コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全361ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

一年後。

震災から一年。

いろいろな立場のかたたちが、さまざまな思いで迎えた一年、だと思います。

以下は、熊本県内という震災エリアでありつつ、ほぼまったく被害を受けなかった「あるちいさなフランス料理店」から見た一年です。当事者とは言えないかもしれないけれど、無関係では決してない。被災されたかたたちのつらさ、苦しさにどこまで寄り添えただろうか、と反省する一年。まだ終わりではないし、これで一段落とも思わないけれど、振り返るきっかけとしての一年。誰のために? たぶん、自分自身のために。



2016年4月14日(木)
木曜なのでディナータイムのみ営業。早めにお客さまが帰られたので、早めにクローズ。自宅に戻って夜まかないを食べようとしたちょうどそのとき、21時半くらいに大きな揺れ。書棚の棚が落ち、食卓の上の料理がこぼれる。

4月15日(金)
ランチ、ディナーともに平常どおり営業。自宅で夜まかないを食べ、シェフは11時ごろ就寝。わたしはいつものように夜更かし。図書館から借りてきた本を読み、テレビ『探偵ナイトスクープ』を観る。いつもなら続けて『タモリ倶楽部』を観るところを、今日は早めに寝ようとテレビを消す。その瞬間、前日以上の大きな揺れ。再び書棚が崩れる。午前1時半。その後、余震に耐えながら朝までテレビの緊急番組を観続ける。

4月16日(土)
ご予約のお客さまにご連絡をし、臨時休業。わたしはテレビとネットで情報収集。シェフは物資の調達へ。余震がひどいので万一に備え、水、食料、着替え、ラジオ、懐中電灯、毛布などを車に積み、避難の準備をする。

4月17日(日)
近所のドラッグストアで物資を調達。店内はたくさんのひとで溢れかえり、何もかもが品切れ状態。食料、水、オムツ、生理用品などをクルマにぎゅうぎゅうに詰めこみ、知り合いに紹介していただいた避難所へ届けに行く。道路はすでに県外ナンバーの支援車で渋滞。片道一時間の道のりに3、4倍の時間がかかる。大きく陥没、切断、隆起する道路。橋の前後の大きな段差。粉々になったブロック塀。一階がつぶれたビル。ひしゃげた一軒家。窓ガラスが吹き飛ばされたパチンコ店や自動車販売店。よく見知っている街々の変わり果てた姿。

4月18日(月)
山鹿市内の物資はほぼ枯渇状態。とある店舗にまだあるという情報を聞いて駆けつける。衛生用品(歯ブラシ、タオル、シャンプー、生理用品など)、食料などを買いこみ、福岡県内の支援団体へ届けにいく。全国から大量に物資を集め、トラックであちこちの避難所に届けてくれるという団体だ。山鹿からそこまでの道はスムーズ。熊本市内の道路交通の妨げにならずに済んだ。

イメージ 1

イメージ 2

4月19日(火)〜
迷った末、日が高い時間帯(12:00〜17:00)に限って営業を再開。万一夜間に大きな揺れがあった場合、お客さまの安全を守れる自信がないから。ご近所のかたたち、そして避難所暮らしや車中泊をされているという遠方のかたたちにご来店いただく。なるべくいつもどおりの雰囲気で、いつもどおりのお食事をご提供するよう心がける。避難生活をされてるかたに温泉チケットを差し上げる。

4月20日(水)
当日のわたしのFB投稿より抜粋(主に「支援したいけど状況がよくわからない」と言う関東地方の友人に向けて投稿した)。地震から3日目で、すでに状況が刻々と変わっていった。

「これまでは、熊本市と周辺市町村を中心に、ライフラインが途切れていたため商店がことごとく休業し、配送手段も途絶えていたため、物資が大幅に不足していました。とくに、食料、水、衛生用品の確保が急務でした。ただ、今日くらいから、ヤマトや佐川などの運送会社が配送を復活し、コンビニが続々と再開し、県外からの支援物資も集まってきていて(ただし末端に行き渡るのに時間がかかっていますが)、徐々に物不足から解消されつつあります。個人レベル、企業レベルでの炊き出しが増え、熊本市内外での商店、飲食店も再開するところが出てきました。その一方で、今度は、避難所に身を寄せている被災者の健康・衛生面の問題が表面化するようになりました。心身ともに疲労がたまり、とくに幼いお子さん、ご病気のかたたち、年配のかたたちが心配です。エコノミークラス症候群、ノロウィルスなどの感染症も危惧されています」

震源地に近いところに本社がある業者さんが、いつものように商品を配達してくださることに驚く。ライフラインが通っていない、窓ガラスの多くが割れている状態で営業されているという。

4月25日(月)
定休日。息抜きに「黒木の大藤」を見に行くが、閑散としている。自粛ムードで誰も来ないのだという。

イメージ 5

イメージ 6

4月26日(火)〜
平常どおりの営業を再開。常連のお客さまにあちこちからご来店いただく。福岡方面のお客さまにはねぎらいのおことばをいただくも、被災していないので心苦しく思う。熊本方面のお客さまの多くは不便を強いられる生活をされていて、お話を伺ってやはり心苦しく思う。

熊本市内や近郊の、行きつけのお店、知り合いのお店の多くが被災し、臨時休業を余儀なくされていることを知る。

余震が続くので地震酔いになり、頭がくらくらし、軽い吐き気を感じる。

5月
GWの連休中、多くの被災されたお客さまにご来店いただく。「山鹿は別世界ですね」と皆さん一様におっしゃられる。

ほぼすべてのお客さまが「器はいいものから割れていく」とおっしゃっる。作家さんの陶器や高級磁器はことごとく割れ、どうでもいい100均の器だけが無傷で残る、と。

ほぼすべてのお客さまが、すさまじい体験をし、九死に一生を得る思いをし、ライフラインや物資が途切れた生活を余儀なくされ、避難所でへとへとになり、余震におびえつつも、「うちはまだまし」「こうして生きているのだから大丈夫」と、笑顔でおっしゃる。

多くのお客さまが、「おいしかった」「癒された」「いっときでも疲れを忘れられた」「久しぶりにゆっくり食事ができた」とおっしゃって、まだ片づいていない、余震が多いご自宅へ一時間以上かけてお帰りになる。

毎日、営業後に泣きくずれそうになる。

イメージ 3

6月
震災以外のことを少しずつ考えられるようになる。本を読んだり音楽を聴いたりするのを「不謹慎」「無神経」だと思っていたのが、ようやく読んだり聴いたりできるようになる。

バスで熊本市内へ行く途中、熊本城の横を通り、崩れた石垣を間近に見る。

休日、熊本市内の病院で人間ドックを受ける(震災前に申し込んでいた)。延期になるだろうと思っていたのに、ふつうどおりに受検できることに驚く。一部、天井が崩れ落ちていた。

震災のためにペットが体調を崩したり、命を落としたり、いなくなってしまったり、逆に迷子になった子を保護したり、といった話を頻繁に聞くようになる。

崩壊した自宅の本棚はすでに解体し、大量の本を床の上に積んでおいたが(大きな余震を恐れて元どおりにできなかった)、ようやく新しい書棚を買いにいく。同じ状況のひとが多かったのか、ホームセンター二軒で売り切れ。三軒めでようやく入手。

レストラン(restaurant)の語源が「リストア(=復活させる、元気を回復させる)する場所」「滋養のある食べものを提供して元気を取り戻してもらう場所」であることにあらためて気づき、そうあろうと心に決める。

7月
なぜか、4、5年以上ぶりにお目にかかる、なつかしいかたたちが複数ご来店される。

ひどく被災されたかたにご来店いただく機会が増える。「うちはひどかったんですよ」とおっしゃいながら、ご自分の体験をお話ししてくださる。壮絶な体験をしてらっしゃるのに、皆さんとても明るい。笑顔で「また来ます!」とおっしゃっていただく。

ポケモンGOをするひとたちの姿が目につくようになる。

「がんばるけん」
「がんばるばい」
「がんばるたい」
「がんばるもん」
どれが熊本弁の正解?……とシェフに尋ねるが……どうも要領を得ない(聞いた相手が悪かった)。

8月
熊本市内のほとんどの映画館が震災の影響で休業しているなか、ようやく営業再開した遠方の映画館に『シン・ゴジラ』を観にいく。かなり混雑している。館内でも余震を感じる。道中、道路が大きく隆起していた。

二の丸広場へ行き、間近で熊本城を眺める。

イメージ 4

震災以降、4キロ痩せる(ちょっと嬉しい)……が、誰も気づいてくれない(涙)。

9月
毎年行われる飲食業向けの展示会が、会場が避難所になっているため、今年は北九州で行われる。遠いので訪問を断念。

10月
山鹿の八千代座にて、中村獅童さん/市川海老蔵さん(10月8日〜11日)、そして坂東玉三郎さん(10月29日〜11月3日)の公演が行われる。公演前後のお食事に、と、遠方からいろいろなかたに来ていただく。福岡方面からいらっしゃったかたたちに震災の心配をしていただき、心苦しく思う。

11月
復興関連のおしごとをされていた常連のお客さまが、急逝される。

大分県の紅葉の名所に行くも、震災で山が崩れ、多くの木が倒壊したため、かつての美しい風景が失われていた。

お店のテラスで、鉢植えのバラが赤い花を咲かせ、ロシアンオリーブがたくさんの実をつけてヤマガラがついばみに来る。

イメージ 7

12月
クリスマスシーズンを滞りなく終える。毎日日付が変わってから帰宅していたけれど、すべてのお客さまにすべてのお料理を完食していただき、たくさんのかたたちとお話ができて、とても楽しかった。



2017年以降については、特筆すべきことがないので省略します。忘れたわけではもちろんないのですが、お客さまと震災の話をする機会が急激に減ったからです。それでも、お客さま同士が地震について話していらっしゃるのをちらりと小耳にはさむことは、今でもちょくちょくあります。また、被災地でイベントやコンサートを開催されたかたたちのお話を伺う機会もあります。そういうかたたちは皆さん、「被災地のかたたちは本当に明るい。こちらが元気をいただいている」と、口々におっしゃいます。

そしてつい先日、震災後にその名が全国的に有名になってしまった、あの町に暮らすかたがたが、団体さまでお食事にいらっしゃいました。お花見の季節でした。ところが、当日はあいにくの雨……。残念でしたね、と申し上げると「ここでの食事がメインだったからいいんです」と笑顔でおっしゃいました。


つらい一年でしたが、これほど、お客さまのやさしさ、強さ、あたたかさに触れた一年もありませんでした。これほど、お客さまの笑顔、「おいしかった」「また来ます」のことばが、胸にしみた一年もありませんでした。

ありがとうございます。

はたして、「レストラン=滋養のある食べものを提供して元気を取り戻してもらう場所」として、本当にきちんとやってこれたのだろうか。これからもやっていけるだろうか、と自問している今です。そして、単にお食事だけでなく、心地よい時間をご提供できれば、と心から願っています。




この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

突然ですが、むかしのコミックの話です。

イメージ 1


『キャンディ・キャンディ』という作品、ご存知でしょうか? わたし(アラフィフ女)が小学生のころに人気があった作品です。テレビアニメにもなりました。内容については、申し訳ないですがここでは割愛します。以下、『キャンディ・キャンディ』を読んでいないかたには、たぶん、わけがわからないでしょう。ごめんなさい。でも説明すると文章量が膨大になってしまうので、ご了承ください。

かつてのキャンディ女子たちは、アンソニー派、アルバートさん派、そしてテリィ派に分かれていたと思います。わたしはテリィ派でした。だから、コミック版全9巻の第4巻(テリィとキャンディの恋の話が中心)が一番好きでしたし、キャンディとテリィが別れる第8巻は大キライ。そして心底がっかりしたあの結末……。好きな作品だったのでショックが大きく、その一方で自分も中学生になって子ども向けコミックへの興味が薄れ、すぐに『キャンディ・キャンディ』はわたしのなかで「なかったこと」になりました。

が、どこかで心にひっかかっていたのでしょうか。写真のような「小説」の存在をついさいきん知り、その後のキャンディが書かれていると知って興味を抱いたのです。事前にネットで調べてみたところ、どうやら30代になったキャンディは、ある男性といっしょに暮らしているらしい。でも「小説」ではその男性の正体はあいまいにされ、読者の想像にまかされているのだとか。で、かつてのキャンディ女子たちは、その男性をアルバートさんだと言うひとと、テリィだと言うひととで、真っ二つに分かれているらしい……。

ううむ、それはぜひとも自分で読んで確かめてみたい。ところがこの小説、すでに絶版になっていて、今中古本を買うととんでもない額になることが判明。なので、図書館で借りました。

で、一気読みしました。ネット上のレビューは「スッキリしない」「中途半端」など、あまり芳しくなかったのですが、けっこうおもしろかったです。30代になった(と思われる)キャンディが、幼少から青春時代までを回想する話。第1〜第3章に分かれており、第1、第2章では、コミックの1〜4巻(セント・ポール学院を退学して渡米したテリィを追うように、キャンディが学院を出て行くところまで)を文字に起こしたような感じで、第3章ではキャンディが友人や知り合いとやりとりした書簡によってその後のことが語られる形になっています。コミックでは描かれなかった登場人物たちの心情、エピソードを多く掲載。キャンディだけでなく、テリィ、アルバートさん、アニー、アーチー、パティ、スザナ、エレノア・ベーカーたちの孤独と苦悩が、きちんと描かれています。そして、「生きていればいつかきっと会える」という、コミックでは成し遂げられなかったテーマが、ここではきちんと実っている! わたしは個人的にかなりスッキリしました。なんだか、子どものころの一種のトラウマがすーっと雲散霧消したような気がします。あーーよかった。

……と、以下、ネタバレなので、これからぜひ読むというかたは読まないでください。


問題の、キャンディがいっしょに暮らしている男性……小説内では「あのひと」とされていますが、間違いなくテリィですね。作者の名木田さんは「『あのひと』を明かしてしまうと長年の読者たちの夢を奪うことになるかもしれない」とあとがきに書いています。でも、名木田さんはたくさんのヒントを文中にちりばめてくださいました。以下、列記します。


1)キャンディは今、イギリスのエイボン川が流れる町に暮らしている(上巻231ページ)。エイボン川が流れる町といえば、ストラットフォード・アポン・エイボン、シェークスピアの故郷。そして、キャンディが暮らす家の書棚には革装のシェークスピア全集が並んでいる(下巻197ページ)。セント・ポール学院時代、テリィは革装のシェークスピアの戯曲『マクベス』を読んでいた(下巻67ページ)。スコットランドのテリィの実家の別荘にもシェークスピア全集が揃っていた(下巻91ページ)。さらに、テリィが所属しているストラスフォード劇団は、その名前から言ってシェークスピアの戯曲を演じる劇団だと思われる(ストラスフォード=ストラットフォード。実際、同劇団の公演『リア王』(下巻185ページ)と『ハムレット』(下巻170ページ)でテリィは主役を演じている)。
アメリカ人のキャンディが、養女先のシカゴ、そして故郷のポニーの家(ミシガン湖の南)から遠く離れたイギリスで暮らす理由は、いっしょに暮らすひとがイギリス人、しかもストラットフォード・アポン・エイボンに関わりのあるひとだという証拠では。

2)キャンディがセント・ポール学院を抜けだしてアメリカに密航したエピソードについて、かつてキャンディは出せるはずのないテリィへの手紙に「あなたを追ってイギリスから帰ってきたときの冒険談、いつかゆっくり話したいと思っているうちに結局、話せませんでした」と書いていた(下巻275ページ)。それに対応するかのように、現在のキャンディは「アメリカに戻るまでの旅で起こった出来事を話したとき、はじめは大笑いしてわたしの話を聞いていたあのひとは、ふいに真剣な表情になるとわたしをきつく抱きしめた。よく無事だった、と」と書いている(下巻148ページ)。また、キャンディの話に対して「大笑いし」たあと「ふいに真剣な表情に」という喜怒哀楽の移り変わりは学院時代のテリィにもよく見られた。

3)キャンディはかつて、アンソニーに出せるはずのない手紙のなかで「亡くなったひとにはもう会えない。そんな当たり前のことがわたしはどうしても認められなかった。そして今は……。生きていても、会うことがかなわない運命があることも知ったのです」と書いていた(下巻327ページ)。でも、今のキャンディはこう言っている。「死んだ人たちはわたしの心の中で永遠に生きつづける。けれど、決して会えない。今までつらい別れはいくつもあった。けれど、生きてさえいればまた巡り会うことができるのだ。だから、わたしはもう、別れを恐れない」(上巻232ページ)。「生きていても会えない」から「生きていれば会える」にキャンディの心情が変化したのは、テリィに再会できた証拠では。

4)ポニー先生が大病をし、心配したキャンディは毎日イギリスから手紙を書いた。「ポニー先生のそばにいて、看病し、力づけたかった」と(上巻4ページ)。さらに、いまやポニーの家には孤児たちがあふれ、キャンディも先生の手伝いをしたいと思っている。だが、それでもキャンディがイギリスを離れられないのは「もっとポニー先生の役に立ちたいのだが、今はなによりいつもわたしが近くにいることを望んでいるあのひとのそばをわたしも離れたくない」(上巻233ページ)から。長い間ずっとすれ違いで、会いたくても会えなかったふたりだからこそ、今はいっしょにいたいのでしょう。キャンディとアルバートさんとではこういう関係にはならないはず(アルバートさんは事業で世界中を飛び回っていて、キャンディもすぐにポニーの家へ飛び帰っているはず)。また、キャンディはかつて出せなかったテリィへの手紙のなかで「わたしたちはすれ違いばかり。それでもあのときは、すれ違ったぶんは、きっとあとで取り戻せて、たくさんテリィと一緒にいられるんだ、って信じていました」と書いていた(下巻276ページ)。それがようやく叶ったということなのでは。

5)キャンディは「あのひと」から贈られたという「あのひとの家に代々伝わる」「小ぶりの宝石とマザーオブパールで装飾された」「大きな象嵌細工の宝石箱」を持っている(下巻149ページ)。アメリカで事業を興して成功したアードレー家に「代々伝わる高価な宝石箱」があることはあまり考えられないので、「あのひと」はイギリスの名門出身であると想像できる(テリィにはイギリスの貴族グランチェスター家の血が流れている)。ただ、テリィは母親である女優エレノア・ベーカーのもとに身を寄せた時点でグランチェスターの名を捨てたはずなので、もしかしたら俳優として成功した後、父親に認められて仲直りしたのかも?(←最後は勝手な想像です)。

6)キャンディは「あのひと」が帰ってきて「灯りもつけずに、どうしたんだい? キャンディ」と言ったとき、「わたしを、いつもときめかすやさしいその声。あのひとが扉の前でわたしを見てほほえんでいる。わたしの大好きな微笑」と言っている(下巻331ページ)。過去にもキャンディは「高くも低くもない深みのあるテリィの声。精悍で、それでいてどんな人の心をも溶かすような繊細でやさしい笑顔」(下巻187ページ)、「『もう少し……このままで……』。テリィの声。わたしの大好きな深みのあるテリィの声」(下巻237ページ)と言っている。声に魅力があるのは舞台俳優としての才能のひとつ。

7)キャンディが今住んでいる家の庭にはたくさんの水仙が咲いている(上巻234ページ)。かつてセント・ポール学院の敷地内の草原にも水仙がたくさん咲いていて、キャンディとテリーはそこでよく会っていた(上巻317ページ)。水仙はふたりの思い出の花。

8)数年前、「あのひと」はロンドンの蚤の市で「たくさんの古びた油絵の中から一目見てすぐにその絵が『ポニーの家』を描いたものだとわかって」キャンディにその絵を贈ってくれた(上巻8ページ)。かつてテリィはアメリカに渡ってすぐ、ひとりでポニーの家を訪れている(下巻174ページ)。


長くなってしまいました。以上の検証(?)のために、この小説を何度読み返したことか!(苦笑) 図書館に返却しても、しばらくは内容を忘れないでしょう。

ラストシーン、「『おかえりなさい!』わたしはこの言葉が言える幸せに声をつまらせながら椅子から立ち上がると、あのひとが広げた腕の中に飛び込んでいった」という文章には、「生きていてももう二度と会えない」と覚悟していた相手だったからこその、募る想いが溢れていると思います。あー、すっかり少女に戻った気持ちでじーんとしてしまいました。


ただ、このあと、二度目の世界大戦がやってくるのですよね……。キャンディたちが40代か50代になるころでしょうか。まあ、イギリスにいれば、大丈夫だったかな、ふたりとも。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

初めての体験。

先日、生まれて初めて、食事をしながら号泣してしまいました。

シェフから「おーい、別れ話してるみたいだからやめてくれ」と苦笑いされても、止まらない。泣き止みたいのに止まらない。

シェフ「『おれが悪かった、でも別れてくれ』なあーんてね」
わたし「アホか」

やがて、お店のマネージャーが「何か不手際がありましたか?」と、こっそり様子を見にやってきました。

わたし「いえ、あまりにおいしすぎて」
マネージャー「そんな……でもよかったです。ありがとうございます」

そう、あまりにおいしすぎて。

どうしたらこんな料理が作れるんだろう、と、わたし自身はまったく料理を作れないにもかかわらず(苦笑)、考えさせられてしまいました。

きっと、たまたまタイミングがよかったのでしょう。わたし自身の状態、お店の状況(わりと空いていて、常連さんらしい男性のおひとりさま二組、そしてやはり常連さんらしい女性二人が一組、そしてシェフとわたしだけ。われわれを含め、みな50代から70代の年配者ばかりで、落ち着いた雰囲気でした)、お店のシェフの状態(余裕がおありだったのか、食事のはじめにご挨拶に出てきてくださいました。おそらく、ゲストの顔を想像しながら作ってくださったのでしょう)、そして食材の状態(なにもかもが旬の新鮮なものだったし、季節もちょうどよかった)。それらがすべて理想的な状況を作りだしていたのだと思います。そのおかげで、料理にこめられたメッセージを最大限に受けとることができたのです。

ええ、おいしいだけならほかのお店でもたくさん経験できます。実際、その前々日に別のお店でいただいたディナーもとてもおいしかったですし。また、名店とされるお店に出かければ、どこでも素晴らしい料理と素晴らしいサービスを体験できるでしょう。

でも、その日の、そのお店での食事は、なにかが格段にちがってました。

レストランでの食事は、そのお店のシェフの想いやポリシー、スタッフの美意識や心くばり、ほかのお客さんたちのお店に対する愛情などを感じながら、すべてを吸収しながらいただくものだと思っています。料理の味と香り、見た目の美しさだけでなく、カトラリーやグラスの音、おしゃべりの声、きぬ擦れの音、あちこちでこぼれる笑顔、スタッフの美しい所作……。そこにこめられたやさしさ、あたたかさ、エレガンス、いえ、それだけでなく、焦り、おごり、見栄、欲さえも感じながら食事をします。それは、ほんのささやかながらも、完全なる社交の場。五感プラス第六感を駆使して、そのちいさなステージを満喫するのです。

その日、感じたのは、シンプルだけど、完璧なステージでした。

お皿の上の料理に感じたのは、ただ、今この瞬間に出会える最高の食材を使って、そのポテンシャルを最大限に引き出そうとする想い。それだけ。それ以外は無の状態。人間の、迷い、焦り、おごり、媚び、慣れ、気負い、甘え、見栄、諦め、欲がまったく感じられない。

「どうだ、すごいだろう」も、
「こういうのがウケるんでしょ」も、
「まあ、これでいいか」も、
「だいたいこういう感じだな」も、ない。

「これが、××年やってきて、ここにいるわたしが、今この瞬間に出せる最大限の力です」、だけ。
さらに、お店全体が、肩肘張らない自然さ、信頼と愛情に満ち溢れていました。まるで、居心地のよい図書館にいるような、ほっと落ち着く空間。そして、そんな空間をいともたやすく作り出せてしまう、このお店が守ってきたものの希少さ、歴史、底力。

人生の重みと、一期一会の儚さを同時に感じて、あまりに壮大すぎて涙がぼろぼろ出てきたのです。わたし自身、そんなふうに心をこめて日々しごとをしているのかと、問いかけられたような気がしました。

確か、これで5度目の来店だったと思います。でも熊本に在住してからは行けてなかったので、前回伺ったのはもう10年以上前。そのときからずっと同じ料理を作りつづけてらっしゃるのに、確実に進化している。研ぎ澄まされ、いっそう透明感が増している。濁り、雑念、老いがまったく感じられない。すばらしかったです。

つい、うちのシェフに「がんばってね」と言ってしまいましたが、これって技術やセンスや食材の問題じゃないからなー。

また、ゼロからスタートのつもりでがんばります。

イメージ 1

イメージ 2


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

ララランド。

本日も、FBに掲載して好評(?)だったシェフネタより抜粋します。

イメージ 1


FBにいただいたコメントによると、この作品はわりとクルマの存在感が大きいようで、シェフの映画の見方もあながち見当違いではないのでは、というご意見が複数。なるほど。

とりあえず、わたしも自分の目で確かめてみようと思います。

こちらの作品、世間ではいろいろ賛否両論みたいなので、そのへんも自分の目で判断してみたいなあ、と思いました。


イメージ 2

上の写真、桑の木の裏側、画面中央のピンクネコヤナギが見えますでしょうか。

これは、昨年の今ごろ、ひとさまからいただいたピンクネコヤナギを植えたものです。「ネコヤナギは丈夫だからそのまま土に刺すだけで根づくことがありますよ」とおっしゃられたので、試しにやってみたところ、本当に根づいててビックリ! 軽く引っ張ってみたら、しっかり根っこを張ってました。新しい枝も出てましたよ。ホントに強いんですね。

これに味をしめて、今年もいただいたネコヤナギを地面にぶすぶす刺しておきました。来年が楽しみです。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

シェフネタ特集。

さて、今回は、フェイスブックに投稿したシェフネタから抜粋し、コピペで紹介します(手抜きですみません)。


その1
イメージ 3

イメージ 4

後日談:メールで地元ラジオ局に問い合わせをしましたが、結局返事は来ませんでした(涙)。RKKさんに「くだらない」と黙殺されてしまったようです。くすん。


その2
イメージ 5
イメージ 6



その3
イメージ 7
イメージ 8

島原名物の六兵衛、ご存知ですか? われわれはこれで三度目でしたが(すべてちがうお店)、今回のが一番おいしかったです。お店の名前はその名も六兵衛茶屋でした。


その4
イメージ 2

わかりにくくてすみません……。一部のかたたちにはそうとうウケました。ご存知ないかた、The Velvet Underground(ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)で画像検索してみてくださいませ。

ちなみにシェフはまったく意図せずにしたことです。バナナは吊るして保存するといいんですってね。


その5
イメージ 1

これは昨日の定休日のことです。シェフネタではありませんが、温泉からあがってすぐにシェフに話したらウケたのでFBに投稿しました。


では今回はこれにてどろん。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全361ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事