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皆さま、またまたこんばんは。

本日は私事で恐縮ではございますが、お知らせがございます。

来る12月3日(木)、高円寺にございますサブカルチャーの聖地「円盤」にて開催される、こんなイベントに参加させていただくことになりました。


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FMおだわら「ラジオ歌謡選抜」にてパーソナリティーを務めてらっしゃる、鈴木啓之氏(アーカイヴァー)&長井英治氏(音楽ライター)と共に、80年代アイドルをタップリと語るのです!

お題目はソレになっとりますが、お深いトコロを...というご要請もございましたもので。70年代アイドルも「ちょっと好奇心」...いや、🎵もっと〜もっと〜の「モア・モア」かもしれませぬヨ。(笑)

それにしても...おふたりのようなビッグネーム様とこのような機会を持たせていただけるなんて。ワタクシメにはもったいのうゴザイマスよね。この場をお借りいたしまして、鈴木氏ならびに長井氏には心からのお礼を。ありがとうございます。

この宵は、鈴木氏が長きに渡り耕されてきた”ミュージックガーデン”に、ワタクシメの「チェリーガーデン〜桜の園」をご併合いただけるという。あつかましいにもほどがあるというものではございますがネ...もう決まってしまいましたもので「男意ッ気」でガムばります、キリっ!長井氏とはお初のご対面〜に。とても嬉しゅうございますヨ^^。

🎵お〜てやわらかに〜お〜てやわらかに〜(笑)

なにはともあれ...会場は19:00より。しかし、こじんまりとした会場がゆえ、お席確保〜と意気込まれる方はお早目のご来場をおすすめいたしまする。

ご都合がよろしければぜひお越しくださいナ。

会場にてお目にかかれますこと、楽しみにしております。

取り急ぎ、イベントの告知まで。

チェリーより
「昭和TVワンダーランド」
皆さま、こんばんは。
日本に帰国してからというもの、とても多忙な日々を過ごしているワタクシメ。
皆さまはいかがお過ごしかしらん?多忙を理由に

🎵なしのつぶてね~~

になってしまい「ごめんなさい」。

さて...日本滞在記もまだ執筆していないというのに、なぜゆえにこのようなトコロから「お知らせ」を発信しなければならないかというと

ブログのコメント閲覧&投稿について

のご説明をしなければならないのでありまする。

なにやら、ヤフーさんの方でコメント欄の方針変更があった模様。

この(事足りない?)説明によれば、ヤフーのIDにてログインしている方のみ、コメント欄の閲覧&投稿が可能とある。

ちょっと...コレってヒドくないっすか?
しかもなんの断りもなく???

🎵いい加減にしてぇ~~

ってことで、決してワタクシメがそのような設定にしているワケではありませぬ。アチラ様が有無言わさずそのようにしてしまっている次第でアリマシテ。まずはココをご理解いただきたく^^;。

そしてこの変更に関しましては、ヤフー側へ意見の申し立てをいたしましたこと、ここにご報告いたしまする。

ヤフーIDを持っているかどうかは関係なく、皆さまにコメント欄のご閲覧やご投稿をしていただきたい!コレがワタクシメにおける開設当初から思いでゴザイマスからん。

しかし、このような変更が施された現在の状態では、ブログ管理人であるワタクシメですらナニもできないのでありまする、ショボン。

ヤフーでブログを運営されている方の多くが、今回の変更には反対という立ち位置を取られている模様。ねがわくば...この変更をなんとかくつがえせると良いのですが。せめて管理人側で自由に選択できるとかネ...このご時世だもの、それくらい普通だと思うのだけんど?各々のブログによって、訪問者の割合やらなぞはさまざまなんだから。まったくもってけしからん!

ってなワケで...現在のところは下記のようにご対応をお願いしなければなりません。

【ヤフーIDをお持ちのご訪問者さま】

なにも変わりません。
記事の閲覧:これまでどおり
コメントの閲覧&投稿:これまでどおり

※コメント欄の閲覧ならびにコメントのご投稿は、ログインが必要となります

【ヤフーIDをお持ちでないご訪問者さま】

記事の閲覧:これまでどおり
コメントの閲覧&投稿:(現在のところ)不可

☆ヤフーIDの作成ページはこちら

※コメント欄の閲覧とコメントのご投稿は、上記ページよりヤフーIDを作成後、ログインした状態でブログをご訪問ください。以前のようにコメント欄などがすべて閲覧できるようになります。

注:↑コレはワタクシメの本意ではありません^^;。

ご不便やお手数をおかけいたしますが、ひとまずはご理解のほどお願い申し上げます。

取り急ぎ、ブログのコメント閲覧&投稿についてのお知らせまで。

チェリーより
「昭和TVワンダーランド」
日本の芸能界において、花粉をふりまくワイン色のお花のような存在だった川島なお美嬢。その華やかでチャーミングな容姿は、多くの人々を魅了してきたもの。しかし、彼女は単にそれだけの人ではない…その昔から彼女を見守ってきた人ならば、この件に関しては合点していただけるのではないかと思われ。とにかく何事にも果敢に挑戦し、自身の成長を常に心がけてきた方だったのである。

そんなバイタリティあふれる彼女も病には勝てず…悲しいかな、遠いトコロへ旅立ってしまった。2015年9月24日 19時55分、54歳での早すぎる旅立ちに涙した方も多いことだろう。

川島なお美嬢の芸能界デビューは1979年。そこから始まったキャリアの中心は、80年代以降。これにより、彼女は80年代アイドルだ!と勘違いしてる方もチラホラ。コレはイケません…誤りは正さないと!ということでココ重要。彼女は紛れもなく、70年代アイドルの括りに入る方である。

そして芸能人・川島なお美としてのイメージは

失楽園、ワイン、犬

などなどか。そして、80年代に青春を送った世代にとっては

お笑いまんが道場、アップルシティ500

これらでしょ!特に「お笑いまんが道場」は忘れがたく。

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絵もお上手!なお美画伯日比谷から生放送 「アップルシティ500」

番組の構成や共演者とのやりとりはもちろんのこと、なお美嬢が描く少女まんが家顔負けの可愛らしいイ・ラ・ス・トも魅力的でゴザイマシタよね。更に、弁舌に秀でた彼女は、若い時分から司会業でも大活躍とキたもんだ。そしてそして

試験で○○しちゃったワ

この滝汗エピソードに関しては、当時色々と揶揄されたもの。しかし、そこは川島なお美嬢…気持ちよすぎるほどの開き直りをお見せになったもの。彼女だって人間だもの…許してあげてヨ。ソレを実行するしないは別にして…誰でもそういう葛藤と一度くらいは戦ったことがあるはずでアリマシテ。まぁ、たしかにしてはならぬことではあるけれど。

そんな彼女のキャリアは歌手から始まった…しかも、アイドル歌手としてである。デビュー前は、平尾昌晃氏が経営する音楽院にて歌のレッスンを。平尾氏の回顧によれば、その頃からあらゆる面で目立つ存在だったらしい。

しかし待ってよ…歌手・川島なお美といったところで、世間での浸透度はあまりお高くないのでは?その理由は、大ヒットと呼べるような作品が出なかった…コレに尽きる。だけどあなどるなかれ…彼女のラインナップはシングル曲のみならず、アルバムも実に丁寧に作られているのである。それこそ、アルバムの方でより良いお成績を残された…アイドル歌手としてはめずらしいパターン。これら秀作の殆どが未だCD化されず、埋もれまくっている事実が嘆かわしいほどでアリマシテ。

ということで、今回はワタクシメが腕をまくらせていただきたく。おそらくはどこもやってない?彼女のアイドル時代の曲を一挙にレビュらせていただこうかナと。名づけて

【追悼・さようなら 川島なお美さん】なお美のヒットパレード

といっても、さして枚数はないのであしからず。この機会に、歌手としての彼女にもご注目いただけると、これ幸いでアリマシテ。

それでは、まずこの曲から。

イメージ 3「シャンペン No.5」
作詞:北村英明・藤洋子 作曲:幸耕平 編曲:馬飼野俊一 
B面:「あなたの胸はドリーム・ランド」
キャニオンレコード 1979年4月21日
チャート:圏外

記念すべきデビュー曲。発売はキャニオンレコードだったが、当時の同社イチオシ、能瀬慶子嬢と並んでプッシュされていたことが伺える証も存在。当時の資料には「パっと周囲の空気をまばゆい陽光で満たすような、サンバ・リズムにのってフレッシュなアイドル、川島なお美がデビューします」という記載も。あの頃すこぶる流行していたサンバをイチ早く採り入れた、トロピカルテイストな楽曲。テレビ番組「ぎんざNow!」によく出演し、歌披露していたのが懐かしい。ベースボールキャップにホットパンツといったお召し物でハツラツ。なお美カット(いわゆるサーファーカット)を揺らしながら唄う彼女に、客席の男性陣はデレデレだったはず。この頃からザ・川島なお美とおぼしき礎が、すでに構築されていた模様。とにもかくにもチャーミングの一言に尽きる。しかし、プッシュされていた割に賞レースなるものには一切登場せず。これが彼女にとってマイナスになったのか、以降は新曲出ずの、くすぶり時代へ突入。

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プロモオンリー盤、別デザインのレコジャケ店頭演奏用、能瀬慶子嬢とカップリング

イメージ 6「ハネムーン」
作詞:吉秋雅規 作曲:井上義久 編曲:井上鑑
B面:「こんなに幸せでいいのかしら」
東芝EMI 1981年5月5日
チャート:圏外

デビュー曲発売後、新曲を出せぬまま2年が経過。そして、前レコード会社との契約も終了してしまう。しかし、持ち前の負けん気により?テレビ番組「アイアイゲーム」のアシスタント業を細々と。そして、いつかやって来るかもしれないチャンスを待ち続けた時期。そんな彼女に救いの手を差し伸べたのが、東芝EMI。ようやく復活のノロシを上げることになる。あいにく本曲はコンセプトが固まる前の発売となってしまったのか、なお美嬢の良さが生かしきれずといった風。ひとまずは新レコ会社とも契約を結んだし、今回はこんなもんで…なお美嬢のこんなお声が今にも聞こえてきそうか。そして、ちょうどこの曲を歌唱している頃に、フジテレビのイメージガールに選抜されるという幸運も。同局「テレピカルサマー」のCMギャルとしてお茶の間に登場。そして10月には文化放送「ミスDJリクエストパレード」も開始され、ようやく歯車が回り始める。それにしても、彼女の見事な復活には恐れ入った。普通は2年も野放しにされたら、イジけて辞めるワ。(笑)

イメージ 7「愛しのマンドリーノ」 
作詞:川島なお美 作曲:V.PANZUTI 編曲:青山徹
B面:「LOVE IS MYSTERY」
東芝EMI 1982年3月21日
チャート:圏外

彼女の良さを活かしきれず、消化不良気味に終わった前作。ならば今度はアタシがやるワとばかりにしゃしゃりでて?本作では“川島なお美”名義で作詞にも挑戦するという、美しきチャレンジャーぶりを発揮。イタリアの街角を彷彿させるようなメロディーに、なお美センスであふれかえる歌詞で色づけした佳曲。このあたりから楽曲のクオリティがグイ上げとなり、歌手・川島なお美にスポットライトがあたりはじめる。この曲を歌唱するために出演した、とあるテレビ番組では、デビューしたばかりの新人たちと十杷ひとからげにされる滝汗場面も。しかし彼女はコレをチャンスに替え、名前と顔がより知られることに。捨て身の覚悟か、スゴイゾなお美嬢!ちなみに同曲…作曲者名でググると同名曲(「マンドリーノ」)が見つかるが、それのカバー曲なのかどうかは不明。

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「愛しのマンドリーノ」宣伝用の帯広告。

イメージ 9「ラヴ・ミー・タイト」 
作詞:島エリナ 作曲:田中真美 編曲:後藤次利
B面:「DO YOU WANNA LAST DANCE WITH ME?」
東芝EMI 1982年8月21日
チャート:80位、4週、1.1万枚

ミスDJの一員として人気を博してきた頃。ならば!と次なる戦略として打ち出してきたのが、キャンパスポップと呼ばれたジャンル。この分野には竹内まりや、須藤薫がすでに存在していたが、東芝EMIは川島なお美をそこへ座らせたい気マンマン。その野望を実現すべく発売された本曲は、オールディーズな雰囲気であふれかえる作品。歌詞内には、このテの歌ではおきまり♪ウォウウォウも織り込まれ、その世界観を聴き手に色濃く描かせる。ミスDJによる現役女子大生としてのイメージと絶妙に重なり合った本作は、シングルではお初となるオリコン100位以内へチャートイン。

イメージ 10「Ash Wednesday」 
作詞:田口俊 作・編曲:杉真理
B面:「右半分のドジな恋」
東芝EMI 1983年1月21日
チャート:61位、5週、1.5万枚

2ndアルバム「So Long」からのシングルカット。ちなみに同アルバムは、杉真理氏プロデュースという豪華盤。キャンパスポップクイーンの称号を奪取するために、本気モードで勝負に挑んでいた頃。蛇足になるが、同アルバムは「あの娘のスタイル」というタイトルで発売予定だったものを「So Long」へ変更した経緯がある。すげ替えた理由を知りたいトコロ。本曲をシングルカットするにあたり、単なるソレではつまらん!そんな提案が陣営側から出されたのか、仕上がった盤はハート型のカラーレコード+ピクチャーレーベルで愛嬌タップリ。価格は1000円と少々お高めだったものの、眺めているだけでも実に楽しい盤である。東芝は“なお美プッシュ”の手を緩めることなく、本曲ではテレビスポットCMもオンエア。おそらくこの辺りが、アイドル・川島なお美の最盛期か。パン・ケーキ、イースター、ダーリン、ヴァレンタイン、チョコレート、懐かしのR&B…ここでもオールディーズちっくな要素をタップリと盛り込み、ソレらしい世界を杉氏のポップなメロに乗せた快作。
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ハート型のカラーレコードレーベルにはお美しいご尊顔入り

イメージ 13「GEMINI」 
作詞・曲:中原めいこ 編曲:新川博
東芝EMI 1983年7月1日
B面:「Summer Vacation」
チャート:56位、10週、3.3万枚

前作好調の勢いのまま発売。中原めいこ氏のアルバム曲カバー作品だが、当時は“書き下ろし”との誤情報も流された。歌手・川島なお美の曲と言えば?の問いには、おそらく9割以上の方がこの曲と答えるはず。Darling, don’t you know my love? 知らないとは言わせないわヨ byなお美といったトコロか。美しきご尊顔が大アップになったレコジャケも功を奏してか、チャート面でも自己最高の売上を達成。B面収録「Summer Vacation」は、村田和人氏による書き下ろし。後に山下達郎や村田和人自身によりカバー(村田盤は竹内まりやとデュエット)が成されたが、なお美バージョンが“オリジナル”であることを声高に叫んでおく。B面収録としてしまうには、あまりに惜しい傑作。なお、カバー作品群とは歌詞が異なっている。

当ブログの過去記事「GEMINI」のレビューはこちら

イメージ 14「涙・コパカバーナ」 
作詞:売野雅勇 作曲:大野克夫 編曲:井上鑑
B面:「スリル・ミー」
東芝EMI 1984年2月1日
チャート:90位、3週、0.7万枚

ここであえてのデビュー曲踏襲?ラテンサンバのリズムに乗せ、更なる一気呵成を目論んだとおぼしき作品。しかし、セールス面ではいまひとつ伸びきれず、前作「GEMINI」から引き継いだ好調の波を断ち切ることに。ここはぜひとも中原めいこ作品で押してほしかったもの。当時ノリノリだった新進作詞家、売野氏を起用した作品だが、なにかまとまりきれてない感が漂うのは気のせいか。決して出来栄えがよろしくないワケでもないのだが、「GEMINI」のようなインパクトに欠けるのが玉にキズで涙・コパカバーナる。

イメージ 15「想い出のビッグ・ウェンズデイ」 
作詞:売野雅勇 作曲:杉真理 編曲:椎名和夫
B面:「グッバイ・シーズン」
東芝EMI 1984年8月18日
チャート:97位、3週、0.5万枚

前作で苦杯をなめた分の巻き返し?タイトルどおり大波に乗ってやる〜的な意気込みを感じさせる作品。前作同様、作詞は売野氏に続投させるも、作曲は杉真理氏を再登板。このあたりは夢よもう一度なる祈念を感じさせるか。想い出の曲、ラジオ、サーフ、ジェットプレーン、オペラグラス、波そして砂…あなたは私の永遠の夏だから。映画「ビッグ・ウェンズデイ」をモチーフに描く夏の情景は、思わず胸キュンする波の数だけ抱きしめて。杉氏が紡いだポップでセンチなメロディーを、椎名氏がモータウンのリズムで味付け。今にも波の音が聞こえてきそうな、極上のサーフサイドポップスに仕上がった。あなたがいちばん輝いていたあの日…この歌詞に、なお美嬢の若かりし日のことを重ねる人も多いことだろう。B面「グッバイ・シーズン」もナイアガラサウンドで彩られた切な系ポップス。両面で懐かしきポップス風味を楽しめる、トータルコーディネート盤。出来栄えに反し、セールスが伸び切らなかったのがとても残念である。

イメージ 16「BE BOP CRAZY」 
作詞:NAO美 作曲:Nobody 編曲:新川博
B面:「二十五歳(ヴァンサンカン)」
東芝EMI 1986年3月31日
チャート:圏外

前作から1年半以上も空け、まさかのリリース。すでに年齢も25歳に達し、アイドルとして勝負するにはキビシイお年頃。ソレを逆手に取ったか、B面には包み隠さず「二十五歳(ヴァンサンカン)」という曲を収録。それでも負けないワ!とばかり、再び作詞に挑戦したのはお見事。しかもペンネームはNAO美とキたもんだ。巷のBE BOP流行りにすかさず飛びついたのも、見逃してはならないところ。まさにBE BOP…こんなところが彼女における最大の魅力だったのは言うまでもない。歌披露時には、おみ足にガーターという出で立ちで気を吐いたが、奇しくもコレがアイドル歌手としてのラストシングルに。デビューからすでに7年…女優と呼ばれたい!そんな意志がクッキリとしてきたのもこの頃か。

■おすすめアルバム|シングルよりLP盤が好評だった川島なお美嬢
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1stアルバム「ハロー!」。デビューアルバムならでは...はじめましての意味も込めた可愛らしい仕上がり。ユーミン楽曲のカバーも収録。オリコン27位、7週、1.9万枚。
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2ndアルバム「SO LONG」。シングルカットの「Ash Wednesday」を収録。杉真理氏プロデュースによる盤。懐かしきポップスといったカラーで統一した、なお美のキャンパスポップ。アメリカの女子大生ライフといった風。オリコン23位、9週、1.8万枚。
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3rdアルバム「シャワーのあとで」。先行ヒットシングル「GEMINI」を収録。この盤でもシアトル、ミニクーパー、ブランチ、スクールデイズ等、キャンパスポップを軸にトータルコーディネートしたロマンチックでドリーミーな盤。オリコン21位、9週、2.8万枚。
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5thアルバム「銀幕のヒロイン」。古き良き時代の映画をモチーフに構成。波の音や銃声などの効果音も入り、さながら10篇の映画でも観ているかのような気分にさせてくれるコンセプトアルバム。オリコン35位、5週、1.0万枚

川島なお美…享年54歳。

その意志を貫き…彼女は最後の最後まで女優として、人生を立派に全うした。

女優と呼ばれることを誰よりも好んだ人…そんな彼女が再びマイクを手にしようと決心。それは歌手としてデビューした自身を決して忘れていないという気持ちの表れ、そして今でもその時代の自身を愛おしく想っている証だったのではないかと。11月5日…彼女がこの世に生まれた日。そして、2015年のその日に予定されていたディナーショーにて、歌手・川島なお美が20年ぶりに復活を果たすことになっていた。

♪Sherry Baby 想い出の曲が…

♪Sherry Baby ラジオでささやく 涙が止まらない…

その日はまもなくやって来る…空の上にいる彼女は、この日をどんな想いで見つめるのだろうか。

♪Sherry Baby 忘れないでいて…

♪Sherry Baby あなたがいちばん 輝いていたあの日…

あなたが輝いていたあの日、あの笑顔、あのしぐさ…ずっと忘れません。

川島なお美さん…素敵な歌声、そしてたくさんの思い出を本当にありがとうございました。

いつかそちらで…お会いできますように。

「SO LONG」

またね…そして、しばしのさようなら。
突然ではゴザイマスが、こんなトコロから失礼^^;。

今宵はちょっとばかりご報告したいことがゴザイマスもので。

これはワタクシメが今年の8月に、ツイッターにてツイートした画像付きのツブヤキ。

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このツブヤキが昨日、とある方にリツイートされたのです。

その方とは...ジャジャーン!

関 美彦さん

なのでありまする。

関さんと言えば...そそっ!つい先日、このブログで記事を発表した菊地陽子嬢とおつながりのある方でアリマシテ。でもって、そのおつながりがコチラ。

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男女2人組ユニット、Butter Fieldのミニアルバム「Early Autumn」。ジャケット手前に写るのが、在りし日の菊地陽子嬢。そして後ろにお立ちになっているのが関美彦さん。

菊地陽子さん記事に寄せられたコメント欄でも、彼女が関さんとButter Fieldというユニットを組まれ、ご病気で他界される前まで歌手活動を続けられていた...ということが話題に上っておりましたよネ。

関さんのインタビュー記事はこちら。※菊地陽子さんとの出会いに関するエピもあり。とても興味深い内容です!

関さんは現在も音楽活動を続けてらっしゃり、その他にもプロデュース業などでご活躍中。そして懐かしの歌謡曲方面におきましては、「ラグジュアリー歌謡」という書籍へのご寄稿でも知られる方でアリマシテ。

関さんがなぜゆえに、ワタクシメの伊代ちゃんツイートをリツイってくだすったのか...ココに関しては一切合財のナゾ。しかし「関美彦さんにリツイートされました」なるプッシュ通知が、ワタクシメのスマホ画面に表示された時にゃ...かなりの驚きでアリマシテ^^;。

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そして、すぐさまお礼をと思い、関さんにツイートしてみましたトコロ...こんなにすばやい電撃的な展開と相成ったのでゴザイマス!!

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しかも、菊地陽子さんが主演されたドラマ「だから青春 泣き虫甲子園」に関して言及してくださっているのがウレシュ〜ゴザイマスよね。実はそのドラマ...愛川欽也氏も出演されとりまして、追悼のつもりで記事をしたためていたのです。しかしながら、現在のところはオクラ入りの「第3キープ」?いえいえそういうワケではなく...滝汗。理由は聞かないで。(苦笑)

そしてワタクシメのフォローリクにも、すぐさまお応えくださいました。感ヽ(*>□<*)/激ッ!!

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コレはもう...お空の上にいらっしゃる菊地陽子嬢のおぼしめし。そして、お導きと考えてしまってヨロシュ〜ゴザイマスか?単なる思い込みにすぎないのかもしれませぬが...いえいえ、さもなければこのようなおつながりを持たせていただけることはなかったはずでアリマシテ。陽子嬢、ありがとうございます。

そして、関さん...すばやいご反応を誠にありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたします。(*_ _)ペコリ

いずれにいたしましても、その記事とやら...サッサと仕上げてうpしなはれ!なる、陽子嬢や愛川欽也氏の想いがビシバシ届いたような気がしておりまして。ココで気持ちをキリっと引き締めたワタクシメなのでありました。

ってことで...菊地陽子嬢の曲より「ねがわくば...Kiス」もとい

「ねがわくば...Kiテ」

なる想いが現実のものとなったご報告まで。


2015年10月23日
CHERRY★CREEK
「昭和TVワンダーランド」
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さてさて、またもやゴブサタ気味となりました「キャッチフレーズ辞典」。なにやらこのまま終息宣言が出されそうな気配でムンムン?いえいえ…そんなことはゴザイマセン。なぜなら、筆者が個人的に「好きよ」の書庫であるからして、決して自らにより「さよなら好き」になるつもりは毛頭ないのでありまする。

それはそうと、「さよなら好き」と言えば

浜田朱里さん

でゴザイマスよね。

ってなワケで、今回はココに強引にコジつけ、例のごとくキャッチフレーズ考察をカマしてみたいと思うのでありまする。

さて、浜田朱里嬢のデビュー日は、1980年6月21日。あら?やもすれば新人賞レースにはかなり出遅れの感が色濃い時期か。他、おもな同期のデビュー日はいかがなものでしたかしらん?

■80年デビュー組|おもなデビュー日一覧表
壺井むつ美1979年11月1日パティー・リン1980年5月25日
松原みき1979年11月5日河合奈保子1980年6月1日
比企理恵1979年12月1日柏原よしえ1980年6月1日
佐藤恵利1980年1月10日田原俊彦1980年6月21日
千葉まなみ1980年1月20日甲斐智枝美1980年6月21日
中山圭子1980年2月1日石坂智子1980年6月21日
パティ1980年2月5日スコッチ1980年6月25日
岩崎良美1980年2月21日ベティ&ペティ1980年7月1日
鹿取洋子1980年3月1日麻野星子1980年7月1日
南永吾1980年4月1日伊藤典子1980年8月21日
松田聖子1980年4月1日水島ゆみ1980年8月25日
エリアナ1980年5月1日兵藤まこ1980年9月21日
中川みどり1980年5月21日白坂紀子1980年9月21日
石崎はるこ1980年5月25日三原順子1980年9月21日

6月のデビューに集中していたことに気づかされるのである。それでは“春先にデビューするのがレコード会社のイチオシ”というあのルールは?1980年度の時点においては、さほど気にされていなかったことが伺えるか。ということで、浜田朱里嬢のデビュー日が決して遅いものでなかったこと…この事実はここでひとまず判明することになるのである。

そして、この年度のCBSソニーにおける女性アイドルはタイヘンでゴザイマシタよ。
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中山圭子・2月デビュー松田聖子・4月デビュー兵藤まこ・9月デビュー

ホラホラ…こんな風に畳み掛けるようにデビューさせましたものネ。そもそも、当初は俳優のム・ス・メということで期待の大きかった中山圭子嬢に一本しぼり!の予定だったはず。しかし、例の色々がゴザイマシて、その白羽の矢を松田聖子嬢が射止めましたの。但し、より大きな期待を背負っていたのは、ナニを隠そう…ポスト百恵という位置づけにいた浜田朱里嬢だったのでありまする。コレ…とても重要!(笑)

ソレを証明するモノとしては、朱里嬢のキャッチフレーズがお誂え向きかと。

ソニーのヒロイン

いかがなもんでショ?社名+ヒロインの文字が躍るのだもの…コレは半端ない証拠。そして、同広告内にはこんなお言葉も。

静かな少女ほど、ハートは熱い。

♪かわいいふりしてあのコ〜わりとやるもんだねっと…というアレかしらん、ナゾ。しかし、コレがデビュー曲につけられたキャッチフレーズなのか、はたまたご本体につけられたソレなのかは闇の中。今となっては、当事者しか分からないというものヨ。ってなワケで、今回はそれら両方を浜田朱里嬢のキャッチフレーズとして掲載させていただきたく。

それはそうと、ヒロインの意味とはなんでしたっけ?

劇や小説などの女主人公。中心となる女性。

って、わざわざ調査する必要はなさげな気もしたのだが、念のため。そして、そのお言葉の出だし文字は「ヘ」ではゴザイマセンのでご注意のほど。(笑)

このように、女主人公を意味する“ヒロイン”をキャッチフレーズに宛がわれていることから考えてみても、ソニーが朱里嬢を1980年度の“イチオシ”としたかった意志が伺える。要は、社が朱里嬢をヒロインとしてその中心に据え、大々的に売っていきたかった。このような思惑がムキ出しになったキャッチフレーズと捉えていいのかと。
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デビュー曲「さよなら好き」の帯広告。モノトーンが、かえっていい味を出す結果に。

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見よ!"ソニーのヒロイン"字ズラ上には、わざわざ「・・・」が。見逃しませんでしたわヨ。

結婚を機に、芸能界からの引退を決断した山口百恵嬢。彼女はそれまでトップアイドルとして、また、ソニーのドル箱スターとして長らく君臨してきた方。そんな動向により、空席になることが確実となっていたポジションがあったのだもの。百恵嬢と似たような雰囲気を持つム・ス・メを売り出し、手堅く稼ぎたいと考える…コレはしごく自然な思考回路ではないかと。

ならば、あの方はどうなのヨ!という疑問が頭をもたげてくるか。そもそも、その方のキャッチフレーズは「抱きしめたい!ミス・ソニー」。コレは本書庫における同書庫の過去記事としても書いてオリマシテ。まだの方はコチラをご精読いただけますと幸いでゴザイマス。

ヒロインとミス・ソニー…果たしてその位置づけとしては一体どちらが上なのか?言葉の意味から考えた場合、おそらくはヒロインの方が上なのではないかと思う。Missは単なるMiss…決してヒロインを意味するものではなく。

ココで取り出すたるは、とても興味深い当時の帯広告。コレが解決の糸口になるかもしれないから、ちょっくら見ておくんなまし。
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ミス・ソニー表記が端折られた、「裸足の季節」帯広告。

この帯広告は、デビュー直前に掲載されたもの。なっ、なんと…広告内に要注目でゴザイマスよ。“ミス・ソニー”という、例のお言葉が印字されていないのである!コレはなんなの〜エクボの秘密かしら?(笑)

広告スペース都合によるものだったのか、入れ忘れてしまったのか、はたまた意図的なものだったのか…ナゾは深まるばかり。朱里嬢よりも、そのデビュー日が2ヶ月以上も早かったミス・ソニー嬢。もしかしたら、社のオフィス内では

「“ソニーのヒロイン”が後に控えてるんだから、ちっとは配慮しろヨ!」

朱里陣営からミス・ソニー陣営に対して、このような怒号くらいは飛んでいたのカモ。同じ社内とは言え、陣営同士間におきましてはまさに戦場でゴザイマシタでショウ…おそらくは。そして、すでに終わってしまった中山嬢の陣営は蚊帳の外?解体?よく分かりませぬ。なにはともあれ、この言葉を真摯に受け止めた上で自粛、そしてソレが配慮という形で現れたモノだったのか?まぁ、深い意味はなくて、たまたま…ってのが濃厚のような気もするけんど。

しかし、フタを開けてみれば、ミス・ソニー嬢の滑り出しはすこぶるよろしく…いつしか配慮なるものは忘却の彼方?以降の販促ブツには“ミス・ソニー”というお言葉が、シカリと印刷されていたとキオクするのである。いずれにしても商売だものネ…脈がある方面へ、その流れが向いていくのは自然なことでアリマシテ。いずれにいたしましても、そのキャッチフレーズやその他要素から考えましても、1980年度のソニーにおけるイチオシは浜田朱里嬢だった。さもなければ、ヒロインという称号を世界のソニー(当時)と呼ばれた社が、安易に与えることはなかったと考えるのでありまする。

そして時は流れ…それまで中心に据えられていた朱里嬢は

♪ヒロインになりそこねた街では

コラっ、違うでショ。ソコは「朝」でしたヨ…「ヒロイン」ではゴザイマセン^^;。それにしても、芸能界と呼ばれるトコロは

♪昨日は青い 明日は赤い

こんな風にコロコロと…情勢がめまぐるしく変化してゆくものなのかしらん。すべてがいわゆる“水モノ”で、なりそこねになるモノやヒトのてんこもり?そして、なにもかも信用できなくなり

♪さよなら好きの私をつくる

ご縁を切りとうゴザイマス!となるヒトの数もかなり?だって、ドンファンみたいなのに弄ばれるのはイヤでゴザイマスものね。(笑)

それでもソニーは、朱里嬢をヒロインに仕立てあげようと精を尽くしてくださいましたヨ。デビューから約1年半後、1982年2月25日に発売された「想い出のセレナーデ」(天地真理嬢のカバー作品)におきましては、再度のプッシュ体制も敷いてくださいましたしネ。その節は大変嬉しゅうございました。結果的に、彼女の芸能活動は「ボンジュール冬」になってしもうたけれども。

そしてなによりも、浜田朱里嬢を「好きよ」と熱く想うヒトの数、いわゆる「あなたに熱中」ですが、コレが未だにものすごく多いのでアリマシテ。

“ソニーのヒロイン”らしいご活躍はできなかったけれども、この事実をもって

浜田朱里=僕らのヒロイン

ってことで、お後がよろしいのではないかと。ご異議ゴザイマセンか?ヨロシュ〜ゴザイマスね?(笑)

ってなワケで、今回の「キャッチフレーズ辞典」はお開きといたしまする。

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