チャコティの副長日誌

いよいよヤフーブログお別れです….

艦長の部屋

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新しいクッションが自宅に加わった.

今年の夏、徳島を独り旅した.
その際、阿波藍染めの端切れを購入
艦長:元妻への土産とした.

3ヶ月経ったら、こんな形で帰って来た(笑).

元来パッチワークとか得意とする人だった.
端切れは少々だったのだが、
うまい具合につなぎ合わせ、クッション2個.



良く見ると、既に毛がいっぱい付着している….

理由は、この仔が始終こうしているから(笑)

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コウは藍染めがお好き?










片割れ

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久しぶりのファン限定記事.
誰にでも晒す内容ではないので.

改めて今日は震災後の茨城の自宅のあと片付けにいそしんだ.

外壁や内壁のチェック.
かなり振られてきしんだのだろう、
内壁のクロスに裂け目や破れが見える.

築20年も経つ家だから崩壊しなかっただけでも拾い物か.

一番の被害は食器棚の中身…ガラスと磁器の器たち.
先にも書いたが、高価なグラスやカップは全て綺麗に割れた.

国産モノは少し丈夫で、半壊で済んでいる.
nikko、noritake、香蘭社…は写真の通り残っている.

ふと気づいた事がある.

妻と離婚の際、4脚あったカップ類は2脚づつ分けたらしい.
今回見事に1つづつ割れて、結局1脚だけが…残った.

笑えるのは、新婚旅行で訪れた清水でもとめた対のぐい飲みが
しっかり副長の分だけ残して他はこなごなに割れた.

きっちり1人分.
独りでしっかり生きよ、との啓示と思った.

今日、元妻の母の墓参をしてきた.
元妻は大阪在住ゆえ思う様に彼岸、命日…と墓参も出来まい.
実父とも縁を切っているゆえ仏壇の位牌に手を合わせる事もならぬ.

代わりにと、月命日近辺に花を添え、拝んできた.
だが、もういいだろう.
世話になった義母への恩はある.
時おり想い出すだけでもバチはあたるまい.

震災は色々な命やモノを壊した.
私の中の過去の想いもキレイに壊してくれた….

さぁ、清貧に、強く、生きていこう.

そんな想いの震災後10日目.


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今回は最初で最後の“ファン限定”日誌です.

   --------

実は半年前に連れ合い…艦長が離脱した.

端的に言うならば「離婚」した.
熟年離婚の定義にはまる年齢だと思う.

きっかけは義母の死だった.
家族,親類の中心的存在だった.
もちろん妻の心の中でも大きな存在だった.

この義父母の面倒を見るために
スープの冷めない距離,30mの近さに
住んでいた.

が,義母が突然逝ってしまった.
家族が一気に崩壊し始めた.
義父がそれまでの重圧(?)からの
解放からか,狂い始めた.

かねてから不仲の長女の娘つまり孫を溺愛し,
長女や次女(私の妻)へは見向きもしなくなった.
好き放題の生活を始めた.


それはさておき,
私と妻の気持ちの隙間も増大していた.
同い年の夫婦だった.
生活習慣や物事の価値観はよく似ていた.
が所詮同い年同士の考え方や会話に終始してしまった.

片や大きな抱擁力を求め,片やそれを示そうと努力する.
“艦長”と“副長”というポジションもそれを物語る.
好きなことをしたい艦長のサポートを副長が相務める….

だが,いざ事が起き話し合いの場になるとどうしても
大きな包容力を示せず,同じレベルの平行線をたどる.
つのる不満と,達成できない無力感…がこの数年の経緯だった.

結婚生活約22年間.つきあい始めてからは27年間.
人生の半分以上を共に生きてきた.

が,これからは別々でも良いのではないかと二人結論した.

娘が20才を迎えたのも一つのきっかけ.
精神的にはまだ未熟でも,もう成人.
話せば理解してもらえると二人は考えた.

一晩かけて二人で娘に説明し,理解はしてもらった.
未だに完全には納得してないかもしれぬが.
今は母と父の間を行ったり来たりのコウモリ状態.

妻は実の父とも決別した.
新しい住所も彼には知らせず,家を出た.
義父は私へ脅迫,興信所使用,はたまた私の勤め先にまで
狂ったような手紙や電話攻勢をかけてきた

私の家の鼻先に彼は今も独り生活を続けている
実の二人の娘に捨てられて….

旧姓にも戻りたくないのだろう,元妻は私と同じ姓のまま
隣町のアパートで暮らし始めた.

収入の問題で私の名義で部屋を借りている.
最近ようやく某有名デパートの契約社員として
サラリー生活を始めた.

この年まで独り暮らしなどの経験もない人だ.
大変な決心と勇気と思う.
強さと弱さのバランスが微妙な女性だ.
これからも壁はあるし,敵も多かろう.

これまでの結婚生活をおくってくれたことに感謝.
よき娘を生み,共にここまで育てた苦労にも感謝.

出来る限りのことをしてやりたいとの思いで,
これまで築き上げた財産は全て折半した.
とはいっても,少しローンの残った家と土地,
そして2台のくたびれた車と2匹の年寄り猫(笑).
きれいにさっぱり半分こだ.
美形な猫は元妻に….艦長の特権だな.

うらみつらみの喧嘩別れではないから
時折,逢いもし食事もする.
少し痩せてきたが生き生きとして見える.
やはり離婚は女を元気にするらしい(笑)

一方,男はと言えば…,
しおれてみすぼらしくなるつもりはサラサラ無い(笑)
生来こまめな性格ゆえ炊事洗濯掃除と生活能力はある.

この半年は気持ちの整理も必要だったし,
多少ブログ依存症気味(笑)ではあったが,
随分と回復してきた.

この記事を書く気になったのも一つのきっかけにしたいが為.
触れ回る内容でもないので,初めてで最期のファン限定記事.

「艦長の部屋」書庫も当然のことながら,これで封印する.

もう副長…というのも止めにしようかとも思ったが,
元妻はあいもかわらずワンマン艦長なわけだから,
このまま「チャコティー副長日誌」は継続しよう.
だいいち名前を変えるのも面倒だ.


ここまでの長文を読んでいただいたファンの方へ感謝.
あきれて逃げないで,今後とも宜しくお付き合いください.

ではでは.

日誌補足:写真は本文内容と全く無関係です.
     もちろん写真の“ふたり”は艦長と副長ではありませぬ.
     ぴいすけしゃんにもらったエッチングに
     似せた写真画像です.

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フランスで暮らし始め1年も経たぬうちに
大家さんが戻る…と,引越をせまられた.

引っ越した先のアパートは旧市街の真ん中…

今回は艦長が好きだった「朝市」のお話し.
写真はその朝市の花売り場.

昔々の…艦長のフランス日誌です.

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今度のアパートの目の前は広い朝市の会場となる所だ。

毎週土曜日の朝7時前から
農家の人たちが場所代として何10フランかを払って店を出す。
フランスの大抵の町や村には朝市があるようだ。

野菜、果物、肉、魚、花、お総菜と本当に沢山あって選ぶのに迷ってしまう。
同じじゃがいもでもお店によって値段が違ったりするので、
私は何度か買ってみて、売っているおばちゃんの感じも良くて
おいしかったお店に決めて買い物をしていた。

やはり東洋人は目立つらしく、私がそこの前を通りかかって
おばちゃんと目が合ってしまうと、
じゃがいもを買わなくていい日であっても
「シャルロットか?」と聞かれてしまうと
「ウィ」と答えるしかないのであった。

シャルロットとはじゃがいもの種類で、
このおばちゃんは3種類のじゃがいもだけを
売っているじゃがいも屋さんなのだ。

レンヌは海に近い所なので比較的魚が多い。
朝市の魚は新鮮なのでお刺身にもできるが、
どれも丸ごと売っているので私は初めて出刃包丁で
魚をさばかなければならなくなった。

魚売場のおにいさんはとても威勢がいいので、
こちらもぐずぐずしていられない。
注文するのもお金を払うのもあせってしまう。

スーパーだと金額が表示されるので楽だが、
朝市だと相手の言う金額を聞き取らなければお金を払えない。
最初のうちは大きいお金で払っていたのだが、
そうすると小銭ばかりたまってしまう。

この朝市の買い物によって
私のフランス語聞き取り能力はだいぶ向上したと思う。

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艦長と娘のフランス生活格闘記の続編

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この年 娘は3才だったので幼稚園の年少組に入った。
日本と同じで2才「トレプチ」 
3才「プチ」 4才「モワイヤン」 
5才「ゴーン」と年齢別にクラスが分かれていて
娘は「プチクラス」だ。

フランスの幼稚園も学校も朝8時半から夕方4時半までで、
11時半から1時半まで2時間も昼休みがある。
給食にしたい子は朝そのように言えば良いし、
家に帰って昼食を取りたい時も自由にできる。

プチクラスまではお昼も幼稚園にとどまっていると
お昼寝させられてしまうので、
お昼寝したくない娘はいつも家で昼食をとっていた。

そうなると送り迎えをする私は1日4往復することになり、
それだけで2時間近く歩いていることになる。

健康のためには良いと思うが
石畳の道だったりするので靴の消耗が激しい。
フランスの靴は底が厚くてしっかりしているのだが、
石畳の道ではそうでなくてはならないのだろう。

娘の靴も日本のものだと靴底が薄いので、
さっそくフランス靴を買った。
フランスでは赤ちゃんでも革靴をはいているのだから、
子供靴だって大人と同じおしゃれな革靴なのだ。
当然高いし、子供の足はすぐ大きくなるので
頻繁に買わなければならないのは大変だ。

とはいっても洋服はともあれ、
足元がおしゃれな革靴だと全体的に素敵に見える。
幼稚園に日本式運動靴とトレーナーなどで行くと
フランス人には変に見えるらしい。

娘がアトピーだということもあって、
しばらくは綿100%のトレーナーで通園していて
初めてフランス製セーターで行った日、
担任のモニック先生は「素敵な服ね」と言ったとか。
(この時すでに娘は先生の言っていることがわかるようになっていたのだ)

それまでのトレーナー姿は
「なぜ日本人は運動着で来るのかしら」と思われていたに違いない。

フランスの幼稚園は1日中お絵かきをしているようだった。
もちろん日本のように折り紙などないので、
絵を描いているしかないのだろう。
たまに描いた絵を持ち帰るのだが全部カラーペンで描いてあり、
その紙は画用紙やお絵かき用のものではなく
使用済みのコンピューター用紙なのだ。

時々工作をするときも材料はほとんどすべて廃物利用だ。
その質素なことには驚いた。

それぞれ各クラスの担任の先生の他にお手伝いのおばさんたちがいて、
主にプチクラスの子供たちがトイレに行くとき手伝ってくれる。
だから娘たちは「おしっこおばさん」などとあまり素敵でない呼び方をしていた。

子供たちが親に送られて来ると幼稚園の出入口は全て閉められ、
夕方4時半になり親が迎えに来るとドアが開けられる。
防犯上当然のことなのだろうが、
パリなどと違って治安の良いレンヌでもこうしなければならないなんて
「ああ、ここは外国なんだ」と改めて思わされた。

うちは同じアパートだから幼稚園まで1分なので
(最初の半年は)遅刻したことはなかったが、
もし遅刻したらドア閉められていてさぞ困るだろう。
フランス人なら大声で叫べば良いが私は叫べないし。。。

幼稚園の給食は園内の食堂でとる。
丸いテーブルがあってお皿とナイフ、フォークがセットされている。
さすがフランス、残すのはかまわないが、マナーには厳しい。
例えば男の子はいつでもレディーファーストを守らなければならないし、
3才児といえどもナイフ、フォークはきちんと音をたてないで扱わなければならない。

不思議なことに娘はそれほど苦労はしていなかった。
しかし馴染みのない食べ物には苦労した。
グラタンなどは大喜びだが、モロッコ料理の「クスクス」は
どうしても好きになれなかったらしい。
フランス領だったこともあってフランスにはモロッコ人が多いので
「クスクス」も給食に取り入れられたのだろう。

娘はモワイヤン(4才)になった時から給食にしていたが、
日本人の子供のなかには給食をいやがる子も多かった。

娘もそれほど喜んではいないが、
週にたった4回なのだからがまんしてもらいましょう。
4回というのは水曜日がお休みだからである。
このことはフランスに行って驚いたことの1つなのだが、
フランスの幼稚園、小、中学校は水曜日はお休みなのだ。
土、日も休みだから、週の半分近く休んでいるようなものだ。

私たち日本人はその水曜日を利用して「日本語補習校」に行っていた。

   ---この章おしまい---


写真は文中にもある,しょっちゅう通った靴屋にて.
モデルは…,今回は古い写真ゆえ目隠しなしっ!

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