Hawaiiが大好きだった両親

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★昨年3月に相次ぎ亡くなってハワイ大好きだった両親の事★
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パパの3周忌

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3月11日はパパの2周忌

私は両親のことはずっとパパ&ママと呼んでいました

今でもパパ&ママが亡くなったことは信じられません


小さいときからいつも私の写真の隣にはパパが



私には決して直接は言わなかったけど

パパはいつも会社の人とお酒を飲むと

“NANIを嫁に行かしたくない。家を出したくない”と

言っていたらしく、みんなからは“箱入り娘”といわれていましたが



特にパパっ子ってわけでもなく

どちらかと言うとアカの他人みたいな関係

クールな関係だったと思います


私はそれをいいことに

散々好き勝手してきて、最後の最後まで親孝行はできなかった



パパはマージャンが大好き、亭主関白、ワンマン

昔は毎晩午前様

でも会社をリタイアーしてからは人が変わったみたいに

いままで自分では何もしなかったのに

買い物行ったり自分の食べてものは自分で作ったり


ママが入院したときは

ママの看病に真剣だったパパ

昔は“この夫婦って偽装?!”と私が思うほどさめていたかと

思ったけど

ママの入院の件パパが一生懸命なの見て

やっぱりママのことを愛しているんだなぁと安心


パパが“ママはたぶん今年いっぱいかもしれないから

NANIも心の準備をしておくように“と言ったけど

ママが先にいったらパパどうなっちゃうの?!



でも2006年3月11日土曜日

引退してからも唯一の趣味のマージャンに

渋谷のジャンソウまでいつものように出かけ

そこで倒れそのまま死んでしまったパパ。

パパは倒れて緊急病院へ救急車で運ばれ

もう倒れた時点で意識がなかった

家から病院(渋谷の広尾病院)へはうちから1時間

電話をもらって病院へ向かう電車の中で携帯が鳴る

病院から“もう運ばれてきたときから意識がなかったら

蘇生はやめてもいいでしょうか?“


“えっ?!待ってください。私が病院に行くまでは続けてください!”

病院に着くまでは一切涙がでなかったけど

病院のベットで横になっている父を見た瞬間

涙が止まらなかった

かけより“パパ!起きて!”と何回叫んだだろう?!

あの蘇生の機械の音が今でも耳残る

医者が“もう辞めてもいいでしょうか?”

私がやめる判断を下すの?!

そんなのできない!たとえだめでも続けて!と

心の中では叫んでいても“はい”と決断

とたんに全身の気が抜けたというか

体に中の何かがプッツと切れた

とても立っては入られなかった



父は麻雀の最中に飴をなめていて

死後その飴が喉に詰まってのが見つかった言うことで

他殺も考えられるので

これから渋谷警察の刑事さんが質問に来ると言われた

もし他殺なら警察が死体を解剖するらしい

3人の刑事さんが来ていろいろ質問された



聞かれた内容は最近体調が悪かったか?

最近飲んでいた薬は?最近の人間関係は?


結局他殺ではなく結局突然死(心臓の動脈破裂)と判断


この日はこのままお帰りくださいと病院をだされたけど

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このまま1人で家にいたらたぶん私は死んでいたと思う

あまりにも突然のパパの死を受け止めることができなかった

その日は妹(写真下)と朝まで思い出話で夜を明かした

これからは私が長女なので何からないまで1人で対応しなければならない


パパの部屋のカレンダーには死んだ日のあくる日が

健康診断の予約と書かれていた


なんとも皮肉なもんだ


1番心配なのはパパが病院に来ることを楽しみにしている

糖尿病、骨粗鬆症そして痴呆症(初期症状)のママに

パパに事を話さなければならないこと


話をしたとき、ママは半分わかったかわからないかって感じだったけど



パパの死を話して2週間後の3月28日に突然病状が悪化して

パパのあとを追うように

逝ってしまったママ


2006年3月、2回のお葬式、そして2回の喪主

涙が枯れるまで何日も泣く続けた



桜吹雪が綺麗な季節だった

この先、桜を見ると両親の事を思い出し悲しくなるだろな〜ぁ

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ハワイが大好きだったパパ&ママ

親戚が反対する中、位牌をハワイに持ってきた

パパはハワイに移住することが夢だった

今はこの部屋の1番眺めがいい場所に位牌&写真を飾てる

パパ達が逝ってしまった時は

食事&睡眠もできず激瘦せ、突然泣き出す精神不安定で

精神も極限まで参っていて、神経内科にも通った


そして両親が亡くなった年に散骨でハワイに来て旦那様と出会い電撃結婚

今ではまったくあの時に自分がうそのよう


※写真はハワイに夫婦で来たときクルージングツアーで

船の前で撮ったものです

この時、もうママは少し病状が出てきているみたいで

顔がすこしゆがんできているし

体重もだんだん減ってきています

その後病院へ入院

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パパ&ママ私たち姉妹をいつまでも見守っていてね





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ハワイブログ総合サイト ALOHA VOICE 


Mahalo


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e1/2a/momoko_souko/folder/491020/img_491020_28293196_18?20070216153507.gif

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☆Aloha☆

ハワイは27日10AM、そして日本は28日
     
今日は母が亡くなって1年
   

病室で私達姉妹に見守られ亡くなった母


そして今月の11日は父が亡くなり1年


突然私達を残し亡くなった父(動脈胸部破裂)


まだまだ両親が亡くなった事を受け入れることはできない


日本に帰ったら、家でお気に入りのソファにすわり

二人仲良くTVを見ている気がする



両親が生きている間は、親孝行なんてした事がなかった

カナダの留学、NJの友達のところへ居候
    
小言1つ言わず好き勝手にさせてくれた両親

唯一、考えてみて思い出すことは
    
両親にハワイを紹介したのは私!


初めて両親がハワイに行く時一緒に来て
    
それからと言うともの
    
ハワイにとりつかれてしまった両親
    


お金がたまれば2人で仲良くハワイに来ていたっけ
    
それも1年に2回のペースで



母が入院した時も、父の励ましの言葉は

「早く良くなって、ハワイにいる○○さんに会いに行こうよ!」の言葉だった



生前、父は私達姉妹を残し、母とハワイに永住を真剣に考えていて

ハワイの物件を不動産会社に探してもらっていたけれど

9・11からハワイの物件の金額が倍以上に値上がり
    
「あんなに高くなってしまったら、とても買えないなぁ」と

よく嘆いていたっけ



ハワイのこの家で、両親が1番好きな”Waikiki”が見えるように

本棚の1番上に簡単な仏壇を作ってあげた


親戚達は「1周忌も終わらないうちに、写真(仏壇に飾っていた)や

仏壇の物をハワイに持っていくなんて!」と

非難ごうごうだったけど
    


両親が大好きなハワイで、毎日最高の景色が眺められるのだから

きっと日本にいるよりも喜んでいると思う



結婚後6〜8ヶ月は、

ハワイから出国が許されないから

両親の1周忌に出ることが出来なかったけど

結婚して、両親(写真)をハワイに連れてきてあげれたことで
    
最大の親孝行が最後にできたと思う



いいほうに考えれば、両親が亡くなったおかげで

ハワイに来れて、主人と出会い、結婚できたんだ



やっと,泣かずに、まともに両親の写真を見ることができるようにもなった

“パパ、ママ!今とても幸せな結婚生活をハワイで送ってるよ
                
                  私達の事を天国から見守っていてね“
               
写真は両親が大好きだったアラモアナビーチです

ここで両親の散骨もしたし私と旦那様は結婚式もしました

★ Mahalo ★

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