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書庫【資料】キャッチフレーズ辞典

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さてさて、気がついたら6枚目のカレンダーがお顔出しに。ということは、1年の約半分はすでにエンドってしまった...というワケでアリマシテ。1月からの半年をふりかえり"輝け!日本生活大賞"を受賞とばかり、胸はって言えるような充実の日々を過ごされたという方はどれほどいらっしゃるのか。

ワタクシメの場合は後悔しきり...ああすればよかったこうすればよかったと嘆きのマンデーナイト、どころか嘆きのエヴリディだったりも。笑)それでも周囲の方々に助けられ、コラムの連載などの新しいことにもチャレンジさせていただいておりますの。そちらの方もこのブログ同様、何卒よろしくお願いいたしますネ。

それはそうと"輝け"と言えば、ソレをキャッチフレーズに宛がったアイドルさんがいらっしゃいましたよね。今回はココにコジつけ、いつものように昭和アイドルのキャッチフレーズを考察してみたいと思うのでありまする。

で、気になるそのアイドルさんとは

芳本美代子さん

この方なのでゴザイマス、ジャジャーン。そして、彼女がアイドル歌手としてデビューするにあたり授けられたキャッチフレーズが

輝けミッチョン!

コレだったのでゴザイマス。もひとつ"僕たちの妹、みつけた!"という記述もネット上にて確認したのだけど、当時の宣材やらには見受けられずでアリマシテ。たしか最初にお出しになった写真集の題名がソレだったとキオクするのだけんど?

それはさておき、↑のキャッチフレーズどおり芳本美代子嬢ば"ミッチョン"の愛称で親しまれた、紛れもない80年代アイドル。しかし、アイドル歌手をご廃業されてからというもの、そのブランクはかなり長めになっておりまして。しかも、歌での活動はおろか、そういった類のイベント出演などが殆どない方であるからして。かつてはアイドル歌手をしていたことなど、スッカリコンコン忘れさられてしまっているのでは?と心配してみたり。

このような状態なもので、当時を知る"リアル世代"でないと、芳本美代子という芸能人がどんな方なのか存じ上げないという恐れもあったりで。それこそ♪ハテナマークが飛び出ちゃうのよ〜ってな状態も想定内に入れておくべきなのか、ナゾ。

ってことで、今回は♪恋のプライベートレッスン〜っとばかりに、彼女に関して一緒に学んでまいりたいと。モチ、コレの引用元は彼女のヒット曲「プライベート・レッスン」から。だからといって"恋"にはしなだれかかりませんのであしからず。笑)

【レッスン1:デビューのきっかけ】

山口県に生まれ、広島県でお育ちに。中学3年生の頃、KBC九州朝日放送主催のオーディション「第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテスト」に出場。ソコではあいにく出場のみにとどまってしまったものの、放送を視聴していたテイチク関係者がスカウト〜!

さようでゴザイマシタか。この頃になると〇〇オーディション優勝とか、〇〇会社のプリンセスコンテスト優勝とか、そういった仰々しい冠を宛がったデビューが目立ったもの。しかし、ミッチョンの場合は割とおジミなところがスタート地点だった模様。

【レッスン2:1985年3月21日】

晴れて芸映プロダクションへの所属が決まったミッチョン。そして、いよいよここから華やかに!テイチク期待の新星として船出したのでありました。デビュー曲は松本隆氏&井上大輔氏がコンビを組んだ「白いバスケット・シューズ」。コレは学生時代のご経歴、バスケ部に身を置いてらっしゃったという事実を活用した"ふくらませ方式"だったのかと思われ。

85年当時は、同期新人アイドルの幾人かが"バスケットシューズ"をモチーフにした曲でデビュー。コレは皆さますでにご存じのとおりかと。そそっ、石野陽子嬢(現:いしのようこ)&森田まゆみ嬢のことを指すのでありまする。マニアの間では"バスケットシューズ戦争"と呼ばれたこともありましたネ。81年の"ちょっと戦争"より規模拡大か。笑)

【レッスン3:アイドル歌手としての最盛期】

デビュー1年目のミッチョンは、あと一歩のところでヒットチャート誌のベストテン歌手と相成らず。しかし、翌年6月に発売のシングル第6弾「青い靴」でようやくソレの仲間入り。以後、4作品連続、計5作品をベストテン内への送り込みの成功!目玉TVが輩出した"猫軍団”が猛威をふるう中、多いに気を吐かれたものでゴザイマシタ。

しかし...神は時として非情なものでアリマシテ。長続きしなかったのでありまする。

【レッスン4:アイドル歌手としての晩年】

CDという新しい音楽媒体にとって代わられ、従来のアナログレコードは衰退の一途を。その影響はアイドル歌手へも飛び火。ミッチョンはリリースする曲をベストテンに送り込みながらも、レコ売り上げはジリ貧傾向になるというやるせなさ。そして、87年後半あたりからは本格的な失速がはじまってしまい、1990年をもって歌手活動をエンドることに。

時代の流れとは言え...カナカナカナシィ〜。ミッチョンのみならず、同時期にデビューした他アイドル歌手の多くにも言えることでゴザイマシタよね。みなさんご苦労されてらっしゃいましたもの。

それでも一時はベストテン歌手としてブイブイ言わせた時代があったのだから

輝けミッチョン!

アイドル歌手としては充分に光輝いてくださったのではないかと。たしかにもうちょっと〜という悔やみのようなものはあるなれど。そういう意味ではこのキャッチフレーズ、ミッチョンにピッタリ?時代を先読みしたソレと言えるのカモ。

コレをミッチョン陣営が考察していた頃は"猫軍団ブーム"の夜明け前。奇しくもソレが、猛威をふるう軍団に対しての「輝け」と言わんばかりになってしまったのも、これまた運命なのかニャン。

しかし...ミッチョンはガムばっておりますよ。今でも芸能界に身を置き、まい進してらっしゃいますからん。

イメージ 2新人歌手、芳本美代子を紹介するためのプレスキット。中央下にはロゴと共に"輝けミッチョン"の文字が。
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開いたページにはデビュー盤両面の歌詞を、ミッチョンの横顔と一緒に掲載。携えるのはもちろんバッシュ。

イメージ 4更に開いたページには松本隆氏からのお言葉を掲載。

〜彼女の歌声から感じられるポップな感覚〜

レコーディングのとき、ずっとスタジオにいたのですが、彼女の持って生まれた"感覚"に驚かされました。彼女には、先天的なポップ感があります。以下省略。

イメージ 5緑したたる芝を背景に、バスケで鍛えたとおぼしき健康体をお披露目。

【レッスン5:現在のミッチョン】

私生活での色々もきれいサッパリ片付いて?女優・タレント業を本格再開!ドラマや旅番組、バラエティなどでもお見かけするようになりましたものネ。それに、ちょいと前にお出ましになられた某トーク番組では「アナタのトークは昭和なのよ!」と、ピシャリされてしまったミッチョン。なにやらショボンと涙目風になっていたような。たしかに、あの歯に衣着せぬ物言いで知られる司会者さまから面と向かって言われたら...誰だってビビりますがな。

「時代に取り残されても知らなくてよ〜」

セリフは定かではゴザイマセンが、なんだか似たようなこと言われていたような、滝汗。

🎵参考書を〜かしてぇ〜

ここはミッチョン...色々とお勉強していただき、くじげずガムばってくださいナ。「阿国」で女優開眼された時のように。あの時はたしか、共演の木の実ナナさまにシゴかれたのでしたよネ。ならば今度は〇みちゃんからご指導を賜ってトークの女王を目指す!...ってのは「い・か・が」?笑)

輝けミッチョン!

アナタがふたたび輝く日を願い、ずっと応援してまいりますヨ。でもサ...たまにはお歌も唄ってネ。

ってなワケで、今回の「キャッチフレーズ辞典」はこれにてお開きにいたしまする。
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さてさて...あれよあれよという間に桜が開花する頃合いとなりましたネ。東京あたりじゃ、木々を彩るつぼみたちがご開帳?という状態なのかしらん。ってか、いくら開く動作があるからといったとて、ソレをそのようには表現しないと思うのだけんど。笑)お花見と言えば...花より団子!そそっ...お花よりも食い気の方が勝るという"ことわざ"が存在しとりましたよね。それこそ「ホロ酔いONLY YOU」とばかり...酒に酔った勢いの我失い?桜の枝を手折ったりしてはなりませぬぞ〜よろしいですね!笑)

それはそうと"桜の枝を手折る"と言えば

木元ゆうこさん

この方をおいて他にはおらぬという状況でアリマシテ。他芸名としては、木元優子や樹本由布子などもゴザイマシタが。ここではひとまず"木元ゆうこ"とさせていただきたく。

ってなワケで、毎度のごとく強引にコジつけを施しました上で、キャッチフレーズ考察を展開したく。ヨロシュ〜ゴザイマスね?笑)

さて、本記事の主役である木元ゆうこ嬢は

ポリドール30周年記念女性アイドル

こんな大冠を授かり、社の記念アイドル歌手として華々しいデビューを飾った方。ちなみに、木元ゆうこ嬢と同じ立ち位置としての男性アイドルは、ちと早めの2月デビューをカマされていた麻見和也さんがいらっしゃましたよ。彼に関しては、このブログをご愛読してくださっている方にはおなじみ?何度かお立ち寄りいただき、直コメをくださったもの。

で、ゆうこ嬢に話を戻しまする。これだけ大々的な称号を与えられてのデビューですもの...さぞかし大金が注ぎ込まれたのでは?ハイ...仰せのトオリでゴザイマスよ。見てよ...デビュー曲「チェリーガーデン(桜の園)」の作家陣!

作詞:阿木燿子 作曲:中村泰士 編曲:川村栄二

こんな面々とキたもんだ。中でも阿木女史が作詞を手掛けているという点...コレがワタクシメのココロをむぎゅっとツカんで離さない理由のひとつでもアリマシテ。だからといって、自身のニックネーム"チェリー"が、ここから来ているワケではございませんのであしからず。

そして阿木女史は、木元ゆうこ嬢のためにこんなお言葉をプレゼントされていた模様。

少女の香り...少女の匂い...
セーラー服が良く似合い それでいて なまめかしい女の子...
実在感がありながら 挿絵から抜け出た夢のような女の子...
そんな少女に久し振りに出会いました...

まさにおっしゃるとおりといった風。16才の木元ゆうこ嬢は、それはもう実に女の子らしくなまめかしい子に見えましたもの。このような賛辞を阿木女史から直々に授かった彼女...さぞかしシアワセの骨頂にいらっしゃったことでゴザイマショウ。うらやますぃ。

さて"なまめかしい女の子"と表された、彼女のキャッチフレーズとやらがコレ。

ときめいて、謎めいて16歳

はて...どこかで見聞きした覚えが。

そそっ!このフレーズは木元ゆうこ嬢のデビュー曲における一節にもなっておりましたよね。

♪ときめいて 謎めいて

ほらね、こんな風に。この後に続くのが

♪チェリーガーデン 恋ざかり

こんなクダリでゴザイマシタ。皆さまがそれらお目々とお耳でご確認いただけるとおりなのでありまする。

そもそもこのフレーズが生まれた経緯...その生い立ちとは?

妄想1:ゆうこ陣営により提案されたもので、それを阿木女史が歌詞内に練りこんだ

妄想2:阿木女史の奔放な発想から生み出され、陣営がホの字。キャッチとしても引用

ここら辺りの詳細に関しましては、当時のプロジェクトに関わっていた方でないと分からない部分でもある。阿木女史が、ゆうこ嬢のことを"なまめかしい"と表現したにも関わらず、ソレが蚊帳の外になってるのがちと気になる部分でもあるか。ちなみになまめかしいとは?

姿やしぐさが色っぽい。あだっぽい。清新でみずみずしい。若々しい。優雅で気品がある。

ふむ...色っぽかったり、はたまた清新だったりと...複数の意味が存在する模様。言葉のイメージとして思い浮かぶのは、やはり先頭に記載されているものということに?おそらくは"なまめかしい"の「なま(艶)」がそのようなイメージを先導ってなものかと。コレが要因となったのか定かではないが、ゆうこ陣営の部署内にて"誤解されやすい言葉は避けましょネ宣言"でも発令?その結果として"なまめかしい"や"なまめいて"のいずれも、彼女のキャッチフレーズからは外されたのではないかと...妄想パート3。笑)

いずれにいたしましても、上記の完成キャッチフレーズがゆうこ嬢にピッタリコンコンなのは言うまでもなく。得て妙とはこのことを指すのではないかと思うくらいの整合性。それこそポエム本の挿絵から抜け出してきたようで

♪あなた 憧れているのでしょう

女アイドルとしてデビューするなら、こんなキャッチフレーズがよいワといった憧れをも抱かせるというものか。ってか、そもそもこんな四半世紀以上も前のむかし話をグダグダと...性懲りもなく続けますな〜おっさん←誰、おっさんて。笑)

「べつにシンドローム」

必死に書き連ねたところで「べつに〜」な無関心派層が増殖してしまう恐れもあるからして。ならばと...ここら辺りで当時のゆうこグッズでもご紹介することにいたしまショ。

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レコード盤に封入されたミニチラシ。モノクロームな色彩が、ゆうこ嬢の魅力をグイ上げ。
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裏にはデビュー曲の歌詞とちょっとした宣伝も。遠足時のお供でも狙ったか?

イメージ 4上記と同じく、デビュー曲レコードに封入のポケットカード
イメージ 5ファーストアルバムの購入特典、水着で体育すわりのポスターよん

いかがでゴザイマショウか。少女のみずみずしさがタップリコンコンといった風情がいっぱいで、実に愛らしい彼女だったのでありまする。あいにく、その活動は道半ばにして

♪夢を壊して ごめんなさい

コレを彷彿とさせるようなお噂やスキャンダラスな出来事があったような気もいたしますが、まぁこれらに触れておくのは止めにいたしましょうヨ。木元ゆうこ嬢だってお年頃のム・ス・メだったのですもん

♪セーラー服の中味が息づく

こんな疼きのようなモノも生じていたことでしょう...おそらくは^^;。アイドルだって若いんだもの...ありがちよあんなこと。

そんな彼女も近年になって芸能界へご復帰、色々な活動を再開されている模様。アイドル時代からの親友が開催したという、とあるライブステージにおきましては、デビュー曲「チェリーガーデン(桜の園)」をお久方ぶりにお披露目してくだすったとか。嬉しいではないですか、まったくもって。

♪セーラー服は昔のままでも

コレを地でいってくだすったということに。そして、現在の彼女と言えば

謎めいて、ときめいて○○才

ウレウレと熟され、素敵に艶めかれとりますヨ。今後は桜の枝を手折ることなく、長寿を誇る桜樹のように...息の長い芸能生活をお願いいたしますヨン。

ってなワケで...こんな風に願いを込めながら、今回の「キャッチフレーズ辞典」はお開きとしたく。またまたお付き合いいただきまして、ありがとうございましタン。
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さてさて、またもやゴブサタとなりました「キャッチフレーズ辞典」。やる気をだしても、なぜだかついつい間延びをしてしまうというこの不可思議な書庫。まさか「キラリ・涙」を流した挙句のさよなら宣言とかないですよネ?いいえ...ありません、キリっ。ご精読してくださる方がいらっしゃる限り、しつこく続けさせていただきますワ。笑)

それはそうと、「キラリ・涙」と言えば

水谷絵津子さん

でゴザイマスよね。

ってなワケで、いつものように強引にコジつけを施し、例のごとくキャッチフレーズ考察を展開したいと思うのでありまする。リクをいただいておりました皆さま...大変お待たせいたしました!

さて、本考察記事の主役である水谷絵津子嬢は、かの有名なオーディション番組「スター誕生!」のご出身。当時のプロフィールを確認したところ

第39回 グランドチャンピオン

となっておりました。スゴイではないですか〜えっちゃん。決戦大会におきましては、河合奈保子嬢の「大きな森の小さなお家」を熱唱。そしてこのパフォーマンスを良しと評価してくれたのが

日本コロムビア、オーロラ、研音

の三社だったのでゴザイマス。オーロラとは、後にルー・フィン・チャウ嬢が所属したところとしても知られているか。まぁ、当時の業界では中堅くらいに位置する芸能プロダクション?えっちゃんも、そしてチャウ嬢も「夜のヒットスタジオ」へネジこんでいるくらいだから、そこそこにネゴ力は持っていた事務所だったのかと思われ。

それはそうと...もしも研音がえっちゃん獲得に成功していたら、38回大会にて研音からスカウトを受けていた中森明菜嬢とも同じ事務所に籍を置くことに?後に花の82年組と呼ばれることになったデビュー組において、明菜嬢と二足のわらじで売り出すつもりだったのかしらん、ナゾ。当時の研音にそんな余裕があったとも思えず?どのような企みが成されていたのか興味シンシンでゴザイマスよね。まぁ、実際の段階にてテキトーにネゴり、両社win-winにしたつもりなのかもしれないけれど。

なにはともあれ...そうはならず、日本コロムビアとオーロラの組み合わせに落ち着いたえっちゃん。そして、1982年5月21日に歌手デビューが決定したのでありました。そんな彼女のデビューにおけるキャッチフレーズが

フルーシィな女の子

コレだったのでありまする。

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デビュー曲「キラリ・涙」の帯広告。ぷにょっとしたホッペが実に愛らしいえっちゃん

このようなコンセプトに基づき...お名前ロゴもこんな風にデザインされたのでゴザイマス。

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さくらんぼをあしらった、えっちゃん専用のロゴマーク。

あら?さくらんぼ???これはどのような関連づけが成されていたのか。

えっちゃんの故郷は大分県。大分で有名な果物と言えば

カボス、温州みかん、ハッサク

などの柑橘系だったとキオク。同県における果物生産ランキングとやらを調査ってみても、さくらんぼの「さ」の字も見つけることができませんでしたが...はて。笑)

まぁ、これはおそらく...カボスやハッサクでは絵柄にしづらかったこと?それとアイドルっぽい可愛らしい響きに欠けたこと?これらを考慮した上でのさくらんぼ攻撃だったのカモしれませぬ。もしかしたら「絵津子!好きな果物はなぁ〜に?」の問いかけに、えっちゃんが「さくらんぼどぇ〜す」とお答えになったという読みもできますかしらん?それにしちゃ彼女のプロフィールの好きな食べものの欄...さくらんぼの「さ」の字も書いてないけんど?あ〜もう錯乱(サクラン)しちゃう。笑)

そもそも英語の世界における「フルーシィ」(Fruicy)は、フルーツから派生した造語。もしかしたら、えっちゃん陣営が彼女の外見から受けるふんわりイメージを考慮し、他ニタピロ単語「フリーシー」(Fleecy意味:ふわふわした)あたりとかけあわせて発想したのかもしれませぬ。まぁ、ここまで熟考されたのかどうかはナゾだけんど。笑)

いえいえ...よ〜く練られて考えられたはずでゴザイマスよ。だってこれらを見てよ。

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レコード盤のA面を撮影した図
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レコード盤のB面を撮影した図

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ファンクラブ会員用のプロフィールシート
イメージ 7両面ジャケットの裏面写真

お金かかってまんな〜Wジャケットにカラーレコード、そしてピクチャーレーベルとキたもんだ!しかも両面で異なるお色と写真を使っているという、素晴らしきお仕事っぷりに圧巻。レコード盤でできうることはすべてやりました〜と言わんばかりの豪華仕様になっとります。気合いの入れ具合に関しまして同期比較でモノ言えば、北原佐和子嬢や新田純一クンあたりと双璧なのか。

にしちゃ気になるのがこの髪形か。

82年のこの頃と言えば...そそっ、女の子はみ〜んなレイヤードカットにしていたもの。そのようにさせたのは、なにを隠そうあの方...太陽の女王様だったことは言うまでもなく。水谷絵津子嬢だってその例にもれることなく...素人時代はこ〜んなにキャワゆい御髪にされていたのでありました。

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決戦大会出場時のご尊顔カチューシャがとてもキャワゆい

が、しかし...大切なデビュー曲のレコードジャケットでコレって一体^^;。素朴で可愛いのはたしかなのだけんど、なにやら主流からは大きく外れてしまったような気も...。所属が日本コロムビアということで、もしかしたら榊原郁恵ちゃん路線でも狙ったの?狙いうちしたいキモチは分からないでもないけれど、時代の流れはご考慮いただかないとネ〜。まさかの森"たわし"昌子さま追従ではないわな。レコ会社も事務所も違うからソレはないっしょ。笑)それにしても"フルーシィな女の子"というよりも

"フルーィ女の子"

といった字抜け〜による、70年代ちっくな雰囲気でいっぱいになってしまった模様。デビュー前は、ご自身もご満悦だったであろう、実に可愛い聖子ちゃんカットでキメまくっていたえっちゃん。こんな風にバッサリとカッティングされてしまい...その時のおキモチはさぞかし

♪キラリ ほろり なみだ〜

コレだったのでは?なんといってもえっちゃんは乙女...まだミドルティーンの女の子でしたからん、こんな風にon theまゆ毛になるような髪形はイヤでイヤでたまらなかったことかと。この後に御髪をそそくさと元へ戻されていたことを見るにつけ、えっちゃんにとりましても

♪誰にも見せたくないけれど

というほどに、イヤンな髪形だったのかもしれませぬ。

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夏には御髪が元通りに〜ホっ。黄のフリフリ衣装が愛らしいえっちゃん

そんな無理じいさせられる芸能界に嫌気が差したのか...デビュー翌年の、さほど時が経過しない頃、えっちゃんはあっさりと引退してしもうた、泣っ。

♪今も思い出すたび〜胸が痛む〜ムフフ

いえいえ!えっちゃんにとりまして、芸能界にいた日々は良き思い出になっとりますよね?

こんな風に祈念しながら、今回の「キャッチフレーズ辞典」は〆たいと思うのでありまする。

またまたお付き合いくださいまして、ありがとうございましタン。
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さてさて、またもやゴブサタ気味となりました「キャッチフレーズ辞典」。なにやらこのまま終息宣言が出されそうな気配でムンムン?いえいえ…そんなことはゴザイマセン。なぜなら、筆者が個人的に「好きよ」の書庫であるからして、決して自らにより「さよなら好き」になるつもりは毛頭ないのでありまする。

それはそうと、「さよなら好き」と言えば

浜田朱里さん

でゴザイマスよね。

ってなワケで、今回はココに強引にコジつけ、例のごとくキャッチフレーズ考察をカマしてみたいと思うのでありまする。

さて、浜田朱里嬢のデビュー日は、1980年6月21日。あら?やもすれば新人賞レースにはかなり出遅れの感が色濃い時期か。他、おもな同期のデビュー日はいかがなものでしたかしらん?

■80年デビュー組|おもなデビュー日一覧表
壺井むつ美1979年11月1日パティー・リン1980年5月25日
松原みき1979年11月5日河合奈保子1980年6月1日
比企理恵1979年12月1日柏原よしえ1980年6月1日
佐藤恵利1980年1月10日田原俊彦1980年6月21日
千葉まなみ1980年1月20日甲斐智枝美1980年6月21日
中山圭子1980年2月1日石坂智子1980年6月21日
パティ1980年2月5日スコッチ1980年6月25日
岩崎良美1980年2月21日ベティ&ペティ1980年7月1日
鹿取洋子1980年3月1日麻野星子1980年7月1日
南永吾1980年4月1日伊藤典子1980年8月21日
松田聖子1980年4月1日水島ゆみ1980年8月25日
エリアナ1980年5月1日兵藤まこ1980年9月21日
中川みどり1980年5月21日白坂紀子1980年9月21日
石崎はるこ1980年5月25日三原順子1980年9月21日

6月のデビューに集中していたことに気づかされるのである。それでは“春先にデビューするのがレコード会社のイチオシ”というあのルールは?1980年度の時点においては、さほど気にされていなかったことが伺えるか。ということで、浜田朱里嬢のデビュー日が決して遅いものでなかったこと…この事実はここでひとまず判明することになるのである。

そして、この年度のCBSソニーにおける女性アイドルはタイヘンでゴザイマシタよ。
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中山圭子・2月デビュー松田聖子・4月デビュー兵藤まこ・9月デビュー

ホラホラ…こんな風に畳み掛けるようにデビューさせましたものネ。そもそも、当初は俳優のム・ス・メということで期待の大きかった中山圭子嬢に一本しぼり!の予定だったはず。しかし、例の色々がゴザイマシて、その白羽の矢を松田聖子嬢が射止めましたの。但し、より大きな期待を背負っていたのは、ナニを隠そう…ポスト百恵という位置づけにいた浜田朱里嬢だったのでありまする。コレ…とても重要!(笑)

ソレを証明するモノとしては、朱里嬢のキャッチフレーズがお誂え向きかと。

ソニーのヒロイン

いかがなもんでショ?社名+ヒロインの文字が躍るのだもの…コレは半端ない証拠。そして、同広告内にはこんなお言葉も。

静かな少女ほど、ハートは熱い。

♪かわいいふりしてあのコ〜わりとやるもんだねっと…というアレかしらん、ナゾ。しかし、コレがデビュー曲につけられたキャッチフレーズなのか、はたまたご本体につけられたソレなのかは闇の中。今となっては、当事者しか分からないというものヨ。ってなワケで、今回はそれら両方を浜田朱里嬢のキャッチフレーズとして掲載させていただきたく。

それはそうと、ヒロインの意味とはなんでしたっけ?

劇や小説などの女主人公。中心となる女性。

って、わざわざ調査する必要はなさげな気もしたのだが、念のため。そして、そのお言葉の出だし文字は「ヘ」ではゴザイマセンのでご注意のほど。(笑)

このように、女主人公を意味する“ヒロイン”をキャッチフレーズに宛がわれていることから考えてみても、ソニーが朱里嬢を1980年度の“イチオシ”としたかった意志が伺える。要は、社が朱里嬢をヒロインとしてその中心に据え、大々的に売っていきたかった。このような思惑がムキ出しになったキャッチフレーズと捉えていいのかと。
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デビュー曲「さよなら好き」の帯広告。モノトーンが、かえっていい味を出す結果に。

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見よ!"ソニーのヒロイン"字ズラ上には、わざわざ「・・・」が。見逃しませんでしたわヨ。

結婚を機に、芸能界からの引退を決断した山口百恵嬢。彼女はそれまでトップアイドルとして、また、ソニーのドル箱スターとして長らく君臨してきた方。そんな動向により、空席になることが確実となっていたポジションがあったのだもの。百恵嬢と似たような雰囲気を持つム・ス・メを売り出し、手堅く稼ぎたいと考える…コレはしごく自然な思考回路ではないかと。

ならば、あの方はどうなのヨ!という疑問が頭をもたげてくるか。そもそも、その方のキャッチフレーズは「抱きしめたい!ミス・ソニー」。コレは本書庫における同書庫の過去記事としても書いてオリマシテ。まだの方はコチラをご精読いただけますと幸いでゴザイマス。

ヒロインとミス・ソニー…果たしてその位置づけとしては一体どちらが上なのか?言葉の意味から考えた場合、おそらくはヒロインの方が上なのではないかと思う。Missは単なるMiss…決してヒロインを意味するものではなく。

ココで取り出すたるは、とても興味深い当時の帯広告。コレが解決の糸口になるかもしれないから、ちょっくら見ておくんなまし。
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ミス・ソニー表記が端折られた、「裸足の季節」帯広告。

この帯広告は、デビュー直前に掲載されたもの。なっ、なんと…広告内に要注目でゴザイマスよ。“ミス・ソニー”という、例のお言葉が印字されていないのである!コレはなんなの〜エクボの秘密かしら?(笑)

広告スペース都合によるものだったのか、入れ忘れてしまったのか、はたまた意図的なものだったのか…ナゾは深まるばかり。朱里嬢よりも、そのデビュー日が2ヶ月以上も早かったミス・ソニー嬢。もしかしたら、社のオフィス内では

「“ソニーのヒロイン”が後に控えてるんだから、ちっとは配慮しろヨ!」

朱里陣営からミス・ソニー陣営に対して、このような怒号くらいは飛んでいたのカモ。同じ社内とは言え、陣営同士間におきましてはまさに戦場でゴザイマシタでショウ…おそらくは。そして、すでに終わってしまった中山嬢の陣営は蚊帳の外?解体?よく分かりませぬ。なにはともあれ、この言葉を真摯に受け止めた上で自粛、そしてソレが配慮という形で現れたモノだったのか?まぁ、深い意味はなくて、たまたま…ってのが濃厚のような気もするけんど。

しかし、フタを開けてみれば、ミス・ソニー嬢の滑り出しはすこぶるよろしく…いつしか配慮なるものは忘却の彼方?以降の販促ブツには“ミス・ソニー”というお言葉が、シカリと印刷されていたとキオクするのである。いずれにしても商売だものネ…脈がある方面へ、その流れが向いていくのは自然なことでアリマシテ。いずれにいたしましても、そのキャッチフレーズやその他要素から考えましても、1980年度のソニーにおけるイチオシは浜田朱里嬢だった。さもなければ、ヒロインという称号を世界のソニー(当時)と呼ばれた社が、安易に与えることはなかったと考えるのでありまする。

そして時は流れ…それまで中心に据えられていた朱里嬢は

♪ヒロインになりそこねた街では

コラっ、違うでショ。ソコは「朝」でしたヨ…「ヒロイン」ではゴザイマセン^^;。それにしても、芸能界と呼ばれるトコロは

♪昨日は青い 明日は赤い

こんな風にコロコロと…情勢がめまぐるしく変化してゆくものなのかしらん。すべてがいわゆる“水モノ”で、なりそこねになるモノやヒトのてんこもり?そして、なにもかも信用できなくなり

♪さよなら好きの私をつくる

ご縁を切りとうゴザイマス!となるヒトの数もかなり?だって、ドンファンみたいなのに弄ばれるのはイヤでゴザイマスものね。(笑)

それでもソニーは、朱里嬢をヒロインに仕立てあげようと精を尽くしてくださいましたヨ。デビューから約1年半後、1982年2月25日に発売された「想い出のセレナーデ」(天地真理嬢のカバー作品)におきましては、再度のプッシュ体制も敷いてくださいましたしネ。その節は大変嬉しゅうございました。結果的に、彼女の芸能活動は「ボンジュール冬」になってしもうたけれども。

そしてなによりも、浜田朱里嬢を「好きよ」と熱く想うヒトの数、いわゆる「あなたに熱中」ですが、コレが未だにものすごく多いのでアリマシテ。

“ソニーのヒロイン”らしいご活躍はできなかったけれども、この事実をもって

浜田朱里=僕らのヒロイン

ってことで、お後がよろしいのではないかと。ご異議ゴザイマセンか?ヨロシュ〜ゴザイマスね?(笑)

ってなワケで、今回の「キャッチフレーズ辞典」はお開きといたしまする。
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さてさて、先日うpいたしました、加藤“ジーレジレジレ”香子さまのおかげもありまして、かなり活性化してきたとおぼしき「キャッチフレーズ辞典」。早いもので8月も半ばに差しかかりましたが、ジレジレでアチチな暑さはまだまだ続くの?しかしながら、その旬とも言える“ジレジレ”を早々に蔵出ししてしまい、夏に合致するネタは残っとるのかネ?と、懸念されてるっぽい本書庫なのでありまする。でもネ、まだまだございますのでこの点に関しましてはご心配なきよう。

ってなワケで、今回はこのアチチにコジつけて、例のごとくキャッチフレーズ考察をカマしてみたいと思うのでありまする。

でもって、その“アチチ”にコジつけられる方とは一体どなたなの?

今井まこと(今井 信)

この方なのでゴザイマス、ジャジャーン!(笑)

と、ハデにご紹介したところで「なぜ?の嵐」、もとい「知らん!の嵐」かしらん、ナゾ。ならば、このワタクシメが今井まことクンについて、コト細かくご説明させていただくことに。

ひとまずは、当時のプロフィールから。

本名:今井 信(まこと)※NHK「レッツゴーヤング」サンデーズ加入時はこの表記
ニックネーム:募集中 ※商品も当たるので応募してネ(詳細は下記だが、すでに締切済)
生年月日:昭和41年2月25日(うお座)
出身地:北海道苫小牧市
スポーツ:バトミントン、スケート、陸上
ボディサイズ:身長170cm、体重52kg
趣味・特技:レコード鑑賞、フォークギター
好きな食べ物:カレー、シチュー
好きな服装:白のズボン
好きな女の子のタイプ:やさしい子
好きなアーチスト:松山千春
行ってみたいところ:ハワイ
好きな言葉:誠
好きな色:ブルー、白

■まことのニックネーム募集|商品詳細
ポケットサイズAMミニラジオ…100名様
サイン入りカラープロマイドセット…1000名様
※詳しくはお近くのレコード店にお問い合わせ下さい。

まぁ、当たり障りなく、なんともフツーなのがステキでゴザイマスね^^;。北海道出身ということもあり、そのブランドを思い切り背負わされた感が無きにしも非ずだったりで?白、ブルー、シチュー、スケート…それこそ♪北風小僧がささやいた〜なる、雪国イメージが満載。唯一、気温がお高めと感じられた部分は、行ってみたいところがワイハ…ってことか。それとデビュー曲のタイトル「愛してA・chi・chi!」か。なにはともあれ、その夢…すでに実現と相成られましたことをお祈り申し上げまする。

そして、まことクンの活動履歴といたしましては、TBSドラマ「出逢い めぐり逢い」に出演。はて…このドラマに関するキオクは全くない。ならばと調査ってみたところ、石井ふく子氏プロデュースによるホームドラマだったことが判明。しかし、まことクンのお名前がレギュラー陣として見当たらないことから、単発でのご出演だったのか。また、DJとして「アイドル・ランド」という番組でおしゃべり(←札幌を中心とした放送網だった模様)。そして、彼の芸能活動における白眉と言えば、やはりコレでしょ。

NHK「レッツゴーヤング」 サンデーズ

そそっ…コレを言及すれば、思い出したヨ〜というヒトの数も倍増(←激しくキボンヌ)するものと思われ。その際に、サンデーズの同期メンバーだった方々はこちら。

植草克秀、小出広美、佐久間レイ、横田早苗、山本誉子、橋本清美(後に秋本理央へ改名)、湯川友晴(途中脱退、その後の補充メンバーは山口健次)

そもそも同郷出身のシンガー、松山千春氏に憧れて歌手を志したらしいのに、なんで「愛してA・chi・chi!」なる軟弱アイドル歌謡を唄うハメになったのか?一番ワケわからずで、困惑していたのはご本人さまだったに違いない。でも「好きよ」、デビュー曲も2ndの「雪の中の少女」もネ…どちらも儚さの点で抜きんでた傑作と申し上げておきましょう。ちなみにそのデビュー曲は、当時のヒットチャートでもなかなかの好評を博し、オリコン最高75位、登場週数8、2.0万枚を記録...意外と売れてる!実売はもっともっとあったはずでアリマシテ。

さて、このような経歴を持つ彼が、歌手としてデビューするにあたり授けられたキャッチフレーズとやらがコレら。

日本全国 まことでア・チ・チ!!
風の色はセルリアン、少年の瞳は海の色

トリオレコード(ケンウッドコーポレーションの表記あり)と山の手エージェンシーのタッグによる、まことプロジェクト。山の手というトコロは、「燃えてパッション」の堤大二郎クンが所属していた事務所と一緒?いずれにしても、業界のヤリ手…とは言い難い組み合わせではありましたが、キャッチフレーズが2種類も存在したという事実。豪華絢爛、そして気合いも十二分に入っていたことが伺える貴重な資料を貼り付けしておく。ケンウッドのロゴをあえて右隅に入れたのは、このブランド名を宛がうことによって、商品がより売れるという傾向があったとか。要は、まことクンを売るにあたっても、その恩恵に与ろう…という戦略の元だった?ということか。

イメージ 2
デビュー前に宣伝用として使われていたもの。お好みどおりの白ズボンにFILAの靴下というイデタチ。レコード予約者には豪華ポスターがプレゼントされたらしい。
イメージ 3
レコード発売後に使われていた宣材。キャッチフレーズが「日本全国 まことでア・チ・チ!!」に変わる。6月5日の苫小牧、札幌を皮切りにした全国キャンペーンを展開。発売日には、東京と横浜で実施した模様。
イメージ 4
レコードジャケット等で使われていた名前ロゴマーク。

個人的にはどちらのキャッチフレーズもお気に入りなのだが、より覚えやすいのは(トップ画像)での前者。だけれども、ポエムちっくで夢しこたま、どうにもこうにもうしろ髪ひかれるぅのは後者、という位置づけ。

まぁ、前者に関しては、デビュー曲「愛してA・chi・chi!」に絡めて考えられたものであることは明白。そして、2番目のは…なんでショね〜北の大地で育まれた、清涼美少年?そんなイメージを描写したものなのか。そもそも、セルリアンってなんなの?

セルリアンとは、ラテン語のcaelumが語源。その意味は「群青色の」「澄んだ空のような青い」「深い空色の」「緑を帯びたあざやかな青色」」。「コバルトよりも淡く、空色よりも深く、緑を帯びたあざやかな青色」。顔料としての生成方法は、錫酸コバルトを焼成する。

だそうな。キオクが定かであれば、小坊の頃に使っていた絵の具に「セルリアンブルー」ってのが配置されとりましたっけ。ビリジアンって名称の、どこかこジャレた雰囲気を放ちまくる緑色に並ぶようにしてサ。そして、このセルリアンを、まことクンに括りつけるくらいなのだから、彼のご出身地=北海道(若しくは苫小牧)と浅からぬ由縁でも?と思い、色々とググってみましたところ、ひっかかってきたのは地元ならびに全国津々浦々の賃貸やホテル情報のみ…滝汗。ってことで、特に由緒ある謂れのようなものが存在しているワケではない模様。(笑)

まぁ、おそらくは、北海道の風土をイメージさせるナニか、そしてまことご本人がスキだという色をイメージさせるナニかが欲しい!このような想いが、セルリアンを使用するキッカケを作り出したのではないかと。

♪A・chi・chi・chi!燃える風のせいじゃないさ

ソレは的外れと言うものヨ、まことクン。燃える風のせいじゃないことくらいは分かっとるのヨ。(笑)

いやいや…でもソレってまんざらでもないような?

まことをトップアイドルに!彼の陣営内にて、おそらくは沸き起こっていたであろう、燃える風のような熱意。これが、北海道の空や海を連想させる“セルリアン”を宛がった、美しいキャッチフレーズを生み出した。なんといっても、この頃のトリオレコードは風前の灯火。ナニがなんでも彼を人気者にし、その傾いた経営を立て直す必要がアリアリだったはず。一事業の存続がかかっていたのだもの…そりゃ熱意もって挑むわナ。こんな見解は「い・か・が」なもんでショ?

「好きだゼ3億倍」(←まことクンのデビュー曲B面)

ご精読いただいている皆様から、このようにご賛同いただけますとウレシュ〜ゴザイマスよ。ってか、そうなりそうにもないけどナ。(笑)

イメージ 5
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デビュー曲をデヘヘ顔で熱唱!このお顔立ち、今ならトップアイドル?

なにはともあれ…今回の主役である今井まことクンという懐アイドル。この方ほど情報が揃わないアイドルもなかなかいらっしゃらずでアリマシテ。ググってもググっても、コレといったものがつかめないという。が、しかし…とある80年代アイドルのファンサイト掲示板にて、まことご本人さまの書き込みハケーン!

♪A・chi・chi・chi!

アチチ状態この上ない。が、しかし、その足跡は今日から13年も前となる2002年とかなり古い。しかも、この古さに加え「PC操作は苦手なのです。」というカミングアウトもあったりで。まこと出現率の低さはコレが原因なのか、ナゾ。だけど、ご出身地である苫小牧に戻らず東京に在住、ビル管理会社にてお仕事されていること(あくまでも2002年の情報)、そして奥様とお子様(当時小学三年生)とで幸せな家庭を築かれているとのことで、このような近況(といってもかなり古めかしいが)を得ることができただけでも御の字というものか。名前検索で行き当たる、愛知で農業をされているという今井まことさんは同姓同名の別人である。が、交通事故に遭われた云々という情報は?どうかガセネタであってほしい。月日は流れど…どこにいても、なにをしていても、とにかく元気でいてほしい!コレが、まことクンのことを心配する人々における

♪A・chi・chi・chi!

そそっ!アチチな想いのはずでアリマシテ。

今井まことクン!もしもコレを見たのなら、ぜひともお知らせくださいナ…今でも元気で暮らしていると。若しくは近親者の方等、どなたでも構いません…ご協力いただけるのであれば。2015年のまこと情報を、ぜひともお聞かせいただきたいのです。ホント…心配しておりますもので。

【2017年追記:今井まことさんの、現配偶者の方より、今でも元気でお暮しとのことお知らせいただきました^^。ありがとうございます。】

ってなワケで、アチチな直訴になりすぎましたようでシッケイシッケイ。今回はこの辺りでお開きにさせていただきたく。

またまたお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

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