日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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島嶼巡礼 鬱陵島方面(八)
東亜日報 1928.9.8

避難処あり、ここが藥草東山
通路は数十尺の藺草
俗人は住めない海上の天国


見るほどに奇岩怪石、行くほどに断崖絶壁
  ここがそこみたいで、そこがここみたいで(すでにもう見たようで、これまで見たものとはまた違い)、ちっとも飽きがこない。むしろ何回も見たくなり、見ればみるほど、色々なものが神気であり、奇妙なのが、鬱陵島海辺の一周である。昨日話した台霞洞から、道洞まで回ろうとすると、この島の三分の二になるが、この沿岸は、海金剛よりも確実に景色が良い。三兄弟のように仲良く、4〜500尺の石柱の岩が、あちこちに立っているあいだをぬけると、「鄭ドリ」船倉がある。ここには誰も船を入れたものがなかったが、「鄭ドリ」という船乗りが初めて船を入れたところで、「鄭ドリ」船倉と呼ぶのだという。

海中から鋼を採掘 鄭ドリ船倉の景気
  (俗に)「山から金が出、鉄が出る」と言うが、ここの浦口では、海から実際に金が出、鉄も出る。それは昨年1月23日の明け方のことである。3000トンになる日本の商船「二見丸」が、豆や粟やその他の貨物をたくさん積んで、ウラジオストックから日本に行く途中、冬の雪寒風をうけ、どこにいるかを見失った状態で、明け方に鬱陵島の三兄弟岩にぶつかり、そのまま沈没した。保険会社が引き揚げる途中であったが、私がここを過ぎた時も、しきりに作業中だった。損害が、数百万ウォンに達するといい、作業人夫は約300余名。みなこの島の人で、一日の賃金が2円50銭ずつというから、最近、仕事がなかったこの島にとっては、良い景気だった。


石柱の上に観音島、海上にそびえ立つ
  その横には、高さが三百五十尺の切り立った島があるが、四方から見れば石柱がこの島を支えており、その中には石仏形状の岩がいくつもあることから、この島を観音島と呼ぶ。陸地の石柱で建てた大きな建物とそっくりだ。そこから少し船で行ったところに竹島という島があるが、この島は、鬱陵島に次ぐ島司がいる島だという。この島もまた四辺から見れば○○二百五十余尺の絶壁で、船を着ける所としては窟のような岩の下しかない。この島は周囲が10余里で、面積5万4000坪、二尋(ひろ)三尋になる多くの竹が取り囲み、その中は雑木が生い茂っている。  
竹林の奥に鶏の声、武陵桃園に○○
  この島の○○上っていこうとすれば○○○○岩の間を縄梯子を登り、落ちれば深く○○○海○○、この窟の間を約六十尺の縄梯子を使って行き来する。そして登って見れば、○○○○○○○○椿の香りの中をまた数十間○○○○「ウンアー」と薬草を食べる牛の声が聞こえ、その横のトウモロコシ畑は声高いニワトリが何羽か鳴く声が聞こえてくる。桃花源記に書かれている武陵桃源はここではないか、そんな思いが浮かんでくる。  

薬草東山一家戸、事実上この島の島司
  この島には竹島島司がいるが、それは朴在天氏だ。この島は鬱陵島とは別天地として、朴氏の家一戸があるだけで、この島の島司と呼ぶのもそのためだ。朴氏は無人島のこの島に初めて入ったときに、トウモロコシ○十八斗、甘藷二十斗を持ち込み、その年から耕作を始め、今日では○○○○○○○○。無人島時代のこの島にも縄梯子だけはあったというが、これは陸地にはない数十余種の薬草があって、国の命を受けてここに薬草を採りに来たといい、日本人が鬱陵島を竹島と呼ぶのもこのためだという。
  この島の島司の朴氏は滅多に人と出会うことがなく、ソウルの人間が来たというのでとても喜んでいる様子で○○○○○○○○、○○○○甘藷を煮てトウモロコシを○○○○。そして時勢の話から始めて○○○○○○○○○○○通った話、話題はこれから宗教の話を始め、記者が写真を撮ろうとすると聖書と賛美歌を手にして写ろうとした。
  この島の牧師であり鬱陵島の牧師で、彼は温和であり謙遜的な態度で○○○○のようだ。彼は昼には畑で賛美歌を歌い、夜には月の光と○○○○○○○聖書を読み、家の者を集めて説教をする。賛美歌の「避難所あり、災難に遭うときはここに来よ」という句節のように、避難処をまさにここに定めたということだ。



(翻訳はMatsuさんの翻訳も部分拝借)




<コメント>
  さあて、やっと出てきましたよ、鬱陵島の附属島の話。ただし竹島/独島ではなく、鬱陵島に近接する竹島(チュクト)と観音島のことですが。
  ところで、実はこの記事は、既に2008年7月、杉野洋明さんが確認してブログに発表しています。
  1900年の大韓帝国皇帝勅令第41号において、鬱島郡が管轄するのは「鬱陵全島と竹島、石島」と定められていて、韓国側はこの「石島」が現在の「竹島/独島」のことで、明確に領有の意思を公示したのだと言っています。日本側ではそれはあやしいと思いつつも、韓国側の法令のことであり、関連の資料も明らかになっていないので、石島がどこなのかはなかなか断言できずにいるのですが、当然、「石島は観音島ではないのか」という推論も出てきます。


1900年大韓帝国皇帝勅令第41号
第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/66/88/chaamiey/folder/1586138/img_1586138_49197915_0?1243239404


  そういう推論を牽制するかのように、半月城氏が「この島が石島と呼ばれた形跡はまったくありません。」と書いたりする(半月城通信 No.95 2003.5.29)ので、杉野さんが、いやいや観音島と「石」というものを結びつける材料はありますよ、といってこの記事を紹介したわけです。
http://ameblo.jp/nidanosuke/entry-10113508151.html


 この記事では、「四方から見れば石柱がこの島を支えており、その中には石仏形状の岩がいくつもあることから、この島を観音島と呼ぶ。陸地の石柱で建てた大きな建物とそっくりだ。」とあって、観音島と「石」というイメージとの結びつきとして、島の外観・構造が石のようだということと、島の上に「石仏」のような岩があるという二点が報告されていますが、島の様子がそういうものであるならば、「勅令第41号の石島は観音島のことではないか」と推論することは別段おかしいものではない、と言えます。

 私は「石島はどこか」という過去スレで「石島はすなわち独島であるという韓国側の主張は怪し過ぎる」と書いて来ましたが、では石島はどの島のことかと問われれば、やはり観音島のことだろうと思っています。



  なお、ついでの話ですが、竹島(チュクト)も観音島も竹島/独島も、写真で見れば、どれも「石島」と呼ぶなら呼んでまったくおかしくない島ではありますね。




https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/66/88/chaamiey/folder/1585665/img_1585665_17735863_18?1240059549
観音島


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/66/88/chaamiey/folder/1585665/img_1585665_17735863_16?1240057392
竹島(チュクト)


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/66/88/chaamiey/folder/1586138/img_1586138_48725291_0?1238771584
竹島/独島

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御紹介ありがとうございます。
大変役に立つ情報ばかりで助かります。
こちらのページ、転載させて戴きました<(_ _)>。

下記リンク先に、語源について記述してますので、よろしければ御覧ください。

【語源】<松島・竹島・夫婦島・対馬>
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n116798

2012/9/27(木) 午前 9:23 [ nao**_jp ] 返信する

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転載ありがとうございます。

2012/10/7(日) 午後 9:49 [ Chaamiey ] 返信する

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