仕事中、利用者さんのところのラジオで、阿久悠さんの訃報を聞きました。
「北の宿から」など作詞家の阿久悠さんが死去
5000以上の曲を作詞した“20世紀最大の作詞家”阿久悠(本名・深田公之)さんが1日午前5時29分、尿管がんのため死去した。70歳。兵庫県出身。ピンク・レディーの「UFO」、「サウスポー」、都はるみの「北の宿から」などポップス、演歌、アニメなど幅広く活躍し、数え切れないほどのヒット曲を連発。昭和歌謡史そのものといってもいいほど存在だった。(スポーツ報知)
また、今年も暑い夏、熱い甲子園、高校野球が開催されます。
昭和63年の夏、私の母校浦和市立高等学校も初出場をしました。
そして、佐賀商業に初勝利してからあれよあれよという間にベスト4に残っていました。
準決勝の相手は名門広島商業高校でした。
ピッチャー星野くんのピンチには、マウンドに集まった笑顔のナインが彼を励ましていました。
涙のない爽やかな敗戦でした。
そして、作詞家阿久悠氏から『もう一つの優勝校』という賛辞をいただいたのでした。
甲子園初出場に際し卒業生として少し寄付をしていましたので、
その年の九月に阿久悠氏の賛辞のコピーが母校から贈られてきました。
?H3> 甲子園の詩 『普通であること』
普通の人が確実に普通のことをやり、普通に徹することで
特別をしのぐ結果になることをきみらは鮮やかに証明してみせた。
怪物もいない、大器もいない、怪童も天才もましてや野球の鬼も見当たらない。
普通の体躯の普通の技の普通の少年たちが華やかさを捨てて地味に
大きさを捨てて確実に、幻想を捨てて現実に
そう、出来る事を出来るように臆することなく素直に出して
晴れ舞台での華やかな一勝を得た。
初出場 浦和市立
記録を見ても怖いものは何もない。
四十九代表の最低打率、メンバーを見ても身ぶるいすることもない。
普通の高校生の平均体格が並んでいる。
しかし、ただの普通で強豪ひしめく激戦区で勝ち上がって来る筈がないのだ。
何故負けないのか、何故勝つのか、
もしかしたら何故という種明かしを甲子園の場で
きみら浦和市立は、しつづけるのかもしれない。
?H3> 甲子園の詩 『あと一日をのこして』
一試合勝つごとに、きみらは、きみら自身の力に驚きながら
”信じられない”を連発していた。
それぞれの肉体の奥深く、それぞれの精神の核心に
これ程に強いものが潜んでいたとは、今の今まで知らなかったと。
勝者は驚嘆の目を見開き、時に照れもした。
青春が、自己発見の一人旅であるなら
きみらはなんと実りの多い発見の旅をしたことだろう。
甲子園というやさしさと酷薄さを併せもった海原で
人を呑む波もあれば、人を運ぶ波もあると知り
そして、その真っ只中を泳いだ時、
気負いや力みや晴れがましさを求める気持ちより
自分であり続けることが能力の発見の近道だときっと実感したに違いない。
浦和市立高
きみらの活躍は甲子園を沸かせ、あれよあれよという間に勝ち進んだが、奇跡のかけらもない。
勝っても勝ってもきみら自身であり続けたことに大いなる価値を認める。
ようやくにして、夏が戻ってきた十三日目
きみらは晴れやかな笑顔で甲子園を去った。
あと一日をのこした事に悔いはない。
この詩を読み直して、あの時の感動が蘇りました。
また、今年もどんなドラマが生まれるでしょうか。
高校野球が大好きだった阿久悠さんも、きっと空の上から見守り応援している事でしょう。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
※三市(浦和、大宮、与野)合併の為、現在、「さいたま市立浦和高等学校」と校名変更になりました。
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