大学受験

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

 朝から天気が良いです。  

 二階の部屋から撮りました。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

これは、わたしと娘が2001年に「国家資格を一緒にもぎ取ろう」と挑戦した時の続き

のお話しです。

  以前のお話しは下です。

  http://blogs.yahoo.co.jp/chanpon1952/48613176.html


娘のコメントに救われて、わたしは奇跡的に合格できました。



それは、2002年の娘が大学1年の時でした。

2002年10月、わたしは国家資格一級の一次試験に合格し、二次試験当日です。

試験問題が配られました。

問題用紙の表紙の裏の問題が薄っすらと透けて見えました。

その瞬間、アッ!エッ!ウソ!駄目だー!

心は完全に動揺していました。

出るはず(わたしの勝手な思い込み)の問題が出ていないのです。裏をかかれたー!

まだ試験は開始していないのに頭の中では終わったと思いました。


この問題は、二次試験の重要な問題で、記述式問題です。

傾向が例年1年交互に出ているので、山は掛けられるのですが、

その年は、前年と同様な傾向の問題でした。裏をかかれたのです。

事前に傾向はチェックしていましたが、初めてです。


試験開始の合図が出て、問題を開きました。

  「駄目だできない!もう駄目だ!会場を出よう」、

  「待てよ何か書けないかな? 書けるはずだ!」

  「んー駄目だ 書けない!」

  「娘に合わせる顔がない!」

  「何か書いて見よう!」

  「書けない!」


   頭の中で同じ事がぐるぐる巡りまわったのです。




   そうこうしているうち、娘の言った言葉が頭の中をかすめました。

   この言葉が出なかったら、確実にこの試験諦めていて、不合格だったでしょう。


それは、

  「記述試験は、とにかく書かないと0点だよ」



そこで、言葉が不適切ですが「何かでっち上げてでも良いから書いてみよう」

と考えました。



まず、残る問題と、残り時間を確認しました。

幸い、残りの問題は、勉強していたので、こちらを先に何時までに回答して、

最後の何時間何分で、でっち上げの文章を組み立てて書き上げようと

時間配分を決めました。


それから自分で決めた配分の時間で進めましたが、やはり最初の記述問題のことが

気になって、あせる気持が波のように押し寄せては消えてを繰り返しました。

心臓のドッキン、ドッキン音がはっきり分りました。

シャーペンを持った手も震えてうまく字を書けません。

何度も消しゴムを使いました。



後半の問題を回答し終わって、何となくいけるという手応えが掴めたので、

後は最初の記述問題だけです。

最初の記述問題のでっち上げに取り掛かりました。



どのくらい時間がかかったでしょうか。

なんとか書き上げることができました。自分でも驚きでした。

しかももっともらしく、それなりに埋まっています。

時間は制限時間一杯でした。

あとは、運を天に任せました。




2003年2月 合格できました!!\(^o^)/

娘のあの言葉が頭をよぎらなかったら、問題を解くことなく会場を出ていたでしょう!

この映画のような奇跡は、わたしの人生で最初で最後でしょう。

そしてあのような悪夢は、もうこりごりと思いました。

イメージ 1

 家の庭で撮りました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

娘が希望の大学受験に不合格となり、大都会の予備校へ出発し、
この予備校にいる間に、わたしも国家試験の受験を決意したことは
以下のblogで書きました。

 〜娘の予備校への出発〜
   http://blogs.yahoo.co.jp/chanpon1952/48775479.html

 〜娘とわたしの国家資格への挑戦〜
  http://blogs.yahoo.co.jp/chanpon1952/48613176.html



今日は、娘がこの予備校にいるときに、わたしが娘へ送った

「お父さんの受験白書」のお話しです。




娘が予備校へ入って7ヶ月が過ぎました。

夏も終わり秋が過ぎ冬が近づく11月、娘の受験勉強も追い込みです。

わたしの国家試験の受験勉強も少しなじんできていました。


このころふと、わたしが約40年前(古すぎ!)に経験した受験への思いを

「お父さんの受験白書」と称して娘に書くことにしました。

もちろん、娘の受験への気力を維持するためだけが目的でした。

今、Blogを入力するのにその白書に何をを書いたかな?と、

パソコン内のそれを見返してみました。



詳細は、ここに書くことはできません(秘密です(笑))がキーワードは以下です。

  ★受験の不安、良きライバル、ナポレオンの睡眠時間、


  ★娘に送った言葉;

 
     『やりたいことがあれば、その時やり通せ!


           あとで後悔しないほどやれ! 』


  ★作成日時は、2001/11/24 午前2:50 で A4サイズ 3枚でした。



内容を少し誇張して書き上げた感もありましたが、これで良かったと思いました。

なぜなら、娘の受験への闘志、気力維持だけで良いのですから。


妻が娘に送る仕送りのダンボール箱へそっと入れて送りました。




ただ、これが、娘の受験の闘志、気力に役に立ったかどうか未だに確認していません。

彼女の応えが怖いです(笑)

娘の予備校への出発

イメージ 1

 〜 娘が大都会の予備校へ出発した日の一日のお話しです 〜

1枚目の写真 出発朝速く、高速バスのバス停前です。
2枚目の写真 寮の娘の部屋を出る直前に撮りました。


6年前、2001年4月1日、娘は希望した大学を不合格のため、大都会の予備校へ出発しました。


   一人娘を何不自由なくわがままに育ててしまったので、
   大都会で一人で生活できるんだろうか?
   わたしと妻はとても不安がありました。
   予備校の寮は、女性専用の食事付きの寮です。


寮は男子禁制でしたが、入寮日だけ入ることが許されました。

部屋は机、ベット、お風呂、エアコン、トイレがありましたが、お風呂は体が入るだけの小さな

ユニットバスでした。

午前中は近くのデパートで日用雑貨を購入し、洗濯を干す台などを組み立てました。

いままで、洗濯だってろくにさせていなかったのに、大丈夫かな?

昼食は、近くのラーメン屋さんでラーメンを食べました。


午後も、いろいろ部屋の準備も進むと、だんだん娘との別れの時間が近づいてきました。

寮の部屋を出る直前に写真を撮りました。

一階の出口で寮監(70歳くらいの品のある方でした)の方がいたので、挨拶をしました。


妻  「一人娘でわがままに育ててしまいました。宜しくお願いします」
    (こんな感じで言ったと思います)

    泣き声になっていたのでわたしは驚いて妻の顔を見たら、

    涙が頬まで流れていました。

    それを見た娘も一緒に泣いていました。

    わたしもこみ上げるものがありましたが、こらえました。


寮監 「お母さん、また来てくださいね。」と優しく言ってくれました。



   寮を出て、妻が寂しそうにつぶやきました。


妻 「子育て もう終わりかなー?」と。




娘と別れて、大都会から我が田舎町へ向かう高速バスに乗った時には、

すっかり暗くなっていました。

わたしと妻はしばらく無言でした。

バスの中で食べるのに夕食用に買ったお弁当とビールのビールを飲みながら、

窓側の席に座ったわたしは、窓の外に流れる街の灯かりをボーット見ていました。

涙がボロボロ流れ出ました。

娘とこれから少なくても5年以上離れて暮らすことがこんなに悲しいものなのかと

この時、実感しました。


※ 今、当時を思い起こすと、やけにおせんちでしたね(笑)

イメージ 1

6年前の2001年のお話です。

◆娘の夢

 娘は、中学生のときから自分の将来の夢を持っていました。

 それを実現するためには大学で所定の単位を取得し、国家試験を合格

 しなければなりません。

 今から6年前の2001年大学を受験しましたが、第一希望の大学には

 合格できませんでした。


◆娘の決心

 結果、娘は一年間、大都会の予備校で勉強する決心をしたのです。

   わたし自身、娘と同じ歳(中学生)のころには、はっきり言って現実的な
   自分の将来の夢など持っていませんでした。
   この娘の決心は全てに優先して、応援してやろうと決心しました。
 
 その予備校には、女性専用の寮があり、食事付きで娘にとっては、環境は良好でした。


◆わたしと娘の挑戦

 さて、この予備校に入って2001年10月の頃になりました。

 わたしの勤め先で、ある国家試験の募集が来ました。

 普段なら「ふ〜ん」と気にも留めないわたしでしたが、

 この時、ふと


 わたしも、一緒に国家資格を取得する勉強をすれば、娘の励みの材料になるのではないか

 と考えたのです。

 そしてそれはすぐ決心に変りました。

 このことは、娘に電話しました。



  「お父さんと一緒に、国家資格をもぎ取ろう!」と。



  申込みは、「○△国家資格 一級」を申し込みました。

    この国家試験を予定は以下でした。

     一次の筆記試験 :2002年6月
     一次合格発表  :2002年7月
     二次の実地試験 :2002年10月
     二次次合格発表 :2003年2月

   わたしは、2001年10月〜2002年10月と約1年間勉強することとなったのです。
   実地試験といっても、内容は筆記試験でした。


◆わたしの受験勉強

 決心した2001年10月から、わたしの猛勉強が始まりました。

 と言いたいのですが、何から勉強したら良いのか分からないのです。

 書店、とかインターネットから参考資料を取り込みました。

 当時は、ADSL等導入していなかったので、データのダウンロード時間は遅い上に、

 費用は高いと大変でした。

 すぐに、プロバイダー契約の月10時間2000円(だったかな?)

 になりオーバーしました。


◆わたしの勉強時間

 普段は勤めがあるので、わたしの勉強にさける時間は、お昼休み、土、日、連休の休日

 しかありませんでした。へたすると当時、土曜日は勤めに出たりもしていました。

 平日の早く帰宅できる日、休日は朝から晩まで(食事はしましたが)、

 連休は毎日朝から夜遅くまで勉強しました。

 夏の休日は、朝5時ごろシャワーを浴びてから勉強、年末は、大掃除もそこそこに

 正月も勉強しました。

 忘れやすい、語句、計算式などは、トイレの中に張り紙しました。

 とにかく、もう今後しばらく勉強したくないくらいしました。


◆わたしの凹みと、一番の応援者

 そんな中で、参考書や問題集で勉強すればするほど、内容が難しいことが分り、

 「たった、10月〜6月の8ヶ月間の勉強で、一級の一次試験が受かる訳ない」
 
 「もうやめたい」と何度も思うようになりました。


 その度に、

 自分が諦めてしまっては、娘も駄目になんるのではないか、

 『「一緒に国家資格をもぎ取ろう!」と約束したんじゃないのか!』

 と自分に言い聞かせたりしました。。


 でも、わたしの受験への一番の励ましは、妻から聞く娘の近況や、

 本人とのメール、電話でした。


   一番の応援者は娘だったのです。



◆娘とわたしが国家資格をもぎとるまで

 お互いに励ましあった(実際はわたしが励まされていたのかも…(^.^))かいもあり

 お互いに国家資格をもぎとることができたのです\(^o^)/


 2001年2月 娘大学受験不合格

 2001年4月 娘、大都会の予備校へ出発

 2001年10月 わたしが国家資格一級受験決意

 2002年4月 娘は第一希望だった大学へ入学

 2002年7月 わたしが一次合格。

 2003年2月 わたしが二次合格。これで国家資格一級もぎとる。

 2006年4月 娘が大学を卒業し、国家資格をみごとにもぎ取る。



◆わたしが合格するまで一番うれしかったこと

 合格するまでで一番嬉しかったのは、娘のあの電話でした。

 一次試験か二次試験か忘れましたが、

 試験の前日わたしは早めに寝ました。1階でまだ寝ていなかった妻から

 「○○子から電話よ」と起されました。


 娘は言いました。

 「おとうさん、確か明日試験だよね。頑張ってね!」


 でした。とってもうれしかったですね。忘れられません。



 ※ 上を入力している時、他のエピソードもあれこれと思い出しました。

 娘の予備校への出発日のこと、娘へ送った「わたしの受験白書」、他があります。

 機会を見てご紹介したいと思います。

全1ページ

[1]


.
chanpon1952
chanpon1952
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事