Misaoのつれづれ日記

日々、徒然なる事を、書きたいように書き連ねているブログです。宜しくお願いします。

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坂東眞砂子氏からの挑戦状


この問題の、当の本人である坂東氏と同じく、
僕も、この事について書くというのは、
完全に無視されてしまうか…
それとも、感情的に反論されてしまうのか…
いずれかだろうと覚悟せざるを得なかったんだけど、
僕には、この問題について、どうしても書いておかねばならない理由があった。
それは、この最後の方に、書くつもりでいるんだけど…
それより、驚いたのは、
あとみっくごっどさん、yurikoさん、マリナさんなどから、
凄く真剣で、真面目なコメントを頂いたことなんだ。
これには、本当にありがたいと思い、
とても、コメントを返すという形では終わらないと思ったので、
あえて、坂東眞砂子氏からの挑戦状△噺世Ψ舛如
記事としてアップする事にしたんだ。


坂東眞砂子氏からの挑戦状


先日書いた事では、
全体的に不十分で、
中々理解を得られるものではないような気がして、
僕自身も不満の残る形では合ったんだけど、
ここで、坂東眞砂子氏からの挑戦状△箸靴董
再度、この問題に挑戦したいと思うんだ。

先日書いた記事の中で、
僕のスタンスは、
坂東氏を擁護し、一般の人々を卑下するという立場で書いたわけじゃない。
むしろ、
僕としては、
今回の坂東氏の「奇行」(子猫を殺すというより、むしろ、日経新聞に記事を寄せたという事)の意図するところ…
そんなものを、少しでも、判ればと思って、
書き進めたって訳なんだ。
彼女は、何もかも承知で、
世間一般のリアクション全てを、
引き受ける覚悟をして、書いている…
と弁明しているわけなんだから。

そういった事も含めて、
今回の彼女の「奇行」…
僕が思うに「挑戦状」を
もう一度考えてみたい。

坂東氏の記事を読んで、僕が勝手にかんじとっと部分ではあるんだけど、
ざっと、こういう事なんじゃないかって、思うんだよ。

世の人々からの非難全てを引き受ける覚悟で、
「日経新聞」で発表する事に至った坂東氏は、
自分の飼っている猫3匹の、本当の「生」を尊重する為に
猫たちが産んだ子猫を、崖から放り投げて殺している。
猫にとって、交わりたいときに交わり、子供が出来れば自然の摂理に従って出産する…
それこそが、猫にとっての「生」であり、
避妊手術を施す事は、それを疎外するものである。
坂東氏自身、こんな事を書くと、
世の人々は、自分を非難する事は重々承知している。
坂東氏の言わんとしている事は、
避妊手術を施す事は、猫にとって、「当然」な事なんだろうか?
むしろ、飼い主の我侭でしかないのではないか?
それと同じ様に、人は肉欲に溺れ、快楽をむさぼり、
挙句の果てには、安易に中絶して「人殺し」をしている。
そして、そういう「人殺し」を容認してしまっている。
自分たちの生々しい「生」の一面である「性」を、
都合よく、容認にしておきながら、
坂東氏が子猫を殺すグロテスクさを一方的に非難するであろう事をも、
彼女は覚悟し、全てを引き受けるつもりでいる。
避妊手術を施す、自分たちが安易に中絶手術を容認する…
そして、彼女が産まれた子猫を崖から放り投げて殺してしまう…
もっと言えば、自分たちの勝手都合で、猫を飼う…
これら全ては、紛れもなく、人間の生々しい「生」の所業ではないだろうか。
坂東氏は、子猫を殺すというグロテスクな「奇行」を曝け出し、
我々の前に、人間の生々しい「生」の所業を、
叩きつけたのではないだろうか…

人間が生きていくということは、
実に生々しい所業でしかなく、
それ以上でも、それ以下でもないんじゃないかと思うんだよ。
どういう事かって言うと、
例えば、猫を飼うということを考えてみれば、
そもそも、猫を飼う…その事自体、人間の我侭でしかなく、
「愛玩動物」と称されるくらいだから、
結局は、猫を自分たちの癒しの為のおもちゃにしてしまっているわけだ。
そして、避妊手術を施すというのは、
さらに、自分たちの我侭を猫に押し付けているという事に他ならない。
ただ、ただね、
それも含めて全て、人間の生々しい「生」の所業であり、
それは、我々が生きていく上で、受け容れざるを得ない事実でもあるんじゃないか。
坂東氏は、避妊手術より、産まれた子猫を殺すというグロテスクな形を選んだ。
それは、猫の「生」を尊重する為だ。
それも同じく、人間の生々しい「生」の所業の一面なのかも知れない。

さらに言えば、
さかりの付いた猫のように、
肉欲をむさぼり、快楽に溺れる人間たち、
そして、挙句の果て、安易に「始末」してしまう人間たち…
それも、人間の生々しい所業であり、受け容れざるを得ない事実なんだ。

坂東氏の「奇行」を
世の人々は、そのグロテスクさを突いて、
全面的に非難しているようだけど、
そんな事は、坂東氏は重々承知で、
世の人々がしている事、坂東氏がしている事…
これら全て、人間の生々しい「生」の所業でしかない…と
坂東氏は我々に叩きつけようとしているんじゃないだろうか。

そして、
我々は、自分たちのそういう生々しい「生」の所業を受け容れるどころか、
なんだかんだと「人間流」の勝手な理屈を並べて、
弁明してのうのうと生きているんじゃないか…
そして、それさえも、人間の生々しい「生」の一面ではあるんだけど。

坂東氏は、
人間が生きていく上で、受け容れざるを得ない
生々しい「生」の所業そのものを、
自分の奇行を通じて、
我々の前に、あえて、提示しようとしたんじゃないだろうか。



僕があえて、この問題に固執している理由は、
僕が学生時代から追っかけている
「性」の問題に複雑に絡み合ってくると思ったからなんだ。
恐らく、僕の考える「性」というのは、
世の人々が享受しているものとは、少し違うのだと思う。
いや、同じ事なんだけど、感じ方が違うと言った方がいいのかもしれない。

僕は、
人間も含めた性の営みと言うのは、
究極すれば「経済的行為」であり、
それ以上でも、それ以下でもない…と思っているんだ。
互いの遺伝子を交え、子孫を「生産」「維持」していく行為、
オスとメスが遺伝子を交える行為そのものも、
ある種の物流の場、つまり、「市場」である。
そして、
そもそも「性」というのは、
我々が子孫を生産・維持していく経済行為として、
生き物に備わった本能であり、
それ以上でも、それ以下でもない…
そういう風に考えてきたんだ。
そして、
人間だけが、「愛」などという曖昧な言葉を利用して、
その経済的行為をあたかも別物の様に錯覚し始めた…
本来、生産・維持活動であるはずの性を、
「消費」し始めた…。
「愛」などという曖昧な言葉を巧みに利用し始めた時から、
性を、他の「生産物」消費するのと同じ様に、
消費し始めたんじゃないだろうか。
今になって、我々は、少女売春なんかの顕著な例を
ことさら挙げて、
「性の消費」などと言っているけど、
我々が、言葉で性を別なものと捉え始めた時に、
「性の消費」なんてものは、既に始まっていたんだ。

まぁ、こんな事を、
高校時代からずっと考え進めてきたわけなんだけど、
でも、これは紛れもない事実だと思うんだ。
僕も含めて、人間は、
「言葉」で豊かに表現する事を優先してしまうから、
言葉が指し示す対象物そのものが
見えなくなってしまっている。
「愛」なんていう言葉を使うから、
情緒的な部分で解釈を進めてしまう事になり、
その対象物である、
「性的な関係」そのものに目を向けることもない。
だから、
「性」が本来どういう行為であるのかと言う事に辿り付く事もないし、
辿り付く必要性さえもなくなってしまったって思っているんだ。

まぁ、白状すると、
僕の2回の離婚原因は、
セックスレスだった訳だけど、
上のようなことを考え出してしまえば、
それも仕方がないと思っているんだ。
事実、僕はセックスと言うものを真から楽しんだ事はない。
なら、結婚なんてしなければいいのに…なんて言われてしまうんだろうけど、
それは、ちょっと事情が違うんだよ。
僕にだって本能と言うものがあって、
性的対象である女性を求めざるを得ないのはどうしようもない事実なんだ。
それは、性的行為そのものを求めるというんじゃなくて、
普通の人と同じ様に、
一人の女性を求めざるを得ないってことなんだ。
だから、セックスを楽しんだり出来ないでいるのに、
結婚してしまう…
これも、僕の生々しい「生」の所業であるし、
まるで、
子猫を崖から放り投げるようにして、
僕は「結婚」という関係を放り投げてきたんだ…。

この記事に

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misaoさんはこの記事で深い深い所まで、考えが行ってしまったんですね。その辺の話はまた複雑なものであります。高等生物を気取っている人間のみが、その所業をし、考え悩むところであります。人間も動物のように、種族保存のためにだけの、一定の年齢と、期間の発情期であれば違う生き物になっていたのかもしれないなどと、思います。

2006/8/26(土) 午後 5:29 atomic 返信する

この作家の場合は「生」の尊重だのなんのと言っても、その行為は自分の飼い猫にとっても子猫にとっても事実尊重されている事ではないということです。

2006/8/26(土) 午後 5:40 atomic 返信する

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はじめましてこんばんは。某ブログのリンクから飛んできました。 自分自身、このエッセーとそれに対する波紋について、 自分なりに色々考えたく、ここ数日色々なブログやサイト等で 閲覧してきましたが、このような意見は初めて読みました。 自分も最初この話を知った時は「なんて酷い」と 感情的になっていましたが、Misaoさんのご意見を読んで、 もう一度違う角度で見ていこうと思います。 ROMのつもりでしたが、足跡を残しておきます。 それでは。 削除

2006/8/26(土) 午後 7:56 [ コスズ ] 返信する

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原文を読んでいませんので、解らないのですが、子猫を『始末』するために崖から放り投げたという行為自体が事実なのか疑問ですね。実際にそうした必要に直面しても、別の手段をとるのが普通です。又、親猫の生を尊重するなら子育てをさせるのが真の尊重でしょう。私も経験ありますが、子猫が居なくなると、すぐに又、妊娠してしまうのです。つまり、『人間化』してしまいます。

2006/8/27(日) 午前 2:23 sou*ou*ok* 返信する

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避妊手術は人間の都合でしている事ですが、子猫を自らの手で延々と『始末』する事に耐えられないからするのです。年間に20万匹もの猫が保健所で『処分』されている現実の中で、猫が好きなら、ペットショップで買うのでなく、保健所で引き取って欲しいものです。我家の猫は全て野良猫でしたが、すでに生がそこに存在している以上、眼前の生が未来の生に優先するのは仕方ない事です。

2006/8/27(日) 午前 2:28 sou*ou*ok* 返信する

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埴谷雄高は『自動律の不快』という概念の下、自らも子供をもうけませんでした。しかし、それは配偶者の犠牲を伴っています。それでも、そうしたギリギリの精神的相克の中で選択した行為であれば、それを他者が責める事は出来ないと思います。

2006/8/27(日) 午前 2:34 sou*ou*ok* 返信する

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おぉ、焼物雑記さんがコメントくれている…これは、心して掛からないと(笑)これはさておき、彼女の奇行については、事実かどうか…という事がやはり指摘されてますね。僕にとっては、その真偽はどうでも良いんです。もちろん、猫の「生」を尊重するには、子育てをさせるのが理想でしょうね。でも、叶わない現実ってものがあるんでしょう。子猫がいなくなると妊娠してしまう事実、焼物雑記さんは「人間化」と称してアイロニーたっぷりの表現を使ってますが、まぁ、事実は、「生」の生々しい現実ですよね。

2006/8/27(日) 午前 5:46 cfnnr217 返信する

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人間と家畜の付き合いは、石器時代にもさかのぼります。生活の中で、役割が与えられ、我々の生活を支えてきた一員でもあったわけです。だからこそ、今と違って、資産価値としての意味も強く、避妊するようなこともなかった…産まれてきた子供たちは、大切に守られてきたわけです。それは、人間社会も同じです。子供は家で役割を担い、労働資産としても価値が高かった…ゆえに、大切に守られてきたわけです。

2006/8/27(日) 午前 6:00 cfnnr217 返信する

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社会の仕組みが変わり、家畜からペットへと代わり、働く子供はいなくなり…役割を担う事もなくなりました。労働資産と言う点では価値が暴落してしまったわけです。だから、ペットには子供は要らない…なぜなら、死ねば代用を受け容れれば良いからです。人間はと言うと、血縁を継承する為の存在としての意味を色濃くしてきました。目の前の「生」を優先するというのは、こういう事実から発生してきたものだと思います。

2006/8/27(日) 午前 6:02 cfnnr217 返信する

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埴谷・吉本論争がふと頭を過りましたが(笑)、坂東は文学のプロ、埴谷は思想家です。埴谷が「自動律の不快」と言う言葉を使って表現した途端に、論争を巻き起こす事になり、事実、そうなってきました。彼らのような存在が、もし我々一般人と同じ尺度で表現したり、行動していたりすれば、たちまち色あせ、プロとしての資質を損なってしまいます。彼らがプロである以上、自らが問題提起した論に対しての「おとしまえ」は付けるべきで、もちろん、いかなる他者からの賛否を受け容れざるを得ないと思います。

2006/8/27(日) 午前 6:09 cfnnr217 返信する

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事実、吉本隆明は、親友の妻と不倫し、略奪婚を選ばざるを得なかった…彼が提起した「関係の二重性」という概念に少なからず、その事実が影を落としています。そして、その事が、以降の彼の生活…家庭人としての思想家 ― たらしめた心情でもあります。

2006/8/27(日) 午前 6:12 cfnnr217 返信する

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あちゃ、ゴメンなさい、あとみっくごっどさんを後回しにしてしまった。というのは、上に書いた、焼物雑記さんに対するコメントに共通するかなって思ったからなんです。ごめんなさいね。

2006/8/27(日) 午前 6:17 cfnnr217 返信する

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初めまして、コスズさん。僕の見方と言うのは、どうしても、今まで自分が追っかけてきたテーマをそこに見出してしまう見方ですね。多少の無理が発生しても仕方がない気もします。ただ、坂東の言わんとする「生」というもの、彼女が叩きつけてきたものというのとは、ずれてはいないと思うんです。これからも、この問題がどう推移していくのかに関心があります。

2006/8/27(日) 午前 6:20 cfnnr217 返信する

こんにちは。昨夜は実家に戻っていて、この話題になりました。うーん、やっぱり、私にはこの人が猫の「生」を尊重しているようには思えませんでした。たとえば、人間に置き換えた場合、母は子供を産み、その結果、母乳が自然に出てくるんです。たとえ、流産(or中絶)をしてしまったとしても、人間の体って不思議なもので母乳が数日出ることがあるそうです。

2006/8/27(日) 午後 5:52 [ yur**o03210*21 ] 返信する

そんな風に動物のメスというものは体が作られているんです。メスにとっては、セックスという行為だけでなく、お腹の中で命をはぐくみ、産み、育てる、っていうことも含めて「生」なんだと思います。坂東さんは、何様なんだろう、神にでもなったつもりなんだろうか・・って思ってしまいます。

2006/8/27(日) 午後 5:53 [ yur**o03210*21 ] 返信する

また、セックスというものは、その人の経験により、大きく意味が変わるものでもあるのかもしれないなぁ・・って思います。「愛」の意味も、高校生の頃に思っていたものと、もっと大人になってから考えるものとは違うし、セックスという行為をどういう風に考えるかは、それぞれの夫婦によって全然違うものなんだと思います。セックスが「魂の交換」とまで思える夫婦もいるだろうし、また、「子孫を残すため」とだけ感じる人もいるだろうし、その夫婦が互いに話合い、満足すれば良いものではないかなーって思。

2006/8/27(日) 午後 6:01 [ yur**o03210*21 ] 返信する

↑います。 misaoさんと、問題に対する見方が全然違うので、申し訳ないです・・。ちゃんと文章読んでますからね(笑)。ごめんなさいー。私は、どうしてもどうしても、納得がいかないんです・・。

2006/8/27(日) 午後 6:05 [ yur**o03210*21 ] 返信する

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yurikoさん、実家に戻った際に、この事について話をしたって言うのも、良いご家族だなぁって感じさせられました。なかなか、こういう話って、身内でじっくりできないものですからね。女性の体の仕組みについては、全く無知なんですが、そうなんだろうなぁくらいは解かりました。

2006/8/29(火) 午前 4:25 cfnnr217 返信する

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もちろん、女性と言うものの役割については、大切だと思ってます。特に人間は、他の動物の多くと違って、ほとんど未完成のまま生まれ、長い間かけて「育てられる」訳ですから、母親の役割と言うのは、子供の人生の1/5くらいを請け負ってしまうんですよね。yurikoさんの仰るとおり、つくり、産み、育てる…のプロセスすべてが「生」なんだと思います。

2006/8/29(火) 午前 4:28 cfnnr217 返信する

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セックスについて言うと、人間はセックスを「言葉」を使って、「頭」で考える事が出来るようになってしまった為、その分、他の動物と違って、ややこしくなってしまうんですよね。他の動物なら、本能の赴くまま、より強い遺伝子の持ち主を選別していく…って事に尽きると思うんですが。ただ、言葉を使って、頭で考えるセックスの、より根源的なものって、人間も動物も同じだと思うんです。yurikoさんの言っている夫婦間の事は、人間だから為しえる部分なんでしょうね。だから、何よりも尊いと、考えてしまうんでしょうね。

2006/8/29(火) 午前 4:33 cfnnr217 返信する

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