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ハーフ(かそれに準ずる混じり系)の女の子(女性)アイドル歌手と言えば、それこそ60年代後期から70年代にかけて日本の芸能界ではトレンドとなり… ゴールデンハーフ ゴールデンハーフ・スペシャル 山本リンダ 泉アキ 小山ルミ 小畑ミキ 辺見マリ キャロライン洋子 シェリー キャッシー中島 などなど、たくさんのシュガシュガで華やかな容姿を持つチャーミングな女の子達で花盛りになっていたものである。そうした流れが2000年代あたりからまたまた復活し、最近ではベッキーちゃんやその他のタレントさんがお茶の間を賑わしていたりもする。 しかし80年代に関して目を向けてみると…実はこうした流れはあまり見受けられなかったりもしたのである。なんといっても時代は太陽&月の両女王が大君臨する国産アイドル黄金時代。ハーフ独特の洋風っぽいお顔立ちよりも、ドメスティックなアジアンモンゴロイド系なるソレの方がウンともてはやされた時代だったのである。 そんな状況下でもアイドルマニアの間でもてはやされた女の子がいた。今回はその彼女についてのレビューを展開してみようかなと思うのでありまする。当ブログにおけるお初のご登場!幾人かの方から「書いてぇ〜!」とリクを頂いていた女の子でもある。待たせてSORRYでゴザイマス。 表題の「キュン!と片想い」はヘレン笹野さんのデビュー曲として、1981年3月5日に発売されたチューン。まずはヘレンちゃんをご存知ない!なんて方だっているかもしれないので、ちょっとばかりのプロフィールなどからおっぱじめさせていただきまする。
○○スキーという姓を持つ方は大概はポーランド系のバックグランドを持つお人が殆どですがな。ウチの職場にも○○スキーという、実にキュートでアイドルちっくな容姿を持つブロンド娘がいたりもする。フェミニンな仕草やお声がキャワユイ女の子〜っといった感じのキャラ…オージー娘としてはなにを隠そうかなり貴重な部類になる。(笑) そんな○○スキーという姓の元に生まれ、めちゃめちゃキャワユイ容姿でニッポンの芸能界にアイドル歌手として殴り込みをかけたヘレンちゃん。なんと彼女はデビュー前、神奈川にある米軍座間キャンプで生活されていたそうな。それこそ‘フェンスの向こうのアメリカ’と呼ばれたアレである。当時はヘレンちゃん見たさにあの金網にへばりつくニッポン男児も多かったことだろう、おそらくは。(笑) 日本も豊かになりすぎるくらいになった昨今、アメリカとの差は…というかすでに物質的にはニッポンが抜いただろう、と思われるか。ただ、80年代あたりの話しになればその差は歴然か。それこそ緑したたる芝が敷かれた美しい庭、白くペイントされた大きなお家、優雅な回廊付きのエントランス…それこそ‘あの頃のニッポン家屋’とは大差の付きまくった実に素敵なハウスから、ヘレンちゃんみたいなキャワユイ女の子がひょっこりと出てきたら…金網にへばりつくキモチってのは痛いほどに分かるものである。(笑) このように周辺地域の男の子にとっちゃ憧れの的だったであろうヘレンちゃん。そんな彼女のデビュー曲は、作詞を杉山政美氏が、作曲を木森敏之氏が手がけた一品である。杉山氏と言えば… 「赤頭巾ちゃんご用心」 レイジー 「一度だけのスキャンダル」 ザ・リリーズ 「まわれ恋の風車」 「青春舗道」 「危険な予感」 以上、香坂みゆき 「それはないよお嬢さん」 太川陽介 などなどの作品を手がけられた方。木森氏は作曲兼編曲家として、たくさんのクレジットがある方だが、アイドルへの作曲は森川美穂さん、パティ、紘川淳さん、つちやかおりさん、大西結花さんあたりが知られたところになるか。だけど彼をイチバン有名にしたのは岩崎宏美さんが唄った「聖母たちのララバイ」だろう。当初は彼の単独名表記のチューンだったが、後に外国人作家との共同名義になった…という、ちょっとした‘曰くつき’の楽曲である。 さて、そんなコンビにより仕上げられたヘレンちゃんのデビュー曲ったらば…これがサイコーにキャワユイんだな、コレが。楽曲こそマイナー調だがそのタイトルや楽曲の雰囲気からアイドル度はかなり高い。しかも曲メロにいたっては実に疾走感溢れる作風。それこそ片想いの少女特有の戸惑いや焦り感などがステキに表現されているのである。しかもこの曲の冒頭は… ♪I don’t know I don’t know 待っててね もうちょっと もうちょっと 好きだから と…当時のアイドルポップスでは王道と呼ばれた頭サビから始まる作り。ヘレンちゃんのたどたどしい英語なまりの日本語発音が、これまたハーフマニアの男の子たちのハートを鷲掴みにしたに違いないと思われるのである。しかしながらこのワタクシメ…実はヘレンちゃんがこの曲を唄ったシーンってのには一度もお目にかかったことがなかったりもする。だから一体どんな衣装で、どんなフリツケが散りばめられていたのか…う〜ん、観たいっ!きっとニッポン歌謡界の風潮にうんとこさっと沿わせて、この頭サビ部分にだってたくさんのフリが付けられていたのではないかと妄想しまくったりもする。それこそ、ふんわりしたスカートをこうやって揺らしながら…ネっ。(笑) ♪こんなにハートがキュン!と痛いなんて 青いレモンのように しみる しみるわ ♪Dream はじめてよ あなたから 吹く風に Dream この胸が こんなにも ゆれているわ ♪もうちょっと もうちょっと 待っててね I don’t know I don’t know 好きだから 嗚呼!まさに絵に描いたようなアイドルポップスですがな、コレ。歌手デビュー当時のヘレンちゃんは満19歳。ニッポン独特のこういう甘ったるい歌詞の楽曲を宛がわれたことにはどんな感想を抱いたのかしらん、ナゾ。歌手デビューにあたってはお母様から反対に遭っていたらしい。おそらくはお母様はニッポン人として、アイドル界の‘怖さ’くらいは小耳に挟んでいた上での反対だったに違いないか。でもそんなお母様の反対を押し切って歌手デビューに漕ぎ着けたヘレンちゃん。彼女と言えば「心細いな」というオリコン100位以内のヒット曲を持っていたりもする。この曲はフジテレビ系のアニメ「うる星やつら」のEDとして使用されたチューンなので、アニソンパワーにより今後もヘレンちゃんのお名前とこのヒット曲は語り継がれていくことになるかと思われ。なのでこのブログの「アニソン書庫」でまた出せるチャンスもあったりで?ちなみに表題のデビュー曲はオリコン最高113位を記録。ナニを隠そう、沢田富美子&矢野良子の、いわゆる‘ちょっと戦争’の間に入り込んだのは、このヘレンちゃんだったのである。 ■ヘレン笹野さんのディスコグラフィー ※シングル
※アルバム
でもってそのヒットのちょい後くらいのインタビューでは…
と語っていたし、彼女のディスコグラフィーから考えるに歌手活動に関してはかなりのやる気マンマンモードだったようでもある。なんといっても密かにアルバムが2枚も発売!ってのがスゴっ。夢に見ていたライブが実現の運びとなったのか否かはちょっと定かではないのだが、これだけキャワユイ素材にプラスしてご本人のやる気が満ち溢れていたことを考えると、彼女がハーフ女の子氷河期時代に突入していた80年代にデビューしてしまったことはもったいなか〜といったトコロになるか。「心細いな」がせっかくヒットしたっつーのに後発シングルがプッツリコンコンと切れてるってのもちょっとナゾだったりもするか。せっかく波に乗ったところでのブツ切り、しかもご本人様的にはやる気マンマンだった状態での打ち止めは悔しい状況だったに違いないか。それこそヘレンちゃん的には…
こんなキモチで「もっとやらせてよっ!」と悲痛の叫びの中?だったに違いないか。(笑)
☆作品データ 作詞:杉山政美 作曲:木森敏之(1981年度作品・東芝EMI)
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