書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」

ウジャウジャ書いてる読書記録など。私は「日本チャチャチャ」の応援団長。 バレーじゃなくって、 日本と日本文化。

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 著者はテレビ局のドキュメンタリー・ディレクター。仕事柄であるにせよ、チベット体験から紡ぎだされ記述なので、藤原新也のような旅作家の作品ほどではないにせよ、心に染み込んでくる。

【「まえがき」に書かれていたこと】
 番組を始める時、僕は 「どういうテーマで何を人々に伝えたらいいのか」 と何日も考え、悩み続けた。たくさんの先輩に会って助言を仰いだ。一日に十本近く番組や映画を見た。読んだ本も50冊を超えた。  (p.13)
 ディレクターの著作ということで眉唾だったけれど、まえがきのこの部分を読んで、読む気になったのである。
 書物の質を山の高さに例えるなら、山の高さ(質)を2倍にしようとすれば体積(読書量)は8倍になり、3倍にしようとすれば27倍になる。それだけの入力がなければ高い山にはならないものであろう。
 『アオザイの国へ』 宮川俊二 (同友館) のような本は、おそらく旅行会社のガイドブック程度しか読まずに書かれているのである。

【理由、動機、意味・・・】
 「何のために」 とか、「どうして」 とか、何でも理由づけようとする僕。生きてゆくために動機づけが必要な僕。何にでも意味がないと納得しない僕。その結果、「何のために生きているか」 すらわからなくなっている僕。何と寂しいことだろう。
 遥か彼方、秘境の地の聖山は、真の意味での 『信じる強さ』 を教えてくれたのだ。   (p.29)

【観世音菩薩の住む山】
 ポタラ宮は 『東洋のバチカン』 とも呼ばれ、宗教上ではチベット仏教の総本山、政治的には官庁のような役目を果たしてきた。
 『ポタラ』 とは 『観世音菩薩の住む山』 の意味である。文字通り、観世音菩薩の化身とされている生き仏、歴代ダライ・ラマの住居となっていた。しかし現在の14世ダライ・ラマが中国政府の弾圧にたえかねて1959年にインドに亡命してしまったので、ポタラ宮は主を失ったままになっている。  (p.36)
 14世ダライ・ラマの亡命以来、聖地チベットは、悪の根源神・盤古の配下に置かれてしまっているのではないだろうか。共産主義中国を深層で操る正体がそれであろう。モラルが通用しない国であることは知っておかねばならない。

【通い婚の村】
 中国四川省と雲南省の境界、ヒマラヤ山脈東端。標高2900メートルにルグフという澄み切った美しい火山湖がある。ほとりにあるモーソ族の村ローアは、周囲から 『女人国』 と呼ばれている。その場所こそ、女性が自分の地位を確立し、生き生きと暮らす、通い婚の村であった。   (p.69)
 日本の平安時代が、現代のローア村にまだ存在している。メモとして書き出しておいた。
 
【チチェー、愛しの少女】
 少女に出会ったのはブータンを訪れて3週間目のことだった。疲れ果てた僕たち取材班の前に、突然姿を現した可憐な花。その名をチチェーという。チチェーとは、ブータン語で 『愛しの』 という意味・・・ (p.165)
 ここから始まる正味2ページほどが、この書籍の中では一番印象的な記述だった。撮影スタッフ全員がこの少女に恋してしまったらしい。私まで・・・。

【ヒマラヤの子供たち】
 人を愛するとは何なのか。その人類普遍のテーマの手がかりを、子供たちは僕に教えてくれるのである。
 金を愛する。名声を愛する。物を愛する。それら個々の人間の感覚や情といったレベルのものとは違った、真実の愛。僕はそれを 『慈愛』 と理解しているが、そういう、自分を犠牲にしてまでも他人を思いやる気持ち、他者の幸せを素直にわが幸せと喜ぶことができる純粋な気持ちを、ヒマラヤの子供たちは生まれついて持っているように思えてならない。
 そして僕は彼らに会うことで、日々の慌しさで埋もれ、ちりやほこりだらけになってしまった 『人を思いやるこころ』 を再び、光明の元に蘇らせることができるのである。

 「僕はまだ、優しい人間でいられていますか?」
 その答えを探して、僕は今日もヒマラヤの子供たちの慈愛の懐に戻ってゆく。   (p.173-174)

【幸せや神の所在】
 東はミャンマー、西はブータンに囲まれた国境地帯にあるアルナチャル・プラデシュ州に住む民族の中で、最も主要な人々はアパタニ族である。
 アパタニ族の人々は、すべてのものに霊魂が宿るという 『精霊信仰(アニミズム)』 を信じている。『ドニ』 という太陽の神と 『ロポ』 という月の神を最高神として崇め、家にも田畑にもそれぞれ守り神がいて、先祖の霊と協力しながら豊かさを運んできてくれると考えている。
 18歳のヤミンは、そんな伝統的な習慣や考え方に生きるアパタニ族の女性であった。
 僕は、ヤミンに教えられたのだ。 『すべてが始まった場所』 の意味を。
 それは感情や信仰、善悪など、人間が生み出すすべての諸行を暗示していた。生まれ出た様々な人間の行いは、ある時は 『罪』 『悪』 『疑い』 を引き起こし、またある時は 『善』 『愛』 『信仰』 へと育つ。
 聖地はすべての感情の源だったのだ。まさに接する者の気持ちをありのままに映し出す鏡だったのだ。
 「どこにいけば幸せが得られる」 とか 「だれかが幸せを教えてくれる」 ではない。特別な建物が重要なのではない。何の変哲もない風景にも、 『幸せ』 は存在する。そして、 『幸せ』 のあるところに、 『神』 は存在するのだ。それが精霊信仰を信じているアパタニ族の、幸せや神の所在である。  (p.179-189)

【癒し】
 「癒しの最大の要因は、他人との交誼である」
 14世ダライ・ラマ法王は、そう説いている。もし、互いに信頼しあえる友がいなければ、親しみあえる隣人が皆無であれば、精神的にも肉体的にも健康でいることは難しいし、こころが癒されることはない。そう教えているのである。   (p.191)
 癒しの最大の要因は人によってもたらされる。なら、その次の要因は? 
 おそらく、特定の土地が発する波動であろう。
 下記の “聖なる教え” は、経典の文言などでないのは言うまでもない。
 ヒマラヤでの人々との出会いを通じて数々の “聖なる教え” に触れる時、僕は、都会の生活では感じることの出来ない何ものかの強大な力によって、自分の身体の隅々までが浄化されるのを知る。新しい意識が今までの凝り固まった既成概念の殻を破り、蒼穹の天空を目指して、羽ばたこうとする音を聞くのだ。
「ああ、生きていてよかった。今僕は、見えない何かによって癒されている・・・・」
 それは、まさに至福の時である。    (p.192)
                                                <了>

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