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「ぼろりきさん」って、どんな人
本 名 柴原 力太郎
生年月日 明治17年12月18日生れ 本 籍 地 浜松市北区引佐町井伊谷 明治31年、金指小学校をおえた柴原さんは
15歳のときより、人力車夫として身を立て、
その後、大八車により当時の運搬業を営むと言う もっぱら勤労による職業をもって、人生を出発しました。
悪路に悩まされ、汗にまみれた柴原さんは、
この時から道路の改修を念願するようになり、
自力でできる社会の奉仕として、
道路補修を唯一のものと信じ補修に、
一生を捧げる決意と行動をすすめました。 寝食を忘れ、妻もめとらず、
衣服もかえりみない青年、柴原さんの心情は、 近隣周囲の人々の認識も変人あつかいのときさえ、あったと聞きます。 大正9年時の逓信局長の表彰を始めとして、
数多くの範を示しのであり、役場、学校、公民館、 集会場に時計をおくり、
時間励行をよびかけ、学校建築など
公共事業への寄付も枚挙にいとまがありませんでした。 第二次大戦中は出征農家に進んで、奉仕し、
暇があれば道路補修、戦後は、
国県町道の補修に専念、 自らの生活を省みず、一生を社会公共につくし、
鍬と大八車の人生をつらぬいた柴原さんは、永く後世にのこるものです.。 S39年 藍授褒章受賞
S39年 第3区で翁の頌徳碑建設落成 S40年 皇居へ園遊会出席 S40年 勲6等旭日章受賞 暖かな日差しにうかびあがった、ボロリキじいさんの笑顔。 「わしは体があればいい、金はいらん。世の中のためになればいい」 「たのしいことは、人のために尽くすことよ」と
言っていたボロリキじいさん。
引佐町で最初の名誉町民におされ、ほめたたえられました。 浜松市と合併、名誉市民になっております。 S49年1月 柴原 力太郎氏 死去。
観て頂き感謝です。
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2011年04月17日
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