コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

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Aさんへ。

思い出の数が多くないわたしのような人間には悲しむ資格などないような気がして、こうして何かを書くことさえおこがましいような気がしています。「何も知らないおまえが書くな」と言われそうですが、なんだかいてもたってもいられず、どうぞお許しください。

……と、上の行を書いてからすでに1時間。

何をどう書いたらいいのかわからないので、ご本人宛にお手紙を書くことにします。
20年間やり取りをしてきたメールの続きのつもりで。

ここでは、Aさん、と呼ばせていただきます。



お世話になっております。朝晩が冷えこむ季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
そちらは熊本とちがってもう紅葉が見られるのでしょうね。Aさんは山登りがお好きでしたね。紅葉狩りをされるご予定はあるのでしょうか。

先日は個展のご案内をありがとうございました。Aさんの絵画作品をまとめて鑑賞できるチャンスはなかなかないので、ぜひ飛んでいきたかったのですが、遠くてなかなか自由の効かない身。本当に残念でなりません。わたしはAさんの絵の大ファンなので。ぜひいつか熊本でも作品を発表してください。

すみません、今日はこれといった用事はありません。次の仕事はいつなのか、と催促するつもりもありません。近年、本当に本が売れなくなってしまいましたね。時代の流れと言ってしまえばそれまでで、年寄りの感傷と笑われそうですが、さみしい限りです。

そうそう、いきなりですが、わたしはAさんをとても好きでした。何を今さら、と笑われてしまいそうですけれど。

フリーのライター&翻訳者として、そこそこいろいろな方たちとお仕事をさせていただきましたが、一番安心してお仕事できたのはAさんでした。尊敬する方、信頼する方は他にもたくさんいらっしゃるのですが、絶対にわたしを「切らないで」いてくださる、と思えたのはAさんだけでした。他の方たちには、少しでも不手際や誤解があったら見限られてしまうかも、愛想をつかされてしまうかも、という恐れがいつも心のどこかにあって(その度合いは相手によって異なりますが)、メール1本送るにも細心の注意を払わざるをえないのですが、Aさんには「こんなことを言って大丈夫かな?」とあまり考えることなく、いつも正直に、ストレートにお話をさせていただきました。

パリと東京、東京と東京、山鹿と東京……わたしの居住地によって物理的な距離は変動しましたが、ずっと変わらぬ距離感でのおつきあいでした。だいたいがメールでのやり取りで、年に数回、あるいは数年に1回、事務所に伺って短い間お話をする間柄でした。でも、わざわざ山鹿のうちの店へお食事に来てくださったことがありましたね。地震の時も心配してお電話をくださいました。あらためてお礼を申し上げます。とても嬉しかったです。

Aさんは人生においても仕事においても大先輩ですし(学生時代からAさんの作品を見ていたのですから)、わたしはお仕事をいただいている身ですし、あまりなれなれしくしてはいけない、甘えてはいけない、と自分に言い聞かせておりました。でも今振り返ると、そうは言ってもかなり甘えさせていただいてましたね。ずいぶんと厚かましい提案もいたしましたし、生意気なことも申し上げました。でもAさんは一度たりとも、怒ったり、愛想を尽かしたり、突き放したりはされませんでした。

Aさんが「切ってしまった」方がいらっしゃったことは、なんとなく察しておりました。それでもわたしは、自分は切られないと、なぜか勝手に思いこんでいたのです。いったいどこからその自信が出てきたのか、よくわからないのですが(苦笑)。ずうずうしいし、厚かましいし、甘えているにもほどがありますよね。すみません。

それでももちろん、わたしはAさんにとって、仕事がらみでお付き合いする多くのフリーライターのひとりであることはわかっておりました。

Aさんの事務所を訪ねた時は、部下の皆さんと仲よさそうにお話をされていらっしゃるごようすを、外部の人間として眺めておりました。わたしは、Aさんと皆さんの楽しそうなやり取りを見ているのが、とても好きで、少し羨ましかったです。Aさんと皆さんとの間に流れる、さらっとした自然な空気。まるで家族のように、多くを語らなくてもお互いに理解しあっているような、外部の人間には入りこめない親密な空気。わたしはAさんと皆さんの関係が好きで、憧れてました。少しだけ嫉妬しつつ、でもそれ以上に、ひと時でも同じ空間にいられるのが嬉しかった。

つい先日、わたしはその方たちからAさんの訃報を伺ったのです。皆さんがどれほどつらい思いをされるか、Aさんもわかっていらしたのですよね。

まったくわたしときたら、自分は「切られない」なんて、どこから出た自信だったのでしょう。こんなことなら「あなたにはもう仕事は依頼しません」とおっしゃっていただいたほうがよかった。そのほうがまだ立ち直りが早かった。まさかこんな形で切られてしまうとは。

おそらくAさんは想像もされなかったのでしょうね、たまに仕事を依頼するフリーライターのひとりにこれほど大きな打撃を与えるとは。

3カ月前の最後のメールの終わりに、

こちらに来られることがあったら、
是非お立ち寄りいただければ、と思います。

と書いてくださったのは、単なる社交辞令だったのでしょうか。

Aさんからご依頼されるお仕事だったから、わたしはライターの仕事を続けていたのです。お店の仕事と翻訳の仕事以外に、Aさんのご依頼だからこそ喜んでさせていただいていたのです。

おそらくわたしはもうライターとして仕事をすることはないでしょう。

……ほらまた、わたしはこうして、Aさんにはずばずばと正直なことを書いて困らせてしまう。



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