コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

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ちょうど何日か前、この本を購入したばかりでした。

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パリに25年滞在したフランス文学者・哲学者、森有正のエッセー集。
『遥かなるノートル・ダム/黄昏のノートル・ダム/遠ざかるノートル・ダム/日記1961年5月4日〜68年1月2日』(ちくま学芸文庫)。

著者は、長い滞在期間の多くの時間を、ノートル・ダム大聖堂が見えるところで暮らし、季節や時間によって変貌するその姿を眺めながら、哲学的思索を深めてきました。ここに収められている文章の多くは、ノートル・ダムに直接関係のある内容ではありませんが、それでもその背景にはあの「貴婦人」の姿が常にそびえ建っているような気がします。

以下、長いですが、一部抜粋します(一部旧仮名遣いを修正しています)。

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すぐ近くにノートル・ダムがあるのにその存在を意識せず、何週間もそれを考えずに過ごすことがますます多くなってきた。そういう時でも、季節や天候の変化で、石の壁の色彩や目で見た感触が変わると、はっと気がついて眺めることがある。そういう時の幸福感は何にたとえようもない。こうして生活の忙しさの中に、ノートル・ダムは意識下に沈んでいく。あるいは忘れられていく。(中略)

そういうある日、ふとノートル・ダムを見ると、それがいかに美しいものであるか、他のものと桁違いに優れたものであるか、しみじみと感ぜられたのである。こうして自然、外界、天候、季節、またパリの町全体の小さいまた大きい美しさ、そういうものとの接触からノートル・ダムが輝きだすようになってくる。パリという歴史ある町の一定の地理的位置と風土との中の生活感情とが一つに融合して、その関連からノートル・ダムの美しさが見えるようになってくるのである。(中略)

しかしその美しさが本当に私どもの感覚にあらわれるようになるのは、その全体をすでに含んでいる感覚が成熟を遂げなければならないのである。我々の感覚は見ていても、見えていないのである。(中略)パリの空間感覚、多くの教会や公共建築物の空間の特殊な、豊かで自由な感覚から離れてそれに気がつくことはむつかしいのである。こうしてノートル・ダムは、パリの町の内側から見えてくるのである。そしてパリの町の内側は、そこに住む人の生活感情を離れてはありえない。ノートル・ダムの外側がパリの内側から見えてくるのである。それ以外のところからは容易に見えがたいのである。

『遠ざかるノートル・ダム』(1974)

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さらに森氏は、シャルトルやランスの大聖堂がたとえどれほど素晴らしくても、やはりパリのノートル・ダム以上には好きになれない理由について、「一つの教会は一つの町に融合し、町全体の内側からしか理解できないから」だと述べています。もしかしたらそれは、町と城(たとえば、熊本と熊本城)についても言えるのかもしれない、と思いました。


わたし自身、パリを擬人化する時、脳裏にはあの貴婦人の姿、とりわけ裏側から見たフライングバットレスと尖塔の素晴らしさを思い浮かべます。ええ、エッフェル塔でも凱旋門でもなく、ノートル・ダムを。この大聖堂は、フランス革命、ナポレオンの戴冠、パリ・コミューン、68年革命、二度の世界大戦、パリ同時多発テロ、すべてを見つめてきたのですから。

かつてわたしは、セーヌ河岸でこの姿を眺めながらぼーっとしたり、軽食をとったり、本を読んだりするのが好きでした。当時の写真が一枚だけ残っています(1996年撮影)。多くの時間をここで過ごしたはずなのに、たったこれしか記録がないなんて。しかも肝心の大聖堂が小さすぎる。もしかしたら、生きているうちにもう二度とこの姿を見られないかもしれないのに。

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15年前のオープン当初、ある男子高校生にお店を手伝ってもらっていました。うちが雇った最初で最後のアルバイトです。

当時、わたしは書く仕事をメインにしていて、「ランチタイムはお店に出ますが、営業の準備、片付け、掃除、飲料と消耗品の在庫管理、経理の仕事をしつつ、夜も毎日お店に出て、かつ自分の仕事もするのは無理です」とシェフに主張し、自分の仕事が忙しい時のディナータイムは休ませてもらうことにしたのです。

高校一年生になったばかりのバイト君は、少年らしいあどけなさを残した、華奢で、線が細く、背の高い男の子でした。多感な年頃のせいか、無口で、必要なことだけを小声でぼそっとつぶやくように話しました。当時流行していたムートンのショートブーツを履いて、制服のズボンを下着が見えるギリギリまで下げて履き(いわゆる「腰パン」ですね)、指先で長い前髪をよくいじっていました。まさに「イマドキの高校生」です。

シェフは彼に、料理のイロハを事細かく教えました。はたから見ていて「高校生のバイトにそこまでやる?」と思うほど、料理見習いを相手にするかのように、野菜や肉の下ごしらえの仕方、フォンの取り方、火入れの仕方、調理器具の使い方……ヒマにまかせて何でも教えこんでいました。バイト君は、興味があるのかないのかわからない無表情のまま、「はい」「わかりました」と言いながら、シェフに命じられたことを淡々とこなしていました。

仕事が終わると、シェフがまかないを出しました。「うちの味を覚えるのも仕事のうち」と、若鶏のソテー、バヴェット肉のグリエ、まかない用のラム肉カレー、オニオングラタンスープなどを、「ほら、食え」「どうだ、うまいだろ」などと言いながら食べさせていました。時間がない時は、バゲットに田舎風パテを挟んでサンドイッチにし、「食いながら帰れ」と手渡していました。彼はそういう時も無表情のまま、軽く頭を下げて「あざっす」と一言。翌日シェフが「昨日のサンドイッチ、うまかったか?」と尋ねても、やはり無表情で「はい」と小声で答えるだけでした。わたしはそういうようすを見ながら、「高校一年生でフランス料理の味はわからないだろうなあ、内心『マックのほうがうまい』とか思ってるんだろうなあ」と思っていました。

相手の反応がどんなに薄くても、シェフはあまり気にならないようでした。まるで自分の子供か弟子のように、あれこれ構いながら、時々小言を言いながら、嬉しそうに一緒に仕事をしていました。確かに、無口で無愛想ですが、根は素直ないい子のようでした。自分から積極的に動くことはないものの、言われたことは嫌な顔ひとつ見せず、黙々とこなしました。ニンジンの面取りのような単純作業を命じられても、面倒臭そうなそぶりも見せずに、真剣な表情で取り組んでいました。

結局、半年強くらいはうちにいたでしょうか。事情があって辞めたい、と突然言われたのですが、「もっと時給のいいバイトを見つけたのかな。シェフの人づかいの荒さにうんざりしたのかも」とわたしは内心思っていました。

その後、彼に会う機会はありませんでした。が、つい数週間前、突然ランチタイムにやってきたのです。あれから14年とちょっと、シェフは顔を見てすぐにわかったようですが、わたしはパッと見ではわかりませんでした。

よく見ると、顔自体はむかしとあまり変わっていなくて、でも線が太くなり、体格ががっしりして、丸みを帯びた柔らかい雰囲気になっていました。山鹿から遠い町にご家族と一緒に暮らしているのだそうです。社会人として、夫として、二児の父親としての責任を担い、オトナとしての余裕、自信、包容力に溢れていました。あの線が細かった少年がこんなに立派な青年に! 15年という月日の重さをひしひしと感じました。

でも、一番驚いたのが、同行されていた奥さんのことばでした。
「この人、『あのお店の料理はすっごくおいしかったんだ、いつか一緒に行こう』ってしょっちゅう言ってたんですよ」

ええーっ!!!

あの無表情の裏で、そんなふうに思ってたの?

元バイト君「まかないでいただいたラム肉のカレー、めちゃくちゃおいしかったから真似して作ってみたんですけど、あんなにおいしくできませんでした」
奥さん「オニオングラタンスープも作ってくれたんですよ。確かこんなふうだったなあ、とか言いながら」
元バイト君「あのサンドイッチもめっちゃうまかったです。あれを食べながら、自転車をこいで帰ったのがなつかしい」

そして厨房を覗きこむと、「ああ、変わってないなあ」となつかしそうに目を細めました。

わたしはその横顔をそっと盗み見ながら、不思議な感慨にとらわれていました。この31歳の青年は、「16歳の少年だったころの思い出」として、あの頃のここでの時間を大事にしまっておいてくれたんだ、と。

そのしまっておいた記憶が、どういう色、形、音、匂いをしているか、自分の経験に置き換えるとなんだかよくわかる気がして、それはわたしたちが記憶する15年前より、もっとずっとかけがえのない、どこか切なく、かすかに痛くて、当時の彼が抱えていたであろう他のさまざまな現実と結びついた、甘さと苦さを伴う思い出の背景となっていたのかもしれないと想像し、思わず胸が熱くなったのです。

今は全然違う業種の仕事に就いているそうですが、奥さんによると「料理には興味があって、けっこう色々作ってくれるんです」とのこと。「ニンジンの面取りまでするんですよ(笑)」。

あ、面取りしてるんだ!(←シェフはむかしはしてたけど、今はしてない) 

いずれにしても、これって、15年続けてきたことに対する、神様からシェフへのご褒美なんじゃ? 

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桜ももう終わりましたね。

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レモンの木をいただきました(本文とは無関係です)。





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2019411日、当店はオープン15周年を迎えました。

月並みな表現しかできなくてはがゆいですが、まさにあっという間の15年間でした。15年前、できあがったばかりの小さなお店にオープン前夜にやってきて、シェフが厨房のあれこれをチェックしているようすを遠巻きに眺めつつ、何もわからないまま(飲食業もサービス業もやったことがなかった)、不安と期待に包まれていたのが、ついこの間のことのようです。

シェフは、高校を卒業してすぐに故郷の山鹿を離れ、大阪、東京、フランスで20年以上修行を積んできましたが、ずっと「いつかは山鹿へ戻ってお店をやりたい」という夢を持ちつづけてきました。年齢的には遅めのスタートになりましたが、ようやく叶った夢は決して手放さない、自分のやりたいことに妥協はしない、という思いは最初から強く、今もずっと変わらず抱きつづけていると思います。

それでも「自分が食べたいもの、自分が作りたいものを、自分の目が届く範囲内で(つまりは店内で)、自分が納得できるスタイルで提供しつづける」という意志は、田舎で貫くには「わがまま」「自分勝手」と捉えられかねないと思います。実際、お客さまのご希望・ご要望にお応えできずに、ご不満のお言葉やお怒りをいただくことも多々ありました。オープンから数年間は、あまりのお客さんの少なさに、何度わたしからシェフに料理や店舗のスタイルについて妥協案を提示したことでしょう。でもシェフは頑として自らの決意を曲げようとしませんでした。

それがよかったのか、悪かったのか、今でもよくわかりません。でもとりあえず、「ま、こんな店が一軒くらいあってもいいんじゃないかね?」と自分たちに言い聞かせつつ、ごりごりと押し通してまいりました。

もしかしたら、そんな「わがまま」も、15年貫き通せばどうにか「ポリシー」になるのかもしれません(笑)。そのままでいいよ、と受け入れてくださるお客さまに次第に恵まれるようになりました。その一方で、「こんなわがままなお店はごめんこうむる」と、ピタリと寄りつかれない方も少なくなかったと思います。それもまあ、お互いの精神安定上にはよいことだったのでしょう。お店と人との出会いは、人と人との出会いと同じように、ご縁と相性に尽きるように思います。結局、よいとか悪いとか、正しいとか間違ってるとか、流行ってるとか古臭いとか、今ハマってるとかもう終わったとか、コスパがいいとか悪いとかではなく、そういうことなのではないかしら、と。50代にもなって青くさいことを、と思われるかもしれませんが、それでもやはり。

……というわけで、調子に乗って(?)「わがまま」っぷりは今後も維持する予定ですが(プラス、加齢による「偏屈さ」がアップするかもしれません、お気をつけて(笑))、ご愛顧くださってるお客さまに愛想をつかされることのないよう、今後とも精進してまいります。まだまだ未熟な点、不足している点が多いことは重々自覚しておりますので(そういう自覚が年を経るごとに増えていくのはどうしたことでしょう)、少しでも改善できるよう努める所存です。どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。


さて、ここでついでに、わたしコパマネの個人的な思いも。

15年間を通しての一番の感想は「わたし、強くなったなあ」です。

人見知りで、自信がなくて、自意識過剰で、たくさん人がいるところが苦手で、個人主義的で、自分が好きなことしかしたくなくて、面倒くさいことは避けて通ってて、自分のことで精一杯で他者への思いやりに欠ける、とにかく自分勝手で自己チューな人間で、今もまあ基本はそのままだと思うのですが(苦笑)、「わたしが変わらないとお店がつぶれる」という危機感だけで、どうにか自分と戦いながらやってきた、という感じです。

シェフは料理のことで精一杯だし、料理以外のことは何もわからないし、そもそもあまり興味がない(苦笑)。でもレストランは、とりわけフランス料理店は、おいしい料理だけ出していれば成り立つというものではない。わたしもいっぱしに最初からそういう思いだけは強かったのですが、だからといって何のノウハウも技術もなく、性格的にも(上記の通り)向いてないので、あーでもないこーでもないと試行錯誤しながら、自分なりの「ノウハウ」を、ぜーぜー言いながらジェンガのようにひとつずつ築いてきたような気がします。

そして15年目の今、こうして不器用ながらも身につけた「ノウハウ」が、プライベートの自分自身にも大きな影響を与えていることをひしひしと感じます。つまり、むりやり作りあげた「お店でのわたしのあるべき姿」が、本当のわたし自身をも変えてしまったのです。

正直、わたしは若い頃からずっとある種の生きづらさを抱えてきましたが、今が一番生きるのが楽しいです。お店で身につけた「ノウハウ」は、わたしにとっては生きるための「ノウハウ」でもありました。

すべてはコパンの、つまりはコパンのお客さまのおかげです。いつも本当にありがとうございます。これからもどうぞ末長くよろしくお願いします。皆さんにお会いできるのを毎日楽しみにしております。


本当は別のことを(オープン当時のバイト君のエピソードを)書くつもりだったのですが(おかしいな)、長くなってしまったのでそれはまた次回に。


取り急ぎ、15周年のご挨拶まで。

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15歳のコパン(2019年4月11日)。

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0歳のコパン(2004年4月10日)。




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軽蔑。

今さらですが、1930〜60年代に活躍したアルベルト・モラヴィアというイタリア人作家にはまってます。古本屋さんで買った『孤独な青年』(1951)(ベルトルッチの映画『暗殺の森』の原作)がおもしろかったので、今度はゴダールの映画の原作『軽蔑』(1954)を。

これ、邦訳文庫版は67年に出てるようですが、表紙もいいですねえ。60sっぽいですね。

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これまたおもしろかったー。うーん、ゴダール好きを自称するわたしですが、映画より好きかもしれません(映画が小説に勝るのはBBの美しさとフリッツ・ラングと音楽くらいかしら)。

あらすじ。戯曲家になりたいのに仕事がなくて、渋々ながら映画のシナリオライターとして生活費を稼いでいる、20代後半のリカルドが主人公。タイピストのエミリアと結婚して2年、ずっとラブラブだったのに、この頃急に妻の態度が冷たくなった。それとなく理由を尋ねても「わたしは変わらない」の一点張り。でも笑顔が少なくなり、会話もなくなり、リカルドに触れられるのも嫌がるように。しつこく問いただすと、「正直言って、もうあなたを愛してないの。あなたを軽蔑してる」と面と向かって言われて、大ショック。ストーリーはリカルドのモノローグの形で進みます。妻に軽蔑される原因が思い当たらず、エンドレスに悶々と自問しつづけます。

「このおれが軽蔑されるなんて! おれは嫁を喜ばせるために、ローンを組んで高級住宅街にマンションと自家用車を買ってやり、返済のためにやりたくもない仕事をして、いつだって嫁のために尽くしてきたのに。エミリアの実家は母親と二人暮らしの貧乏で、たいした教育も受けてない。美人だけがとりえの、しがないタイピストを拾ってやったつもりだった。一方のおれは、こう言ってはなんだが、学歴があってインテリだ。戯曲家として有名になってもおかしくないのに、金のためにプロデューサーや監督に才能を絞りとられながらシナリオライターをやっている。だが、自分でも嫌になるほどマジメだから、受けた仕事は全力でやっている。このおれがどうして嫁に軽蔑されなきゃならないんだ?」(←意訳。原作はもっと抑制された表現です)

いや、そこだよ、そこ(笑)。

でも、リカルド君は気づかないんですねえ。いえ、ゴリラ顔した金持ちで俗物の映画プロデューサーの高級車の助手席に、嫌がる妻を無理やり乗せたのが原因、と思いついたようですが、それさあ、たぶん彼女が爆発するきっかけになっただけで、ほかにいろいろあったのをずっと我慢してきたんじゃないかなあ。で、あなたがバカにしてるゴリラプロデューサーは、あなたのように愚痴っぽくも理屈っぽくもなく、頭の中であれこれ考えすぎてめんどくさい言動をしたりもせず、ストレートでわかりやすいからエミリアは好感を持ったんですよ(まあ、一緒に暮らせるかどうかは別として)。

さて、リカルドは、エミリアが自分を軽蔑する原因を見つけることができたでしょうか。そして、ふたたび彼女と愛しあえるようになったのでしょうか。……小説の結末はすごいです。ゴダールの映画より100倍いい。

それから、「ホメロスの『オデュッセイア』で、ユリシーズは妻のペネロペに軽蔑されているののが辛くて、故郷のイタケーに帰るのをわざと引き伸ばした」という解釈が作中で語られていて、それがリカルドとエミリアの関係とみるみる重なっていく描写も見事です。これもゴダールの映画では味わえないカタルシスでした。

それにしても、ネットを見ると、世間にはリカルド君に共感する男性がけっこう多いことに驚きます。で、「女というのはこうやってころっと気持ちが変わるものだ」とか言ったりして。

わかってないのう(ため息)。

それにしても、男性読者はリカルドに、女性読者はエミリアに、ちゃんと感情移入できるように書いてるモラヴィアはやっぱりすごい。男は「女って……」とため息をつき、女は「男って……」と呆れる。でもわたしが想像するに、終盤のリカルドの超めんどくさい思考回路(とくに第21章)は、モラヴィア自身も「こいつ、ほんっとにめんどくさいやつだな」と、苦笑しながら書いてたんじゃないかしら。

そう考えると、ゴダールの映画はやっぱり男目線すぎる。申し訳ないけど、実生活でアンヌ・ヴィアゼムスキー(←好き)に軽蔑されちゃうのも無理はないです。まあ、だからこそBBをあれだけキレイに撮れるのでしょうけれど。

興味があるかたは、エリアーデの『マントレイ』と一緒に収められたものが河出書房新社から出ていますので、ぜひ。


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老眼鏡をもらってくださる方を探しています。

「クイックリーダー」という名の老眼鏡です。フロント部分がマグネットになっていて、ワンタッチで着脱できます。首元にフィットする形なので、動いても揺れたり落としたりしません。アクティブな場でも便利に使えると思います。

たとえばわたし、常連のお客様ならよくご存知だと思いますが、お店の営業中、もはやこれなしでは仕事ができません。料理を盛りつける時、コーヒーを入れる時、ワインを注ぐ時などには必ず使うのですが、少し遠くを見る時には不要です。したがって、営業時間中に何十回もつけたりはずしたりしているのですが、まったくストレスになりません。

今回手放すのは、老眼が進行したため、度数が高いものに買い替えたからです(またクリックリーダーです)。でもどこも不具合はないので捨てるにしのびなく、もしもらってくださる方がいらっしゃれば……と、こうしてお尋ねしている次第です。度数は+1.0なので、あまり老眼が進行していない方向けです。

以下、何枚か写真を撮りましたので、ご参照ください。

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背面がゆるやかなカーブになっていて首元にフィットします。色はどんな服装にも合う「クリアグレイ」です。シンプルなのでファッションを選びませんし、今流行りのグレイヘアにもよく合います。男女兼用です。

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こんなふうにフロント部分のマグネットで着脱します。

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つけるとこんな感じです。

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正面から見るとこんな感じです。

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レンズにはほとんど傷が入ってません。側面のアジャスターで大きさを調整できます。ネジがゆるんだら締めてください。

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上から見るとこんな感じです。

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専用の「携帯用ソフトケース」もおつけします。

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こんなふうにして携帯できます。

クリックリーダーの詳細はこちらをどうぞ。

クリックリーダーの販売店は限られているので、熊本ではなかなか見つからないと思います。

お店に取りに来てくださる方限定で無償で差し上げます。複数のご希望があった場合、うちにご来店くださっているお客様をご優先させていただきます。ご了承ください。

キレイにクリーニングをしてありますが、3年半ほぼ毎日使ってましたので、それなりの使用感があることはご了承ください。ただ、大きな傷、破損、ぐらつきなどはないので、ふつうに使っていただけると思います。

お電話、メール、FBなどでご連絡ください。お待ちしてます。

2月21日追記)メガネは無事にとてもよく似合う方へお嫁入りしました。ありがとうございました。



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