スゥィッチ

幸町バンドのドラマーRyojiが「睡眠障害」の検査入院での体験を通じて語るちょっと自叙伝的小説。
目的地であるクライアントは、そのスキー場の中腹にあった。Iスキーハウス――そのテのガイドには必ず載っているその施設へ行くには、どうしたらいいのだろう。目の前には、山の上と、そして上から昇りつ降りつしているリフトがボンヤリと見えていた。リフトを使わなければいけないのだろうか?僕はその当時、スキーなどやったことがなく、ましてリフトなどいうモノは見た事さえなかったのだ。チケットの買い方すらわからない。乗り方など想像もできない。僕は雪の降る中、途方に暮れて永久循環するその乗り物を眺めていた。
「あんちゃん、どした?」
僕のその行動があまりにも怪しかったのだろう。リフトの発着場から、暖かそうなドカジャンを着こんだ初老の従業員が、僕のすぐ傍まできてこう声をかけた。僕に一瞬、カチリと音がする。こんな時だ。小学校の頃の喋らない僕のスゥィッチが入るのは。しかし僕は、そのスゥィッチが入りきる前に、何とかそれを押し戻してぎこちない笑顔を作った。これがオトナというものだろう。
雪が少し緩んだ気がする。ここに来た目的を手短に説明すると、彼はそこまでの行き方や帰り方を丁寧に教えてくれた。彼によると、スキーハウスまではリフトで行くしかないそうだ。そこのチケット(彼は"切符"と言っていたが…)売り場でチケットを買い、最初のリフトで降りればいい。
「あんた、スキーは?」
できるかと彼。僕は小さく首を横に振り、不器用に微笑む。それじゃあ、と行きの分と帰りの分の往復チケットを買えばいいと彼。今考えると、リフトに下りのチケットがある事自体、不思議な気がするのだが、その当時の僕はそういうものなんだろうと思い、彼の言うままに往復チケットを購入した。一通り彼に礼を言い、リフト乗り場へと向かう。近くで見ると、リフトというのは華奢で無骨で、遅そうでそれでいて早そうで、シンプルな構造のクセに、発着場付近の機械はスゥィッチ類がたくさん並んでいるという不思議な構造をしていて…とにかくとてもアンバランスな印象を受ける乗り物だったのだ。時間帯がちょうど良かったのだろう。もはやあたりはすっかり暗くなり、僕以外にリフトを利用する者はなかった。多少安堵感を感じながら、僕はその滑稽な乗り物に近づいた。
変なのは、見栄えだけではない。乗り方だってかなり滑稽だ。停止線まで進んでいき、そして自分の乗るべきイスが回ってくると、クィッとばかりに尻を突き出す。スーツと短目の長靴を身に纏ったサラリ−マンが、尻を突き出してる光景はどうなんだろう。それだけで悲喜劇を想起させるではないか。一体、何をやってるんだろう…僕が半ば目をつむり気味に深いため息をつくと――
ガン!
けして軽くはない衝撃が両ふくらはぎに走った。驚く僕の足を払うようにして僕を抱え込んだイスは、冷気にさらされていて、とても冷たかった。冬用とはいえ、スーツは雪山に適していないのだ。僕は、宙を飛ぶようにして山を昇るその乗り物の上で、荷物と僕自身が落ちないように、必死に安全バーにしがみついた。忘れていたが、僕は物凄い高所恐怖症だったのだ。高層ビルの窓際や、飛行機はいい。そこまで高くなると風景自体がリアルではなくなるからだ。しかしこれはマズい。地面が地面として、ありありとわかる高さ――外についている螺旋状の非常階段や中程度の飛び込み台、そしてリフトだ。山から降りてくるスキーヤーの表情がハッキリとわかる。下は雪だから、落ちてもどうという事はない。悪くして骨折くらいだろう。わかってはいるが、足がすくむ。手に余計な力が入る。寒いはずなのに、嫌な汗をかく。周りの景色を楽しむ余裕なぞ当然の如くなく、僕は只々、足の裏に地面の感触を熱望した。頬を刺す冷風が、不意に弱まった。どうやら終点が近いようだ。僕は、これに乗った時の衝撃を思い出して、体中に力を入れ安全バーを握り締めた。
「あんちゃん、足上げろ!」
先ほどのジィ様が、ここまで上がって来たんではないかと思うくらい、そのオヤジは同じ恰好をしていた。フサフサとした暖かそうな襟のついた紺色のドカジャンを着こみ、業務用です!と主張してやまない同系色の帽子を実直そうにかぶったその姿は、このスキー場の統一スタイルなのだろう。そんな事をボンヤリと考えていた僕は、雪の大地がみるみると近づいている事に気が付いた。
「ぅわぁっ!」
緊張しきって力の入った僕の足先は、ほんの少しだけサラサラの粉雪を削り取った。僕の緊張感はさらに高まり、それが僕の判断力を微妙に狂わせた。
「あんちゃん、飛び降りなきゃ!」
さっきのオヤジが、またしても僕にアドヴァイスをくれる。言われるままにイスをける僕。ドサッという鈍い音がした。バランスを崩した僕は、それでもかろうじて雪の上に立った。本来の着陸個所からだいぶ周りこんだその場所は、しかし、そのスキーハウスがよく見える場所だった。ログハウス風のその外観は、各ガイド誌ですっかりお馴染みの、あの佇まいのままだ。窓からは黄金色の明かりがもれ、煙突からは白い煙がモクモクと立ち昇っている。その煙に誘われるように、様々な人がそのドアを行き来している。僕は意を決して、その巨大過ぎる建物へと、歩を進めた。

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22.モノトーン

その快適な車内からホームへ降り立つと、そこには別世界が広がっていた。一面の銀世界。どこまでも白一色――空は厚い雲で覆われ、今にも降り出しそうな気配である。すべてが白い同系色で、空と大地と空間の区別がハッキリとしない。しばらくそこに佇んでいると、僕はまるで、恐ろしく巨大な卵の中にいるような気さえしてきた。僕の口から出た息は、物凄い勢いで氷結していき、もうもうたる煙のように白くなり、僕の行く手を遮った。僕は多少うろたえながら乗り換え口へと向かって行った。
そこから、目当てのところへ行くには、在来線を使っていかなければならないはずだ。吹きっさらしのホームには、靴の半分までも埋まるほどに雪が積もっていて、注意して歩かなければならないほどだ。目的地に行く電車はすでにホームに入っていて、暖かそうな蒸気を車輪の間から噴き出させていた。と、僕は不思議な事に気付いたのである。出発までにはまだ10分以上あると言うのに、ドアが閉まっている。曇ったガラスを透かしてみると、中には乗客達も乗り込み、思い思いの事をしている。連れと談笑する者、週刊誌のゴシップ記事に読み耽っている者、2つ目のみかんを黙々と口に運んでいる者…それぞれが、発車までの時間をそれぞれの方法で過ごしていた。
(え?もう発車時間?)
僕は手袋とコートの間に埋もれた腕時計を引っ張り出した。手首が寒風にさらされ、ドキリとする。大丈夫、やはりまだ時間はある。僕はその閉まっているドアに行き、そこをいろいろな角度で眺めてみた。しかしその鉄の塊はぴくりともせず、外界と自らを完璧に隔てていた。ドアに手をかけてみる。鉄は、僕を拒否するかのように冷たく、僕をあざ笑うかのように動かなかった。別のドアに移る。一通り眺め回し、ドアに手をかける。無言…。やはり、何の変化も起こらない。僕はすっかり困ってしまい、別の車輛に移ろうかと首を回した。すると――
「にぃちゃん、そこのスゥィッチさ、押すだ」
いつの間にか僕の隣にやってきた、赤ら顔の老人が、そんな事を言った。どうやら、先ほどからの僕の様子を、ひとしきり観察していたらしい。彼は親切にも僕にその電車の入り方をレクチャーしてくれたのである。つまりこのドアは手動式で、そのドアの横にある黄色いスゥィッチを押すことによって、開閉自在になるのだそうだ。雪国に暮らしている諸君にはお馴染みだろうが、僕は初めてだったのだ。こんな事ならNとHに、もっと電車の事を訊いておくんだった…。僕は、その訛りのきつい老人に礼を言って、その天国のような暖かさの車内へと体をうずめた。

その駅に着いたのは、もう午後5時をとっくに過ぎた頃だった。ガイドを見ると(その宿は、観光ガイドムックに載るほど有名だったのだ)その駅からさらにバスで1時間ほどかかるらしい。雪は降っていなかったが、どこもかしこも雪だらけで運転にも影響するだろう事は火を見るよりも明らかだった。しかし他に手段がない。タクシーやレンタカーを使えるほどの予算もなく、まして歩いていける距離ではない。僕はしかたなく次のバスを待つ事にした。丸い停留所名がかかれた案内板の時刻表を見る。朝夕で1時間に1、2本、昼間などは3時間に一本も運行していないらしく、おそろしくスカスカの印象を受ける。が、幸い次のバスが来るまで、10分ほど待てばよかった。もう日が沈みかけているため、辺りは暗くなり始めている。雪国の夜は、実はそれほど寒くないんだ、という事を、僕はその時初めて知った。雪が降っていない、風のない夜、積もった雪自体が防寒剤となり、思うほど寒さを感じないのだ。やはり何事も経験なのだ。こういう出張だって、行く先々に何が待っているかわからないじゃあないか。悲観ばかりしてはいけないんだ。すべては経験、人生勉強、プラス思考で切り抜けよう!萎え入りそうになる気持ちを必至で鼓舞していると、バスがやってきた。僕のほかにも2,3人の乗客がポツンポツンと座っていた。僕が手近な椅子に腰掛けると、それを待っていたかのようにバスが発車する。チェーンを巻いているのだろう、不思議な振動が僕の体を躍らせる。その不規則な動きと車内の暖かさが微妙な"うねり"を作り、僕を眠りの世界へと誘う。窓の外は降りてきた暗闇と雪…まるで新鋭画家の作品のように、モノトーンへと変わっていた。僕はそのどこまでも続く2次元の世界に逆らう事ができず、心地いい夢の世界に足を踏み入れた。
ハッと目がさめる。時計を見ると、もうそろそろ目的地に着く時間だ。どうやらあれからすっかり眠ってしまったらしい。
『次は○○です』
車内放送が目的地の名を告げる。僕は多少慌て気味に停車ボタンを押して、簡単に身支度を整えた。スピードを落としたバスの窓から外を見ると、そこには白く柔らかそうなものが舞っている。
(とうとう降ってきちゃったな)
バスは、僕の思いを聞き遂げたあとスピードを緩め、その停留所に止まった。まだ雪はそれほどひどくはない。僕はコートの襟をたて、バスを降り立った。

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21.点と線

話を元に戻そう。B企画における、毎月の回収出張の事だ。強烈な思い出…考えてみると、このB企画時代と言うのは、いつもいつも強烈な思い出に満ち溢れていた、波乱万丈の時期だったような気がする。神はいるは、酒乱はいるは、金を払わない客は多いわ…もう僕も、人見知りだの何だのと言ってられなくなった。毎日毎日が事件の繰り返し、まるで三流のテレビドラマを見ているような日々だった。
とまれ、この入社年度でのこの体験が、僕のB企画での強烈な原体験になっていることは間違いない。それは、こんな出来事だった――
社会人になって一年目の年末、あと2日ほどで仕事納めだという、本当にギリギリの時期の事である。僕らは相変わらず、日本各地を駆けずり回り、S部長は電話口の僕らに向かって、毎日のように叱咤を浴びせ掛けていた。(間違っても激励はない)僕はといえば、新潟の上越国際スキー場へとその足を運んでいた。
僕の担当地域は甲信越地区であった。もちろんこの地域全体を僕が引き受けていたワケではなく、何人かの人間でシェアしていたのだ。甲信越は、僕とDさん――前述のちょっと酒癖の悪い熱き男である。僕は、甲信越の山梨を担当し、新潟はDさん、長野は一応ふたりの共有地域、という事になっていた。もちろん、山梨ではちょっとした有名人になっていた僕は、毎月の出張を山梨中心に組んでいた。そしてDさんは言わずもがなの新潟中心だ。
ここで、ちょっと日本の鉄道事情をを思い浮かべていただきたい。甲信越3県で、一番行きやすい県はどこか?出発地は東京としておこう。B企画は前述した通り京橋にあったからだ。距離は…まぁ山梨であろう。地図を見れば一目瞭然だ。では、時間は?逆から考えてみよう。つまり、一番行きにくい県だ。
一番行くにくい県…これは間違いなく長野だろう。あさまなどの特急でも、東京や新宿からだと4時間以上もかかる。長野が東西に長い県だという事で、どこに行くかにもよるが、長野駅であれば、上記の時間はかかるのだ。え?北陸新幹線があるだろうって?その通り、確かに"今"は、新幹線がある。新幹線を使えば、片道2時間弱で着いてしまう距離だ。この時間、実は他の県も大して変わらない。距離的には一番近い山梨も、新宿発で甲府までおおよそ2時間、新潟も上越新幹線を使えば越後湯沢まで2時間を切る距離だ。だが諸君、思い出していただきたい。僕が社会人になった年代を。僕が社会人になった年…つまり僕が23、24の頃は、今から18、19年も前、つまり1986年ごろにあたるのだ。北陸新幹線が長野に開通したのは、今から5年前の1999年10月1日。つまり、僕がB企画にいた時期には、長野に新幹線は通っていなかったのだ。それに比べて上越新幹線はどうだろう。何と、1982年11月15日に開通しているのだ。前述の質問の答えが、自ずと導かれるというものであろう。距離から行けば3県の中で近い部類の山梨も、その快適度でいったら、圧倒的に新潟に部があるのである。(さすが"元・鉄道マニア"である)
普段、山梨や長野ばかり行っていた僕は、この年末の時期に、初めてその事実を知った。Dさんのスケジュールの都合で、どうしても新潟のあるお客のところに立ち寄る事ができずに、僕が代わりに新潟へと向かったからである。快適な新幹線のリクライニングシート。頻繁に往復するみやげ物売りのワゴン車。快適に保たれた室内環境…どれを取っても申し分がない。僕の中で、Dさんが盛んに新潟へ行きたがる理由がわかったような気がした。僕の中にあったいくつかの疑問点が、スパッという具合に綺麗に線でつながれたのである。
(今回は、何かいい事があるかも)
仕事とは言え、僕は少なからずそんな期待を胸に抱き、何度となくひとりほくそ笑んだものだ。窓の外を流れる景色は都会のグレーから次第に色がなくなり、白一色に包まれていった。それは、あたかも冬の妖精が待つ世界を象徴しているかのようだった。が、実際にその世界にいたものは、どこまでも白く輝く悪魔だったのである。

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20.神々の黄昏

毎月の回収出張と言えば、強烈な思い出がある。この話は、結構いろいろな人間にしているので、知っている者も多いとは思うが、まぁ少しだけお付き合い願いたい。
僕が入社して早9ヶ月、年の瀬も押し迫った、えらく慌しい頃の話だ。もうその頃の僕は、会社にも社会にも慣れ、誰からの指示も受けずに仕事をこなせるようになっていた。毎月の厳しいノルマと、その厳しさが霞むほどに怖いS部長とに、ギリギリと絞られて、社会という大海の凄まじさに自分を見失いそうになっていた、そんな時期だ。
S部長はとにかく怖かった。罵声なぞ当たり前、仕事がこなせない人間や、カンに触る人間には、冗談抜きで灰皿が飛んできた。バリバリにバイタリティーのある人間で、部下の抱えた処理できないノルマをいつも電話一本、3分ほどの間に決めてしまう、そんなウルト○マンも顔負けの人だった。そして始末の悪い事に、恐ろしく頭が良かったのだ。僕らの考えている事、特に不満や疑念なぞ、一発で見抜かれてしまう。まさに連合部隊は、彼の天下、彼の世界、彼ひとりのものだった。そんな全能の神の前では、僕らは何をやっても無駄だった。どんなに抵抗しようとあがいてみても、所詮は彼の手のひらの上で小便を垂れるようなものだったのだ。
彼が、神たる所以は他にもある。
試すのだ。
彼は、下僕たる僕らを、彼の意志の赴くままに試して楽しむのだ。僕が入社して間もない頃だった。とある何という事はない日の、午後2時か3時頃、電話を掛けまくっている僕らにも、少しだけ午後のダルさが広がる、そんな時間帯の出来事であった。僕は全能の神から、こんな事を言われたのだ。
「おい。鉄道弘済会でスポーツ新聞、買って来てくれ」
おわかりの方も多いだろう。が、この時の僕には、わからなかったのだ。"てつどうこうさいかい"…?まったくもって初めて聞く名だ。どこにあるのか見当もつかない。が、ヒントはある。その会とやらは、会社から歩いていける距離で、どうやらスポーツ新聞を売っているらしい。僕は、その事だけを頼りに、表へと飛び出した。とにかく早く仕事を片付けたくて、わからない事を訊こうとしなかったのだ。外に出れば何とかなると思ったし、また、そんな事を訊いて、神の逆鱗に触れるのが何より怖かったのだ。この事が、あとになってどんな仕打ちとして僕に返ってくるか…その時の僕にはまったく予想だにできなかったのだ。
ともかくも僕は、会社の回りに林立する看板達をひとつずつ見て回った。本当にシラミ潰しに、ひとつずつ丁寧に見て回ったのだ。"主婦と○活社""堀○カラー""日○印刷"…さすがに広告代理店のメッカだけあって、同業はもちろん、出版社や印刷会社、フィルムの現像会社など、実に大小様々な会社が、あとからあとから出てくるわ出てくるわ…しかし、僕は見つけられなかったのだ。鉄道弘済会…そのとてもとても堅苦しい名前の会は、どこをさがしても見つからなかったのである。時間は刻々と過ぎていく。やっと馴染み始めたスーツは、汗で体にまとわりつき、まだまだ硬いビジネスシューズは、容赦なく指の皮をズルむかせた。疲れと焦りでフラフラになりながら、ふと時計に目をやると、僕が会社を出てから、すでに2時間が経過しようとしていたのだ!
(もうダメだ…)
目の前が真っ暗になり、軽いめまいが僕を襲った。このままでは少しも前に進まない。それどころか、ますます事態を悪くするばかりではないか!僕は意を決して、恐る恐る会社に電話を入れた。もし電話口にS部長が出たらどうしよう――絶対権力者の彼が、一介の電話に出る事などほとんどあり得なかったが、それでも可能性は否定しきれない。もし課の全員が、営業に出てしまっていたら…とか、全員が食中毒か何かで病院に運びこまれた…とか、全員が反乱を起こして、会社をボイコットしたりした…とか。そんな馬鹿な事を本気で考えてしまうほど、僕は狼狽しきって追い詰められていたのである。赤電話のダイヤルを回す指が震えている。ジーコ、ジーコというダイヤルの回転音は、僕の中の恐怖のボルテージを次第に上げ、確実に破滅へのスゥィッチが近づいてきた。
――カチャッ
「お電話ありがとうございます。B企画でございます」
電話に出たのは、普段から僕をかわいがってくれている一番年の近い先輩、Dさんであった。この人は、とても面倒見のいい、男気のある人なのだが、いかにせん、酒癖が悪かった。たまに朝から酒臭い事もあったりして、そんな時は決まってご機嫌が悪かった。しかしこの時に彼の声が、どんなに僕のすさみ切った心を救ってくれた事か!多少九州訛りのある彼の声が、天使のように聞こえたものだ。破滅のスゥィッチは、ギリギリのところで封印された…かに見えた。
「D、Dざぁん…!で、でづどうごうざいがいっで、ごうざいがいっで、どごにあるんでずがぁっ!?」
半ば泣きじゃくりながら、僕は濁点だらけの言葉を発した。
しばらくの間――
「おまえ、何やってんだよ!鉄道弘済会ってのはな、"キヨスク"の事だよ、"キヨスク"!!それより今――」
Dさんの言葉を聞き終わらないうちに受話器を叩き切って、すぐ近くのキヨスクに走っていった。キヨスクか!鉄道弘済会ってのは、キヨスクのことだったのか!!
きっとそのスゥィッチは、叩ききった受話器のすぐ隣にあったのだ。あまりに勢い込んで受話器を叩ききったので、そのスゥィッチを押してしまった事にも気付かずにいたのだろう。
いや、違う――
あの破滅のスゥィッチは、きっと始めからS部長が持っていたのだ。そして彼は、僕のだけではなく、課の全員、もしかしたら会社全員分のスゥィッチを握っていたのかもしれない。だから彼は、誰彼となく恐れられていたのだ。だって彼は、神なのだから。
汗と涙でグチャグチャになりながら、会社に戻った僕に、天罰として灰皿の集中砲火が浴びせられたのは言うまでもない。もう窓の外が、夕方のオレンジ色で、綺麗に輝いていたのを、僕は今でも夢の中の出来事のように覚えている。

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19.有名人

その枠は、ほんとに些細なもので、400字詰め原稿用紙の1枚分にも満たない文章と、1枚の写真からなっていた。そこにキャッチコピーや住所、電話番号を入れてしまうと、もう決まりきった文句しか入れられない…そんなものだった。
"湖のほとりに佇む瀟洒な館が素敵。オーナーが腕を振るう本格フレンチは、一日限定5食の逸品!おいしい料理に舌鼓を打ったあとは、優しい奥様と楽しい会話を楽しもう!カップルでもファミリーでも、まっさらの自然を満喫できる事ウケアイ!こんな素敵な休日をあなたも体験してみない?"
大体僕らの手掛けていたのは、こんな感じのものだった。これを別の言葉に置き換えてみよう…
"湖脇に建った古めかしさを装った建物。オーナーが懸命に作るので、フランス料理は1日に5組分しかできない。それを平らげたら娯楽がないので、奥さんと世間話でもどうだろう。カップルだろうが家族連れだろうが、自然の中に置きざられた感じを味合わざるを得まい。こんな休日だが、ぜひ来て欲しい"
まぁ確かにこれは少し穿ちすぎてはいる。実際はこんなにひどくはないが、現状を風船のように極限まで膨らまして、綺麗に綺麗に見せる。小さいガラス玉を何十カラットものダイヤモンドの如く表現して見せるのだ。しかし、見せ方には一定のルールがある。だからこのテの連合広告は、似たようなコピーが整然と並ぶのである。パターンがある程度決まっているので、コツさえ掴めば誰にでも書けてしまうのだ。今だから言うが、僕が文章に煮詰まった時、何本かの記事をchabunに書いてもらったことがある。ヤツは嬉々として事にあたり、そして活字になった己の記事を見て、言ったものだ。
「いい加減なモンだな」
おっしゃる通り、いい加減だ。だが、それで仕事ができてしまっていたのだから、恐ろしい。これは20年も昔の話であるが、今のそういう類の広告を見ても、その頃と対して変わっていないようである。あなたも今度、そのテの雑誌を手にして、連合広告とやらを目にしてみるといい。きっとその記事が、本当はどんな事を言っているのか、薄ボンヤリとではあるが見えてくるはずだから。
とまれ、こんな調子で出来上がった広告に効果があるハズがない。いや、誤解しないで頂きたい。こういう広告も"数を打てば"当たるのである。同時期に何紙も、何ヶ月も続けてやれば、効果はあがる。これは絶対的に正しい。広告に効果を求めるのなら、金を惜しまない事――これは、真理である。
ところが大抵、このテの広告を出す宿屋の主人には金がないのだ。古くからの民宿のオヤジ、脱サラした定年間近のおとうさん、風呂も料理も特に誇れるものがなく、客足があまりパッとしない普通の旅館…要するに、客のあまり来ない宿が対象になる。客が来ないから、来るように広告を打つ。先ほどの真理によって、複数誌に何度も出稿すれば効果はあるが、いかにせん、彼らはせいぜい一回の広告を出すのが精一杯だ。(それも大抵、一回5万円の5回分割払いというのが多い!)そんな広告に効果を期待する方がどうかしているのだ。効果がなければ客が来ず、金が払えなくなる――こんな地獄絵図が、毎月のように繰り返されるのだ。しかも彼らの立地上、近くに銀行はない。毎月銀行マンが彼らの宿を回り、いろいろな支払いを回収してくるのだ。その時に、我々の広告料金を支払ってくれれば、何の問題もないのだが――物事はそうウマくはいかない。生活に直結しない僕らへの支払いは、ドンドンあとに回されることになるのだ。そういうワケで僕ら連合広告部隊は、銀行マンの回収作業と時を同じくするように、毎月5日間ほどの"回収出張"に出向く事になるのである。
この出張が、また過酷であった。月末から月初にかかるかかからないかの5日間、1日5件〜10件ほどの訪問ペースでスケジュールを組む。たまたま近くに客が集中していればいいが、それは極めて稀である。大概は山から山、海から高原を目指し、駆けずり回る事になる。まさに時間との勝負だ。スケジュールが決まったら、あとはアポイントメントを取るのだが、これがまた厳しい。彼らは、基本的に怒っているのだ。なぜかって?"こんな効果のない広告を出させやがって!"これである。だからアポ取りも何も、行く来るなの言い合い、ケンカ状態である。こんな状況の中で1件1件金を集めて回るのだ。予定通り行く方がどうかしている。しかも月末月初、週末もはさんでの事だから、宿は結構忙しい。そんなところへ効果のなかった広告の料金をもらいに行くのだ。どんな修羅場が待っているのか、あなたにだって想像に難くないだろう。僕が基本的にリゾート地が嫌いなワケはこの辺にある。
今でもハッキリ覚えている事がある。それは野辺山という山梨県のリゾート地、清里ほど垢抜けていなく、大泉ほどオトナでない、そんな避暑地での事だ。僕が営業をかけ、広告を出してもらったペンションのオーナーに言われた言葉である。そのペンションは、いろいろな専門誌に紹介されていたかなり有名なところで、僕もしつこいくらいに電話攻勢をかけていたところだった。やっとの思いで出稿がきまり、広告が掲載された翌月の事だ。例に漏れず、ここも広告料金は5回の分割払い。僕が第1回目の集金に行った時の事だ。「B企画のものです」と僕。
するとオーナーは、それまでしていた帳簿付けの手をピタリと止めて、僕を上から下までじっくりと眺めた。そして
「あぁ…アンタが、そうか」と言った。
「アンタ、この辺では有名だよ、B企画ってところに、しつこい営業マンがいるって」

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