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書庫☆ピンク・レディー

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♪傷つきこわれた時が 強くなるチャンスだから〜

こんな歌詞どおり、まさしくご自身の芸能活動において、その‘有言実行’をドハデにカマしてくれた歌手がいる。コレを読んでる皆様ならそれが誰であるのかは即刻ご承知のとおり。そう、元ピンク・レディーの未唯mie(歌唱当時:MIE)さんだ。この楽曲は1984年6月1日の発売、ソロ歌手・MIEとしては通算6枚目のシングルだった。

表題の「NEVER」は作曲をDean Pitchford & Michael Goreの両氏が手がけた…そう、どこからどう見てもどこぞの外国人さんによる楽曲である。(笑)元々、この楽曲は1984年に公開され、世界的なヒットを記録した米映画「フットルース」における劇中歌の1曲。同映画のサントラ盤にも収録があったと記憶する。ご本家盤を唄ったのはムーヴィング・ピクチャーズというユニット。だからわざわざそれらの外国人作家がMIEさんの為に書き下ろし…というワケではない。さて、この楽曲の日本語盤を歌うことになったMIEさん…日本語詞を担当されたのが松井五郎氏。彼は安全地帯の「悲しみにさよなら」や工藤静香さんの「くちびるから媚薬」、柏原芳恵さんの「太陽は知っている」などなど…なかなか味のある作詞をされる方でもある。そんな彼により訳されたこの曲はTBS系列の連続ドラマ「不良少女とよばれて」の主題歌として起用されたりと…なんだかこう、MIEさんの運気がググっと上って来たゾ…という‘勢い’を感じさせる場面でもあった。ちなみにこの曲は焼酎のCMソングだった「おつだね」と両A面扱いとなったこともあり、チャート上における表記も「NEVER/おつだね」と記載されていた。

さて、これ以前のMIEさんというと、1981年3月におけるピンク・レディーの解散劇以来、T&Cの後続事務所的存在だったソーマオフィスに所属。そして、かねてから切望されていたという、世界的なショービジネスの舞台で活躍できるような…歌って踊れるエンターテイナーを目指して再スタートを切ることになったのである。解散後の彼女の活動と言えば…

イメージ 2        「ブラームスはロックがお好き」作詞:阿木耀子・作曲:宇崎竜童ソロ歌手、MIEとしてのデビュー曲。A&B 面共に同コンビによる豪華な作品。オリコン最高51位
イメージ 3       「モア・モア」作詞:阿木耀子・作曲:宇崎竜童シングル第2弾。レコードのアレンジとは異なるデモ段階の別バージョンも存在する。
イメージ 4        「コールガール-夜明けのマリア-作詞:康 珍化 作曲:HARRY松竹映画「コールガール」の主題歌。当時はこの変身にショックだったが、今聴くと港独特の雰囲気がしこたま溢れる隠れた名曲!
イメージ 5        「窓辺から」作詞:来生えつこ 作曲:玉置浩二松竹の主演映画「シングルガール」の主題歌。安全地帯の玉置サン作曲。石川ひとみサンの「恋」と同路線の曲か。これまた隠れた名曲!
イメージ 6       「シャンプー」作詞:三浦徳子 作曲:玉置浩二こちらも玉置サン作曲によるポップス。

と…このようにかなりの積極モードであった。デビュー曲の「ブラームスはロックがお好き」はなんと‘あの’ゴールデンコンビ、阿木&宇崎氏による作品。しかもコレに併せて発売されたファーストアルバム「I MY MIE」はその全曲が彼等による書き下ろしという、なんとも贅沢な一品だったのである。シングル2枚目だった「モア・モア」の発売に至っては、ビックリ仰天のエピドードなどが残っていたりもする。元々、同コンビにより2枚目の新曲として出来上がってきた曲(←たしかタイトルは「摩訶不思議」だったと記憶する)がピンク・レディーのミーちゃん…というイメージを是が非でも払拭したいっ!とかなりの‘ガツガツモード’に入りこんでいた当時のMIEさんにとって、ソレはお気に召さないシロモノだったとかで…なんと両氏に完全書き直しを依頼されたという逸話も残っているのだ。しかもこの頃からは‘オトナの女’をかなり意識するようになっていき、テレビや雑誌などでもそれまでの‘ミーちゃん’のイメージを大払拭するかのような言動すらも著しく多くなっていったのだ。で、挙句の果てには松竹映画「コールガール」での主演…と相成ってしまうのである。こういったお盛んなイメチェン活動は週刊誌等でもかなり話題となっていたものの、そのどれもが‘元ピンク・レディーの…’というサブタイトル付き。ピンク・レディーという肩書きナシで語られることは一切なかったのである。

一方、ピンク・レディー時代の相棒だったケイちゃんは、解散の約1年後に最初のシングル「すずめ」を発売。この曲は中島みゆきさんの書き下ろし作品でもあり、ピンク・レディー時代とはうって変った‘しっとり’ソング。そんなこともあり、この曲は発売当初から話題沸騰状態。あれよあれよという間にヒットチャートの上位にランクインしてしまうという、スゴ技を見せたのである。このような楽曲を唄ったケイちゃんの場合、そのイメチェン作戦はMIEさんのそれよりも遥かに軽やかだったのも確かだ。MIEさんの意気込みは、それはもうス・ゴ・イものがあったけれども、世間一般的な目としては「ミーちゃんはピンク・レディーの延長線上。なのに無理してオトナしようとしている」という泥沼なトコロにハマってしまっていたように思うのである。たしかにこの頃のMIEさん、ヘンに無理してオトナしようとしていたというか…ピンク・レディー時代からのファンにとってもそれはなんだかかなり顕著でもあり、なんとなく胸が痛むような…そんな状況だったのである。「露出のある仕事が嫌だ」という自分に気づいていながらもガンコにこびり付いてしまった‘あのイメージ’を払拭する為に…unwantedなお仕事ばかりを続けざるをえない状態に陥っていたMIEさん…ご本人も相当に傷つき、また苦しんでおられたようである。

そんな状況下のMIEさんにやっとこさお鉢が回ってきた…と言うかなんというか…そんな風情がムンムンだったのがこの「NEVER」だったのである。この曲はMIEさんにとって救いの神というか…長く暗いトンネルから導いてくれた希望の光…まさしくそれは‘神降臨’状態だったのではないだろうか。

♪タララリラリラタララララララ〜

というシンセサイザーの音色…このメロディーを聴くと、おそらく自分と同年代の方はアレを思いだすのではないだろうか。(笑)

「この物語は『不良少女とよばれて』の原作者で、現在、民間舞楽界で活躍されている、原笙子さんが、かつて青春時代に非行に走り、そして、立ち直った貴重な体験をドラマ化したものである。」

という、芥川隆行氏のおなじみのお声による‘あの’ナレーションである。(笑)

♪今すぐにそうよ はじめるの
 くりかえし ドア たたいて〜

たたいて〜とかなりの力みモードで気合の入りまくった歌唱をご披露するMIEさん。でも、そのお声に負けず劣らずの気合で凄い形相をカマしておられたのが、例のドラマに主演をされた伊藤麻衣子さんではなかろうか。(笑)
こんなふたりのコラボから成る番組OPの「NEVER」はたいそう魅力的な作品に仕上がっていたのである。そしてこの曲はこういった繋ぎを経て、最大の聞かせどころでもある…

♪さぁ ネバネバネバエバ ネバネバネバエバ〜

という…納豆の藁の中でもがくとこういう音が出るんだろうか...あのなんとも言えない‘納豆臭’が部屋中にモワ〜ンと充満するほどの…それはもうインパクト抜群な‘サビ’へと引導を渡し、曲の最後には…

Oh no you never fly ah…

と絶叫するMIEさんの‘雄叫び’付録付きという、なんともサービス精神満天の作品なのである。(笑)

この曲はオリコン最高4位、27万枚を記録して30万枚に届こうか…というヒットと相成った。このヒットで「ザ・ベストテン」では最高ランキング3位、オリコンにおける1984年の年間チャートでは37位にランクされる大健闘を見せた。この曲を引っ提げて、年末の賞レース「日本歌謡大賞」の大賞候補として本選出場するなど…ピンク・レディー解散から3年…という月日を経ての大脚光&大反撃!まさに「NEVER」の歌詞どおり…でしょ?(笑)このヒットによりピンク・レディーのお二人は、解散後もそれぞれがベストテンヒットを持つ…というスゴ技を達成してしまったのである。ミーちゃんとケイちゃんのふたりはまさに‘星から来た二人’とも言うべき…凄まじいパワーを放ったのである。(笑)

☆作品データ
作詞・曲:Dean Pitchford & Michael Gore 日本語詞:松井五郎(1984年度作品・CBSソニー)

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このブログにおける「70年代アイドル‘ぷち’レビュー」書庫において、榊原郁恵さんの「ラブジャックサマー」の記事を書く為、ここ1週間くらいは日々の生活の中でその楽曲のヘビロテを余儀なくされた。そのせいなのか、ちょっとした‘ラブジャックサマー漬け’になってしまっていた。当然、頭の中だって79年の‘夏’まっしぐら状態。そんな中、自分がこれまでに書いた過去記事…特にここの中でもイチバンお粗末な^^、ピンク・レディー書庫を何気なく覗いてみたら、あらら…手直ししたい〜と感じさせる記事がわんさかと沸いて出てきてしもうた。(笑)ブログを始めたばかりの頃はホント…文才が0でしたわ。(笑)特に個人的に大好きだった「波乗りパイレーツ」の記事ったらばヨレヨレガタガタで…おハズカシイ限り。なので今回はちょっくら再執筆をカマしてみることにした。まぁ、いわゆる‘焼き直し’というヤツになるんだろうか。(笑)

表題の「波乗りパイレーツ」は1979年7月5日に発売された楽曲。ピンク・レディーにとっては13枚目のシングルだった。作詞は阿久悠氏、作曲は都倉俊一氏という、あのお馴染みのコンビ。この曲と言うと世間一般的にはおそらく…

「ピンク・レディーにとって最後のベストテン入り曲」

などと言われることがめっぽう多いのだ。たしかにそれは紛れも無い事実であり、いた仕方がないことなのだが…。実際、その頃のピンク・レディー本体の人気はかなりヤバイ状態となっていたのも事実。全盛期にたくさん抱えていたレギュラー番組は次から次へと終了を余儀なくされ、最後の砦だった日テレ「ピンク百発百中」もこの楽曲の宣伝を最後に番組欄から姿を消してしまうという…まぁ、なんとも‘一時代の終焉’を感じさせるお寒い時期となっていたのでございます。もちろん季節は‘暑い夏’だったのだけれども。(笑)

そんな状況下においてバコーンと発売されたこの曲。まさに夏、ビーチ、太陽…そんな夏における典型的な情景を織り込み、コミカルに楽しく描いているのが特徴だ。警部、カルメン、シンドバッド、モンスター、透明人間、カメレオン…と色々なキャラを使い果たし、最後に残ったのはもうこれしか無い!!と阿久センセイの雄叫びが今にも聞こえてきそう。そういう断末魔の状況下(←おそらく)で行き着いたのがパイレーツであったワケで…でもなかなかどうして。そのパイレーツを主人公に据えて、阿久センセイはとっても魅力的な79年の夏物語を描いてらっしゃるのだ。

♪悪魔のような波を 手綱も持たずにこなす
 夏の日のうわさひとりじめ〜

♪タラララ〜という、なんとも短いイントロで始まるこの楽曲。イントロ短さ勝負をしたら「ウォンテッド」あたりといい勝負だろうか…ってアッチはイントロが無かったわね^^。寄せては返す波のように…序盤は意外と静かな展開。しかし…

♪あいつ パイレーツ 波乗り乗りパイレーツ

おっ!キマしたね。(笑)ここからはいつものピンク・レディー調、歌詞どおり‘のりのり’になってくるのでございます。

♪わたし サーファーガール
 胸ゆれゆれ サーファーガール

ここが問題の‘サーファーガール’だ。(笑)
この頃のピンク・レディーと言えば、アメリカ進出を賭けて血眼(←ご本人達よりも事務所が…)になっていた時期。当然、英語の発音だって現地でネイティブ教師からバッチリコンコンと特訓を受け、お達者な域に達していた頃(?)と推測される。なんせ米NBCという、3大ネットワークのひとつにおいて、ピンク・レディーが主役の番組をやるのだから…日本人式発音では許されない状況があったのだろう。そのようなワケで重石をググとのせられ、かなりのアメリカ漬けにさせられていたミーちゃんとケイちゃんのおふたり。サーファーガールの発音だって、ほら…アメリカナイズされておりましたのよ。(笑)
↑のパイレーツの部分も‘ツ’の部分が妙に英語っぽく発音され、このサーファーガールに至っては…

サーソギョ〜

こんな風に聴こえてくるのであります。当時、子供だった自分…テレビで初めてこの曲を唄うふたりを観て以来‘サーソギョ〜’とはなんぞや…と日々、悶々とその意味を考えあぐねていたのでございます。(笑)

♪ふたりアベック サーフィンで
 太平洋 大西洋 波から波

アベック…ってのが妙に時代を感じさせるなぁ、阿久センセイ。(笑)♪太平洋〜大西洋…と唄うおふたりの歌声を聴いて、妙にロマンに浸っていたのもこの頃か。小学校で社会の授業かなんかで使った‘世界地図’をおっ広げ…「大西洋ってどこ?どんな海なのぉ?」などど、その見知らぬ世界への思いをめぐらせていたあの頃。そんな自分が南太平洋はおろか…タスマン海にまで達するようなトコロで生息しているなんて…人生何が起こるか本当に分からないものでございます^^。

この曲はオリコン最高4位、24.2万枚を記録してヒットと相成った。人気が落ちた落ちたと囁かれるばかりだったこの時期のピンク・レディー。それでも4位にランクインして、20万枚以上の売り上げがあったのだから大したものでございます。20万枚以上と言えばこの時代の‘普通’の歌手達の売り上げと同じレベル。要はそれ以前がとにかく‘異常’だったに過ぎなかったのかもしれません。でも本当の意味での悪夢が始まるのはこの後…そう1979年9月にそれは勃発してしまったのであります。実際のところ、テレビのベストテン番組やらでピンク・レディーのお姿を拝見できたのはこの曲が最後…9月になると寝返ったように‘オトナ’のピンク・レディーに変身をカマし、それまでのふたりを支えていた子供ファン達は一気にソッポ&退散していってしまったのでありました。そんな意味でもこの曲は、ピンク・レディーがお子様達に付き合ってくれた最後の曲でもあり、これまで本当にありがとう…ウンヌンの意味を込めた感謝のおキモチソングだったのかもしれない。

ちなみにこのシングルはA,B面とも同じ曲が収録されていた。A面は↑でも解説したとおり、あの‘黄金コンビ’阿久&都倉センセイによるモノ。そしてB面はなんとあのビーチ・ボーイズとの共演盤だったのである。まぁ、実際に一緒にレコーディングをしたってワケでも無さそうなのだが、一応、ジャケには「U.S.A.吹込盤」なんてクレジットも入っているのだ^^。

ピンク・レディーのフリツケならまかせなさいっ!とのたまう輩でも、さすがにこの辺の曲になってくると自信を失うもの。現に自分だってこの曲のフリツケに関してはかなり怪しい。既に発売されている「フリツケ完全マスター」はペッパーからカメレオンまでの構成だし、お勉強が出来ない。こうなったら「フリツケ完全マスター」(←売れたんだからさぁ)のVol.3でも作成してもらって、ぜひともこの曲も突っ込んでほしいくらい。まぁ、ピンク復活も終了してしまったことだし、今の今さらソレは無いだろうけれども^^;。これを唄うふたりの姿が唯一拝めるブツは「PINK LADY LAST TOUR 〜Unforgettable Final Ovation〜」のDVDあたりか。後は個人個人のお手元に残る当時の貴重映像のみ…そんなところになるのだろうか。

1979年…この頃は家族で海水浴などに行くと、ビーチでは必ずと言っていいほど歌謡曲が…それもアイドルのナツウタがビシバシと流されていたのだ。郁恵サンの「夏のお嬢さん」やら真子サンの「ワンダーブギ」やら…。もちろんこの「波乗りパイレーツ」だってヘビロテ×10くらいの勢いで。(笑)だからなのか…この曲を聴く度に子供時代の楽しかった夏休みの記憶がうんとこさ戻ってくる、そんな楽曲なのである。

☆作品データ
作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一(1979年度作品・ビクターレコード)
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ナウ・ゲッタ・ザ・チャンス!

みなさんはこんな合言葉で人気を誇っていた昭和のクイズ番組を憶えているだろうか。ってアンタ...わざわざ問いただしてみるまでもないんじゃな〜い?だってこのブログに遊びに来て下さる人は...多かれ少なかれ懐かしいモノに興味をお持ちの方だったものねぇ^^。わざとらしい演出はさっさとヤメにして先を急ぎなはれ!ただでさえここはいつも記事が長いんだから。(笑)

「ザ・チャンス!」はTBS系列にて1979年4月から1986年9月の約7年半に渡り放映。あらら、これまた随分と長かったのねぇ。自分の記憶の中じゃ「5年くらい?」なんて思っていたりしたのだけれど。人間の記憶なんていかにいい加減なものなのか...こんなところで露呈するハメになったわね。(笑)

番組スポンサーはヤンマー。番組の収録は日本青年館で行われていたらしい。

そして初代の司会者はというと...パンパカパ〜ン ^0^♪

そう。我等が(←誰?)...

ピンク・レディー

だったのである。1979年4月と言えばちょうど「ジパング」を唄っている頃。もう往年の人気もなんとなくしぼみかけた時期でもあり、それまで持っていたたくさんのレギュラー番組が...

終了...

ってな、なんとも哀しい頃合いでもあった。そんな時だっつ〜のにピンク・レディーが司会に抜擢される...ってのはどうやらワケありだったようで...。実は前番組があの「飛べ!孫悟空」だったことからの継続登板だったらしい。まだ彼女達の人気が全盛期の頃、TBSったらば大盤振る舞いをしまくり、ロングランなご゙契約でも取り交わしてしまったんだろうか。その辺の事情はよく分からないから追求するのは止めておく事にする。(笑)

当時、ピンク・レディーの大ファンだった自分はこの番組内で彼女達を毎週拝めることに狂喜乱舞したもの。しかし、そんな喜びも束の間...なんとピンク・レディーは例のアメリカでのレギュラー番組(「ピンク・レディー&ジェフ」米NBC製作)出演の為に渡米、そそくさとこの番組を降板(実際には「お休みしま〜す」と言っていたのにぃ...プンプン)してしまうのだ。ガ〜ン!!!

そして次なる司会の後釜を務めたのは湯原昌幸さん。湯原さんと言えば...そう、奥様は70年代アイドルでもあり、「燃えろアタック」というスポ根ドラマで熱演&怪演をお披露目した荒木由美子さん。う〜ん、でも彼が司会をしてた時期って...ハッキリ言ってあんまり記憶に残ってない。ピンク・レディーがこの番組を去ったことにプンプン腹を立て、観るのを止めたんだろうか?なんだかあまり憶えてない。(笑)

で湯原さんもいつのまにかにお辞めになったらしく...次の後釜を務めたのが...

伊東四朗さん

なのでした。彼は独特のユーモアセンスを発揮しまくり...

ニン

というギャグをも生み出した。これは問題の書かれたカードを封筒から出すときに用いていたものだった。彼が司会を務めたことによって番組の人気も大復活。7年に渡る長寿番組になったのは彼の功績が大きかった...というワケなのだ。

番組の大方の内容は...

最初に会場から4チームがランダムで選ばれる

金額当てクイズに挑戦する(←いわゆる振り落としのための予選ゲーム)

内輪で正解金額に一番近いチームが選出

ステージに上がり、豪華景品が当たるゲームに挑戦!

こんな流れだっただろうか。そしてそのゲームとやらが...

ぬきとりゲーム要は豪華景品の総合計を当てるのだが、パネルには不要な数字がひとつ組み込まれている。それがどれなのかを見極めていらない数字をパネルからぬきとる
危険な崖ゲーム3つの商品の値段を当てるのが目的。値段の答えにより誤差が無ければチャイムがなる。誤差があると「ブブ〜ッ」とブービーブザーが鳴り、正解金額の誤差分だけ、登山人形がヨーデル音楽と共に崖を登って(←あくまでも軽快に...^^;)しまうのである。誤差が5,000円を超えてしまうと登山人形が崖から落ちて「あちゃ〜」と失意の大失格を喰らう。

もっともっと色々なゲームがあったと思うのだが、寄る年波には勝てないのか...すっかり忘れてしもうた。これを読んだ方で他のゲームのご記憶がある方がいましたら、ぜひコメント欄にてご教示して下さいませ♪

そして「ザ・チャンス!」における最大の魅力と言えばピンク・レディー...(←しつこいわっ!!)じゃなくって(笑)、その豪華景品の数々でございました。昭和の、あの当時...庶民にはまだまだ高値の花だった高級車、そして海外旅行などなど...それら魅惑の景品が凝った演出の中、舞台狭しと次から次へと紹介されていく...なんともまぁ、ゴージャスで夢のような番組だったのあります。今思えば...ヤンマー1社の提供でよくこれだけの商品が提供できたものねぇ。どういうヤリクリで番組が成り立っていたのか...チョットばかり謎だわね。(笑)

そしてそれらを♪ジーレジレジレ ジーレジレジレ〜じらしながら紹介されていた方は「天の声」と呼ばれ、それを担当していたのが...

小川哲哉さん

そう。この方は70〜80年代歌謡曲ファンにとっちゃ...ある意味、忘れられない存在のお方。(笑)
なぜなら彼は毎日曜日の午後、文化放送の「全日本歌謡選抜」なる電リクベストテン決定番組においてアイドルと番組内でナマ電話をカマし...その挙句にそれらアイドルを「ひとみ〜♪」とか「ちえみはさぁ...」などと...呼び捨てにする悪癖を持った(←小川サン、ゴメンなさい...アレはお仕事だったんですものねぇ)方でもありました。プンプン...。(笑)

昭和はまさしくテレビの黄金時代。この「ザ・チャンス!」の他にだって、家族みんなでワイワイと楽しめるクイズ番組やバラエティ番組が山のようにあったもの。

「クイズ100人に聞きました」
「目方でドン!」
「クイズ・ドレミファドン!」
「人生ゲーム・ハイ&ロー」
「ベルトクイズQ&Q」
「霊感ヤマ感第六感」
「クイズ・タイムショック」
「クイズ・クランプリ」

などなど...やっぱり昭和はステキな時代でございました。

あっ、そうそう。そう言えばこちらオーストラリアでもこれによく似た番組がつい最近まで...しかも夕方の5時30分、月曜日から金曜日までの毎日しつこく放映されておりました。その名も...

THE PRICE IS RIGHT

番組の雰囲気からルールに至るまでそっくりで、ほぼ生き写し状態。(笑)
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まだ何も知らない無知な頃は...

「なんなのぉ...このザ・チャンスのバッタものは...」

と...テレビの前で悪態を付きまくりながら観賞していたのだが、実はこの番組こそが元祖(元々はアメリカでの放映が最初、その後にオーストラリア版が製作されたらしい)であり、これを元に「ザ・チャンス!」も考案されたとかで...。とするとこちらの番組の方がご本家様...えっ?じゃあ「ザ・チャンス!」こそが○ッタだったのね...。(笑)それを知った自分はそのご先祖様に失礼おば無きようにと...それ以来、この番組を観るときはテレビの前できちんと正座をして観るようになりましとさ^^;。

お・し・ま・い

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みなさんはあのゴージャスだったアイスクリーム、「宝石箱」を憶えているだろうか。このブログでも数回に渡って記事にしたことがあったりもする、いわば、自分にとっては思い入れのかなりふか〜い昭和のアイスクリームのひとつでもある。そもそも「宝石箱」とは一体なんぞや...?という人もいるかもしれないので、ちょっと補足しておくことにする。

●昭和53年に雪印より発売
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●当時、大人気だったピンク・レディーがCMに出演(後に大地真央バージョンもあった)
イメージ 2 イメージ 3 →ピンク・レディーによる当時の宣伝用ポスター、おみ足が美しい!

●ピンク・レディーのシングル「モンスター」のB面に収録された「キャッチリップ」の替え歌バージョンがCMソングとして使用された
●宝石のようにキラキラと輝く氷の入った美しいアイスクリーム
●フレーバーはメロン、オレンジ、ストロベリーの3種類(地域限定で‘コーヒー味’なるものもあったとの情報アリ)
●当時(昭和53年)としては高価な\120、高級アイスとして庶民の憧れの的となる

こんな特長を持ったアイスクリームだったのだ。そんな「宝石箱」が、なっなんと...

復刻

されたと聞いて、ビックリ!まっ、まさか...。これまでに復刻のリクエストが多数寄せられながら、思いっきりシカトされ続けた商品だ。そんな簡単に復刻されるハズは...と思い、早速ネットを使って調べてみることにした。

で引っかかってきた情報がコレ。

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えっ?なに?「当たる」ってどういう意味???

そう実は、この度の復刻は商品としてのソレではなく、キャンペーン用景品としての復刻だったのである。え〜そんなぁ〜。なんなのさ、この中途半端な復刻の仕方は...。そりゃないよ〜。(笑)

今回の復刻元はLOTTE SNOW。現在、社で発売中の「雪印北海道バニラバー」販売促進用のキャンペーンとしての復刻であり、その記述によれば...

{1} 大きな「宝石箱」にカップアイスが12個
{2} メロン4個、オレンジ4個、ストロベリー4個の3種入り
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ふむふむ...。フレーバーは昭和53年当時とまるで一緒だな。(笑)ビジュアルは...うん、ちょっとカップの形状が当時モノとは明らかに違い...ちと安っぽさが漂ってるか...。(笑)

そして気になるゲット方法は2種類。いずれもアイススティックに刻印されたマークによって決められ...

●もれなくもらえる「かならずもらえるコース」→北海道マークが出たら大あたり→即ゲット〜!
●抽選で当てる「あつめて当てようコース」→牛マーク1匹につき1ポイント→4ポイント分集めて応募

という仕切りがあるらしい。「かならず...」コースは500名様、「あつめて...」コースは抽選で1000名様...しかし、こちらはあくまでも‘抽選’である。(笑)

いずれも期間は2007年の3月31日までで、「かならず...」コースは3月31日までの毎月末日が応募締切なのだが、「あつめて...」の方は...

第1回締切 2006年12月30日(土)

第2回締切 2007年3月31日(土)

って...。あらら、2回しかないのぉ?しかも第1回はすでに‘思いっきり’締め切られてるし...。(笑)

昭和のアイスクリーム業界にセンセーショナルな話題を提供し、高級アイスクリームとしての地位を獲得しながらも、いつのまにかにその姿をくらましてしまった「宝石箱」。だからこそ根強いファンも数多く、未だに復刻希望人気は抜群なのだが...。その人気者をエサにし、そこまでして「雪印バニラバー」を食わせたいのか...と恨み節をかましたくなるような、なんとも解せない...今回の「宝石箱」復刻劇なのである。

こんな釣りはやめて頂き、市販の‘商品’として、めでたく‘復刻’と相成ってくれはしないものだろうか...。(涙)

☆キャンペーン提供元:LOTTE SNOW(2007年3月31日まで)
参考ページ:http://www.lottesnow.co.jp/campaign_vbar/index.html

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70年代アイドルを語る上で外すことの出来ない大きな存在を持つピンク・レディー。そのピンク・レディーがこの8月25日でデビュー満30周年を迎えたことをご存知の方も多いだろう。そう、あれからすでに30年もの月日が流れてしまったのである。

今回はそのピンク・レディーの30周年を称えて、彼女達のデビューにまつわる自分の思い出をぽろぽろと綴ってみようと思う。

自分がピンク・レディーを事実上、最初にTVで観たのがいつだったのか…それがいつでどの番組だったのか、実は明確には憶えていないのである。
ただ、彼女達のデビュー曲「ペッパー警部」の存在を知った日のことは今でも鮮明に憶えている。あれはたしか近所の幼なじみ達数人とタカオニ(←懐かしい)か何かをして塀によじ登っていた時だっただろうか。そのうちの1人がいきなり…

♪むらさきいろした たそがれどきが〜

というあの一節を歌い始めたのである。それを耳にした自分は‘むらさきいろしたたそがれどき’という、そのなんとも得体の知れないインパクト充分な歌詞にまず引き寄せられたのである。モチロン、それが何を指しているのか、また何を言わんとしているかなど、あの頃の6歳児には知る術もなかったのである。だけどそれが妙に気になって仕方がない自分は、それを口ずさんだその子にこう訊ねてみた。

「それ、だれのうた?」

そしたらその子は少し考えながら…

「ピンクなんとかってひとのうた」

と呟いた。

まだ、ピンク・レディーブームが到来する前、子供たちのそれに関する認識はこんなものだったのだろう。ただ、その「ピンクなんとか」という情報を入手することに成功(!)した自分は、‘むらさきいろした…’というそれを遥かに上回るインパクトを持った‘ピンクなんとか’とやらが更に気になってしょうがなく、何かこう、心をムギュっと鷲づかみにされるような感覚を味わっていたのだ。

その‘ピンク’と‘むらさき’という2つの情報を脳裏に刻んだ6歳児は、時も流れて9月?或いは10月頃だったか…。ついに現物のピンク・レディーを目の当たりにする時が到来したのである。

もしかしたらそれ以前にも目にしていたことはあったのかもしれない、おそらくは「スタ誕」のデビューコーナーあたりで…。でも今でもハッキリとあのドカ〜ンときた衝撃を感覚として鮮明に憶えているのはこの時だったのである。

それはとある歌番組でのひとコマ…。テニスルックのような白とオレンジのコンビネーションによる「ペッパー警部」初代の衣装を身に纏った二人が、ユニークなフリツケと、はちきれんばかりの若さでフルオーケストラをバックに熱唱。そして…

♪むらさきいろした…

のナマ体験…!そして、‘ピンクなんとか’ではなくこの人達は‘ピンク・レディー’なんだと悟ったこの瞬間…。これは今でも、そして今後も忘れることがないであろう、もの凄い‘衝撃’を味わってしまったのである。今風に表現するとキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?っていう状況だったのだろうか。
現代のように、気になることがあればネットなどを駆使して「あらよっ」っと下調べ…そんなことが出来る時代でもない状況下。そんな中で目の当たりにした衝撃には、計り知れない大きさと重みがあったのだろう。

こうしてピンク・レディーの「ペッパー警部」は、1976年9月6日付でオリコン99位に初登場、しかしその後は一旦圏外へと姿を消してしまった。この頃のファン層の中心は男子高校生や大学生などで、まだ若年層には浸透していなかったようだ。しかも中高年層からは「TVで若い娘が大股を開くとは何事じゃ!」とお叱りのクレームがTV局に殺到していたのもこの時期だったのだ。しかし、同年10月に行われた「新宿音楽祭」で銀賞を受賞したことがキッカケとなり、チャートをじわりじわりと上昇。「ペッパー警部」は演歌のようなチャートアクションを描き、オリコン最高4位、登場週数45週(!)、計60.5万枚を記録したのであった。

ここに今からちょうど30年前の今日、ピンク・レディーが「ペッパー警部」を歌っている画像がある。
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今、改めて見てみると‘静岡から出てきた田舎娘’の風情は否めない。これはご本人達も一致のご意見のようである。(笑)でもふたりとも健康的でとっても可愛い!デビューしてから僅か4日、まだ慣れてないせいもあってかフリツケもぎこちなく、歌もところどころで音程を外している。しかもミニスカートを穿いているというのに、客席中央に設置されたお立ち台での歌唱…。観客の男性陣もチラチラと後ろを振り返ったりして、落ち着かないご様子…まさに彼等にとっちゃウホホ状態だったのだろう、おそらく…。(笑)

そしてフィニッシュに持ち込むミーちゃん&ケイちゃんの2人は…

♪ペッパー警部だよ

と…。あれ?まだこの頃は♪よ〜じゃなくて♪だよ〜とやっていたのも興味深いところ。曲最後のマイクを拳銃に見立てるキメポーズのところでも、ミーちゃんのマイクコードが絡まってしまい…あちゃ!…といった風情。
とにもかくにも初々しい、30年前の今日のピンク・レディーなのである。

このように登場したピンク・レディーは1977年の幕開けと共に、あれよあれよという間に台風と化した。そして日本を席巻し列島をピンク一色に塗りつぶしながらその勢力を拡大、社会現象をも巻き起こす日本の芸能史上最大のハリケーンへと変化していったのである…当の二人をその目の中心に据えながら…。

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