今日もぼちぼちオルガン弾こう

ブログを引っ越しました。新URLはhttps://bochi2organ.blog.fc2.com/、タイトルは同じです。

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俗に「上には上がある」と言います。
憶えている限りで、初めてわたしがそういうふうに感じたのは5歳になるかならないかの頃でした。

近所に住んでいた友だちのAちゃんは足が速く、二人でかけっこをするときまって先にゴールするのはAちゃん。
走るのはわたしもそう遅い方ではなかったのですが、何回やっても、どんなにがんばって走っても、彼女にはかないませんでした。
その時、子ども心に感じたのです。
「わたしはかけっこでは絶対Aちゃんに勝てない」

大人の言葉で言えば、Aちゃんとわたしではかけっこに関して持って生まれたもののレベルが違う。
どんなにわたしがトレーニングしても、Aちゃんより速く走れるようになることはきっとないだろう。
そんなことを痛烈に感じたのでした。
自分の中にあった万能感が打ち砕かれた瞬間です。

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話はまったく変わりますが――
講習会やオルガン関係の催しなどで、プロとして演奏活動をなさっている方と知り合いになることがたまにあります。
どこそこでこのような演奏会を開いたとか、次はこんな企画を考えているなどというお話を伺っていると、「すごいなぁ、出かけていけるところなら聴きにいきたいなぁ」と思う一方で、そういうことができる才能を持っていらっしゃることを羨む気持ちが萌してくるのを感じます。

その方たちは、才能に加えて、若いころからずっと努力してそれを磨いてこられて今がある。
わたしは というと、オルガンに関してそういう努力を続けてきたわけではないし、才能と言えるものもさほどあるわけでもない。
だから比べることなど間違っているし、おこがましいというのはわかっている。それでもふっとそんな気持ちが起こったりするのです。

見たくなかった自分の醜い部分を突き付けられたような気がしました。
そんな時思い出したのが、聖書にある「タラントンのたとえ」です。


主人が旅行に出かけるとき、僕たちに財産を預けました。
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンです。

五タラントンを預かった僕は、それで商売をしてほかに五タラントンもうけました。
二タラントンを預かった僕も、同じようにしてほかに二タラントンもうけました。
しかし、一タラントンを預かった僕は、穴を掘ってそれを隠しておきました。

主人が帰ってきて、彼らと清算を始めました。
先の二人の僕は褒められましたが、穴の中に預かったお金を隠しておいた僕は叱られました。
隠しておいた一タラントンは取り上げられて十タラントンを持っている僕のものとなり、自分自身は外の暗闇へ追い出されることになったのです。


プロの演奏家でいらっしゃる方々は、言うなれば神さまから五タラントンや二タラントンという音楽の賜物を授けられた方々なのでしょう。
一方、わたしが授かったのは一タラントンです。

たくさんの賜物を授かった方々がそれを生かして華々しく活躍なさっているのはたしかに羨ましいことです。
けれども、わたしはそんなにたくさん授かっているわけではないから、同じことはできません。

では何もしないでいいのかというと、そうではありません。
一タラントンは一タラントンなりにがんばる。
ホールでの演奏活動なんてとてもできないけれど、教会での奏楽の奉仕がちゃんとできるように、よりよいものになるように努力する。そのためにはどうしたらよいのか考え、できることから実行に移す。
それが大切だと思い至りました。

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持って生まれたもの、つまり神さまから与えられたものには一人ひとり違いがあります。
他人にあって自分にはないものを羨むのではなく、自分に与えられたものを神さまのみ栄えのために用いる。
そのための努力は怠らないでいようと思いました。

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まったくその通り、にゃあさんに共感します。私も一タラントの賜物を活かすどころか隠してしまい、そのくせ、たくさんタラントを持っている人たちを羨む。そして「どうせ私なんか」っていじける。最悪なパターンですね。たくさんのタラントを授けられた人たちは、陰でたくさんの努力をしています。私はその努力をせず、自分の出来る範囲でしかやらない。
今回のにゃあさんのことを読んで、反省させられました。
私たちは神様に愛されているのだから、自信を持って何事にも取り組んでいきたいです。

2019/4/29(月) 午後 1:46 [ ひーちゃん ]

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読ませて頂いて、自分のできることができたらいいのかなぁと思いました。その中で誰かを手本にしたら、もっとやりたいことが出てきて世界が広がっていくのかなと思っています。
あれこれしながら人との繋がりも増えていったら楽しいですよね

2019/4/29(月) 午後 1:50 [ おるがん太郎 ]

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> ひーちゃんさん
たくさんのタラントンを授かっている人を羨む気持ちと自分の乏しさを僻む気持ち――そのような感情を抱くのは間違っているとわかっているのに、わたしはそれがなかなか抑えきれず悶々としていました。そんな時、しばらく前に読んだ『みことばの糧』の一節を思い出したんです。

「神の国で、二タラントンとか五タラントンを受けとる人は例外的です。イエスの弟子たちの大部分は一タラントンを預かった人たちです」(2月12日)

たとえば礼拝での奏楽にしても、わたしもそうですが、音楽の専門教育を受けたわけではないけれど手探りで奉仕しています という人が多いと思います。音楽の賜物として神さまから一タラントンを預かった者たちです。
プロの演奏家と同じことはできないけれど、神さまからいただいている恵みに感謝し、最上のものをおささげする。この気持ちを忘れず、毎回の奉仕に臨みたいと思いました。
ひーちゃんさんのおっしゃるとおり、わたしたちは神さまに愛されているのですよね。一人ひとりをふさわしく用いてくださることを信じ、コツコツと努力を重ねていきます。

2019/4/30(火) 午後 0:00 [ にゃあ ]

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> おるがん太郎さん
おっしゃるとおりだと思います。まずは「自分にできること」。これは神さまが「あなたにはできるよ」と与えてくださったことなのだからひたすら取り組んでいけばいいし、突き進んで具合の悪くなることがあればストップをかけてくださいますものね。
知り合った人の活動などを聞いて自分もしてみたいと思ったことは、その当座は実現できなくても、不思議なタイミングでできるようになることも。神さまが「今ならできるから、やってごらん」と「時」を備えてくださるのでしょうね。
すべてを神さまにおゆだねし、今の自分にできることに誠実に取り組んでいきます。その中でいろいろな方との繋がりができてきたことにはとても励まされていますし、さらにまた増えていくであろうことを思うと何だかワクワクしてきます

2019/4/30(火) 午後 0:21 [ にゃあ ]


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