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青山学院礼拝堂
ペギー葉山さん(青学出身)が歌った学生時代の詩で歌われたチャペルは母校のこのチャペルのことだそうです
作詞作曲の平岡精二氏も青学出身だそうです。
(興ざめですが現在の蔦は本物ではないそうです。)
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こんにちは、ゲストさん
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青山学院礼拝堂
ペギー葉山さん(青学出身)が歌った学生時代の詩で歌われたチャペルは母校のこのチャペルのことだそうです
作詞作曲の平岡精二氏も青学出身だそうです。
(興ざめですが現在の蔦は本物ではないそうです。)
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明治45年完成として資料が残っている日本初のアメリカ式オフィスビル「三井貸事務所」について写真や詳しい
文書が見つからずどういう建物だったのか興味を持っていましたが、神戸大学の図書館のデジタルアーカイブに当時の「中外商業新報社」に記事が掲載されていましたので記事を転載させていただきたいと思います。
中外商業新報社(1912、9,3・大正1)
東洋唯一の建築三井の新貸事務所成る明治四十三年正月約五十万円の巨額を投じて三井家の建造したる駿河町の新建築は本建物と三友倶楽部の横合にあり東洋唯一の三井テナントオッフィスビルディングと称せらる二年八ケ月の日子を費して本年八月末愈々竣成すルール附地上六層地下一層の鉄骨鉄筋コンクリートにしてアメリカン、ルネサンス型の大建造物たり真に帝都の一大美観たるのみならず我建築上の貢献も亦少からず
(ピニンP4注釈 上記文中の三友倶楽部は当時の住所で日本橋区本町2−5にあったもので現在でいう日本橋室町になります。)
構造建坪三百七坪にして地上六層の外に屋上庭園一階と地下室一層を有す地下室は専ら倉庫に充るつ筈なれば実際貸事務室に用いらるるは地上六層のみ第一層の突当り玄関を進めば大広間あり三十五坪のルーフより各層を突抜けたる光り取を具う其横の左右には三十五、十三、四十、十三坪の四室と其奥に百三十三坪の陳列場とあり二層より六層迄の各層は九十三坪一、四十七坪三、十三坪二箇の各大小六室に区分さる
資料元のURLを記しておきます。粗いながら建物の一部の写真もございます。
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すでに解体された(であろう)本町ビル
(株)八楠さんにメールを出して返信をいただいて暫く経ちました。その後これと言った情報はありませんが、 本町ビルの事を書いた司馬遼太郎さんの文章を読ませていただきました。直接、ビルの事を記している訳ではないですが興味深かったので抜粋しておきます。
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「街道をゆく21 横浜散歩」より
馬車道を浜に向かって歩いてゆくにつれて、記念碑ではないが、古風な造作の店や死語になっている言葉を使った屋号の店などがあって、目を見はるおもいがした。たとえば店の名前に「回漕」ということばがつかわれているのがみられた。
Y型道路の角にたっている五階建ての建物に「八幡回漕店」という社名が出ており、港町がもつ品のいい保守性が感じられて、おもしろかった。
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「八幡回漕店」は「楠原倉庫」との合併前の「八楠」の社名で、合併後に一字づつ漢字をとって「八楠」としたようです。
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湯河原のレストラン「銀河館」
帝室博物館(ジョサイア・コンドル) |
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解体が決まってしまった尾張町ビル
本町ビルとともに、詳細が判らないビルとして気になっていた銀座6丁目の尾張町ビルの解体を知る事になりました。今年2月に発表があったようです。すでに解体の準備のため足場が組まれているか、一階部分を囲って閉鎖状態になっている可能性があります。私のブログの友人にとって思い出深い建物がまた一つ消え去ろうとしている事を伝える事を悲しく思います。解体自体は6月からだそうで、すでに不動産会社は2012年12月竣工予定の「仮称銀座尾張町ビル」として募集しています。地上10階、地下1階としています。続けざまに悲しいお知らせをする事をお許しください。
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