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書庫☆昭和の偉人たち|追悼記事

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日本の芸能界において、花粉をふりまくワイン色のお花のような存在だった川島なお美嬢。その華やかでチャーミングな容姿は、多くの人々を魅了してきたもの。しかし、彼女は単にそれだけの人ではない…その昔から彼女を見守ってきた人ならば、この件に関しては合点していただけるのではないかと思われ。とにかく何事にも果敢に挑戦し、自身の成長を常に心がけてきた方だったのである。

そんなバイタリティあふれる彼女も病には勝てず…悲しいかな、遠いトコロへ旅立ってしまった。2015年9月24日 19時55分、54歳での早すぎる旅立ちに涙した方も多いことだろう。

川島なお美嬢の芸能界デビューは1979年。そこから始まったキャリアの中心は、80年代以降。これにより、彼女は80年代アイドルだ!と勘違いしてる方もチラホラ。コレはイケません…誤りは正さないと!ということでココ重要。彼女は紛れもなく、70年代アイドルの括りに入る方である。

そして芸能人・川島なお美としてのイメージは

失楽園、ワイン、犬

などなどか。そして、80年代に青春を送った世代にとっては

お笑いまんが道場、アップルシティ500

これらでしょ!特に「お笑いまんが道場」は忘れがたく。

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絵もお上手!なお美画伯日比谷から生放送 「アップルシティ500」

番組の構成や共演者とのやりとりはもちろんのこと、なお美嬢が描く少女まんが家顔負けの可愛らしいイ・ラ・ス・トも魅力的でゴザイマシタよね。更に、弁舌に秀でた彼女は、若い時分から司会業でも大活躍とキたもんだ。そしてそして

試験で○○しちゃったワ

この滝汗エピソードに関しては、当時色々と揶揄されたもの。しかし、そこは川島なお美嬢…気持ちよすぎるほどの開き直りをお見せになったもの。彼女だって人間だもの…許してあげてヨ。ソレを実行するしないは別にして…誰でもそういう葛藤と一度くらいは戦ったことがあるはずでアリマシテ。まぁ、たしかにしてはならぬことではあるけれど。

そんな彼女のキャリアは歌手から始まった…しかも、アイドル歌手としてである。デビュー前は、平尾昌晃氏が経営する音楽院にて歌のレッスンを。平尾氏の回顧によれば、その頃からあらゆる面で目立つ存在だったらしい。

しかし待ってよ…歌手・川島なお美といったところで、世間での浸透度はあまりお高くないのでは?その理由は、大ヒットと呼べるような作品が出なかった…コレに尽きる。だけどあなどるなかれ…彼女のラインナップはシングル曲のみならず、アルバムも実に丁寧に作られているのである。それこそ、アルバムの方でより良いお成績を残された…アイドル歌手としてはめずらしいパターン。これら秀作の殆どが未だCD化されず、埋もれまくっている事実が嘆かわしいほどでアリマシテ。

ということで、今回はワタクシメが腕をまくらせていただきたく。おそらくはどこもやってない?彼女のアイドル時代の曲を一挙にレビュらせていただこうかナと。名づけて

【追悼・さようなら 川島なお美さん】なお美のヒットパレード

といっても、さして枚数はないのであしからず。この機会に、歌手としての彼女にもご注目いただけると、これ幸いでアリマシテ。

それでは、まずこの曲から。

イメージ 3「シャンペン No.5」
作詞:北村英明・藤洋子 作曲:幸耕平 編曲:馬飼野俊一 
B面:「あなたの胸はドリーム・ランド」
キャニオンレコード 1979年4月21日
チャート:圏外

記念すべきデビュー曲。発売はキャニオンレコードだったが、当時の同社イチオシ、能瀬慶子嬢と並んでプッシュされていたことが伺える証も存在。当時の資料には「パっと周囲の空気をまばゆい陽光で満たすような、サンバ・リズムにのってフレッシュなアイドル、川島なお美がデビューします」という記載も。あの頃すこぶる流行していたサンバをイチ早く採り入れた、トロピカルテイストな楽曲。テレビ番組「ぎんざNow!」によく出演し、歌披露していたのが懐かしい。ベースボールキャップにホットパンツといったお召し物でハツラツ。なお美カット(いわゆるサーファーカット)を揺らしながら唄う彼女に、客席の男性陣はデレデレだったはず。この頃からザ・川島なお美とおぼしき礎が、すでに構築されていた模様。とにもかくにもチャーミングの一言に尽きる。しかし、プッシュされていた割に賞レースなるものには一切登場せず。これが彼女にとってマイナスになったのか、以降は新曲出ずの、くすぶり時代へ突入。

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プロモオンリー盤、別デザインのレコジャケ店頭演奏用、能瀬慶子嬢とカップリング

イメージ 6「ハネムーン」
作詞:吉秋雅規 作曲:井上義久 編曲:井上鑑
B面:「こんなに幸せでいいのかしら」
東芝EMI 1981年5月5日
チャート:圏外

デビュー曲発売後、新曲を出せぬまま2年が経過。そして、前レコード会社との契約も終了してしまう。しかし、持ち前の負けん気により?テレビ番組「アイアイゲーム」のアシスタント業を細々と。そして、いつかやって来るかもしれないチャンスを待ち続けた時期。そんな彼女に救いの手を差し伸べたのが、東芝EMI。ようやく復活のノロシを上げることになる。あいにく本曲はコンセプトが固まる前の発売となってしまったのか、なお美嬢の良さが生かしきれずといった風。ひとまずは新レコ会社とも契約を結んだし、今回はこんなもんで…なお美嬢のこんなお声が今にも聞こえてきそうか。そして、ちょうどこの曲を歌唱している頃に、フジテレビのイメージガールに選抜されるという幸運も。同局「テレピカルサマー」のCMギャルとしてお茶の間に登場。そして10月には文化放送「ミスDJリクエストパレード」も開始され、ようやく歯車が回り始める。それにしても、彼女の見事な復活には恐れ入った。普通は2年も野放しにされたら、イジけて辞めるワ。(笑)

イメージ 7「愛しのマンドリーノ」 
作詞:川島なお美 作曲:V.PANZUTI 編曲:青山徹
B面:「LOVE IS MYSTERY」
東芝EMI 1982年3月21日
チャート:圏外

彼女の良さを活かしきれず、消化不良気味に終わった前作。ならば今度はアタシがやるワとばかりにしゃしゃりでて?本作では“川島なお美”名義で作詞にも挑戦するという、美しきチャレンジャーぶりを発揮。イタリアの街角を彷彿させるようなメロディーに、なお美センスであふれかえる歌詞で色づけした佳曲。このあたりから楽曲のクオリティがグイ上げとなり、歌手・川島なお美にスポットライトがあたりはじめる。この曲を歌唱するために出演した、とあるテレビ番組では、デビューしたばかりの新人たちと十杷ひとからげにされる滝汗場面も。しかし彼女はコレをチャンスに替え、名前と顔がより知られることに。捨て身の覚悟か、スゴイゾなお美嬢!ちなみに同曲…作曲者名でググると同名曲(「マンドリーノ」)が見つかるが、それのカバー曲なのかどうかは不明。

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「愛しのマンドリーノ」宣伝用の帯広告。

イメージ 9「ラヴ・ミー・タイト」 
作詞:島エリナ 作曲:田中真美 編曲:後藤次利
B面:「DO YOU WANNA LAST DANCE WITH ME?」
東芝EMI 1982年8月21日
チャート:80位、4週、1.1万枚

ミスDJの一員として人気を博してきた頃。ならば!と次なる戦略として打ち出してきたのが、キャンパスポップと呼ばれたジャンル。この分野には竹内まりや、須藤薫がすでに存在していたが、東芝EMIは川島なお美をそこへ座らせたい気マンマン。その野望を実現すべく発売された本曲は、オールディーズな雰囲気であふれかえる作品。歌詞内には、このテの歌ではおきまり♪ウォウウォウも織り込まれ、その世界観を聴き手に色濃く描かせる。ミスDJによる現役女子大生としてのイメージと絶妙に重なり合った本作は、シングルではお初となるオリコン100位以内へチャートイン。

イメージ 10「Ash Wednesday」 
作詞:田口俊 作・編曲:杉真理
B面:「右半分のドジな恋」
東芝EMI 1983年1月21日
チャート:61位、5週、1.5万枚

2ndアルバム「So Long」からのシングルカット。ちなみに同アルバムは、杉真理氏プロデュースという豪華盤。キャンパスポップクイーンの称号を奪取するために、本気モードで勝負に挑んでいた頃。蛇足になるが、同アルバムは「あの娘のスタイル」というタイトルで発売予定だったものを「So Long」へ変更した経緯がある。すげ替えた理由を知りたいトコロ。本曲をシングルカットするにあたり、単なるソレではつまらん!そんな提案が陣営側から出されたのか、仕上がった盤はハート型のカラーレコード+ピクチャーレーベルで愛嬌タップリ。価格は1000円と少々お高めだったものの、眺めているだけでも実に楽しい盤である。東芝は“なお美プッシュ”の手を緩めることなく、本曲ではテレビスポットCMもオンエア。おそらくこの辺りが、アイドル・川島なお美の最盛期か。パン・ケーキ、イースター、ダーリン、ヴァレンタイン、チョコレート、懐かしのR&B…ここでもオールディーズちっくな要素をタップリと盛り込み、ソレらしい世界を杉氏のポップなメロに乗せた快作。
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ハート型のカラーレコードレーベルにはお美しいご尊顔入り

イメージ 13「GEMINI」 
作詞・曲:中原めいこ 編曲:新川博
東芝EMI 1983年7月1日
B面:「Summer Vacation」
チャート:56位、10週、3.3万枚

前作好調の勢いのまま発売。中原めいこ氏のアルバム曲カバー作品だが、当時は“書き下ろし”との誤情報も流された。歌手・川島なお美の曲と言えば?の問いには、おそらく9割以上の方がこの曲と答えるはず。Darling, don’t you know my love? 知らないとは言わせないわヨ byなお美といったトコロか。美しきご尊顔が大アップになったレコジャケも功を奏してか、チャート面でも自己最高の売上を達成。B面収録「Summer Vacation」は、村田和人氏による書き下ろし。後に山下達郎や村田和人自身によりカバー(村田盤は竹内まりやとデュエット)が成されたが、なお美バージョンが“オリジナル”であることを声高に叫んでおく。B面収録としてしまうには、あまりに惜しい傑作。なお、カバー作品群とは歌詞が異なっている。

当ブログの過去記事「GEMINI」のレビューはこちら

イメージ 14「涙・コパカバーナ」 
作詞:売野雅勇 作曲:大野克夫 編曲:井上鑑
B面:「スリル・ミー」
東芝EMI 1984年2月1日
チャート:90位、3週、0.7万枚

ここであえてのデビュー曲踏襲?ラテンサンバのリズムに乗せ、更なる一気呵成を目論んだとおぼしき作品。しかし、セールス面ではいまひとつ伸びきれず、前作「GEMINI」から引き継いだ好調の波を断ち切ることに。ここはぜひとも中原めいこ作品で押してほしかったもの。当時ノリノリだった新進作詞家、売野氏を起用した作品だが、なにかまとまりきれてない感が漂うのは気のせいか。決して出来栄えがよろしくないワケでもないのだが、「GEMINI」のようなインパクトに欠けるのが玉にキズで涙・コパカバーナる。

イメージ 15「想い出のビッグ・ウェンズデイ」 
作詞:売野雅勇 作曲:杉真理 編曲:椎名和夫
B面:「グッバイ・シーズン」
東芝EMI 1984年8月18日
チャート:97位、3週、0.5万枚

前作で苦杯をなめた分の巻き返し?タイトルどおり大波に乗ってやる〜的な意気込みを感じさせる作品。前作同様、作詞は売野氏に続投させるも、作曲は杉真理氏を再登板。このあたりは夢よもう一度なる祈念を感じさせるか。想い出の曲、ラジオ、サーフ、ジェットプレーン、オペラグラス、波そして砂…あなたは私の永遠の夏だから。映画「ビッグ・ウェンズデイ」をモチーフに描く夏の情景は、思わず胸キュンする波の数だけ抱きしめて。杉氏が紡いだポップでセンチなメロディーを、椎名氏がモータウンのリズムで味付け。今にも波の音が聞こえてきそうな、極上のサーフサイドポップスに仕上がった。あなたがいちばん輝いていたあの日…この歌詞に、なお美嬢の若かりし日のことを重ねる人も多いことだろう。B面「グッバイ・シーズン」もナイアガラサウンドで彩られた切な系ポップス。両面で懐かしきポップス風味を楽しめる、トータルコーディネート盤。出来栄えに反し、セールスが伸び切らなかったのがとても残念である。

イメージ 16「BE BOP CRAZY」 
作詞:NAO美 作曲:Nobody 編曲:新川博
B面:「二十五歳(ヴァンサンカン)」
東芝EMI 1986年3月31日
チャート:圏外

前作から1年半以上も空け、まさかのリリース。すでに年齢も25歳に達し、アイドルとして勝負するにはキビシイお年頃。ソレを逆手に取ったか、B面には包み隠さず「二十五歳(ヴァンサンカン)」という曲を収録。それでも負けないワ!とばかり、再び作詞に挑戦したのはお見事。しかもペンネームはNAO美とキたもんだ。巷のBE BOP流行りにすかさず飛びついたのも、見逃してはならないところ。まさにBE BOP…こんなところが彼女における最大の魅力だったのは言うまでもない。歌披露時には、おみ足にガーターという出で立ちで気を吐いたが、奇しくもコレがアイドル歌手としてのラストシングルに。デビューからすでに7年…女優と呼ばれたい!そんな意志がクッキリとしてきたのもこの頃か。

■おすすめアルバム|シングルよりLP盤が好評だった川島なお美嬢
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1stアルバム「ハロー!」。デビューアルバムならでは...はじめましての意味も込めた可愛らしい仕上がり。ユーミン楽曲のカバーも収録。オリコン27位、7週、1.9万枚。
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2ndアルバム「SO LONG」。シングルカットの「Ash Wednesday」を収録。杉真理氏プロデュースによる盤。懐かしきポップスといったカラーで統一した、なお美のキャンパスポップ。アメリカの女子大生ライフといった風。オリコン23位、9週、1.8万枚。
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3rdアルバム「シャワーのあとで」。先行ヒットシングル「GEMINI」を収録。この盤でもシアトル、ミニクーパー、ブランチ、スクールデイズ等、キャンパスポップを軸にトータルコーディネートしたロマンチックでドリーミーな盤。オリコン21位、9週、2.8万枚。
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5thアルバム「銀幕のヒロイン」。古き良き時代の映画をモチーフに構成。波の音や銃声などの効果音も入り、さながら10篇の映画でも観ているかのような気分にさせてくれるコンセプトアルバム。オリコン35位、5週、1.0万枚

川島なお美…享年54歳。

その意志を貫き…彼女は最後の最後まで女優として、人生を立派に全うした。

女優と呼ばれることを誰よりも好んだ人…そんな彼女が再びマイクを手にしようと決心。それは歌手としてデビューした自身を決して忘れていないという気持ちの表れ、そして今でもその時代の自身を愛おしく想っている証だったのではないかと。11月5日…彼女がこの世に生まれた日。そして、2015年のその日に予定されていたディナーショーにて、歌手・川島なお美が20年ぶりに復活を果たすことになっていた。

♪Sherry Baby 想い出の曲が…

♪Sherry Baby ラジオでささやく 涙が止まらない…

その日はまもなくやって来る…空の上にいる彼女は、この日をどんな想いで見つめるのだろうか。

♪Sherry Baby 忘れないでいて…

♪Sherry Baby あなたがいちばん 輝いていたあの日…

あなたが輝いていたあの日、あの笑顔、あのしぐさ…ずっと忘れません。

川島なお美さん…素敵な歌声、そしてたくさんの思い出を本当にありがとうございました。

いつかそちらで…お会いできますように。

「SO LONG」

またね…そして、しばしのさようなら。
若草がまぶしい頃、遠いところへ行ってしまわれた加瀬邦彦氏の追悼記事をしたためたばかりだというのに、この状況下でまたしても、今度は作詞家の訃報を耳にすることになった。そのヒトの名は

ちあき哲也氏

この方も加瀬氏と同様、昭和のニッポン歌謡界において偉大な功績を残された。ちあき氏における作詞家としてのデビューは1972年。以後80年代を中心に、ヒットチャートに彩りを添えてくださったもの。言葉の魔術師として、時には華やかに…時には個性的に。

ちあき氏が書かれた歌詞の多くは、オトナの世界を描いた作品、そしてユニークなセンスがキラリンコンと光るものが中心。その作風からか、女性アイドルと関わった楽曲は少なめであり、その提供先の多くがボーカリストや男性アイドルとなっていた。当ブログでは70-80年代の歌謡曲を扱ってはいるものの、やはりその中心となるのは女性アイドルの話題…なにせ需要が最も高く、喰いつきがとても良い部分であるからして。それでも、これまでにちあき哲也氏が作詞を担当した、女性アイドルの楽曲をレビューしたことがあった。それとて延べ数回ほどにとどまっており、恐縮極まりない。

このような理由により、当ブログにてちあき氏のお名前が躍ることは稀でアリマシテ。この度の訃報に伴い、したためることになるのがまことに心苦しいのだが、追悼の意味も込めて書き連ねてみたいナと。名づけて

【追悼・ありがとう ちあき哲也さん】 ちあきクンのヒットパレード

これまで書く機会に恵まれなかった分、たっぷりの愛を込めて綴ってみたいと思うのでありまする。

イメージ 1「黄色い麦わら帽子」
松崎しげる
作曲:中村泰士 編曲:高田弘 
ビクター音楽産業 1972年10月25日

秀逸なフレーズ:銀の小舟に思い出をつないで

ちあき氏ご本人曰く、本曲がプロ作詞家としてのデビュー作とのこと。コマソンの歌い手として活躍、歌唱力には定評のあった松崎しげるを歌い手として起用した曲。この楽曲もコマソンとしてブラウン管から流れ、スマッシュヒットを記録。曲調は70年代前半の香りほどばしる、オトコ一匹さすらい渡り鳥スタイル?カントリーをベースにした、のどかで牧歌的な雰囲気を湛えるメロディーラインは、あの時代の日差しの色合いさえをも甦らせる。このテの曲にはめずらしく?意外にも歌詞はロマンティック。「銀の小舟」なるフレーズも飛び出すあたり、言葉の魔術師としての才能が早くも開花していた模様。松崎しげるの歌声も、実に伸びやかでスケールの大きさを感じさせるスバラシさ。

イメージ 2「愛よ、おやすみ」(「愛よおやすみ」)
岩崎宏美
作・編曲:筒美京平 
ビクター音楽産業 1976年2月10日

秀逸なフレーズ:愛よおやすみ 星がきれいね 明日はうちあける あの胸で

岩崎宏美のLP「ファンタジー」に収録。その後、タイトルを「愛よおやすみ」(点ナシ)へマイナーチェンジ、香坂みゆきがシングル盤として発売。歌詞の一節にマーガレット・ミッチェル執筆、不朽の名作として世界中で愛され続ける小説、「風と共に去りぬ」が登場する文学派歌謡。好意を告白されたにもかかわらず、そこから先をためらった私…悶々として眠れぬ夜を過ごす乙女がそこに。この愛よ去らないで、だから愛よおやすみ…そこで見ててね。明日はうちあけるあの人に。愛という、ガラスのように繊細なものに怯える心情を巧みに描写してみせた。果たしてその決意を果たすことができただろうか?

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香坂みゆき嬢によるカバー盤。「愛よおやすみ」と「、」はナシとしている。

イメージ 4「ジャスミンアフタヌーン」
神田広美
作・編曲:穂口雄右 
ポリドール 1977年9月?日

秀逸なフレーズ:あの人だって若いんだもの ありがちよ あんなこと

女性アイドルが唄うレゲエ歌謡のパイオニア?穂口氏が紡いだメロディーを、自身が軽めのレゲエサウンドに味付け。当時としては、かなり斬新な作風である。間奏のギターは、まるでジャスミン香のごとし。芳しい中にも、アンニュイな雰囲気を漂わせる。その音に絡むは、ちあき氏による匠の技。クラクション、木立、日曜のミサ、ひと夏過ぎた生成りのレース、セピアに染めましょう、まだ青い枯葉、透き通りそう胸の中、子猫を膝にロッキンチェア…ある日、日差しも秋めいて。黒く塗りつぶしたあの人のナンバー…今でもソラで言える愚かさよ。恋の終わりは…「あんなこと」…そう、「あんなこと」。これぞ作詞家、ちあき哲也のベストパフォーマンス!

イメージ 5「飛んでイスタンブール」
庄野真代
作曲:筒美京平 編曲:船山基紀 
日本コロムビア 1978年4月1日

秀逸なフレーズ:いつか忘れていった こんなジタンの空箱

ちあき氏ワークにおける、屈指の大ヒット曲。中近東風アレンジを施した曲調は、いやがおうにも旅情を掻き立てる。イスタンブールにかけたであろう、ルール、シュール、ロールという語呂が似た言葉をスパイスにし、要所に散りばめるという技アリ!曲中では砂漠が唄われていたが、「イスタンブールに砂漠はありませんでした」と、現地を訪れた歌手本人の報告があったのはいつぞえか。この曲がヒットチャートを賑わしていた頃のニッポンで、果たしてどれくらいのヒトが「ジタン」の意味を理解していたのだろうか。“仁丹”と勘違いしたヒトもチラホラ?本曲での成功により、ちあき氏は庄野の次作「モンテカルロで乾杯」でも連投。舞台は海外、オシャレで小粋なオトナの恋愛を、本作と同様“楽園(パラダイス)”をキーワードに描いた。

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スリーブの異なるレコードジャケット。メインと合計で3種存在。

イメージ 7「トーキョー・バビロン」
由紀さおり
作・編曲:川口真 
東芝EMI 1978年9月20日

秀逸なフレーズ:舞姫を誰も夢に見るけれど まぼろしでかかと挫(くじ)くだけ

川口真氏によるメロディーに、大都会の闇を描いたちあき氏の歌詞が絡みあう傑作。夢、憧れ、成功、挫折、醜聞…すべてが渦巻く華美と悪徳の都。そこをヒトはトーキョー・バビロンと呼ぶ。夢破れた舞姫たちが、今宵もひとり、ふたり…ガラスのエレベーターで逃げてくる。そう、そこはバビロンを眼下に望む空間、時を超えた”楽園” なのである。都会の華やかさと冷酷さを、あり得ないほどの涼顔でサラリと表現する由紀さおりの実力も特筆。本曲歌唱時は30代手前だったはずだが、熟したオトナの色香であふれんばかり。その歌声により、ちあき氏の歌詞が更に艶めいたのは言うまでもない。

イメージ 8「怪盗アリババ」
アパッチ
作曲:実川俊 編曲:いしだかつのり 
CBSソニー 1978年12月5日

秀逸なフレーズ:オープンセサミ

一部マニアには絶大なる人気を誇ったアパッチも、企画モノで当てた以外はヒット曲と縁遠くなる一方。そんな彼女らに起死回生の一発?ちあき氏のペンによる本作は、コドモ受けも視野に入れたであろう勝負曲という位置づけか。アニメーションを駆使したPV、唄い手の顔面半分を覆うホッカムリ、アラブ風スケスケ衣装、怪しさマンテンのフリツケ…今度こそ大ヒット!と確信したのは、またもやマニアな青年部オンリーだったというオチも。絹のターバン、風切るマント、マジックカーペット…お決まりのアラブ小道具をたくさんつめこんで、決めゼリフが♪オープンセサミ〜とキたもんだ。「開けゴマっ!」転じてのソレなのは説明の必要性ナシか。これまた、ちあき氏のユーモアセンスが光る1曲。アパッチには他に「宇宙人ワナワナ」等を提供。

イメージ 9「ペガサスの朝」
五十嵐浩晃
作曲:五十嵐浩晃 編曲:鈴木茂 
CBSソニー 1980年11月1日

秀逸なフレーズ:めぐり逢いは誰もいない海 旅のはからい感謝したいのさ

歌詞の解釈がとても難しいと言われている作品。ギリシャ神話のペガサス…時には教養を表し、また、ある時には不死の象徴ともされた。このことを念頭に置いて考察してみれば、おのずとその意味も分かりやすくなり、歌詞解釈も雪解けしてゆくもの。過去と現在の時空をかけめぐるものとして、ペガサスを小道具にしたのには頭が下がる。北海道出身のシンガーソングライター、五十嵐浩晃が1980年〜81年にかけて歌い大ヒット。

イメージ 10「三味線師ロンリー・ブルー」
谷口美千代
作曲:杉本真人 編曲:松井忠重 
テイチク 1981年3月21日

秀逸なフレーズ:たがいちがいの心 かなしきロマン…

クロスオーバー歌謡に分類される1曲。77年発売「花の女子高数え歌」(谷ちえ子)の後継?のような役割を果たした。オリジナル盤の歌唱は谷口美千代、後に原田ゆかりが1986年にカバー。ノリの良いポップスサウンドに、シンセと三味線をフィーチャー。歌声はコブシがコロコロ回る演歌調という、和と洋の調和が絶妙。誰も見向きもしないスーパースター…この人こそが、アタシの最愛。そのヒトの名は「三味線師ロンリー・ブルー」。もっと激しく〜もっと激しく…屋形舟でイタす?描写は春画のごとし。きわどい描写をアイドルにも歌わせる…これぞまさにザ・ちあき哲也と呼べるお家芸?歌の〆部分、横文字+コブシはウケ狙いか。原田ゆかり嬢には「OH富!」「元禄花見踊り」等も提供。ちあきワールドとも言える、ユニークさを堪能できる作品多し。

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原田ゆかり盤、1986年発売のレコードジャケット。

イメージ 12「花粉症」
沢田亜矢子
作曲:小笠原寛 編曲:水谷公生 
クラウン 1982年3月10日

秀逸なフレーズ:それならそれで待っているけど みなれた花にも違うよさ

沢田亜矢子が歌手活動もこなしていたという事実…コレを認識しているヒトはどれだけいるのだろうか。歌い手としての代表曲は「アザミの花」だが、1982年発売のコチラは完全にソレを凌駕。花粉症なる病が世の人々により認識されるウンと前、歌謡曲の題材としてイチ早く飛びついたちあき氏にはアッパレ。浮気なオトコを待ちわびながら、密かに願うオンナがひとり。戻ってきてヨもう一度…アタシの花粉は「い・か・が」?みなれたお花もおいしいはずヨ。優しく「花粉症」にしたげるワ。現代病のソレとは趣きを異にする、エロい「花粉症」?が描かれていた模様。

イメージ 13「熱風半球」
かとうゆかり
作・編曲:渡辺敬之 
CBSソニー 1983年4月1日

秀逸なフレーズ:ただあまりすばやすぎて 罪ごこちなのよ

和製コニー・フランシスと呼ばれた、かとうゆかりのシングル第3弾。東亜国内航空’83夏のキャンペーンソングとして、お茶の間をにぎわせた。ただでさえうだるように暑苦しいラテンのリズム。本曲はソレに輪をかけた灼熱感でムンムンとさせる。傷心旅行のつもりで見知らぬ島に降り立ったオンナ。そんな彼女が現地オスの情熱にほだされて。まさかこんなこと…めぐりあった途端もう恋のトリコ。ちょっと…いくらなんでもお○タがユルすぎでは?サビ直前で放たれる「うっそ〜」は当時の流行語。そうでなくとも「うっそ〜」がクチから飛び出すエロい展開にワナワナか。ちあき氏の真骨頂?エロい作風が炸裂!かとうゆかりのパンチあふれる歌声が、熱感のグイ上げに貢献。

イメージ 14「仮面舞踏会」
少年隊
作曲:筒美京平 編曲:船山基紀 
ワーナー・パイオニア 1985年12月12日

秀逸なフレーズ:燃えな 燃えな 紅く ルビーより紅く

仮面舞踏会とは、仮面をつけ身分や素性を隠して行われる舞踏会。17-18世紀の欧州を中心にして栄えた文化だが、風紀を乱す元凶として禁止令が出されたことも。同名異曲としては、アルメニア人音楽家、ハチャトゥリアン作曲のクラシック音楽があまりにも有名。妖しさであふれかえったであろう仮面舞踏会を、ちあき氏は男性アイドルに歌わせた。しかも、ソレは彼等のデビュー曲となって一斉発売。3種のレコードジャケット、異なるB面曲という戦略も功を奏し、47.8万枚を記録する大ヒットに。かりそめの一夜、こころうらはら、迷いこんだイリュージョン 時を止めた楽園、魔性のリズム…♪いっそX・T・C(エクスタシー)のところのフリツケは有名だが、めくるめく瞬間を表現したのは言うまでもないところか。本曲でも”楽園”を描くちあき氏…どうやらかなりのソレ好きだった模様。

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残り2種のレコードジャケット。B面にはそれぞれ異なる曲が収録され、ファンの購買意欲を促進。

イメージ 16「姫様ズーム・イン」
森川美穂
作曲:小森田実 編曲:瀬尾一三 
VAP 1986年10月21日

秀逸なフレーズ:白雪姫はじめ ホラ りんごは食べごろだよ

「姫はじめ」という言葉をアイドルポップスに取り入れたのは、後にも先にもこれひとつ?姫はじめどころか、噛めば血が満ちるという描写も登場し、生々しいことこの上ナシ。この歌詞に造反するかのごとし?小森田実氏によるポップなメロディーラインがココチE。ソレにのっかる森川美穂嬢の歌声は、まさに“ミス・パワフル”といった趣き。「姫様(ひいさま)」を題材とし、よくあるアイドルポップスと見せかける。が、しかし歌詞中には「ムカつくぜ、イラつくぜ」など…アグレッシブなお言葉がズラリ。この意外性こそが本曲の魅力。やんちゃ放題でケンカがお強かったらしい?森川美穂嬢における武勇伝を参考にしたためられた可能性大か。

これらの他にも「ガラスの世代」(太田裕美)、「椿姫」(あべ静江)、「横浜ブギウギ娘」(中原理恵)、「国道ささめ雪」(狩人)、「TOKIO通信」(マナ)、「木もれ陽のフェアリー」(松本典子)、「ヨイショ!」(近藤真彦)、「霧雨のダイアリー」(大根夕佳)、「きわどい季節」(ザ・リリーズ)、「裏切りコール」(西かおり)、「きやまん慕情」(小野さとる)、「STAR PIROT」(中森明菜)、「Joy」(石井明美)、「Yes my love」(矢沢永吉)、「おしゃれな感情」(岩崎宏美)など多数。また、地味ながらもロングヒットになった「NORA」(門倉有希)や、レコード大賞にて作詞賞を受賞した「吾亦紅」(杉本真人)なども記憶に新しいトコロか。

♪星まで続く ガラスのエレベーター*

胆嚢がんを患ったこともあったというちあき哲也氏。しかし、今回の死因は不明と報道された。華美と悪徳の都、バビロンに嫌気が差し、ガラスのエレベーターでひょいと昇ってしまわれたのか。星に到達したらお次は「STAR PIROT」だなんて…冗談が過ぎますことヨ。そして楽園に飽きたら、また「ヨイショ!」と…僕らがいる地上へと舞い戻ってくださりそうなんだもの。そうであれば嬉しいけれど…。

♪いっそX・T・C**

承知いたしました。先生の作品により、ソレを思う存分に堪能させていただきますっ!そして

♪忘れ切れない 忘れ切れない***

先生が残された珠玉の作品群。しかりと後世に伝えて参ります。

♪そう あの日から 時はペガサスの翼****

一日一日を決して無駄にはいたしません。たくさんのことを教えてくれる作品をお残しくださり、本当にありがとうございます。感謝いたします。

ちあき哲也氏のご冥福、改めて心よりお祈り申し上げます。

*「トーキョー・バビロン」(由紀さおり)より
**「仮面舞踏会」(少年隊)より
***「三味線師ロンリー・ブルー」(谷口美千代・原田ゆかり)より
****「ペガサスの朝」(五十嵐浩晃)より
先日、ニッポン昭和の歌謡界に彩りを添えてくださった方が、遠いトコロへ旅立ってしまった。その名は加瀬邦彦氏。コレを読んでる皆様も、TVの報道やネットのニュースなどで、すでにご存知のことかと思われ。

加瀬氏がニッポンの歌謡シーンに残した功績は大きい。自らがリーダーとなり結成した、ザ・ワイルドワンズでの活躍はモチロンのこと、他歌手への曲提供により作曲家としても名を馳せた方である。しかし、その偉業を称えるほどに、大きく報道されているか…と言えば、そうでもないため解せないトコロでもある。

加瀬氏がその生涯に世に送り出した楽曲は星の数ほど。それらの中にはアナログレコードの裏面やアルバム内の1曲として収録されたものなど、シングル盤のA面曲が恩恵に与れるほどの、燦燦とした光を浴びることができなかった楽曲も含まれる。それらを差し引くと…たしかに表に立つことができた作品数とやらは決して多くない。しかも、他人への提供にしても、それら歌い手の幅がさほど広くないという傾向もある。これが原因で、作曲家として語られる機会が少なくなっているのであれば、残念なことこの上ない次第でアリマシテ。

「想い出の渚」
「愛するアニタ」
「シー・シー・シー」
「危険なふたり」
「冬の駅」
「TOKIO」

これらだけでも祭り上げるには十分に値する…と、個人的には思う。また、加瀬氏が紡いだメロディーは、それこそ古き良きロックンロールのかほりが芳しい。アメリカンポップス、ビーチボーイズ、ビートルズ…これらキーワードでピンと反応する方にとっては、愛しくてたまらなくなるような旋律を、加瀬氏の作品中に見つけることができるのではないかと。

ということで、今回はそんな加瀬氏が残してくれた名曲の数々を、ミニミニコラムとしてふりかえってみることにした。名づけて

【追悼・さようなら加瀬邦彦さん】加瀬クンのヒットパレード

それでは、追悼の意も込めながら、ひとつずつ書き記していこう。

イメージ 1「シー・シー・シー」
ザ・タイガース
作詞:安井かずみ 編曲:不明 
日本グラモフォン 1968年7月5日

おそらくは他歌手への提供曲第一号?当時、GSブームが絶頂を極める中、ザ・タイガースのナツウタとして発売された曲。レコジャケの雰囲気はビートルズを意識?また、サウンド面は60年代後期のビーチボーイズな雰囲気もそこはかとなく。タイトルの意味は定かではないが、当時のティーン間でトレンディとされていた、Colorful、Cool、Cuteの頭文字からという説もあれば、海を表す英単語のSeaからという見解も。作詞は後に加藤和彦氏の配偶者となる安井かずみ氏によるものだが、すでに故人となっている。この件に関してお伺いしたくとも、その術すらないのが残念無念。

イメージ 2「青い麦」
伊丹幸雄
作詞:有馬三恵子 編曲:青木望
CBSソニー 1972年4月21日

ソニー坊やというキャッチフレーズの下にデビューした男性アイドル、伊丹幸雄のデビュー曲。女の子みたいなソフトなお顔立ちとシュガシュガな甘い声で、日なたが似合う恋を歌い上げる青春賛歌。キミと知り合い、恋を知ったことが嬉しくてたまらん!そんな少年のヨロコビがこれでもかとばかりにほとばしる傑作チューン。米ティーン歌手、ボビー・シャーマンの曲や雰囲気が下敷きか?

イメージ 3「危険なふたり」
沢田研二
作詞:安井かずみ 編曲:東海林修
ポリドール 1973年4月21日

ザ・タイガース解散後のソロになったジュリー、初のオリコン1位獲得曲。幼少時に見た賞番組で、コレを唄うジュリーのカッコ良かったこと!また、リズミカルでポップな中にもどこか哀愁味を漂わせるメロディーは、それこそ加瀬氏のオ・ハ・コ。半音多用の旋律で♪美しすぎるぅう〜アアンと、ヨガるジュリーの歌声が、ソレと絶妙に絡みあう屈指の名曲!ケチのつけようがない作品。

イメージ 4「美しい別れ」
いしだあゆみ
作詞:なかにし礼 編曲:森岡賢一郎
日本コロムビア 1974年8月1日

加瀬氏は純度の高い歌謡曲メロディーも紡ぐことができた。それを紛れもない形で証明する1曲。カナダへ向けて旅立つ男…その彼を見送る女は恋の終わりを悟る。切符とパスポートは背広のポケットへ。荷造りを終えた鞄にはさよならの手紙をそっとしのばせ、わざと残した1時間。彼との最後をどうやって過ごせば美しい別れになるの?メジャー調で構成される旋律でありながらも、そこはかとなく哀愁味を感じさせるのは、まさに加瀬氏における腕の見せドコロ。いしだあゆみが同年の「紅白」で熱唱し、そのタイトルに負けず劣らずな美貌も披露。

イメージ 5「胸いっぱいの悲しみ」
沢田研二
作詞:安井かずみ 編曲:H.ロビンソン
ポリドール 1974年8月10日

ジュリーとロッカバラードの組み合わせは多く、フランスでもヒットした「巴里にひとり」、80年代リリースの「おまえがパラダイス」「渚のラブレター」もソレに該当。そしてメガヒット「危険なふたり」の後発シングルとして発売された本曲もそれらと同類。心にしみる枯葉色のメロディーは、いやがおうにも聴き手を感傷旅行へと旅立たせる。

イメージ 6「冬の駅」
小柳ルミ子
作詞:なかにし礼 編曲:森岡賢一郎
ワーナーパイオニア 1974年10月10日

こちらも歌謡曲的メロディーが印象に残る楽曲。しかし、それによくありがちな通常8ビートは用いず、バウンスというリズムに乗せたのが新鮮。どこか軽快なこのリズムは♪人は大人になるという…終わった恋に背を向け歩いていこうとする女性のキモチを代弁か。このリズムベースは荻野目洋子「さよならの果実たち」、渡辺美奈代「雪の帰り道」など、80年代アイドルたちにも引き継がれた。本来は軽やかなリズムが特徴のバウンス。が、なぜかどれもが別れ歌というのが興味深いトコロ。

イメージ 7「フラワー・メッセージ」
松本ちえこ
作詞:藤公之介 編曲:船山基紀
キャニオンレコード 1977年11月25日

スキャンダルにまみれ、アイドルとしてはトウがたってしまった松本ちえこ。そんな彼女に手を差し伸べたのは加瀬氏だった。コチラはロックンロールでも、オールディーズでもなく、純歌謡曲風味でグイ押し。日曜が来る度に、アナタの部屋に花を1本ずつ届け続けて50本目。はて?1年は52週だったはずだが、2週間だけサボったのか。前作「おもいで不足」はとてつもなく暗すぎた。が、本曲はソコから這い上がって花曇りレベル?完全マイナーとも言えぬ、微妙な雰囲気がそこはかとなく漂う。

イメージ 8「ハンダースの想い出の渚」
ザ・ハンダース
作詞:鳥塚繁樹 編曲:森岡賢一郎
CBSソニー 1978年7月21日

ザ・ワイルドワンズが1966年にリリースしたデビュー曲が、こんな形でまさかのリメイク。発売当時、TBS「ぎんざNow!」等に出演し人気を集めていたお笑いユニット、ザ・ハンダース。彼等がかつての名曲を声帯模写で唄うという宴会芸風コンセプト。メンバーのコミカルなモノマネは、かのさわやか湘南サウンドをここまでのベツモノに。波打ち際で撮影されたとおぼしきレコジャケ…野性味あふれるビジュアルがそこそこイケメンに見えてくるのは、草食系が増えすぎたせい?当時の彼等は完全に三の線だったはず。

イメージ 9「ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション」
レイジー
作詞:岩沢律 編曲:渡辺茂樹
RVC 1979年6月5日

和製ベイシティ・ローラーズと呼ばれた、レイジーのシングル第8弾。まんまソレといったノリがてんこもりのメロディーとサウンドは、ライブにはお誂え向きといった風。現にレイジーのナンバーではかなりの人気を誇り、当時のファン間でもすこぶる評価が高かった。代表曲として語りたいくらいだが、その割にゃセールスがふるわず扱いに困る。曲の聴かせドコロ♪夜にまぎれて〜部分に半音を宛がった音運び。これこそがまさにザ・加瀬邦彦。聴くたびに胸キュン!思わず70年代のあの頃にタイムスリップさせられてしまう。

イメージ 10「恋のバッド・チューニング」
沢田研二
作詞:糸井重里 編曲:後藤次利
ポリドール 1980年4月21日

「TOKIO」の後発シングルとして発売、オールドファッションなロックンロール風味。カラフルで騒がしく、そしてちょいとクレイジーな本曲は、アメリカンコミックでも読んでいるかのようなにぎやかさ。これと同じように解釈したであろうジュリー本人も、ノリノリで悪ふざけ?TV歌唱では白黒ボーダールックに、当時としてはめずらしかったカラコンをハメこむ徹底ぶり。バッドチューニング=はじめからちょっとずれてる周波数…はえぬきヲタな筆者はココに大きく共感。

イメージ 11「青空オンリー・ユー」
ひかる一平
作詞:松本隆 編曲:伊藤銀次、大村雅朗
フォーライフ 1981年5月21日

アイドルのデビュー曲は、清く正しく美しく。この方式に則り、加瀬氏がノリノリで書き上げたとおぼしき1曲。たのきんと共に人気上昇中だったひかる一平には、そのビジュアルに合致した、さわやかで明るいポップスを提供。コチラでもお得意の半音使いがのっけから炸裂!澄み渡る青空を思わせる爽快な作風は、かつて「想い出の渚」で聴き手を唸らせた加瀬氏ならでは。後述する松本友里(ユーリ)のデビュー曲「過剰にオンリー・ユー」とは、タイトルで双子ってるのも見逃せない。

イメージ 12「青春の誓い」
中井貴一
作詞:岩谷時子 編曲:飛澤宏元
東芝EMI 1984年3月21日

↑で清く正しく美しく路線が成功!ならば、ソレを体現したようなWAKA武者・貴一にもぜひ!と、加瀬氏に白羽の矢が立ったのか。コチラも「想い出の渚」をどこか彷彿させる、超絶さわやかソング。イントロで奏でられるギターの調べは初夏の風を感じさせ、爽快さ以外のナニモノでもないといったトコロ。また、コレを歌唱した中井貴一の歌声も、非の打ちドコロのない品行方正ぶり。汚れなぞ一切合財感じさせぬ青年による、ホワイト&ホワイトといった風。

イメージ 13「ボーイ・キラー」
松本友里(ユーリ)
作詞:売野雅勇 編曲:中村哲
RVC 1984年9月21日

加瀬氏80年代ワークにおける傑作中の傑作、オールディーズ歌謡。彼の体にはこのテのサウンドが染みついていた模様、もちろんコレは良き意味で。ソレ風味をコンセプトにしながらも、80年代のムーブメントはきちんと捉えた音運び。また、小気味良いタイトなメロディーで主人公のボーイ・キラーを演出。半音を駆使したメロディーが至るトコロで炸裂するのを聴くにつけ、加瀬氏はコレを得意技どころか必殺技として用いていたのであろうことが垣間見られる。ソレに応える形でベストパフォーマンスを見せた松本友里嬢にもアッパレを。♪だけど胸に秘めたぁぁぁあ〜ココは何度でもリピートして聴きたいほどの絶品歌唱。

イメージ 14「太陽を抱きしめろ」
セイントフォー
作詞:森雪之丞 編曲:京田誠一
リバスター音産 1985年3月21日

セイントフォーのデビューに関しては、40億円が注ぎこまれたと言われている。この巨大プロジェクトには加瀬氏も作曲家として参加。同ユニットにおける重要な位置づけであろう、デビュー曲「不思議Tokyoシンデレラ」と2ndシングルを担当。それまでの加瀬作品とは異質?なにか戦隊モノを思わせるようなスピード感と勇ましさ溢れるサウンドが特徴。同ユニットに関しては2ndがその活動における白眉であり、加瀬氏がユニットの人気拍車に一役買ったと言える。しかし、加瀬メロディーを離れた3rdから、まさかの失速。艶めいたお仕事を続ける浜田嬢、引退して主婦の鈴木嬢、介護ドライバーとして奮闘する岩間嬢、そして行方不明らしい板谷嬢…一度だけの青春は輝いていた。セイントフォーよ、永遠なれ!

嗚呼!名曲や傑作の多いこと。これらの他にも「初恋の絵日記」(ずうとるび|「紅白」で歌唱)、「女はそれを我慢できない」(アン・ルイス)、「夢見るマイ・ボーイ」(榊原郁恵)、「めざめてキス・ミー」(甲斐智枝美)、「銀のめがね」(黒木真由美)など。また、ジュリーとのお仕事でかなりの成果を上げられたことは知られるトコロであり、「追憶」「許されない愛」「あなたへの愛」など、その功績はとてつもなく大きい。

♪忘れはしない いつまでも*

加瀬邦彦氏が僕らに残してくれた楽曲群は、まさにこの節に沿うようなものばかりではないだろうか。

改めて心からのお礼と、そして、ご冥福をお祈りしたい。

どうか空の上で安らかに。そして

「ウィンクでさよなら」

これを

♪あなたへのお別れのメッセージ**

にしたい。加瀬邦彦さん、本当にありがとうございました。

*「想い出の渚」(ザ・ワイルドワンズ)より
**「フラワー・メッセージ」(松本ちえこ)より
1日に急性動脈瘤(りゅう)のために死去した俳優、石立鉄男さん(享年64)の通夜が2日、静岡県熱海市の成田山快長院でしめやかに営まれた。10月に出演予定だった舞台に並々ならぬ意欲を見せていた石立さんだが、明るい演技を再び見せることはできず。駆けつけた俳優座養成所時代の先輩、同僚らは故人の無念を思い、涙にくれた。またこの日、代表作で共演した女優、杉田かおる(42)や岡崎友紀(53)が追悼コメントを寄せた。 明るい人柄でだれからも愛された石立さんの通夜に、懐かしい顔がそろった。通夜は近親者のみの予定だったが、横内正(65)ら俳優座養成所時代の同僚、先輩らが出席。8年間住んだ熱海の近所の人々らも集まり、弔問客は100人に達した。(yahooニュースより抜粋)

もうすでに皆様ご承知のことと思うが、昭和を彩った俳優さんがまたひとり逝ってしまった...。今回はこのブログのご訪問者様より石立さんの追悼記事をぜひ...というリクエストを頂いたこともあったし、自分自身としても思い出深い俳優さんのひとりでもあったため、緊急に記事を書いてみることにした。

70年代〜80年代にかけて、たくさんのテレビドラマやCMなどで、その元気いっぱい&コミカルなお姿を見せてくれた石立さんの記事なので、あまりしめやかになりすぎない作風にしてみようかと思う。

まずはザっと彼の経歴から...

石立さんは元々、俳優座養成所第13期生、そして文学座座員を経て1970年に出演したテレビドラマ「おくさまは18歳」で当時の人気アイドル、岡崎友紀さんと共演、この作品で一躍人気者となり俳優としての地位を掴んだ方だ。

そしてその後は日本テレビ系列にて「石立ドラマ」と呼ばれた...

「パパと呼ばないで」(1972年)
「雑居時代」(1973年)
「気まぐれ天使」(1976年)
「気まぐれ本格派」(1977年)

などに主演。特に「パパと呼ばないで」では、あの‘杉田かおるさん’
イメージ 1 イメージ 2 ←アイドル歌手時代はこんな初々しいお顔だった杉田さん
がまだ初々しかった子役時代に共演しており、そのドラマ内で発した...

「おい、チー坊」

という名セリフはものマネのネタにされるほどの人気セリフとなる。後になってそれが石立さんの代名詞のようなものになったのも有名なところか。

こうして名実ともに人気俳優となった石立さんはこれ以後も...

「赤い激流」
「赤い絆」
「赤い激突」
「噂の刑事トミーとマツ」
「秘密のデカちゃん」

などの人気ドラマに次から次へと怒涛のように出演していくことになっていったのである。

ただ、自分の場合、この時代の石立さんに関してはどちらかというとリアル世代ではなく後追い(テレビの再放送などで...)のような形が多かったのだ。だから彼の素晴らしい演技をリアルで体感していくのはこの時代のちょいと後...そう1983年からフレジテレビにて放映が開始された月曜ドラマランド枠内で主演した「どっきり天馬先生」、そこら辺りの方が自分にとってはより鮮明な記憶として残っていたりする。このシリーズは月曜ドラマランド枠で初期の頃に製作されていた作品だったが、これもかなりのヒット作となり、そのすべてを合わせると13シリーズも作られていたというから驚きだ!これ以降にも彼はこの同枠内で...

「乙女学園男子部・どっきり双子先生」(全8シリーズ)
「乙女学園すみれ寮」(全3シリーズ)

などの人気シリーズ作品を連発、70年代はもちろんのこと、自分がティーンの頃においても非常に人気のある俳優さんだったのである!

彼の出演したドラマは多かれど...決して忘れてならないのが大映製作の‘あの’ドラマではないだろうか。そう、キョンキョンこと小泉今日子さんが1985年に主演した「少女に何が起こったか」...まさにコレなのである。
イメージ 3
このドラマに関しては前にもこのブログで記事として書いたことがあったので詳細は省略させてもらうが、このドラマ内における彼の役どころは...

刑事

そう、他ドラマで魅せていたオチャメな石立さんとはちと趣きの違う役柄であり、またその設定が大映らしいというか、なんというか...。

天才ピアニスト東雪彦(←風間杜夫さんが写真のみでのご登場でしたでしょうか...)の娘と言い張り、名門一家へまんまと乗り込みそこで生活を始め出した少女・野川雪(キャスト:小泉今日子)。その屋敷内では素晴らしい女優さん達によるキョンキョンいじめも見ものでしたよねぇ。東家のお嬢様役として雪役のキョンキョンにことあるごとに「あなたっ」と見栄を切った賀来千香子さん、そしてオドロオドロしいおば様役が素晴らしかった岸田今日子さん、ひっつめスタイルで怖いおばちゃんを演じた辺見マリさん…などなど、そのどれもが唖然〜!!と驚嘆させられるようなものスゴい演技をカマして下さっておりました。またこのドラマはオーバーアクションなのが‘売り’だったのか何なのか…体を動かすごとに...

バサッ ガサッ

と、な〜んとも耳障りなほどのわざとらしい効果音(?)が付いていたってのも特徴でしたでしょうか。そんな中、このドラマでいいお味を出していた石立さんの存在も忘れることはできまい。それはまさにキラリ...どころか‘ギラリ’と光るソレ...であり、悪役としては相応しい名演技...はたまた迷演技(?)とも言える様な素晴らしい役どころを演じられていらっしゃったのであります。

「やい、薄汚ねぇシンデレラ!!」

こんな罵声と共に...夜な夜な12時になると、どこからともなく東家の屋敷に現れては雪を脅かしにくる...そんな役どころを、あくまでも‘真剣’に演じた石立さん。(笑)雪を演じたキョンキョンに‘シンデレラ’とはなんぞや...を説明するため、童話「シンデレラ」の絵本まで携えてのご登場...

「えっ?アンタはわざわざその絵本とやらを見せるために、こんなトコまでのこのこ飛んできたんかい??」

おそらく多くの視聴者は異口同音にこのように感じ、そしてテレビの前で絶句させられたものでございました。(笑)
イメージ 4 ←絵本を持って夜な夜な現れる石立さん
このドラマを観ていた誰もがそんなケチを付けまくりたくなるような...そんな一場面。その滑稽な設定にはおそらくご本人も???だったと推測される。だけれども、それに屈せず(←多分^^;)一生懸命にそのヘンな役ドコロを演じ、視聴者をたんま〜りと楽しませてくれたのも何を隠そう石立さんでございました。

また、クルクルと巻かれたあの独特のヘアースタイル...あの髪型はまさに「わかめラーメン」のCMイメージにピッタリで…
イメージ 5 イメージ 6 ←わかめラーメンではいつもどおりのキャラ(笑)
あぁ、どれもこれも懐かしゅうございます。
あの石立鉄男さんがもうこの世にいらっしゃらないなんて...。これでまた華やかなりし‘昭和’が一歩も二歩も遠のいていってしまったような...そんな気がしてなりませぬ。

石立さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。どうか天国で安らかに...。
昭和を愛する者にとっては、またまた悲しいニュースが舞い込んできた。

テレビのクイズ番組でも活躍した漫画家のはらたいら(本名・原平)さんが10日、肝不全のため死去した。63歳だった。告別式は15日午前11時30分、東京都板橋区板橋1の48の13新板橋駅前ホール。自宅は文京区小石川4の18の7の807。喪主は妻、原ちず子さん。高知県出身。高校卒業後上京し、20歳の時、「新宿B・B(ベベ)」でデビュー。「ゲバゲバ時評」「モンローちゃん」など、ナンセンスな社会風刺と清新なお色気で売れっ子になった。1977年から92年までクイズ番組「クイズダービー」のレギュラー解答者を務め、甘いマスクと7割を超える正答率で「はらたいらさんに3000点!」などの流行語を生んだ。ニュース司会やCMタレントとしても活躍、読売国際漫画大賞の選考委員なども務めた。92年から発病した更年期障害と向き合った「はらたいらのジタバタ男の更年期」などエッセーも多数。(読売新聞・Yahooニュースより抜粋)

そう。漫画家のはらたいらさんがお亡くなりになったのだ。享年63歳、まだ天国へ向かわれるのには早すぎる旅立ちだ。はらさんと言って思い出すのは、やはり「クイズダービー」だろうか。
イメージ 1
おそらく現在の30代より下の人にはイマイチ、ピンとこない番組なのかもしれないが、自分の世代にとっては...

土曜の夜7時30分と言えばコレ!

というほどの思い出深い番組だったのである。

じつはこの記事、単なる番組を懐かしむ記事として書いていたのだが、はら氏の訃報により、内容を変更せざるを得なくなってしまった...。

この番組は1976年1月3日から1992年12月19日までTBS系列で放映された、ロート製薬提供の視聴者参加クイズ番組。全部で862回がTV放映されたという記録が残っているようだ。司会は大橋巨泉さん。5人の芸能人若しくは著名人回答者をダービー形式になぞらえ、各回答者には競馬と同じように倍率が付けられたのだ。そこで...

「はらたいらさんに3000点!」

なる流行語も生んだくらいの人気番組だったのだ。

自分が観ていた頃のメンツは...

1枠:篠沢教授(学習院大学教授)
2枠:長山藍子(女優)
3枠:はらたいら(漫画家)
4枠:竹下景子(女優)
5枠:ゲスト回答者

といった顔ぶれだったか...。巨泉さんの

「倍率ドン!」

というのも番組の決めセリフとなり、また倍率の高い篠沢教授や長山藍子さんに最後の大逆転をねらって
参加者が勢いあまって...

「最後の願いを託して...○○さんに全部!!」

と大博打に打って出たりするところも番組の見所だったか...。(笑)

はらたいらさんはその甘いマスクで女性視聴者の人気も集め、しかも回答の正当率が70%を超えていた...というからスゴイ!はらさんの博識ぶりを拝むのも、これまた番組の楽しみのひとつでもあり、子供心にも憧れていたものだったなぁ...。

実はクイズダービーと言って思い出すのがモノが自分にはある。実はコレなのだが...

なんと1979年にタカラより「クイズダービー」のボードゲームが発売されていたのだ!
イメージ 2 発売元:タカラ
実は自分もその当時、クリスマスプレンゼントとして買ってもらったりしてたりなんかして...。今でも実家の屋根裏で息をひそめて眠っているのである。(笑)箱も中身をしっかりしているハズだから、ヤフオクかなんかに出せば‘お宝アイテム’なんてことで高値でも付くんだろうか...。(笑)
中味には番組さながらのセットを模したゲーム盤、問題集、お札、参加者用の名札...などなど色々なアイテムが封入されていて、これまた楽しいゲームだったのだ!
イメージ 3
久しぶりにひっぱり出して遊んでみたい気持ちになってたりもする...。(笑)

あとクイズダービーでもうひとつ忘れてならないのはコレ...

♪ロ〜ト ロ〜ト ロ〜ト ロ〜トせ〜〜や〜〜く〜〜

やっぱりコレだろうか。(笑)番組OPに入る前に流されていたロート製薬のイメージフィルムだったのだ。青空に映えるロート製薬の本社ビル...そこを無数の鳩たちがイキイキと飛び回り...。あぁ、考えてるだけでもなんだか懐かしくなってくるなぁ...。やっぱり昭和はいい時代でございました。あのほのぼのとした土曜の夜の雰囲気はもう戻ってこないのだろうか...。はらさんが逝ってしまったのと同じように...。これでまた昭和が一歩遠くにいってしまったキモチになり、悲しい気分この上ないのである。

改めてはらたいらさんのご冥福をお祈りいたします。

☆番組データ
TBSにて1976年1月3日から1992年12月19日まで放映

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