コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

一年後。

震災から一年。

いろいろな立場のかたたちが、さまざまな思いで迎えた一年、だと思います。

以下は、熊本県内という震災エリアでありつつ、ほぼまったく被害を受けなかった「あるちいさなフランス料理店」から見た一年です。当事者とは言えないかもしれないけれど、無関係では決してない。被災されたかたたちのつらさ、苦しさにどこまで寄り添えただろうか、と反省する一年。まだ終わりではないし、これで一段落とも思わないけれど、振り返るきっかけとしての一年。誰のために? たぶん、自分自身のために。



2016年4月14日(木)
木曜なのでディナータイムのみ営業。早めにお客さまが帰られたので、早めにクローズ。自宅に戻って夜まかないを食べようとしたちょうどそのとき、21時半くらいに大きな揺れ。書棚の棚が落ち、食卓の上の料理がこぼれる。

4月15日(金)
ランチ、ディナーともに平常どおり営業。自宅で夜まかないを食べ、シェフは11時ごろ就寝。わたしはいつものように夜更かし。図書館から借りてきた本を読み、テレビ『探偵ナイトスクープ』を観る。いつもなら続けて『タモリ倶楽部』を観るところを、今日は早めに寝ようとテレビを消す。その瞬間、前日以上の大きな揺れ。再び書棚が崩れる。午前1時半。その後、余震に耐えながら朝までテレビの緊急番組を観続ける。

4月16日(土)
ご予約のお客さまにご連絡をし、臨時休業。わたしはテレビとネットで情報収集。シェフは物資の調達へ。余震がひどいので万一に備え、水、食料、着替え、ラジオ、懐中電灯、毛布などを車に積み、避難の準備をする。

4月17日(日)
近所のドラッグストアで物資を調達。店内はたくさんのひとで溢れかえり、何もかもが品切れ状態。食料、水、オムツ、生理用品などをクルマにぎゅうぎゅうに詰めこみ、知り合いに紹介していただいた避難所へ届けに行く。道路はすでに県外ナンバーの支援車で渋滞。片道一時間の道のりに3、4倍の時間がかかる。大きく陥没、切断、隆起する道路。橋の前後の大きな段差。粉々になったブロック塀。一階がつぶれたビル。ひしゃげた一軒家。窓ガラスが吹き飛ばされたパチンコ店や自動車販売店。よく見知っている街々の変わり果てた姿。

4月18日(月)
山鹿市内の物資はほぼ枯渇状態。とある店舗にまだあるという情報を聞いて駆けつける。衛生用品(歯ブラシ、タオル、シャンプー、生理用品など)、食料などを買いこみ、福岡県内の支援団体へ届けにいく。全国から大量に物資を集め、トラックであちこちの避難所に届けてくれるという団体だ。山鹿からそこまでの道はスムーズ。熊本市内の道路交通の妨げにならずに済んだ。

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4月19日(火)〜
迷った末、日が高い時間帯(12:00〜17:00)に限って営業を再開。万一夜間に大きな揺れがあった場合、お客さまの安全を守れる自信がないから。ご近所のかたたち、そして避難所暮らしや車中泊をされているという遠方のかたたちにご来店いただく。なるべくいつもどおりの雰囲気で、いつもどおりのお食事をご提供するよう心がける。避難生活をされてるかたに温泉チケットを差し上げる。

4月20日(水)
当日のわたしのFB投稿より抜粋(主に「支援したいけど状況がよくわからない」と言う関東地方の友人に向けて投稿した)。地震から3日目で、すでに状況が刻々と変わっていった。

「これまでは、熊本市と周辺市町村を中心に、ライフラインが途切れていたため商店がことごとく休業し、配送手段も途絶えていたため、物資が大幅に不足していました。とくに、食料、水、衛生用品の確保が急務でした。ただ、今日くらいから、ヤマトや佐川などの運送会社が配送を復活し、コンビニが続々と再開し、県外からの支援物資も集まってきていて(ただし末端に行き渡るのに時間がかかっていますが)、徐々に物不足から解消されつつあります。個人レベル、企業レベルでの炊き出しが増え、熊本市内外での商店、飲食店も再開するところが出てきました。その一方で、今度は、避難所に身を寄せている被災者の健康・衛生面の問題が表面化するようになりました。心身ともに疲労がたまり、とくに幼いお子さん、ご病気のかたたち、年配のかたたちが心配です。エコノミークラス症候群、ノロウィルスなどの感染症も危惧されています」

震源地に近いところに本社がある業者さんが、いつものように商品を配達してくださることに驚く。ライフラインが通っていない、窓ガラスの多くが割れている状態で営業されているという。

4月25日(月)
定休日。息抜きに「黒木の大藤」を見に行くが、閑散としている。自粛ムードで誰も来ないのだという。

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4月26日(火)〜
平常どおりの営業を再開。常連のお客さまにあちこちからご来店いただく。福岡方面のお客さまにはねぎらいのおことばをいただくも、被災していないので心苦しく思う。熊本方面のお客さまの多くは不便を強いられる生活をされていて、お話を伺ってやはり心苦しく思う。

熊本市内や近郊の、行きつけのお店、知り合いのお店の多くが被災し、臨時休業を余儀なくされていることを知る。

余震が続くので地震酔いになり、頭がくらくらし、軽い吐き気を感じる。

5月
GWの連休中、多くの被災されたお客さまにご来店いただく。「山鹿は別世界ですね」と皆さん一様におっしゃられる。

ほぼすべてのお客さまが「器はいいものから割れていく」とおっしゃっる。作家さんの陶器や高級磁器はことごとく割れ、どうでもいい100均の器だけが無傷で残る、と。

ほぼすべてのお客さまが、すさまじい体験をし、九死に一生を得る思いをし、ライフラインや物資が途切れた生活を余儀なくされ、避難所でへとへとになり、余震におびえつつも、「うちはまだまし」「こうして生きているのだから大丈夫」と、笑顔でおっしゃる。

多くのお客さまが、「おいしかった」「癒された」「いっときでも疲れを忘れられた」「久しぶりにゆっくり食事ができた」とおっしゃって、まだ片づいていない、余震が多いご自宅へ一時間以上かけてお帰りになる。

毎日、営業後に泣きくずれそうになる。

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6月
震災以外のことを少しずつ考えられるようになる。本を読んだり音楽を聴いたりするのを「不謹慎」「無神経」だと思っていたのが、ようやく読んだり聴いたりできるようになる。

バスで熊本市内へ行く途中、熊本城の横を通り、崩れた石垣を間近に見る。

休日、熊本市内の病院で人間ドックを受ける(震災前に申し込んでいた)。延期になるだろうと思っていたのに、ふつうどおりに受検できることに驚く。一部、天井が崩れ落ちていた。

震災のためにペットが体調を崩したり、命を落としたり、いなくなってしまったり、逆に迷子になった子を保護したり、といった話を頻繁に聞くようになる。

崩壊した自宅の本棚はすでに解体し、大量の本を床の上に積んでおいたが(大きな余震を恐れて元どおりにできなかった)、ようやく新しい書棚を買いにいく。同じ状況のひとが多かったのか、ホームセンター二軒で売り切れ。三軒めでようやく入手。

レストラン(restaurant)の語源が「リストア(=復活させる、元気を回復させる)する場所」「滋養のある食べものを提供して元気を取り戻してもらう場所」であることにあらためて気づき、そうあろうと心に決める。

7月
なぜか、4、5年以上ぶりにお目にかかる、なつかしいかたたちが複数ご来店される。

ひどく被災されたかたにご来店いただく機会が増える。「うちはひどかったんですよ」とおっしゃいながら、ご自分の体験をお話ししてくださる。壮絶な体験をしてらっしゃるのに、皆さんとても明るい。笑顔で「また来ます!」とおっしゃっていただく。

ポケモンGOをするひとたちの姿が目につくようになる。

「がんばるけん」
「がんばるばい」
「がんばるたい」
「がんばるもん」
どれが熊本弁の正解?……とシェフに尋ねるが……どうも要領を得ない(聞いた相手が悪かった)。

8月
熊本市内のほとんどの映画館が震災の影響で休業しているなか、ようやく営業再開した遠方の映画館に『シン・ゴジラ』を観にいく。かなり混雑している。館内でも余震を感じる。道中、道路が大きく隆起していた。

二の丸広場へ行き、間近で熊本城を眺める。

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震災以降、4キロ痩せる(ちょっと嬉しい)……が、誰も気づいてくれない(涙)。

9月
毎年行われる飲食業向けの展示会が、会場が避難所になっているため、今年は北九州で行われる。遠いので訪問を断念。

10月
山鹿の八千代座にて、中村獅童さん/市川海老蔵さん(10月8日〜11日)、そして坂東玉三郎さん(10月29日〜11月3日)の公演が行われる。公演前後のお食事に、と、遠方からいろいろなかたに来ていただく。福岡方面からいらっしゃったかたたちに震災の心配をしていただき、心苦しく思う。

11月
復興関連のおしごとをされていた常連のお客さまが、急逝される。

大分県の紅葉の名所に行くも、震災で山が崩れ、多くの木が倒壊したため、かつての美しい風景が失われていた。

お店のテラスで、鉢植えのバラが赤い花を咲かせ、ロシアンオリーブがたくさんの実をつけてヤマガラがついばみに来る。

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12月
クリスマスシーズンを滞りなく終える。毎日日付が変わってから帰宅していたけれど、すべてのお客さまにすべてのお料理を完食していただき、たくさんのかたたちとお話ができて、とても楽しかった。



2017年以降については、特筆すべきことがないので省略します。忘れたわけではもちろんないのですが、お客さまと震災の話をする機会が急激に減ったからです。それでも、お客さま同士が地震について話していらっしゃるのをちらりと小耳にはさむことは、今でもちょくちょくあります。また、被災地でイベントやコンサートを開催されたかたたちのお話を伺う機会もあります。そういうかたたちは皆さん、「被災地のかたたちは本当に明るい。こちらが元気をいただいている」と、口々におっしゃいます。

そしてつい先日、震災後にその名が全国的に有名になってしまった、あの町に暮らすかたがたが、団体さまでお食事にいらっしゃいました。お花見の季節でした。ところが、当日はあいにくの雨……。残念でしたね、と申し上げると「ここでの食事がメインだったからいいんです」と笑顔でおっしゃいました。


つらい一年でしたが、これほど、お客さまのやさしさ、強さ、あたたかさに触れた一年もありませんでした。これほど、お客さまの笑顔、「おいしかった」「また来ます」のことばが、胸にしみた一年もありませんでした。

ありがとうございます。

はたして、「レストラン=滋養のある食べものを提供して元気を取り戻してもらう場所」として、本当にきちんとやってこれたのだろうか。これからもやっていけるだろうか、と自問している今です。そして、単にお食事だけでなく、心地よい時間をご提供できれば、と心から願っています。




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