日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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  以前の投稿の補充版です。
 
  重要な部分にインクのしみのようなものがあったのですが、Makotoさんが別のところにある同じ新聞のコピーを入手してくれましたので、判読することができました。青字の部分がそうです。Makotoさん、ありがとうございます。
 
 
 
鬱陵島の沿革
石宙明
ソウル新聞 1947.9.2
 
朝鮮を代表する島の一つである鬱陵島が我が朝鮮国の属島であったことは疑う余地がなく、かつては于山国として知られ、済州島が耽羅国として知られていたのと対照をなす。この于山国は、その後、羽陵島、武陵島、蔚陵島、鬱陵島等と呼ばれて来たが、全て語源は同じもののようだ。李朝成宗2年(1471年)には臣朴元宗一行がこの島から大竹と大魚を持ち帰って来たことがあったが、この大竹の名産地だとして、この鬱陵島は竹島としても知られるようになった。
 しかし、現在は鬱陵島に統一されており、竹島という名は東部の一属島名として指定されこの竹島が従来我が朝鮮の東端地点を示して来た。
鬱陵島に関して太古のことは知ることができないが、最古の文献である新羅本紀によれば、「東海に于山国があり、地方は百里。人民は剽悍で沿海の村落を年々に侵犯するので沿岸民は永くこれを怖れて来た。そこで、何瑟羅州(現江陵郡)の軍主となった異斯夫は討伐を計画し、「于山人は剽悍で武力では勝つのが難しいから智力でやる」とし、新羅朝智證王12年(512年)に木○○(木○○子に五色で彩色し、口からは火炎を吐くようにした)を率いて于山に至り、「汝ら、降伏しないならこの猛獣で全滅させる」と言ったので于山人は怖れおののき投降し、その後は新羅に貢納した。」という記録がある。
  高麗朝に至り、太祖○○年(930年)にこの島の土豆が来貢して来たので、太祖は使者白吉に○を授け土豆を本島の正朝としたが、その後太祖21年(938年)には○○○王王子にも○○し、正朝となした。そして 高麗顕宗干戌年(1022年)には本島が女真族の侵犯を受け島民が本土へ避難するということがあったが、その後、○宗、仁宗朝にも○貢したというので、高麗太祖以後に二百余年も本島には定住民があり、本土沿岸諸地方と往来したようだ。
そういう中、仁宗の次の毅宗12年(丁丑1157年)に溟州道(現江陵郡)観倉使金柔立に命じて本島を巡視させたが、その復命で「島中に村落の廃墟が七ヶ所もあって石仏、石塔、鉄鐘等もあるが、全島に岩石が多く産物も無いので住むには不適である。」と述べたので、殖民のことは中止された。しかし、記録が無いために、このときの島民の全滅は何によるものか永久に知るすべがない。
その後、李朝になってから、本島は海賊の根拠地となった。太宗朝には流刑民が多数この島に遁入したので、安撫使金麟雨に命じて全部を送還させたことがあった。世宗20年(1438年)には、金丸という賊がこの島を根拠としてたびたび本土の辺境を侵したので、月松(現蔚珍郡平海)萬戸である○○に命じて討伐させ、このときこの島の住民七十余人を捕らえたことがあった。その後には月松萬戸と三陟営将に命じて隔年に兵を派遣し賊徒を掃討し、農民であっても居住を許可せず、再び本島は無人島となった。
前述したように、成宗2年(1471年)に朴元宗一行の巡視のときにも本島は無人島であることを確認していたが、ここは定住民がいない○○○として本島に侵入を開始したのが日本の漁業者たちだった。これが発端となって、後には日本との三回の国際問題まで惹起したが、そのたびに朝鮮が勝った。
  1787年には「ラ・ペルーズ」が本島を踏査し、その一行中の天文学者がこの島を「ダゲルレ」(Daegelet)と命名したので、以後、これが鬱陵島の西洋名となった。
  その後、李氏朝末の開国492年(1884年)には鬱陵島開拓令が発布され、○○島長を置くこととなり、このときから江原、慶北、慶南の各○の人民が相次いで入島し、原生林を伐採する一方、火田農業も○○ようになった。  
  光武5年(1891年)には島長の制度を廃止して島を郡とし郡守を置き、光武7年には郡庁を西面台霞洞から現在の南面○洞へ移転し、隆煕元年(1907年)には本郡を江原道から慶南道に移管し、全島を南、西北の二面に分割した。移民が激増するに従い、1914年には慶北道に移管し二面を各々三面に改組し、この島にも○○○を新設、翌1915年には郡制を島制へ変更して今日に至っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「竹島という名は東部の一属島名として指定されこの竹島が従来我が朝鮮の東端地点を示して来た。」
 
 というわけです。朝鮮の東端は鬱陵島だとか鬱陵島の東隣の竹島(チュクト)だとか言うのは、当時の朝鮮の多くの地理書や教科書などにそういうふうに書かれている(独島などと書かれたものは何一つない)のは既に多くの人が御存知のところと思いますが、鬱陵島調査団の一員として派遣された著名な生物学者石宙明氏が調べた結果としても、やはり朝鮮の東端はチュクトだという結論であったわけです。つまり竹島/独島が朝鮮の領土であったなどとはかつては誰もそんなことは思っていなかったのです。
 それなのに、現代韓国人は、まあ、なんと言・・・・・・・(以下省略。)
 
 
 
 

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閉じる コメント(2)

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Chaamieyさん、Makotoさん、

ありがとうございます。
大発見です。
いずれうちのブログでも紹介させてください。 削除

2010/12/17(金) 午前 1:02 [ kaneganese ] 返信する

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よろしくお願いします。 削除

2010/12/19(日) 午後 0:13 [ chaamiey ] 返信する

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