「歌謡大賞新人祭り」とは...
「日本レコード大賞」が1969年の大晦日に生中継方式の授賞式を開催するにあたり、TBS以外の在京民放キー局がTBSに対して制作放映権の持ち回りを要望。しかしながらTBSはこれを拒否。これに対して民放各局が"打倒レコード大賞"を掲げて集結。1970年7月4日には「放送音楽プロデューサー連盟」を結成し、1970年7月6日に「日本歌謡大賞」という新しい賞番組を制定する運びとなった。
「日本歌謡大賞新人祭り」は「日本歌謡大賞」の子番組的存在であり、おもにその年度にデビューした新人歌手のみにスポット当てる目的で制定された。この大会は1984年の第15回大会まで毎年開催され、テレビでの放映はTBSを除く各民放テレビ局により毎年持ち回りで行われた。開催時期はおもに7月中旬から下旬頃(草創期に関しては不明)。また、大会出場資格はその年度の上半期(もしくは前年度後期デビューの適格歌手)に対して与えられ、各レコード会社からはこれぞイチオシ!といった新人歌手が会場に大集結していた。いわば新人歌手の登竜門という位置づけになっていた非常に重要な大会でもあった。なお、各大会ともに出場定員枠は30名ほどであり、これら新人歌手が「新人連盟賞」を受賞した歌手という仕切りになっていた。ちなみに番組内では「毎年300-400人もの新人歌手がデビューする中で、今日ここに来られただけでも素晴らしいことですね」といったセリフが司会者により繰り返され、その厳粛性がしつこくアピールされていた。
連盟賞を受賞した新人歌手の紹介方式などは各担当テレビ局により異なっていたが、その選出方法には規定があった。まず、民放各社(TBSは除く・文化放送などのラジオ局も含まれた)により結成された「放送音楽プロデューサー連盟」により30名ほどの新人歌手たちに「連盟賞」を授与。それら新人歌手が会場に一大集結し、その中から更に10-15名ほどに絞りこんだ上で「優秀新人歌手」を選抜していた。大会当日に自身の持ち歌を壇上でお披露目できたのはこの難関を突破できた「優秀新人歌手」のみであり、デビューしたばかりの若き小鳥たちが歌謡界ではじめて受ける試練の大会でもあった。
連盟賞を受賞して会場に集結した新人歌手たちは各々の名前の入ったタスキを肩からかけ、関係者に囲まれながらの悲喜こもごも。優秀新人として選ばれて喜び勇む者、選ばれずに会場に取り残され涙を呑んだ者...それは半ば「選挙」のような状態であった。
【この書庫について】
これだけ長きに渡り開催され権威ある賞番組だったにもかかわらず、公式記録が残っていない(もしくは一般公開されていない)という散々たるこの現状。ならばワタクシメが作ってやりますがな!とばかりに余計な一念発起により開設と相成ったのでゴザイマス。ただ、第1回大会が1970年ということで生まれて間もないころ。このため手元に資料の無い回なども多数存在しているのも事実だったりで。なので皆様からのご記憶やお知恵が必要不可欠なのでゴザイマス。ソレラをありがたく頂戴しながら皆で力を合わせて【資料】として完成に近づけたいナ!こんな目論みなのでありまする。さしずめ「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」もとい...「あなたが作る歌謡大賞新人祭り」といったトコロでゴザイマシて、なにとぞご協力のほどよろしくお願い申し上げまする。と言い放ったものの...こんな事柄に詳しいのは一部の人間のみというのも充分承知の上だったりもして。だから完成するのかどうか♪ファンファンファン〜「恋して不安」なワタクシメなのネ。(笑)
この説明以降の各記事にはコメント欄を設けておきますので、ご協力を頂ける方はそちらにてご教示をお願いいたします。それぞれの大会に関する思い出や感想などもお待ちしておりまする。
CHERRY★CREEKより
2011年2月11日
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