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福島第一原子力発電所の事故は、混迷の度を加え、安心できる状態への作業の見通しが立たず、ただその収束には長時間が必要と分かっている状態です。
今は一刻も早い収拾が焦眉の急で、東電と政府の対応への不満・怒りが渦巻いています。
福島第1の6機を抜かしても未だ日本には商用原発48機あり、浜岡原発など直ぐにも廃止すべき危険な原子炉もあります。
この地震の多い日本にこのような制御の困難な原発は、今度の安全神話の破綻でも分かるように危険すぎます。
今後は原発から、自然エネルギーへ大きく舵を取るべきと思います。
そのためにも過去を振り返り、国民として一人一人がよく考え、自らの責任も自覚し、今後の日本の針路を間違わないようにすべきと思います。
まず朝日新聞4月26日の朝刊に載った紙面4分の3を占める中曽根元首相との今回の大震災についてのインタビューの見出しをご覧ください。
中曽根元首相談「大事故は遺憾千万。原発政策は推進を」 今の機会にこのような記事を載せたことの真意は疑われるが、この中曽根談話は、今まで進んできた日本の原子力政策を浮き彫りにしている。
この機会に、今後の参考に日本が進めてきた原子力発電への道程を振り返ってみることにする。
後の原子力の歴史(日本)で書いたように、1955年には原子力開発の方向を定めた「原子力基本法」の制定と日米の「原子力協力協定」の締結があり、これが原発への大きく舵を切った1歩であった。そのときの内閣の首相は自民党初代党首であった鳩山一郎であり、第3次鳩山内閣である。これが奇しくも自民党による55年体制の始まりであり、以後自民党は、エネルギー政策として原子力発電の推進を進めてきたのである。この1955年は、前年ビキニ水爆実験で第5福竜丸の被爆があり、原水爆実験禁止運動は非常な高まりを示した。米国政府は、核戦略を進める米国に対する日本国民の反米意識を抑えるため、日本における原子力の平和利用を日本政府とともに進めたのである。(最後にPunさんのコメントで知ったYoutube「原発導入のシナリオ①、②」を付け加えました。)
米国はこの時期冷戦下で核兵器の開発を進めており、その過程で出てくる濃縮ウランを使用し、原子力潜水艦、原子力空母の建造とともに、原子力発電をソ連と競っていた時代である。その過剰な濃縮ウランや原子炉の日本への提供は米国にとって経済的利益が高かったと思われる。日本にとってみても、化石燃料資源が乏しく、CO2問題もある中、安定なエネルギー資源として魅力のあるものであった。
以後日本は、米国の支援の下、原子力発電を強力に進めてきた。最初の原子力発電機である1970年の関西電力美浜1号が米ウェスティング社製であり、その次の1971年の福島第一1号機が米ジェネラルエレクトリック社製であることは日本の原子力発電の歴史で象徴的といえる。
この後70年代の高度成長時代は最初の2機と合わせて全部で27機の原子力発電機を建設した。70年代の自民党政府(佐藤、田中、三木、大平の4内閣)の55年体制がこれを進めてきた。続いて80年代11機、90年代12機、2000年代4機と54機となった。
わが国でも、後の年表に揚げたようにレベル4以下の事故は相次いでいたが、他国においては1979年のスリーマイル島(レベル5)、1986年のチェルノブイリ(レベル7)の大事故も起こった。しかしながら、他の先進国と同様、日本の原発推進の政策は変わらず、プルサーマル化や新規に14機の建設などの計画も現在ある。
このように原発を強力に進めてきたのは55年体制であり、その政府を選挙で選んだのは国民であった。安全神話の下、経済成長の恩恵に与り、安寧の夢をむさぼっていたのである。
自民党には、この原発推進の反省の言葉はない。我々国民も自らの責任を痛感せねばならない。また、自民党を中心として経済的理由で必ず原発の推進が、中曽根談話のように復活してくるものと思うが、これにまた誤魔化されないように過去の歴史を忘れてはならない。
PS:5月5日「自民原発推進派はや始動」という朝日朝刊の記事について書いたが、自民党は相変わらず原発推進である。
原子力の歴史(日本)1942:核分裂による連鎖反応の実験(米国:エンリコ・フェルミ)
1945:原子爆弾による被災(広島・長崎)
1954:第5福竜丸の被災(ビキニ水爆実験)
1955:日米原子力協定(第3次鳩山内閣:自民党)
米国からの濃縮ウラン貸与協定
1955:原子力基本法(第3次鳩山内閣:自民党)
平和3原則:民主・自主・平和
1963:動力試験炉(JPDR)の実験に成功)
1968:日米原子力平和利用協定(第2次佐藤内閣:自民党)
米国から原子燃料の殆どを受けていることから、その再処理に関する
協定
1970:美浜1号(関西電力):米ウェスティングハウス社
1971:福島第1原子力発電所1号機:米ジェネラルエレクトリック社
1978:福島第一3号機臨界事故(日本最初の臨界事故。隠蔽?
2007に発覚:当時は報告の義務はなかったと東電主張) 1987:日米原子力平和利用協定(第3次中曽根内閣:自民党)
再処理、高濃縮、貯蔵などの技術的事項の事前合意の他、核不拡散
の強化も努力も含まれている。
1989:福島第二3号機事故(原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量
の金属粉が流出した事故。レベル2)
1990:福島第一3号機事故(主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子
炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止。レベル2)
1991:美浜3号機事故(蒸気発生器の伝熱管の1本が破断し、非常用冷却装
置(ECCS)が作動した。レベル2。
1991:浜岡3号機事故(誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動
停止した。レベル2)
1997:プルサーマルを含めた核燃料サイクルについての閣議了解
(第2次橋本内閣:自民党)
1997:東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故(レベル3)
1999:東海村JCO核燃料加工施設の臨界事故(作業員2名死亡)レベル4
1999:滋賀1号機事故 レベル1-3*
2007:柏崎刈羽原発が中越沖地震で損傷
2009:プルサーマル発電開始:九州電力玄海原発3号機
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2011:福島第1原子力発電所事故 レベル7
*滋賀1号機の事故:定期点検中に沸騰水型原子炉(BWR)の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。
所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が決定され、運転日誌への記載も、本社への報告も無かったとされる。当時の所長代理は、発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当、志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1-3
日本で2番目の臨界事故とされる。
原子力発電機の建設:70年代:27機、80年代:11機、90年代:12機、
2000年代:4機
歴代内閣(55年体制):93年〜96年間の3内閣、非自民の細川内閣(日本新党)と羽田内閣(新政党)、村山内閣(自民と社会の連立)を抜かせば2009年9月の鳩山内閣(民主党)まで1955年より自民党単独政権であった。従って原発推進に最も責任ある政党はいわずもがなである。
建造中及び計画中
Punさんのコメントにある「原発導入のシナリオ」のYoutubeをつけます。
test
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reikunさん
コメントありがとうございました。
こういう時期現実をしっかり見詰めて、
はびこっている声高なデマゴーグに迷わされないように心がけたく思っています。
2011/4/27(水) 午前 10:49
こんにちは 那珂市津田から来ました。
このおヒト
この時期に まだそんなことを言ってるんですか(驚)
ミ:D)┼< バタッ 卒倒です 爆
2011/4/28(木) 午後 2:35 [ 中川 ]
中川さん
あきれますね。
しかし、こういうお人は結構多いと思います。
原発推進派が必ずだんだん顔を出してきます。
注意しなければなりません。
2011/4/28(木) 午後 2:42
>注意しなければなりません。
そうですね・・・同感です。
フリー記者の「上杉隆氏」や「田中龍作氏」も
そのようなことを言っていましたっけ。ネガティブキャンペーンをしかけて来るって。とにかく「安全を目指して原発を推進」という洗脳教育にも注意します。
2011年にやっと洗脳の呪縛から解放されたのに 笑
2011/4/28(木) 午後 3:01 [ 中川 ]
中川さん
全く原発はCO2がなくていいと思っていました。
わたしも洗脳されていたようです。
これから原発推進派がだんだんと出てきますよ。
2011/4/28(木) 午後 5:40
Youtubeで「原子力導入のシナリオ」を観てほしい。
2011/4/29(金) 午後 2:03 [ Pun ]
Punさん
見てみましょう。
ありがとう。
2011/4/29(金) 午後 2:09
Punさん
「原子力導入のシナリオ」をみました。
とても参考になり1955年について記事を書き換えました。
ありがとうございました。
2011/4/29(金) 午後 3:12
「全廃に向けて舵を大きく切りたいものです」、はい、同感です。電力開発政策を国民一人一人が真剣に考える必要があります。そしてこの種の重要事項は国民投票によって政策の決定をしたいものです。
2011/5/1(日) 午前 7:52
Mineさん
本当にそうですね。
国民投票にすれば、国民の意識も高まり、
政府・国会も本腰にならざるをえませんからね。
コメントありがとうございます。
2011/5/1(日) 午前 9:10
国民投票制度の導入賛成です。
2011/5/5(木) 午前 6:13
tadさん
原発や消費税のような今後の大きな方針について国民投票をするといいと思います。こういう大きな方針について今は選挙のときはいわずに決定・実施が可能と思います。
コメントありがとうございます。
2011/5/5(木) 午前 6:34
charangeさん、初めまして…。現実を良く知るために歴史を調べることが大事!基本中の基本である事を教えられました。有難うございます!
ところで、日本の現状を見るに付け思う事は「管総理はさっさと辞めろ」コールが喧しいですが、次は誰かとなると中々難しい事が一つ、さらに管総理が辞めた後、この難局は国民にとって納得のいくような政局が展開されるかというと、そこもまた難しそう〜
私はいっそのこと、この頼りない管総理を脱原発派が苦労を承知の上で上手く操縦する!そして5・10宣言を実行させるという方向に持っていけないだろうかと考えてますが、どんなものでしょう?
総理は「自然エネルギーの買取制度」云々言ってますが、やはり電力業界の自由化、或いは送電線の国有化?、または自由化を今国会でその兆しとなる確約だけでも取り付けるというのはどうでしょう?それには国民も「この機会を逃さない!」という覚悟が必要かと…。
2011/6/23(木) 午後 8:08 [ 手に汗握る真剣勝負に一喜一憂! ]
charangeさん、もう一つお願いがあります。この素晴しいブログを、拙ブログでURLをご照会させていただいてよろしいでしょうか?一人でも多くの方に読んでいただければと思います。
2011/6/23(木) 午後 8:11 [ 手に汗握る真剣勝負に一喜一憂! ]
爽風 さん
コメントありがとうございます。
私も菅総理に代わる人は、より原発推進派になると思いますし、野党のしかけた権力闘争に乗ったところで碌なことはないと思います。
しかし、菅総理の政治的基盤は余りにも弱く、また野党の攻撃に乗って、いわれの無いネットでの攻撃も多く、国民の支持もありません。
できるなら、いわれるように菅総理をネット世論でサポートして、自然エネルギーへの舵を切らせることができればと思います。
こうなったら、本当に脱原発かそうでないかで政界再編が進むといいですが、できそうにありません。
脱原発を何とか国民投票にしたいものです。
こんなブログでもご紹介いただけたら、恐縮もので、光栄です。
コメントありがとうございました。
2011/6/23(木) 午後 8:49
>脱原発を何とか国民投票にしたいものです。
なるほど!もし、それが実現できれが、この後どんな総理になろうとも、<国民の総意>を錦の御旗で押していけますね!
問題は国民投票までをこの70日間内に持っていけるかどうかですね〜!今ほど脱原発が高まってる時はないと思いますが…。
「日本人は何を考えてるか分からない」と海外から気味悪がられてきた人種ですが、さすがに関西以西の各県知事を始めとして、そう簡単に政府の脅しには乗らない雰囲気になってきました。
1000万人の署名運動も始まりましたが、やはり、この機を上手く捉えられるかが成否の鍵になるのでは?とも思っていますが、どうでしょうか??
2011/6/23(木) 午後 11:47 [ 手に汗握る真剣勝負に一喜一憂! ]
爽風さん
今が一番大事なときで、脱原発にとっては重要なときと思います。
青森県知事選では、原発推進派が当選しましたし、菅総理に代わる総理は誰にしてもより原発推進派で、5.11宣言の菅総理は、再生エネルギー派と思います。
延長国会の期間が非常に重要に思いますが、息の長い戦いになるでしょう。
頑張りましょう。
2011/6/24(金) 午前 2:35
PS:特に妙案はありませんが、とりあえず再生エネルギー促進法を応援する声を高くすることでしょうか。
超党派の動きもありますし、ブログ、ツィター、デモ・集会で声をあげることくらいです。
2011/6/24(金) 午後 0:46
>超党派の動きもありますし、ブログ、ツィター、デモ・集会で声をあげることくらい
そうですか、分かりました。お互いがんばりましょう〜!
2011/6/24(金) 午後 7:37 [ 手に汗握る真剣勝負に一喜一憂! ]
爽風さん
はい。お互い頑張りましょう!
2011/6/24(金) 午後 8:33