価値観を訴える『琉球の顔』が蘇りました。 琉球王国の政治・外交・文化の中心地として威容を誇った首里城
荘厳な城門をいくつもくぐると現れる正殿は、琉球王国最大の建造物です。 その中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には 高い文化的・歴史的価値があるとされ、世界文化遺産に登録されています。 他にも園内には、守礼門や園比屋武御嶽石門、円覚寺跡などの文化財が点在しています。 |
守礼之門先日、沖縄に行く機会があったので、那覇市内の公園巡りをしてきました。
守礼門前
首里城外第2の楼門で創建は1529年頃に建立され、 「守禮乃邦」とは礼節を重んじる国を意味しています。
園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)
守礼門のそばにある石門
国王が城外に出かける時に旅の安全を祈願したり、 王府の行事や祭祀に重要な役割がありました。
門のうしろに広がる森は「御嶽」 うたき と呼ばれる聖地で、石門はこの御嶽の拝殿の役割をもっています。 那覇市街を一望できる丘陵に建つ国立公園。そこは、南の島にそびえ立つ海洋王国跡。
琉球王朝の壮大さが目の前に広がります。
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漫湖公園1(古波蔵側)漫湖公園
http://www.city.naha.okinawa.jp/kurasi/joho/stuff/gakusyuu/manpark.jpg http://www.city.naha.okinawa.jp/kurasi/joho/stuff/gakusyuu/manpark-tennis.jpg 漫湖公園の古波蔵側には、総延長1.2キロのジョギングコースが湖沿いに設置されて、朝夕ジョガーなどでにぎわっています。
また、公園内には、足のツボを刺激する「健康歩道」もあります。 |




