書き留めておきたいこと

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返信: 83件

[ tamchin ]

2012/8/7(火) 午後 8:33

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私が担当してファイナルとなったCA案の初期まで私を指導してくれた吉田さんがスピーカーでしたが、会場に現れたチーフだったMさんは私に眼もくれず、控室に直行し、「今日は聞く方で来た。違う事を云ったら客席から発言するからな」と先輩達に宣言したのです。先輩達は「おー怖い!口が滑っちゃうかも」などと言っていましたが、不可解に感じたのは、Mさんと吉田さんが一言も会話をせず、眼を合せなかった事です。

[ tamchin ]

2012/8/7(火) 午後 8:25

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ほんの数年前、S30のオーナーと出会い、発売以来40年も経っているのにZのバックグラウンドがすごいことになっていることを知りました。’09年10月平塚で「カーデザインの歴史」というイベントが日産の協力の基、開催され、かたちの会のメンバーとほぼ40年振りに再会しました。かたちの会のメンバーがセッティングしたフェアレディのトークショウで驚くことがありました。

[ tamchin ]

2012/8/7(火) 午後 8:17

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退職後、自営のデザイン事務所を開業し、20年ほど経営していましたが、私自身は日産という組織に私が抹殺されていると感じており、車に特段の関心を持つこともあきらめていました。25年程前、デザインの仕事で渡米したおり、アメリカでZが彼の地の人達に熱狂的な
評価を受けていることを始めて知りました。帰国後、Zに関する文献が沢山発行されていることを知りました。

[ tamchin ]

2012/8/7(火) 午後 8:08

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高卒途中入社だった私は在籍中、毎月60〜70時間の残業を続けていましたが、官僚的な組織の古風な給与体系では生計が苦しく、愛車の210Datsunも入社半年で手放してしまいました。この給与体系ではマイホームや結婚など夢のような出来事で、テレビも冷蔵庫も持てない現実に悩んでいました。フェアレディのデザイン開発で社長功労賞特級が授与された時、大いに期待していましたが、私には報奨も昇給も何も無く勤労意欲が失せ、退職することにしました。

[ ピニンP4 ]

2012/8/6(月) 午前 1:16

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タムチンさんコメントありがとうございます。大変興味深い話で色々考えさせられました。私もスタジオチーフM氏の一連の不可解な行動はS30Zのデザインに関する名誉のアリバイ作りにあるように思えます。ただM氏の反論をお聞きしないと第3者的には断定できません。是非ご本人の反論をお聞きしたいと思います。今回のコメントを他の方にも読んでいただけるよう記事にしておきました。御都合悪ければお知らせください。

[ タムチン ]

2012/8/4(土) 午前 5:40

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マルZ計画は「2シーター・クローズドボディのスポーツカーを開発せよ」というものでしたから、オープンモデル、2+2など業務命令にないもので、後年になって私も驚きましたが、昨年、かたちの会の先輩からこの事で造形課では大騒動があったと聞きました。
以上の様な事実が最近判明したのですが、皆さんはこのことをどう解釈されますか?
p96の左下のイラストはスタジオチーフの描いたもの(Zのフロントビューもあるようです)だそうですが、どう感じられますか?

[ タムチン ]

2012/8/4(土) 午前 5:30

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p94の右下、p98の上、中断はいずれも2nd.prototype(中断は上のモデルを塗装し直したもの)で、Finalのprototypeは下段の中央、左で、チーフによってオープン、タルガトップモデルに作りかえられてしまっており、2シーター・クロー
ズドボディのモデルはどこにも掲載されてはいません。
同時に私は第4スタジオに居なかったのような扱いをされ、単に「計測担当」として田村が居たとしか記述されていません。
三妻自工のブログでも紹介した様にp93の下段の写真、p95の上段左の写真でチーフがデザイン開発を主導していたかのような写真を掲載し、p98でタルガトップまで開発したという話になってしまっています。

[ タムチン ]

2012/8/4(土) 午前 5:18

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フェアレディZのデザイン開発が始めてマスコミに登場した記事はCG誌’70年2月号ですが、既にこの時点で私の担当したCA案のクレイモデルは極初期のモデルを除いて全て消えてしまっています。1st.prototypeと2nd.prototypeの写真は掲載されていますが、Finalのprototypeの写真もまともには掲載されていないのです。
三樹書房のFAIRLADY Z STORYのp95の右上のモデルルームに3人並んだカットで左側にテール部を見せているのが私が担当してファイナルに漕ぎ着けたモデルです。この撮影には右側に私も映っているのですが、意図的にカットされています。

[ タムチン ]

2012/8/4(土) 午前 5:08

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私の担当したCA案は役員承認を受けて、線図化作業、生産展開(EXT.パーツをリデザインして図面化し、設計部隊に引き渡す作業)に入ります。私がプラットフォームのデザイン担当ですからサポートしてくれるデザイナーに指示をしてチーフとしてデザインを監理しなければならなかったのですが、スタジオチーフは私を突然、技術電算課に出向させてしまったのです。生産展開がどのように進められたのか全く知りませんでしたが、発売された国内仕様、輸出仕様を見てがっかりしました。私のデザインが全く無視された姿になっていたのです。最近まで気付かなかったのですが、過去の文献で私が担当したCA案の写真が消えてしまっていたのです。prototypeも1st.と2nd.モデルしかまともに紹介されていません。

[ タムチン ]

2012/8/4(土) 午前 4:56

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吉田さんの下でCA案を2案ほどサポートしていた田村がリファインを引き継ぎ、’67年5月頃、このプロジェクトで始めてprototypeを作ることになりました。(1st.proto)
その直後、従来G系エンジン2Lを前提にしていたのですが、L系2L6気筒(暫らく後にはA系2Lが加わる。)とすることになり、全高を下げ、全巾をひろげることになり、モデルをゼロから作り直すことになりました。旧4気筒サイズのモデルからCA案のモチーフを移植したのです。このモデルを数回のリファインを重ね、2nd.prototypeが作られることになりました。するとスタジオチーフはD案、E案のデザインも併行してやれと命令し、私はE案も担当しました。私の担当していたCA案が部長展示でも有力であったため、最終proto(3rd.)を作ることになりました。


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