コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

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翻訳者と翻訳家。

ずっと「翻訳家」と名乗るのを拒んできました。そんな器じゃない、実力もないのに「家」だなんておこがましい、と。

訳書の「訳者略歴」を書く時も、いつも肩書きを「翻訳者」としてきました。でも共訳の場合、ほかの訳者さんは「翻訳家」なのにわたしだけが「翻訳者」なので、そういう時は編集者さんや恩師から「翻訳家にしていいですか?」と説得されます(すみません、めんどくさいやつで)。「ええ、わかりました」と言いつつ、内心は渋々でした。

一生、自分は「翻訳家」ではなく「翻訳者」でいよう、と思っていました。

ついこの間までは。

先日、わたしは自分の肩書きを正式に「翻訳家」に変えました(自分で勝手に変えられちゃうところが、まあ、なんですが)。でも決して、相応の実力がついた、と自信がついたわけではないです。わたしの実力なんて、数年前とたいして変わらないはずです。もちろん、最新の訳書がちょっぴり売れてるから、でもないです。それを言うなら、10年ほど前に訳した本で、第9刷まで出てるひそかなロングセラーもあります(実は)。だから、それによって気持ちが変わったわけではありません。

でも、確実に何かが変わりました。では、何が?

一言で言うと、責任をとる覚悟がようやくできたから、と言えると思います。自分はまだ修行の身だから、実力がないから、と、「翻訳者」というアマとプロの間のような薄くてあいまいな肩書きに逃げこむのをやめる勇気がようやくつきました。いや、「翻訳者」だから逃げられると思っていたわけではないのですけどね……(苦笑)、でも心のどこかで、「あの程度の仕事で翻訳家?」とひとさまに思われるのが怖かったんですね、たぶん。

では、どうしてこの後におよんで? 出版翻訳のしごとをしてもう14年経つというのに、どうして今さら?

自分が「どういう翻訳者」か、今さらながらようやくわかったからです(遅すぎ)。そして、「今後、どういう翻訳者になりたいか」も。

おそらく、翻訳者によって、訳している時の頭の中って十人十色なのでしょうけれど(他の翻訳者さんときちんと話したことがないのでよくわかりませんが)、わたしの場合に限るなら、よく言われる「横のものを縦にする」という感じはまったくなくて、横のものを脳内で一旦映像化して、その映像を縦にする、というプロセスを行なっています。意識的にやっているというより、翻訳モードにスイッチが入ると、自動的に頭の中がそういうしくみになる、という感じです。

そして、一冊の本に関してそのプロセスをずっと繰り返していると、だんだん著者と自分が一体化していくのです。ちょっと憑依っぽい感じです(正式な憑依をよく知らないのですが、まあ、印象として)。著者と同じものを見ている(と信じてる)からでしょう。だから、仮にある文章について、著者が見ている(はずの)映像が見えてこないことがあると、見えるようになるまでとことん背景を調べます。その文章を書くまでに著者が会ったはずの人物、読んだはずのことば、行ったはずの場所についてネットで調べ、自分もその人に会い、そのことばを読み、その場所へ行ったつもりになります。日本語とフランス語だけでなく、英語、時にはイタリア語や中国語のサイトも調べます(Google翻訳さん、ありがとう)。その上で、著者がその文章をどういう思いで書いたか、何度も何度も読み返しながら本人になりきったつもりで考えます。そうしていると、必ず「その時」が訪れるのです。経験上、「見える瞬間」がやってくるのです、たとえどんなに時間がかかっても。

その作業のせいで、たった一行を訳すのに一時間近くかかることもあります。でも、見えた時は本当に嬉しい。それが見えることで、著者がその前後、あるいはそのずっと前や先の文章で伝えたかったことも、より深く理解できるようになることがほとんどだからです。パズルがぴったりはまったような嬉しさ。その瞬間こそが、おそらく、わたしにとって翻訳の一番の醍醐味かもしれません。

そういうふうに訳しているから、訳文提出後、編集者さんから「ここのところ、こういう意味ですよね?」などと尋ねられると、つい、「いえ、ここはそうじゃなくてこういうつもりだったのですが、わかりにくかったですか? じゃあ、書き直します」とか、言っちゃうのですよね(実際に言ってしまいました)、「訳し直します」ではなく。

なんとなく、役者さん(奇しくも「訳者」と読み方が同じですが)って、こういう感じなのかな、と思ったりしています。

だとしたら、わたしはいろいろな役を演じてみたい。いろいろな人の心の中のイメージを、伝えたいメッセージを、代わりに伝える役をもっと演じたい。

これまで、心理学者、医師、科学者、ジャーナリスト、イラストレーター、哲学者、実業家などの方々のことばを、代理で伝える努力をしてきました。老若男女さまざまな方たちで、ご存命の方がほとんどですが、亡くなられた方もいらっしゃいます。

いろいろな人になれる幸せ。

それが自分にとっての「翻訳」だとわかったから、ようやく「翻訳家」と名乗れるようになったのです。

この先、いくつの作品を訳す機会をいただけるかわかりませんが、わたしのやり方が通用する限りにおいて(いつか、時間に置いていかれたら終わりになるのかな、と思いつつ)、編集者さんたち(この職業の方たちには恐ろしいほどの炯眼の持ち主が多いのはどういうことなのでしょう?)に、たとえギリギリでも及第点をいただける限りにおいて、細々とでも続けたいと願っています。



……とまあ、お店にはまったく関係のない、しかも読んでおもしろくも役にも立たないことですが、翻訳者としての自分の今の状況を記録しておきたくて書いてしまいました。失礼しました。


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レコードの時代展。

先週の定休日、福岡のデパート、岩田屋の催事場で開催されていた「レコードの時代展」という展示会へ行ってきました。

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ネットでちらっと宣伝を見かけて気になっていたのが、確か、連休前のこと。その後すっかり忘れていたのですが、ご来店されたお客さまが観に行かれたとおっしゃったんです。

わたし「いかがでしたか?」
お客さま「よかったですよ」
わたし「もうすぐ終わっちゃうんですよねえ……でも今度の休みは熊本市内へ髪を切りに行く予定なんです」
お客さま「わたしなら、髪を諦めて見に行きますね」
わたし「!! そんなによかったですか!」
お客さま「ええ、見応えがありました」
わたし「じゃあ、行こうかな……ぼっさぼさの髪で仕事してもいいでしょうか」
お客さま「大丈夫です(笑)」

……ということで、行ってきました。
期待を上回る、とても楽しい展覧会でした。写真撮り放題だったので、撮りまくってきました。年代別に並べられていたのですが、実に壮観な眺めでした。

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本当はもっとたくさん撮ったんですけど(一枚ずつ撮ったものもあるし)、まあ、ここらへんで。

個人的に「おお」と思ったのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストアルバム、通称「バナナ・アルバム」のジャケットを見られたことでした。

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1967年発表のアルバムです。バナナの上のところに「PEEL SLOWLY AND SEE(ゆっくりはがして見てみてね)」と書かれています。で、初期の盤はステッカーをはがすとバナナの果肉が現れるらしい、ということは知ってたんです、知識として。でも、実物を見たことはありませんでした。でもほら、下のアップした写真。これ、果肉がありますよね? 中に? 初めて見た! これはうれしかったなあー。

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これだけでも見にきた甲斐があった、とホクホクしていたのですが、その後、作家さん別に展示されているコーナーを発見。そこにあの「鋤田さん」コーナーが。

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鋤田正義さん、福岡県直方市出身のカメラマンです。ロックミュージシャンの写真でよく知られていて、デヴィッド・ボウイのあの”Heroes”のジャケット(写真左上)を撮った方です。他に、マーク・ボラン、イギー・ポップ、忌野清志郎、シーナ&ロケッツ、YMOなどを撮りました。もうすぐ鋤田さんのドキュメンタリー映画も公開されるんですよね(一番上の写真に映画の宣伝ポスターが)。このコーナーもめちゃくちゃ嬉しかった。

……なのですが、実は、一番感動したのは、そのすぐ隣にあった「ピーター・サヴィル」コーナーでした。主にファクトリーレコードというレーベルに所属する、ミュージシャンのアルバムジャケットを手がけていたデザイナーさんです。半年くらい前だったでしょうか、この方が手がけるデザインがいいということに気づいて、ずっと気になっていたのでした。実際、他のたくさんのアルバムが並べられた会場であらためて見ると、やっぱりすごい。このコーナー、わたしにはキラキラ輝いてみえました。

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いやあ、やっぱり行ってよかったです。ええ、たとえその後一週間、どう頑張ってもまとまらないぼっさぼさの髪を振り乱しながら仕事をせざるをえなかったとしても(その間にいらしたお客さま皆さま、お見苦しいものをお見せしてすみませんでした)。

一週間後の今日、ようやくさっぱりしてきました。さあ、明日から気分もスッキリとまたがんばります。




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猫をさわりに相島へ。

少し前の定休日、福岡県糟屋郡新宮町というところの相島(あいのしま)へ行きました。新宮海岸から沖合8キロのところに浮かぶ島で、「猫島」として有名です。円周6キロほどの広さに、人間400人、猫100匹が生活すると言われています。愛猫トラを3年前に亡くして以来ずっとモフモフ不足のわれわれ、思いきり猫をさわりたいという欲求を満たしに行くことにしました。

新宮海岸と島を結ぶフェリーは一日5往復(3月末まで。4〜10月は6往復)。午前中の3便は釣り客で賑わっているそうですが、午後一番の14時40分の便はほとんど一眼レフを抱えた「撮り猫」(←という用法で合ってる?)ばかり。カメラ女子、家族連れ、カップルでフェリーはほぼ満席でした。

帰りの便は最終の17時。つまり、2時間以上島から出られません。飽きっぽいシェフは出かける前から「そんな小さな島で2時間も何したらいいんだろう……」と心配していましたが、「いや、猫見てればいいんじゃ?」というわたしの一言でとりあえず決行へ。

想像以上に猫だらけの島でした。以下、そのようすを写真にてお知らせします。

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漢たち。

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もぐもぐタイム。

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小さな子供が置いていったカリカリを前に。たぶん、すでに食べたのでもうあんまり食べたくない。

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堂々とした凛々しい子でした。

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お行儀のいい子。

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ちょびっとだけ、うちの故トラに似てます。

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ケンカに負けてすごすごと帰るひと。

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途中、立ち止まって海を眺めます。

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次に歩き出した時は少し元気を取り戻していました。

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で、ケンカに勝ったのはこの子、相島のスター、コムギさんです。コムギさんについては、詳しくはこちらをどうぞ。http://www.nhk.or.jp/darwin/special/cat2.html

ちなみにコムギさんの後ろにいるのは、カワイコちゃんをたぶらかすうちのおっさんです。

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相島は猫と人の距離感が絶妙でした。でもシェフ、帰ってきてから、「あんまりたくさんいるから目移りしちゃって、結局あんまり猫にさわれなかった……」と。やれやれ、いったいなんのために行ったのやら。

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わたしはひとりで行動するのがわりと好きです。ショッピング、映画、コンサート、旅行……なんでもひとりで楽しめます。ただ、唯一、ひとりでご飯を食べるのだけは苦手です。だからひとり旅をする時は、入りやすいカフェやファストフード店で簡単に済ませたり、お惣菜やお弁当を買ってホテルの部屋で食べたりします。もちろん、ひとりでフランス料理店に入った経験は皆無です。

そんなわたしが、生まれて初めて、たったひとりでフランス料理店へ行きました。しごとでひとり東京へ出かけた折に、わずかな空き時間を利用して訪れたのです、世界で一番好きなフランス料理店へ。

ランチタイムでした。予約時間5分すぎに到着したところ、すでに店内は満席。昨年シェフといっしょに訪れた時はがらがらだったので、これはやや想定外でした。ご年配の女性グループとカップルばかりで、おひとりさまはわたしひとり。しかもとても目立つ席です。店中の人たちが「あらまあ、ひとりで来てる人がいるわ。さみしいわねえ」と、くすくす笑いながらこちらを見ているような気がします。……いや、極度の自意識過剰なので、おそらく気のせいなのでしょうけれど。

のっけから針のむしろ状態。「ああ、やっぱりひとりなんてやめておけばよかった……」と、激しい後悔にさいなまれ、もはやそそくさと食事を終えて帰ることしか頭にありません。ですが、ここはいわゆる高級店。ランチタイムといえども、3時間くらいかけてコース料理を食べるのが当たり前。そうそう簡単に帰ることはできません。

前菜、魚料理、肉料理、デザートというコースを選択し、グラスシャンパーニュをオーダー。定員20名ほどの全テーブルで一斉にスタートなので(うちではとても考えられない……)、ふたりのサービススタッフは小走りで忙しそうにしています。……ふむ、よく考えたら、ここ、いい席かも。シャンパーニュのおかげで少し気持ちに余裕ができたのか、店内を眺めながらそう思いました。サービススタッフの作業台がすぐ目の前にあるのです。厨房から運ばれてきた料理を置いたり、ワインを抜栓してグラスに注いだり、下げたグラスやお皿を集めたりする作業を、すべて間近に見ることができます。

ふむふむ、なるほどね……グラスはその戸棚から出して、カトラリーはその引き出しに入っていて、ナフキンはその隣の引き出しで、動線スッキリして動きやすそうー……へえ、作業台の上がいっぱいになったら隣のチェストも使うのね(飾られてる置物をどかして)……あ、ボトル6割くらい残ってるシャンパーニュを使わずに新しいのを開けたのは、泡が消えてるから?すごーいさすが太っ腹……など、見ていてまったく飽きません。いつの間にか、最初の緊張をすっかり忘れてしまい、目の前で繰り広げられる光景に魅せられていました。

そして、料理は相変わらずとんでもなくおいしくて、アミューズ、前菜と、我を忘れて集中して味わいました。不思議なほどに、ひとりご飯の時にいつも感じるいたたまれなさ、身の置き所のなさをまったく感じず、次第に楽しく幸せな気持ちになっていきます。まるで魔法にかかったよう。

「ねえ、今日はどこから来たの?」
と、マネージャーに声をかけていただいたのは、前菜を食べ終えた頃でした。えーと、女性ではありません、そういう話し方をされる男性です。わたしの理想の人、憧れの人でもあります。

「熊本からです、さっき飛行機で着いたばかりです」
「ええーっ、熊本? どうして、なんで?」

ふだんなら、あまり突っ込んだ質問をされるのって少し苦手なのですが、この方の場合はまったく嫌な気がしません。むしろ、興味津々に尋ねていただけるのが嬉しくて、こちらもついベラベラと話をしてしまいます。熊本で小さなフランス料理店をしていること、うちのシェフもこのお店の大ファンであること、今回はわたしの別のしごとのためにひとりで上京したこと……。

「そうなの! じゃあ、うちは初めてじゃないんでしょう?」
「はい、何度も来たことがあります」
「あら、どうして覚えてないのかしら」
「うちのシェフもわたしもシャイなので、いつもお話できずにそそくさと帰ってしまうから」
「何言ってんの、あなた、全然シャイじゃないじゃない(笑)」

くーーーっ、わたし、今憧れの人と会話してるーーっ、超うれしーーい!!(←心の声です)

その後も、「いつまでいるの」「この後どうするの」「そういえば熊本ってさ……」などと、お忙しい中を何度も話しかけてくださいました。きっと、ひとりで退屈しないよう、少しでも楽しんでもらえるよう、気を使ってくださったのでしょう。でも、気を使っているそぶりなど少しも見せず、表情も動作も口調もすべてが自然です。初めてお話するお客さまに対して、わたしはこんなふうに接することはできない……すごい……。わたしの隣には常連さんらしいご夫婦がいらっしゃって、そちらのおふたりとも楽しそうに世間話をされているのですが、おしゃべりのきっかけを作られるのが実にお上手です。間の取り方、距離感の作り方も完璧。気さくだけど品があって、親しげだけど馴れ馴れしくなくて、会話の糸口をするっとつかんでみるみるお客さまをなごませてしまう。そして干渉過多にならず、決してお食事の邪魔もせず、楽しさの余韻だけを残して、絶妙なタイミングでフェイドアウトされる。素晴らしい。まさに名人芸です。

食事中、グラスシャンパーニュを2杯飲みました。このすぐ後にしごとの予定があったので、本当は1杯だけにするつもりだったのですが、えーい、こんなにおいしいお料理を食べてるのに飲まずにいられるものですか。わたしはなぜかシャンパーニュが一番酔わないので、赤ワインには行かずにこれだけに絞ったのです。

お肉料理を終え、デザートとコーヒーを待ちながら、またしてもサービススタッフの動きに見惚れていると、作業台でマネージャーがかなり高級そうなワインを抜栓し始めました。あの琥珀色は……貴腐ワイン? すごーい、高そう……いったい誰が飲むんだろう。わあ、あんなに大きなグラスに注いで……。

すると、マネージャーは、その琥珀色の液体が入ったグラスを手にくるりと後ろを振り返り、つかつかとわたしのほうへやってきたのです。

「はい。これ、貴腐ワインのシャトー・×××。銀座のヤ×ザにグラス8000円で出してるやつ」

ええーーーーーっ、わ、わたしにっ!!!??? しかも、な、な、なんですか、そのめちゃくちゃカッコいい決め台詞はっ!!??

もう、天にも上るほど嬉しかったし、ありえないくらいおいしかったです。今まで飲んだワインの中で最高の味でした。涙が出るほどでした。

帰りぎわ、厨房からシェフも出てきてくださいました(←うちのシェフが雲の上の存在のように憧れている方です)。3時間前の来店時のあの後悔と気詰まりが嘘のよう。「また来ます!」と大声で宣言し、スキップをしながら夢見心地で帰途につきました。

そんなわけで、結局、ワインを3杯飲んでしごとをする羽目になってしまいました……。ああ、顔に出ないタイプでよかった。

忘れられないうちにまた伺うつもりです。ええ、次はうちのシェフを連れていってさしあげてもよろしくってよ、こほん(←偉そう)。

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その日の東京の夜。しごとも滞りなく済ませて、幸せな1日でした。このために、3月中にお店を1日臨時休業させていただいて、すみませんでした。





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嬉しい話。

わたしの母は40年近く同じところでパートをしています。横浜市内に支店がいくつかあるチェーンの喫茶店。「もういい年だからそろそろ……」と辞めようとしても、長年のおつきあいがある社長夫妻にいつも引き止めていただき、ずるずると働き続けているのだそうです。

母「こないだね、勤め先であなたと同じ年頃の男性に声をかけられたの」
わたし「うん」
母「ちょっと離れたところでこっちをちらちら見ながら、一緒にいた人とこそこそ話をしてたのね。それから、意を決したようにこちらへやってきて、『あのう、失礼ですが、ずいぶん前に○○で働いてませんでしたか?』って」
わたし「へえ」
母「わたしが『ええ、いましたよ』って言うと『やっぱり!』と笑って、『当時、○○によく行ってた者です。あの頃は大変お世話になりました。どうもありがとうございました』って。深々とお辞儀して」
わたし「!!!」

母は40年間、喫茶店チェーンのあちこちの支店を異動していましたが、わたしが中学生の頃は、中学校の近くにあった○○で働いていました。当時、うちの中学校はすごく荒れていて、その喫茶店は同級生の不良たちの溜まり場でした。転入生だったわたしは学校になじめず、不良たちを忌み嫌っていたので、当時は「やめなよー! あんなところで働いたら、あいつらに何されるかわかんないよ!」と猛反対。学校の先生にも暴力を振るうような子たちでしたから。でも母は「へーき、へーき、そんなの」と一笑し、ほぼ毎日そこで働きはじめたのです。

わたし「それって、叱ってくれてありがとう、って意味?」
母「そうよー。だってあの子たち、たとえばガチャガチャやるのに両替したいからって、カウンターにバンッと100円玉置いて『10円っ!』って言うのよ。だからそのたびに『何、10円がどうしたの?』って言うの。すると、『あー、すいません、10円に換えてくださーい』って言い直してた」
わたし「へえ」
母「平日の昼間に来てたから『学校行きなさいよ!』ってよく叱ったものよ」
わたし「よくキレられなかったね」
母「素直だったわよ。『はーい』って言ってた」
わたし「信じられん」
母「でも叱ってばかりじゃなかったわよ。当時、毎週『マガジン』と『ジャンプ』が入ってくるんだけど、すぐに売り切れちゃうのね。ある時、『ジャンプちょうだい!』って買いにきた子に『もう売れちゃった』って言ったらがっかりして。『毎週買いに来るならとっといてあげるわよ』って言ったらすごく喜んでた」
わたし「そうなんだ」

自分が中学生の頃は、同級生たちが入り浸ってる店の話など聞きたくなかったから、そんな話は初めて知りました。

わたし「今思えば、そんなに悪い子たちじゃなかったのかな」
母「そうよ、かわいいもんだったわよ。今の子たちのほうが怖いわよ、注意できないもん。いい時代だったわ」

それにしても、叱った母のことをちゃんと覚えていて、わざわざお礼を言ってくれたなんて、今では自分も子供を持って思うところでもあったのかしら。たぶん、同級生の可能性が高いと思うのだけども。

ちょっと嬉しい話を聞けました。


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数年ぶりに訪れた場所で、木が高くなり、緑が深くなり、同じような建物が並ぶので、見た感じはどこがどこなのかわからなくなってしまっても、不思議と足が覚えてるものですね。視覚ではなく足の感覚に頼って歩けば、自然と目的地にたどり着きます、不思議と。


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