過去1983年〜思い出

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初めて行ったのが、21年前1986年3月 娘3才のときでした。

  乗り物といえば小さい子供が乗れる物に限定。

  サウンダーマウンテンと言われるジェットコースーターのような乗り物等には

  小さすぎて乗せることはできませんでした。

  娘が疲れれば抱っこして園内を歩きました。

  親も沢山若かった〜(笑)


2回目は11年前1996年8月 娘13歳(中学2年)のときでした。

  大人でもちょっと怖いものまで、平気で乗ります(むしろ喜んで)(~_~;)

  サウンダーマウンテンは娘から強引に2回も誘われて乗りました。

  親が疲れても、子供は疲れを知りません。あっちこっちと引き回されました。

  親も少し若かった〜(笑)



中学2年ともなると娘の顔はお見せできませんが、こうやって当時の写真を並べてみると

娘の成長がとても懐かしく思い出されます。

3歳のときのディズニーのときのほうがよく覚えているんです。不思議ですねー(笑)

今、娘は24歳です。

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娘は、幼いころからミッキーのぬいぐるみが大好きです。

大きさ、形いろいろなミッキーマウスがありますが、

娘が好きなミッキーは、これだ!と決まっています。

写真がそうです。


これ以外のミッキーやぬいぐるみは好きになりませんでした。

ミッキーもよく見ると、それぞれ違った顔をしてるんですね。


写真のミッキーは二代目なんです。

一代目のミッキーは、娘の成長と共に、長年の数え切れない、妻の洗濯の末、

顔は表面の布が破れ中身が見え、

首はもぎれそうになり、

体中はボロボロ、

ついにお役ごめんとなりました。



娘の成長を見てきたミッキーを記念に残しておきたかったのですが、

衛生上良くないといって妻が処分してしまいました。



かくして、二代目ミッキーが誕生?(購入)したわけです。

小学生の頃だったかな?

当然一代目と形、大きさ、着ている服、色全て同じです。

二代目もこれまた妻の洗濯で、向かって左目が欠けてしまってます。

また、見えませんが首のまわりもほころび、しっぽも抜けました。




このミッキー、娘のこだわりなんですね。



何故娘がこのミッキーにこだわったのでしょうか?



初代ミッキーが我家に来たのは、娘がまだ話もできず「んー、んー」

と言っていた頃でした。妻が買ってきたのだと思いますがはっきり記憶ありません。


わたしは、ミッキーを手に持ってミッキーが生きているように動かし、

そして声を付けたのです。

「ぼくミッキーだよ、よろしくね!」

といった感じでしょうか。(実際のミッキーの声は知りませんが(笑))


これが娘に大受けだったのです。

それ以来、娘はわたしに

「ミッキーをやれ!」

と言わんばかりに、ミッキーを持ってきては


「んー、んー」


とわたしの前に突き出すのです。


わたしもそれが嬉しくて、そのたびに、いろいろな声を出して娘に話しかけてあげました。

娘も自分で、ミッキーを手に持って動かしては、ミッキーに「んー、んー」と

話し掛けるようになったのです(何を話しているのかは分りませんでしたが(笑))


母親が赤ちゃんを背中におんぶするのを真似して、妻にミッキーを背中にのせて

紐でしばってもらい、母親になった真似事などもしていましたね。


常にミッキーを抱き、手放さなくなりました。

家族旅行等、出かけるときも必ずミッキーを持っていくようになりました。





大都会の予備校では一人暮らしの寂しいときは、支えになってくれたらしいです。

当然、大学4年間も娘と一緒でした。

休みに実家に帰ってくるときもミッキーは一緒でした。


いまも、娘の部屋のベッドの脇にチョコンと置いてあります。



ただ、大学を卒業して実家に戻ってきてから「ミッキー」という言葉が余り出なく
なってきたような気がします。


そろそろミッキーから卒業かな?

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このお話も、先に紹介した「電卓を無くして…」と同じく娘が小学4年の時、
わたしに作ってくれた安全運転のお守りのお話しです。

ちょうど、縫うことに興味を持ち始めたころなのでしょうか。
文字をししゅうした交通安全のお守りと、りんご?のアクセサリを作ってくれました。
お守りは布に糸で文字を刺しゅうしてあります。

  『 いねむりうんてんはじこのもと 』

   が、「い」が抜けて

  『 ねむりうんてんはじこのもと 』

となってます(笑)
文字を縫い付けることに気を取られたため「い」が抜けたのでしょう。
当時、「いが抜けちゃったの」という感じでわたしに渡してくれました。
うれしかったですねー。
なんて父親思いの子なんだろう(^O^)(←chotto oyabaka desu〜)

  以来、
  大事に運転席の脇に車が変わっても付けてます。
  布の色があせても、
  糸がほころんでも、
  15年間わたしをずーっと守ってくれました。

  これからも、ずーっと守ってくれます。きっと\(^o^)/


※24歳の娘の解説
15年も前のことなので、間違いがあるかもしれません。
はっきり覚えていませんが、小学校4年生のころ、ししゅうクラブに入りました。
そのとき父に何か作ってあげようと思い作ったと思います。
「い」が抜けたのは父の言う通りです。
この話を父から聞くまで、父の車に乗っていてもその存在感は全くなく忘れていました。
実物を改めて見て、布の材質は紫色のフェルト、糸は朱色でした。
布の周囲も同じ糸で囲いましたね。
お花の丸を紫の布へ縫い付けるのが大変だった記憶です。

なお、お父さんが大変喜んでくれたかは覚えていません。

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妻が昨日(4月12日)部屋の片付けをしていたら、娘が小学4年生の時わたしに書いた手紙が出て来たと言うのです。24才となった娘は講習会があるとのことで帰りがわたしより遅い日でした。

それは、15年前のことです。
小学4年の算数の授業で電卓を使うというので、わたしのカード電卓を貸してあげました。
算数のある日だけ持っていっていたようです。
朝、机の中に入れたはずの電卓が算数の授業の時、無くなっていたらしいのです。

本人は焦ったでしょう。
お父さんに借りた電卓が無い。
授業で使えない。
どうしよう…。

一生懸命回りを探したのですが、出てこなかったようです。
その夜、

声を出し泣きながら「お父さん、ごめんなさい」ってな感じで何度も謝っていたのを覚えています。
授業で使えなかったことが、可愛そうでなりませんでした。

  手紙を書いてもらったのは全く覚えていません。
キチント封筒に入れてたんですネ(可愛いじゃありませんか! ←oyabaka)
  子供との思い出は大事に忘れないようにしていたつもりですが、残念です(^_^;)

さっそく代わりの電卓を、次の日曜日、二人で電気店へ行って買いました。
(一番下の写真です)

15年後の今でも、わたしが大事に使っています。


講習会から帰ってきた24才の娘に「手紙出てきたよ」と言ったら、覚えてました。
が、

なつかしいという様子はありませんでした(^_^;)
何だ、親だけかよ!!

でも、良い思いで再発見でした \(^o^)/。

16年前 近くの公園にて

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16年前 1991年5月 小学3年

娘が幼いときでした。
私の仕事が休みの日、娘に問いかけると答えは必ず決まっていました。

■その1
わたし:どこへ行きたい?
むすめ:どうぶちゅえん(動物園)!

■その2
わたし:どこへ行きたい?
むすめ:すいじょくかん(水族館)!

どちらかに、よく行ったものでした。
そのどちらでもない時は、近くの公園へ散歩です。

その公園での写真です。
ただ、小学3年で少し大きくなってからの物です。
(このころは、幼児語ではありませんが…  ^_^; )

でも、
チョットすまし、おねえさんの感じす(エヘッ)
他人から見たら、何にも感じないでしょうが…  (~_~;)

なつかしいんですー。

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