Misaoのつれづれ日記

日々、徒然なる事を、書きたいように書き連ねているブログです。宜しくお願いします。

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坂東眞砂子氏からの挑戦状


あらかじめ断っておくけど、
僕は、
とりたて動物愛護を訴えるような人間でもないし、
とりたて女性の中絶手術に反対したりするつもりもない。

ただ、坂東眞砂子氏が日経新聞に寄せたエッセイに対する
世間のリアクションをそのまま受け容れるわけには行かない。
大衆と言うのは、結局、こういう反応になってしまうのか…
そんな幻滅感さえ感じているんだ。

坂東氏のエッセイは、
確かに彼女らしいグロテスクさに満ち溢れており、
一般的な常識を逸脱するレトリックに満ち溢れている。
ただ、彼女の書いている事が、
僕らに対する彼女なりのドラスティックな挑戦状の様に思えてならないんだ。

彼女は、
生まれたばかりの子猫をがけから投げ捨て、殺すことで、
猫の「生」と言うものを尊重しているのだと主張している。
避妊手術を施すのは、
人間の身勝手な理屈で、猫の「生」を疎外しているのだと書いている。

僕は、正直、この論旨に対して反論できないでいる。

僕の家では、
メスの柴犬を飼っているんだけど、
ある時、避妊手術を施されてしまっていた。
イメージ 1
手術後の奴の惨めな姿を、僕はいまだに処理できないでいる。
理由は、庭で飼っているため、
どこからか、オス犬がやってきて、
セックスして、子供を身篭り、出産しても面倒見切れない…
そういう理由からだ。

僕のうちの事情だけでなく、
ペットを飼っている人たちの多くが、
このように避妊手術を済ましてしまっているのが実情じゃないだろうか。
いとも簡単に…。
人間じゃなく、ペットだから…もっと言えば、動物だから…
という理屈で。

僕らの周りで、
パイプカットや避妊手術を施す事は、
ごく当たり前の事だろうか?
何の抵抗もなく、
そういった手術を受け容れる事が出来るだろうか?
僕らには、他に避妊という方法があるという人もいるだろう。
じゃ、聞くが、
世の中で日常的に行なわれている中絶という行為の中で、
母体への影響、優生保護法によるもの…
といった、まがりなりにも、大義名分といわれるような理由で、
行なわれている中絶手術と言うのが、
どれ程の割合だろうか…?
僕が思うに、その割合は、考えたくもないが、
我々が密かに感じている程度のものだろう。
大半の中絶手術と言うのは、
本人たちが、快楽をむさぼりたいが為に、
避妊することなく、肉欲に溺れ、
「できてしまった」が為に、
さっさと葬られてしまっているのではないだろうか。
そんな事を平気でしたり、
そんな事を平気で容認している
僕たちに、
坂東氏を非難する資格があるのだろうか?

坂東氏は、「性」ではなく
あえて、「生」という言葉を用いている。
そこをきちんと考えなければならないんじゃないだろうか。
彼女が、自分の飼っている猫が生んだ子猫を
崖から放り投げて殺す…
そうまでして、
自分の飼っている3匹の猫の「生」を尊重しようと考えている。
彼女の言う「生」は、
我々が考える、漠然とした「生」より、はるかに具体化されたものであるし、
我々が考える、矮小な「性」をも飲み込んだ概念である事を、
僕たちは理解しなければならないんじゃないだろうか。

肉欲に溺れ、快楽をむさぼった挙げ句、
簡単な手続きを経るだけで
人工中絶が日常茶飯事に為されているのが現状の
僕らの営み…
簡単ではなくても、
年齢的な問題、
経済的な問題
そういう理由で、行なわれている営み…
それは、「性」であり「殺人」である。
こういう安易な「人殺し」を
やむなし…と容認していながら、
産まれたばかりの子猫を崖から放り投げて殺す事を非難する
理不尽さ、身勝手さの方が、
よほど、グロテスクであり
よほど、常軌を逸した行為なのではないだろうか?

僕は思う…
子供をもうける事を前提としないで、
それほどまでに、
肉欲を求め、快楽をむさぼりたいのであれば、
坂東氏のエッセイを非難している人たちの主張のように、
世の中の大半の人たちは、
避妊手術を受けなければならないのではないか?
でも、
実際は、人間だからそんな愚かな事にはならない…
そういう事態を招けば招いたで、
「仕方ない」と言う理由で、
子猫のように、女の子宮から「放り投げて」殺しているんじゃないだろうか。
そして、
そんな事が日常であるにも関わらず、
坂東氏のエッセイを
何も考えることなく、
「むごい」「残忍」「許せない」などと言えたものだろうか?

坂東氏は、
あのエッセイを我々の前にさらす事によって、
僕たちに「生」と言う営みを
叩きつけているのではないだろうか?
それは、
僕たちが考えているような
漠然とした「生」でなく、
矮小な「性」でもない…
人の営み全てを孕んだ「生」の生々しい事実を
僕たちに叩きつけているのではないだろうか?

僕たちが考える「性」
そして
坂東氏が投げかけてきた、生々しい「生」…
その間で、
自己欺瞞と自己正当化を武器に
右往左往して、
醜い「鬼畜」さをあらわにしているのは、
僕たちのほうなのかもしれない。

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閉じる コメント(16)

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{醜い「鬼畜」さをあらわにしているのは、僕たちのほうなのかもしれない}正しく仰せのとおり。 削除

2006/8/24(木) 午後 8:46 [ 中絶赤子殺し反対派 ] 返信する

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「中絶赤子殺し反対派」さん、初めまして。僕は中絶そのものを否定しているわけではありません。ただ、坂東氏が投げかけてきたような「生」の生々しさを知らずして、「性」を大量消費している我々に、彼女の行為を全面批判する資格があるのだろうか?と、改めて、問を投げかけずにはいられなかったんです。少なくとも彼女は、「生」の生々しさと向き合っています。

2006/8/24(木) 午後 9:26 cfnnr217 返信する

もちろんこの世で一番非道な生き物は人間です。人間のみが種族保存の種以外、快楽のためにSEXをします。そのへんはmisaoさんの言うとおりです。「生」とう物を訴えているのだとしても。そのためにこの行為はゆるされるのでしょか?

2006/8/25(金) 午後 5:23 atomic 返信する

この場合、彼女言う所の飼っている親猫の「生」は尊重されているかもしれませんが、この世に生をうけた、子猫の「生」は尊重されていません。人の手によって殺される子猫はどうなのですか?人間の仔でないないから、処分という形で殺していいのでしょうか?私も飼い猫の去勢をしました。子孫を残せなくて申し訳ないといつも思っています。でも飼うには数の限界があります。世話を出来ない仔を増やしたり、この世に生を受けたものを殺生はできません。

2006/8/25(金) 午後 5:25 atomic 返信する

私は、坂東さんの「理屈」は理解できるけれど、そういうことを平気で言葉に表せることが信じられませんでした。たとえば、小説の中でこのような事を書くのならまだしも・・。正直、吐き気がしました。こういう考えをもっているのなら、坂東さんが「何故、ペットを飼っているのか」っていう根底の部分から疑問を感じました。

2006/8/25(金) 午後 9:27 [ yur**o03210*21 ] 返信する

こんばんは。考えがまとまらず、長々になってしまったので、自分のページに載せました。よかったら見てください。。。。

2006/8/26(土) 午前 3:08 プリン 返信する

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あとみっくごっどさん、yurikoさん、マリナさん、真摯なコメントを有難うございます。こんなコメントが返って来るとは、意外でした。無視されてしまうか、もっと、どうでもいいような感情むき出しの中傷を書かれるか…僕もある意味、「覚悟」してたんですが。皆さんの論を拝見して、とても、コメントで返すのが難しいと思い、今日、「坂東眞砂子氏からの挑戦状◆廚箸いΨ舛乃事をアップしておきました。お手数ですが、暇な時にでも、そちらの方を読んで頂きたく思います。よろしくお願いします。有難うございました。

2006/8/26(土) 午前 5:51 cfnnr217 返信する

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挑戦状と言うより、誤った世相への反旗とでも言うべき何じゃないでしょうか。昔は、こんな事当たり前だったんですよ。

2006/9/3(日) 午前 1:06 [ - ] 返信する

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子犬を飼いたいという時の、条件の一つでした。猫に限らず犬でも同じ事です。犬に与える餌も惜しかった時代には、一家で飼える犬は一匹だけです。雌犬なら当然子を産む。その子を処分しなければ、えさ代がかかって堪らん。そんな余裕など無い。もらい手があるかどうか解らない、子犬を大きく育ててしまってから、飼えないからと言って殺すなどもっと悲しく辛いから、子犬が生まれたらすぐ、目の開かぬ内に殺してしまう。それが何処にでもある常識だったのです。子供が、犬や猫を飼いたいという時の前提条件でもあったのです。

2006/9/3(日) 午前 1:07 [ - ] 返信する

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板東氏は、そんな当たり前の常識を、現代社会では通じないことを承知で書いている。これは一つの見識です。 殺すことは、悪いことだという一面の思いこみがある。だから、殺すことを肯定する論に轟々と非難がわき上がる。 然しそれは間違いだ。偽善だ。思いこみの善行だ。 つまり、現代に於ける、殺戮の隠蔽がそこにある。殺戮や屠殺を生活環境から追い出してしまって、恰も、誰も殺しなどしていないかのような顔をしている。本当にそうか。

2006/9/3(日) 午前 1:07 [ - ] 返信する

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スーパーに並んでいる肉は、牛や鳥や羊を殺したものだ。その殺しを人が目にすることはなくなってしまっている。殺しなど無かったかのように、きれいに成形された肉が、美しく包装されて店頭に並んでいる。 誰も、屠殺場に引かれる引かれる牛の悲しそうな目を見ることはない。殺される豚の悲鳴を聞いたこともない。それで、極上の黒毛和牛だの、黒豚だの、ダイエットだの、産地がどうの品質がどうのと気楽な談義をしている。

2006/9/3(日) 午前 1:08 [ - ] 返信する

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ペットとて同じ事だ。チワワ人気だとか、トイプードルだとか、ミニチュアダックスとかブームになっている。だがその子を繁殖するために、ブリーダーの間では、無数の選別、つまり、殺しが行われている。筋弛緩剤という安楽死のための専門薬で人殺しすら有った。ここでも、大量の屠殺が隔離され、隠蔽されている。 屠殺を他者に委ねて、全く、善悪の感覚も無しに、美食が語られ、誰も何の罪悪感も感じることはない。 これは、現代の、既に、病理だ。

2006/9/3(日) 午前 1:09 [ - ] 返信する

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だから、板東氏の告発は、現代の生が、実は大量の屠殺の上に成り立っている事への、そして、誰もがその事を忘れてしまっている事への警鐘に他ならない。

2006/9/3(日) 午前 1:10 [ - ] 返信する

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氏への非難が大きければ大きいほど、その現代の病理が深刻であることの表現に他ならない。 一家に一匹しか飼うことが許されない猫の子を殺すことは、その親猫を生かすことの代償に他ならない。そして、その為に、生かしてやれないことの悲しみを承知で、生まれた子猫を殺してきたのだ。 悲しみを引き受けると言うことはそう言うことだ。

2006/9/3(日) 午前 1:10 [ - ] 返信する

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殺さなければならない状況は、猫に限らず幾らでもある。 増えすぎた鹿はどうするか。人里で危害を及ぼす猿は。外来動物の処置は。躊躇わず殺す。それしかない状況は幾らでもある。それは、狼を絶滅させた人間の責任なのだ。狼を絶滅できたのは、人間しかいないのだから。

2006/9/3(日) 午前 1:11 [ - ] 返信する

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croumydogさん、初めまして。大筋で僕も同意見です…僕は話の拡げ方を「中絶」や「生」「性」の方向に位置づけましたが…。人間だけが言葉を使って自然を対象化しています。つまり、人間だけが物質的に対象化し認識しえたわけです。そして、人間は自然に働きかけ、変化させてきました。そういう営みも自然の一部だという事を忘れて…。人の「生」の生々しさの中で、僕たちは「殺戮」を行なって生きています。そして、その「殺戮」を分別するのは言い訳に過ぎないとも思っています。

2006/9/3(日) 午前 6:21 cfnnr217 返信する

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