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広説佛教語大辞典

この企画に携わっていた頃、いわゆる15年戦争の記録をまとめる仕事もしていた。
よって、大先輩に超大先輩についてインタヴューしてしまった。
その記事がこれ。

【東京裁判】のささやかな補遺――〔wrote on 2006年11月12日(Sun)、2007年10月27日(Sat)加筆〕
1948.12.23.0100、GHQ渉外局は「東条英機以下7戦犯の処刑が執行された」と発表した。詳細は、GHQ渉外局特別緊急発表として同年同日0410に示された。その冒頭に「極東国際裁判において死刑を宣告された7戦犯は、23日早朝、巣鴨拘置所で絞首刑に処された。刑の執行は0時1分に開始されて33分後に終了した」とあった。
この日、浄土真宗僧侶で文学博士の花山信勝(註1)は、東京都文京区本郷にある東京大学文学部の印度哲学研究室で内外記者団との会見に応じた。花山は当時、同大教授であり、教誨師として7戦犯の最期を見送ったからである。
記者会見の様子は他に文献があるので省く。
さて、以下がささやかな補遺である。地の文では敬称を用いずに記す。
筆者は1996.02.29.1345、都内某所である人物の話を聞いた。
彼は「私もそこに同席していたと…思います」と言った。
“そこ”とは花山の記者会見場である。筆者はその可能性に思い当たっていたので、その日はまったく別件で会う機会を得たのだが、彼に「その時の様子をお聞かせください」と頼んだのである。
今、筆者は「…思います」という言葉遣いが印象深かったことを回想する。
続けて彼はこう言った。
「ある記者が私に何事かを問いかけました。しかし私は黙っておりました。花山先生の記者会見であって、私の話す場ではないと思っていたからです。
 すると記者団の間から『中村氏は質問に対して黙して語らず、と記事に書きますよっ!』という声が飛んできました。私は内心困惑いたしましたが、やはり沈黙を守りました。
 その時、今度は『ところで花山博士はいい先生ですよね?』と質問されたのです。
思わず私は『ええ。人情のある先生でいらっしゃいます』と答えていました。
私の前にいた記者が〈人情〉と手帳に書くのが見えました。
 決して用意していたのではない、ただ常々私が感じていたことを、ついふっと口に出してしまいました。記者にコメントを引き出された恰好です…」
「そのコメントは記事になったんですか?」
筆者は質問した。
「…それがどうだったか、私の記憶にはないんですねぇ…」
彼は独特の表情で微笑んだ。
筆者が都内某所で会った“彼”とは中村元(註2)である。
当時、彼は財団法人東方学院の院長で東京大学名誉教授・文学博士であった。
以上、文責は中村博士に面談取材した筆者にある。なお『東京裁判・下』(朝日文庫)参照。
                  註1:花山信勝<はなやましんしょう>1898.12.03−1995.03.20
                  註2:中村元<なかむらはじめ>   1911.11.28−1999.10.10

なおなお、このブログ記事の表題に掲げたのは↓。
http://www.kotobuki-p.co.jp/book2/kousetsu/kousetsu.htm

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