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テレビ朝日の「報道ステーション」は、時間帯が自分のテレビ視聴可能時間帯と一致しているのでよく観ている。良くも悪くも古舘伊知郎氏がこの番組の「特徴」だろう。他のどの局の、いわゆるキャスターと呼ばれる人たちよりも、彼は自分の考えを前面に出す。テレビの影響力を考えれば、世論誘導的コメントが多いと言ってもいいだろう。
ウェブ上で彼を批判する人たちのコメントを拾ってみると、「深刻ぶっている」、「常にネガティブ」、「矛盾したことを言う」、「何でもかんでも政治や社会、世間の風潮のせいにしている」などなど散々である。
以前、週刊誌での批判記事で古舘氏のことを、「腹話術の人形みたいに、誰かにしゃべらされている感じ」とコメントしている人がいた。SBI大学院大学客員教授・池田信夫氏によれば、「古舘氏はかなり自由にやっているように見えるが、彼のコメントは事前にすべて決まっており、編集長が目を通している。それを感じさせないところが彼の芸」と語っている(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/752be25ddb6c6ea45413d3cf1e81a546)。
日本のニュース番組では、(メイン)キャスターはほぼ司会者だといえる。キャスターが司会進行を行い、アナウンサーがニュースを読み、コメンテーターが意見を述べる。それが一般的なニュース番組の形態だ。「報道ステーション」においては、古舘氏が私見を述べ、コメンテーターがそれに合わせたコメントをする流れが多いように映る。
ジャーナリズムの原則として「客観報道」というものがある。「客観報道」とは、ニュースの報道にジャーナリストの主観、意見を入れないことを言う。オピニオンを展開する言論活動と事実の報道とをはっきり分け、事実報道はできるだけ客観的に観察、分析したうえで描写、伝達することで真実に迫ることができるという考え方である(原寿雄・「ジャーナリズムの思想」・1997年・岩波新書)。つまり、テレビで言えば、ニュースを伝える人と意見を述べる人は別にしなさい、ということだ。
アメリカのニュース番組でも、日本と同じような形態だが、局の看板である夕方のニュースでは、キャスター(アンカーと呼ばれ、十分経験を積んだジャーナリストが就くポジション)が一人でニュースの紹介と解説を行い、リポーターが現地からより掘り下げた内容を伝えるという形式をとっている。
キャスターが私見を述べるべきかどうかについては、「大統領よりも信頼できるニュースアンカー」と呼ばれたウォルター・クロンカイトが「絶対中立」という立場をとり続けたため、テレビ・ジャーナリズムではそれが原則となった。日本ではその点が曖昧なため、コメンテーターがいるにも関わらずキャスターが自説を述べ、その代表格が古舘氏ということになる。
ジャーナリズムの原則に基づけば、私はキャスターが過度に私見を述べることには反対だ。そして、個人的にはしゃべり過ぎる古舘氏には、うんざりすることも少なからずある。
それでも、日本のメディアは記者クラブ制度(稿を改めて議論します)の下、政府・官僚・大企業などから流された情報を垂れ流す「発表ジャーナリズム」に浸かりきっていること。国民の多くが、政治に対して真剣に自分の意見をぶつけようとしないことを考えると、古舘氏のように、政府などの主張に激しく異を唱えるキャスターがいてもいいのではとも思う。
ただ、その存在が許容される条件として、もし上述の池田氏の指摘が正しいのであれば、古舘氏は編集長の振り付けどおり踊るのではなく、さらに勉強し、経験を積み、編集長を兼務できるくらいのレベルまで成長する必要がある。
一方、国民は一層メディア・リテラシーを高めなくてはならない。政治家や官僚が主張していることも疑わしいし、メディアの主張も鵜呑みにはできない。そのような批判的精神を持つことで、メディアによる世論誘導に安易に乗ってしまうことが防げるし、同時にメディアも薄っぺらな内容では国民に見透かされてしまうことになり、その成長の糧となるはずだ。それが、国民の主権意識を高め、ジャーナリズムの質を高め、キャスターのレベルを高めることになれば、この国の民主主義も、もう一段高いステージに到達できるのかもしれない。
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