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[ tamchin ]
2012/8/7(火) 午後 8:33
[ tamchin ]
2012/8/7(火) 午後 8:25
[ tamchin ]
2012/8/7(火) 午後 8:17
[ tamchin ]
2012/8/7(火) 午後 8:08
[ ピニンP4 ]
2012/8/6(月) 午前 1:16
[ タムチン ]
2012/8/4(土) 午前 5:40
[ タムチン ]
2012/8/4(土) 午前 5:30
p94の右下、p98の上、中断はいずれも2nd.prototype(中断は上のモデルを塗装し直したもの)で、Finalのprototypeは下段の中央、左で、チーフによってオープン、タルガトップモデルに作りかえられてしまっており、2シーター・クロー
ズドボディのモデルはどこにも掲載されてはいません。
同時に私は第4スタジオに居なかったのような扱いをされ、単に「計測担当」として田村が居たとしか記述されていません。
三妻自工のブログでも紹介した様にp93の下段の写真、p95の上段左の写真でチーフがデザイン開発を主導していたかのような写真を掲載し、p98でタルガトップまで開発したという話になってしまっています。
[ タムチン ]
2012/8/4(土) 午前 5:18
[ タムチン ]
2012/8/4(土) 午前 5:08
私の担当したCA案は役員承認を受けて、線図化作業、生産展開(EXT.パーツをリデザインして図面化し、設計部隊に引き渡す作業)に入ります。私がプラットフォームのデザイン担当ですからサポートしてくれるデザイナーに指示をしてチーフとしてデザインを監理しなければならなかったのですが、スタジオチーフは私を突然、技術電算課に出向させてしまったのです。生産展開がどのように進められたのか全く知りませんでしたが、発売された国内仕様、輸出仕様を見てがっかりしました。私のデザインが全く無視された姿になっていたのです。最近まで気付かなかったのですが、過去の文献で私が担当したCA案の写真が消えてしまっていたのです。prototypeも1st.と2nd.モデルしかまともに紹介されていません。
[ タムチン ]
2012/8/4(土) 午前 4:56
吉田さんの下でCA案を2案ほどサポートしていた田村がリファインを引き継ぎ、’67年5月頃、このプロジェクトで始めてprototypeを作ることになりました。(1st.proto)
その直後、従来G系エンジン2Lを前提にしていたのですが、L系2L6気筒(暫らく後にはA系2Lが加わる。)とすることになり、全高を下げ、全巾をひろげることになり、モデルをゼロから作り直すことになりました。旧4気筒サイズのモデルからCA案のモチーフを移植したのです。このモデルを数回のリファインを重ね、2nd.prototypeが作られることになりました。するとスタジオチーフはD案、E案のデザインも併行してやれと命令し、私はE案も担当しました。私の担当していたCA案が部長展示でも有力であったため、最終proto(3rd.)を作ることになりました。


