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最近はインターネット上の動画サイトと呼ばれるシロモノにより現在進行形でご活躍されている方々の動画はもとより、なつかしの…とカテゴライズされるアイドルなどがいともカンタンに観れる時代になったもの。思ったその時にツベるかニコれば観たいモノがたいがいは観れるんだからスゴイったらありゃしない。こういう時代ですもの…当時を知らない若い世代の中でもなつかしのアイドルは大注目を集めているとか。なんといってもヒラヒラのドレス、魅力満載の楽曲、独特のヘアスタイル、フリツケ…それらのすべてが現代においてはすでに化石状態。リバイバルという形ならともかく、当時とおんなじままで動いているところを…と思っても二度とお目にかかれない、いわば絶滅してしまった恐竜と似たようなモノ?唯一の違いと言えばその全盛時代には家庭用ビデオなるモノがすでに存在しており、その当時のお姿が記録として残っている…ということかしらん。 こんな状況下で当時ご生存されていなかった方々からご質問として受けるのが…
コレなのね。 ピンク・レディーは2010年9月の『解散やめ宣言』を皮切りに現在もピンク・レディーとして活動中の身。2010年3月には『初陣式』と名付けた新生ピンク・レディーのライブ、同年5月からは『INNOVATION』と名付けられた全国コンサートツアーを開催。ほとんどの会場で満員御礼状態となり、2011年9月18、19日には追加公演として急遽決定したファイナル(あくまでも今回のツアーでのファイナル)を控えているという…1976年のデビューから35年が経過してもなお、どピンクでパワフルなタイフーンで日本を引っ掻き回すお二人なのである。まさに『星から来た二人』なる『アンドロメダの異星人』?とおぼしき『モンスター』な怪物ぶりを見せつけてくれるからスゴイったりゃありゃしない。 そんな彼女等のピーク…一般的にはデビュー翌年の1977年夏〜翌年の夏頃までと言われている。翌年の夏というとちょうど『モンスター』という曲を唄っていたあたりである。その約1年前のピンク・レディーと言えば『渚のシンドバッド』というナツウタを唄っていた時期であり、その頃は頂点めがけてターボ全開まっしぐら!デビュー曲だった『ペッパー警部』のロングヒットをキッカケに、その後も『S・O・S』『カルメン’77』といった斬新な曲を連発銃!どの曲もヒットチャートで暴走しまくり複数曲がベストテンにチャートインといったことも当たり前のように起きていたもの。まさに向かうところ敵ナシ!彼女等の勢いは誰にも止められない!といった、ブームを伴った異常な状態だったのである。こんな状況でソレに待ったをかけたのが…
こと沢田研二氏か。1977年のニッポン歌謡界と言えば、このオトコ1人と桃色婦人のおふたり…この2組による火花散る闘い!コレに尽きるのではないかと思われ。このバトルを物語るエピとして今でも語り草となっているのが1977年に開催された…
コレである。その当時のニッポン歌謡界において、レコ大と並び称されていた歌謡賞番組であり、ココで大賞を受賞することは歌手にとっては計り知れないほどのインパクトを持っていたもの。本大会ではジュリーとピンクによる一騎打ち…その他の受賞者を蚊帳の外においてやってしまうほどにこの闘いは凄まじかったもの。最終的に大賞はジュリーの頭上に。だけど得票数差は…
という究極の僅差。大した候補がいなくて誰にあげよかと迷ってしまうような昨今の賞番組からは考えられないほどの激戦か。当時のヒットチャートからもこの2組のデットヒートは垣間見れるのね。こうした記録から当時の「危険なふたり」(←2組だけど)の動向を振り返ってみるのもワクワクするものでゴザイマスよね。それではそそくさとイキましょか。
*『ウォンテッド』12位初登場 **『ウォンテッド』1位、『憎みきれないろくでなし』3位 **『ウォンテッド』12/05付まで12週連続1位に君臨、01/30付までベストテン入り。『憎みきれないろくでなし』01/16付までベストテン入り なんともまぁ、スゴイ争いでゴザイマスこと!しかもかなりの長きに渡り継続してるのが今のチャートにはあまり見られない特徴か。この後も『勝手にしやがれ』が賞番組の影響からか再びトップ30に喰いこんできたり、『ウォンテッド』がベストテン内にいる間に『UFO』がチャートインして10週連続1位になったりで。どちらも一歩も譲るもんか!といったカ・マ・エ。ちなみに最終的なレコ売上は『勝手にしやがれ』が89万枚、『渚のシンドバッド』が100万枚(初のミリオンセター達成)と相成りましたのでゴザイマス。 ちなみに1977年の年間チャートはこんな感じ。
こうした火花を散らす争いを傍から見ていた作詞家の阿久悠氏。言葉遊びの天才と言わしめたオトコがコレに目をつけないワケは...。 ♪セクシー あなたはセクシー 私はいちころでダウンよ もうあなたに あなたにおぼれる コレはまさに77年ニッポン歌謡界におけるキング・オブ・キング、ジュリーのことを比喩したのではないかしらん?桃色婦人のおふたりはこんなことを唄ってセクシーなアイツにすっかりいちころ状態?と見せかけておきながら… ♪あんちくしょうに逢ったら 今度はただで置かない
とセクシーなアイツを全国指名手配にかけ、捜査網をカンジガラメに!アタシたちだって大賞が欲しいんだもん!と言わんばかりにネ。(笑)でもって一方のセクシーなアイツはと言えば… ♪別にふざけて困らせたわけじゃない と大賞を虎視眈々と狙うふたりにとって目の上のたんこぶに。そのゆく手をこれでもか!と阻んで手こずらせまくる状態か?だけど最終的にはホレた者の弱み??? ♪せめて少しはカッコつけさせてくれ と…芸能界の先輩として(?)ならびに惚れられたオトコの強みを生かしまくって大賞獲りを直談判??(笑)圧倒的な猛威を振るって嵐を巻き起こしていた桃色婦人の封じ込めに成功か?それこそ1977年は俺の年に… ♪朝までふざけよう ワンマンショーで とりあえず1978年1月1日の朝まではヨロピクと言わんばかりなのがスゴ。そして... ♪あの日あなたが 盗んだのよ 年末大みそかのあの日の大賞までをもかっさらっていったのである。あの日の桃色婦人は『大衆賞』がノミネート大会の時点で決定。頂上を争う金賞候補としてはその名を連ねもせず、事実上の不戦敗?大賞狙いの桃色婦人にとってアイツは、まったくもっての『憎みきれないろくでなし』だったのか。『ピンク・タイフーン』を伴って荒れに荒れまくった桃色婦人が1977年に2大歌謡賞の頂点に立っていたら…後になって別歌手により達成されることになる史上初の2連覇は70年代の時点で達成されていた…ことになる(1978年は両賞とも大賞はピンク・レディー)のである。当時のピンク・レディーの活躍度はこれだけでは語り尽くすことはできないけれど、コレを読めばどんだけの猛威を振るってニッポン歌謡界を♪メチャクチャに〜していたのかが見て取れるというモノでション? それにしてもこの2組による争いもスゴかったけんど、阿久センセイによる予知能力…こちらもスゴくて今さらながらにビックリコンコンなのね。 ♪ある時謎の運転手 ある時アラブの大富豪 ある時ニヒルな渡り鳥 あいつはあいつは大変装 って…。手を変え品を変えその奇抜な衣装とメイクで変装しまっていたその後のジュリー…そのまんまでないのサ!ニヒルなあいつがウンと後年になり「渡り鳥はぐれ鳥」なんてのをちゃっかりと唄ってらっしゃっていたのだって…ワタクシメは見逃さなくってよ。(笑) ってなワケで…若人(わこうど)のみなさま、少しはお役に立てましたかしらん?このデットヒート劇から34年もの歳月が経過して2011年に。桃色婦人のおふたりはすでに50歳超え(でもまだ血気お盛ん)...思えば遠くへ来たものでゴザイマスよね。(笑)
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