コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

カラチでのアオハル。

今朝、ある格安航空会社(LCC)のスタッフが、タイから日本に来た外国人の乗客を審査を経ずに入国させてしまった、というニュースを耳にしました。

それであることを思い出し、シェフに「でもわたし、入国審査を受けずにパキスタンに入ったことがあるよ」。

かれこれ約30年前です。10代終わりの、二度目の海外ひとり旅でした。目的地はイギリス。あのころは直行便のチケットがめちゃくちゃ高くて、バックパッカーなどの若い貧乏旅行者は「北回り」や「南回り」と呼ばれるあちこち経由・乗り換えしながらの格安ルートで行くのが一般的でした。北回りはソ連(まだロシアじゃなかった)のアエロフロート、南回りはパキスタン航空がメジャーでした。

あのHIS(今や大企業ですね)が、改築前の新宿西口の古いビルの小さな一室で細々と営業してた時代です。

パキスタン航空は、確か、香港、バンコク、カラチ、ドバイ、アテネ、ロンドン……の順で経由しながら、35時間ほどかけて日本とヨーロッパを結んでいました。今考えると気が遠くなる長さです。もうゼッタイ無理。でも当時はそれが当たり前だと思ってました。たいていは経由地で出国できず、空港で1、2時間(ときには3、4時間)待機させられた後、燃料を積んだ同じ飛行機、または別の飛行機に乗り換えます。

ところが、パキスタンのカラチに着いてしばらくすると、あと24時間飛行機が出ない、と航空会社のスタッフがいきなり言いだしたのです。理由を聞いても教えてくれません。とにかく飛べないから、の一点張り。今思えば、香港とバンコクでかなりの人が降りて乗客数が少なくなったので、翌日の便といっしょにしちゃえ、という魂胆だったのかもしれません(←あくまで憶測ですが)。

あちこち経由しているうちに、ひとり旅をしている10代、20代の若い日本人同士でなんとなく仲よくなり、いっしょにご飯を食べたりお茶したりするようになっていました(男4人、女はわたしひとり)。

「えー、おれ、ホテル予約してあるのに!」
「空港に迎えがくるのに!」
「電車のチケットを取りに行く約束があるのに!」

みんなで公衆電話に行って国際電話をかけました。目的地は、それぞれ、フランクフルト、アムステルダム、ロンドン(ふたり)、アテネと異なりますが、境遇は同じです。

やがて、航空会社のスタッフ(サリーを着たパキスタン人)がやってきて、「これからあなたたちを空港近くのホテルに案内する。ただし、ホテルからは絶対に出てはいけない」と淡々と告げました。

え? パキスタンの入国ってビザ(査証)が必要じゃなかったっけ? ざわつくわたしたち。すると、スタッフはわたしたちを手招きして奥の細い通路へ連れていき、施錠してある扉を次々と開けて外へ出してくれました。

入国しちゃったじゃん!

ワゴン車に乗せられて空港近くのホテルへ。大きくて豪華なホテルでした。高い天井にはシャンデリアが輝き、壁一面に凝った装飾が施され、大きなガラス張りの窓から日がさんさんと差し込み、青々とした観葉植物があちこちに置かれ……まるで楽園。わ、アルハンブラ宮殿ってこんな感じ?と思ったものです。大きな肖像画が飾ってあったのは、当時はわかりませんでしたが、おそらくパキスタン建国の父、ムハンマド・アリー・ジンナーだったのでしょうね。

高層階の眺めのよい客室に通されました。ダブルベッドが入った広々とした部屋で、もちろんバスルームもトイレも完備(←旅行中はいつも共同シャワー&共同トイレの安ホテルばかりに泊まっていたので感動した)。

すごいすごい、と自分の置かれた境遇を忘れてひとりうっとりしていると、部屋のドアをノックする音が。

「旅行ガイドと車を雇ったからさ、観光に行かない?」
「え? でもホテルから出ちゃダメって…」
「大丈夫大丈夫、バレないように行けばいいって」

せっかくパキスタンに入国できたのに、街を見ないのはもったいない! 一日ホテルにいたって退屈だし!……ということで、日本人ひとり旅グループの5人で急遽カラチ観光。

残念ながらかなり記憶がおぼろげですが、白亜のモスクと、眺めのよい高台のようなところと、ひとが賑わう市場のようなところへ行ったのは覚えています。そして、どこへ行ってもわたしだけじろじろと見られたことも(女だからですね)。

初めての(そしてこのまま行くとおそらく人生最後の)イスラム圏の訪問は刺激的でした。とにかく暑くて、湿度が高くて、料理がめちゃくちゃおいしかった。わたしは当時はベジタリアンだったので、ベジタリアン用のカレーが絶品でした。そして、ホテルの朝食で出てきた「バラのジャム」。人生初のバラのジャムは舌がとろけるほどおいしく、あれ以上のものにはいまだ出会っていません。

「もしかして……ホテルの外に出たことがバレて、帰してくれなかったりして」

などと怖い冗談を言い合いながらも、翌日にはまたしても裏道を通りながら何の問題もなく出国(←いいのか?)。その後、ようやくヨーロッパにたどり着き、ロンドンのヒースロー空港で名残を惜しみながらみんなと別れたのでした。



後日談。

ひとり旅グループのメンバー、やさしくて頼もしい20代男性にカラチで淡い恋心を抱き(←アオハルかよ)、こっそり連絡先を交換しました。東北大学の学生で(わたしは当時横浜で学生だった)、東京・横浜に用があって来たときに会う時間を作ってくれたのですが……うーん、外国で会うのと日本で会うのって全然イメージがちがうんですねー。お互いに「なんかちがう」と思ってそれっきりになりました。

わたしのほうは、そのひとが渋谷のファッションビルの丸井の看板を見て「何、あの『まるいちまるいち』って建物?」と言ったのが最大のガッカリポイントだった……というのは、ああ、どう考えてもわたしがバカで浅はかでくだらない女でした。ホントにすみません。

そのひとに限らず、あのときのみんなはどうしているかしら。今日のピーチ・アビエーション(あ、言っちゃった)のニュースを聞いてカラチのあの日を思い出したひとはいたかしら、とふと思った次第です。




写真は本文には無関係ですが、こないだ門司港と小倉へ遊びに行ったときのものです。北九州、実は初めて行きました。

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門司港はいい港だと思いました。こじんまりしてて、対岸(山口県)が見えて。

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「マドロス」のポーズをしようとしてる直前です(ポーズをしてる写真はFBのアカウントに使用中)。

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ポーズを取らせました。




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