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昨年末から、ここ数年はなかったような長期間の寒さの影響で、自分の体が完全に壊れてしまった。長い間影をひそめていた不眠症とうつ病が再発し、睡眠薬を服用しない限りは眠れても1〜2時間ほど。さらに体重増の影響もあり両ひざが痛く、就寝時にも暖房が欠かせないほどだ。
いかにここ数年が暖冬だったかが身に染みた。
目下、プロ野球はキャンプ中だが、鎌ヶ谷市にある日本ハムファイターズタウンで行われていた新人合同自主トレには、どうにか1月28日の1回だけ見ることができた。自転車で遠出できないほどひざが悪く、電車とバスを使って球場まで行った。
鎌ヶ谷駅周辺の商店街には、新人選手歓迎の垂れ幕等が飾られていた。
私が到着したのは午後で、すでにスタンドは閉鎖しており、球場内での動きは外野でランニングをする姿しか見ることがなかった。当日は、ドラフト1位の斎藤佑樹投手(早稲田大)だけでなく他の新人にもテレビカメラが向くように、6人全員がサングラスをかけ、似たようトレーニングウエアを着ていた。そのため、斎藤が室内練習を終え、外野ランニングのため再び球場に向かう姿に気づいた人は少なかった。
新人以外にも鎌ヶ谷で自主トレをしていた選手はおり、42歳の大ベテラン、木田優夫投手は練習終了後、マイカーに乗ってどこかへ出かけていった。
左翼芝生席の後に室内練習場と合宿所があるのだが、練習場前は中田翔内野手が昨年3月16日に場外本塁打を放った打球が落ちた地点で、それを記念した自動販売機が置いてある。
近くには航空自衛隊下総航空基地があるが、いつになく自衛隊機がよく飛んでいた。
“もう一人のサイトウ”こと齊藤勝投手(セガサミー)は合宿所前でサイン攻めに遭っていた。 |
スポーツ
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プロ野球日本ハムからドラフト1位指名された早稲田大の斎藤佑樹投手が12月9日、日本ハムの1軍本拠地である札幌ドームで入団会見を行った。
同日には西武と広島の新入団選手会見もあり、斎藤と4年間ともに戦った西武1位指名の大石達也投手と広島1位指名の福井優也投手も出席。大石は「真っすぐの切れは負けられない」と2人にライバル宣言。福井は「球界を代表する投手になりたい」と目標を口にした。背番号は斎藤が「18」、大石が「15」、福井が「11」。
パレード
他の選手がドームでのファン感謝デーですでにお披露目された時は、まだ決勝進出を果たして初優勝した明治神宮野球大会終了から間がなく、さらに11月28日には早大のグラウンドがある西東京市東伏見で2冠記念のパレードがあり、早大のユニフォームを着た。
優勝パレードには約2,000人のファンが詰め掛け、地元商店街から花束を贈られた斎藤は雲ひとつなく晴れ渡った秋空の下で穏やかに笑った。
正午に始まったパレードは西武新宿線東伏見駅北口の郵便局前からスタート。1車線が封鎖されパトカーが行進の列を先導。早大体育施設までの約800mを22分かけて苦楽をともにした4年生部員らと練り歩いた。
「佑ちゃ〜ん!」「おめでとう!!」。沿道から途切れることのない歓声が飛ぶ。
「正直、そんなに(ファンは)集まらないと思っていました。(明治神宮大会優勝から10日がたち)熱が冷めているだろうと。温かく送り出してくれてうれしいです」
『WASEDA』のユニフォームを着るのもこれが最後。「寂しい気持ちはあります」と感慨に浸ったが、斎藤には次のステージが待っている。
そして、記念すべきプロでの第1球を大胆予告した。「やっぱり、まっすぐじゃないですか。それが自分の生きる道。それ(直球)をしっかり投げられないと変化球も生きてこない」。決して大口をたたくタイプではないが、正直な思いが口をついて出た。
以前から直球にこだわりを持ち、このオフは直球のキレと制球力の向上を課題としている。今秋の開幕戦で最速150km/hをマークしたが、「スピードにはこだわらない」と、球速よりも質のよい直球を身につけることに集中している。
入団会見
といった事情があり、単独入団会見になった。契約金1億円プラス出来高最高5千万円、年俸1500万円という、新人としては最高限度の金額で正式契約。
雪の中、平日にもかかわらず8千人ものファンが無料開放のドームに詰めかけた。
三塁側ベンチから現れた斎藤はもちろん早大の制服である詰め襟姿。まずはグラウンドに向かって一礼し、グラウンドに設営されたステージの上で入団会見を行った。ネット裏から見て右に梨田昌孝監督、左に藤井純一球団社長が並んでいる。
記者会見の一問一答は以下の通り。
斎藤「北海道民のファンの皆さん、こんにちは。東京都の早稲田大学からきた投手です。本日をもちまして正式契約を、北海道日本ハムファイターズとさせていただき、入団することが決まりました。まず初めに言っておかなくちゃいけないことがあるんですけど、4年前の2006年の夏に(甲子園決勝で早稲田実業のエースとして)駒大苫小牧との試合がありまして、北海道民の方はもしかしたらイヤな気持ちでいられたんじゃないかと思うんですけど、本当に僕と同期入団の選手よりはマイナスからのスタートと思って一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします。」
−入団おめでとうございます。今の気持ちを聞かせてください。
斎藤「平日なのにこんなに集まっていただいて、本当に感謝とうれしさでいっぱいです。」
−プロになったという実感はありますか。
斎藤「まだユニホームを着ていないので実感はわかないんですけど、新鮮な気持ちでいます。」
−新千歳空港から移動する車で見えたものは
斎藤「自然が見えました。すごく落ち着くし、新鮮というより懐かしいなと、ほっとした。」
−札幌ドームの印象は
斎藤「広い。鳥肌が立つくらいにいい球場。投げやすそうなマウンドだった。」
−札幌ドームにファンを入れての会見は2003年の新庄剛志選手以来。8000人のお客さんが詰めかけました。
斎藤「すごいですね。しかも、まだまだ入ると思うと、すごい緊張するなあというか、今も緊張しているんですけど、そんな中で投げられたらうれしいなあと思います。」
−北海道に縁を感じるとおっしゃっていましたが、何か感じましたか。
斎藤「難しいですけど……。でも本当に先ほども言いましたように4年前のこともあるので、一生懸命頑張るだけだと思います。」
−ファンにはどういうところを見てほしいか。
斎藤「僕自身も4年間大学で一生懸命やってきたのでプロ野球でも一生懸命やる姿を見てもらえばいいと思います。ピッチングはキャッチャーのミットに向かって投げるだけだと思っています。」
−対戦したい選手を教えてください。
斎藤「なるべく打率の低い選手と対戦したいなと。あこがれの選手はやっぱりダルビッシュ選手で、やっぱり日本を代表するエースだと思いますし、参考にしながら見習いたいなと思います。」
−プロに入っての目標は。
斎藤「本当に、まだプレーしたわけではないので、数字の面で何勝とか言える立場じゃないんですけど、一生懸命やって開幕1軍を目指してやりたいと思います。」
−楽天の田中投手への思いは
斎藤「プロで活躍している大先輩。同世代の活躍はずっと見ていた。早く追いつけるように頑張ります。」
−両親や兄に対して
斎藤「プロと同時に一社会人になった。今まで育ててくれて、父、母、兄に感謝して頑張りたい。」
−ユニフォームが似合っていると思うか
斎藤「正直、少しありました。早稲田が白だったので、黒だとイメージが違うなと思いました。」
−梨田監督に伺います。斎藤投手が今、真横にいますが、じっとご覧になっていかがですか。
梨田:「癒やされます。もうこの近くにいて、すぐ体触れそうなんですけど、素晴らしい選手とともに一緒に戦えるということはありがたいですし、感謝してます。」
−斎藤投手にはどういう選手になってほしいですか。
梨田「そうですね、先発ピッチャーとしてやってもらいたいなというふうに思います。今、先発が自分のなかで決めているのがダルビッシュ、武田勝、ケッペルの3人だけ。あとの3枚のところに、みんなと競争してですね、4枚目、5枚目、6枚目というところを狙いにいってもらったらと思います。調整とすればここまで連投したりしてる彼ですから、プロで中5日、6日は難しいかもしれませんけど、いろいろ先輩から聞いて、先発投手としてやれるような練習をしていってもらいたいと思います。
−いまの話を斎藤投手はどう聞きましたか。
斎藤「はい、まったくそのとおりだと思います。僕もずっと先発でやってきましたが、本当に使っていただけるなら先発、中継ぎ、抑え、どこでもいいと思っているので、何とかそこに入れるように頑張りたいなと思います。」
−隣にはくじで斎藤投手をみごとひきあてた藤井球団社長がすわってますが、何か思うところがありますか。
斎藤「持ってるな、と。」
−社長は聞いていかがでしょうか。
藤井「持ってるんでしょうか。斎藤選手も持っているんでダブル持ちなので来年は必ず優勝できるんじゃないかなと思います。」
−優勝できるという言葉を聞きましたが。
斎藤「優勝できるために僕が頑張ってそのチームの一員になれればいいなと思います。」
−最後になりますが、今日お越しいただいたファン、そして北海道、全国のファンにむけて力強いメッセージをお願いします。
斎藤「きょう北海道に来て、外は本当に寒かったんですけど、北海道民は暖かいと聞いています。それなので、とにかく早く北海道の一員になれるように、また、ファイターズの一員に早くなれるように一生懸命頑張りますので、ぜひ応援よろしくお願いします。」
梨田監督からユニフォームと帽子を着せてもらった斎藤。背番号は日本プロ野球のエースナンバーと呼べる「18」。現在この番号が空き番状態の球団が多く、それだけ球団の顔としてのステータスが求められるのだ。斎藤をドラフトで指名した他の3球団のうち、ロッテとヤクルトはこの番号が空いている。巨人も空いていたのだが、ドラフト1位指名された澤村拓一(中央大)でも「15」なのだ。
早大が慶応義塾大との秋季リーグ優勝決定戦を制したあとのインタビューで「斎藤は何か持ってると言われ続けてきました。それは仲間です」との発言が、流行語大賞で特別賞を受賞するほどの社会現象となったが、ドラフト会議で「選択確定」のくじを引き当てた藤井社長について聞かれると、斎藤は「持ってる」と回答し、ファンを沸かせた。梨田監督もデレデレの状態。
一度ベンチ裏に下がり、パンツとアンダーシャツも着て再び現れた斎藤はマウンドに登り、記念の第1球を投げた。それを現役時代は捕手だった梨田監督が背広姿のまま受けた。
2軍の本拠地「ファイターズタウン」がある鎌ヶ谷市の清水聖士市長は12月1日、1月に行われる新人の歓迎式典を「斎藤君が来るんで、大々的になると思う」と笑顔で話した。
清水市長は、日本ハムを「全面的に応援している」と言う。さらに、注目の斎藤が入団するだけに力も自然と入る。
日本ハムではファイターズタウンで新人の合同自主トレーニングがある毎年1月、式典で新人が転入届を提出する。清水市長は「私が受け取ると思う」と、今から対面を楽しみにしていた。年俸はもちろん、契約金にも課税されるので、市には大きな税収となる。
祝賀会
16日には東京都港区のグランドプリンスホテル赤坂で、OB会(稲門倶楽部)主催の早大野球部2冠記念祝賀会があり、谷澤健一氏(昭和45年卒)、小宮山悟氏(平成2年卒)といったOBをはじめ関係者ら約700人が出席した。
祝賀会では今季限りで退任する應武篤良監督(昭和52年卒)が「ベンチ入り選手だけでなく、部員全員の力で勝ちあがった」と報告。主将でエースとして活躍した斎藤佑樹投手は「春に練習グラウンドを人工芝に変えていただいたおかげで慶大との優勝決定戦に勝ち、神宮大会も初制覇できました」と感謝の言葉を述べた。
應武監督とともに鏡割りをした第100代主将の斎藤は「プロ入りが決まりましたが、これからも応援よろしくお願いします。僕は稲門倶楽部の一員として野球部を応援します」とあいさつ。大きな拍手を浴びた。報道陣に囲まれると早稲田実業高からの7年を振り返り、「早稲田は僕の生まれ、育ったブランド。離れるのは寂しいが、これからひOBの一員として現役を支えたい」と語った。
せず。 |

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(その2からの続き)
表彰式ではフジテレビの桜庭亮平アナウンサーが司会を務め、学生選抜には青木半治杯、上位3チームにはメダルと記念品が渡された。最優秀選手は宇賀地。最優秀選手は男子が宇賀地、女子が西原。
学生選抜は選手村に集合した21日夜、メンバーをニックネームで呼び合うルールを作り、男女一緒に食事をして世間話もした。「時間は短かったけど、互いの距離は近くなった」と西原。
日本陸連の長距離・ロード特別対策委員長代行で、千葉駅伝では日本代表の監督を務めた木内敏夫氏は「世界を目指す選手に育ってほしい」と頼もしい若手たちへ期待を募らせる。スピード化が進み、マラソンでは低迷している日本だが、学生たちの将来はトラックレースに関しては明るいと言えるだろう。
今季の男子大学駅伝は10月11日の出雲、11月7日の全日本でともに早稲田が制している。出雲では矢澤が1区、平賀が6区を走り、ともに区間1位。来年1月2、3日の箱根でも早稲田には3冠達成の期待がかかる。
アジア大会では、大学に行っていたら4年生の福島千里(北海道ハイテクAC)が女子100mで、日本勢としてはこの種目で11大会、44年ぶりとなる金メダルを獲得した。
野球でもそうだが、大学生と、同世代の社会人またはトッププロの実力差はないと言って等しいだろう。今回の駅伝を見て、しみじみ感じた。
体が衰弱していても自ら優勝杯を渡していた青木半治氏は今年5月30日に94歳で亡くなったため、もうその姿はないが、母校早大の発展だけでなく、1975年から'99年までは日本陸連の会長を務め、「どんなに弱くても、リレーは五輪に連れていくべきだ。リレーが基本なのだから」との考えから、長らく派遣してていなかったリレー種目をソウル五輪から派遣させ、以後個々の走力のハンデを緻密なバトンパスで補う日本のリレーは五輪や世界選手権で入賞を重ね、20年後の北京五輪で男子400mリレー銅メダルという快挙につながった。
青木氏は当時の千葉県長生郡太東村(現在のいすみ市)出身。旧制銚子商業学校(現在の県立銚子商業高校)卒業。
1938(昭和13年)に早稲田大商学部を卒業し、日立製作所に入社し、同年の日本選手権では砲丸投げで優勝。三徳工業、昭和電工を経て、'45年に独立し、'46年に青木金属興業株式会社を設立。会社経営の傍ら、早大競争部監督を務めた。監督を務めた際の部員に前衆院議長の河野洋平氏がおり、'99年に日本陸連の会長を彼にバトンタッチした。
河野家では一郎氏(洋平氏の父)が'65年に第3代日本陸連会長に就任するも直後に急死。それから10年間は参院議長を務めた謙三氏(洋平氏の叔父)が第4代、そして'99年から前衆院議長の洋平氏が第6代の会長を務めている。
青木氏の業績に敬意を表しながら、今日はこれで締める。
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(その1からの続き)
3、4区のレースが展開されている時は銚子はね太鼓保存会、チーム利ゑ蔵、CHIよREN北天魁(ちよれんほくてんかい)によるパフォーマンスが展開された。これらのグループは皇太子さまがご臨席された「ゆめ半島千葉大会」の開会式でも演技している。
5区は日本代表の宇賀地強(うがち・つよし)(4月27日生まれの23歳、コニカミノルタ)が気を吐いた。今春卒業した駒澤大に在学中は、4度の箱根駅伝すべてで“花の2区”を走ったエース。今年は5,000m、10,000m、ハーフマラソンと軒並み自己記録を更新した。目標は来年に大邱(韓国)で行われる世界選手権に出場すること。
「もういくしかなかった」。苦しい息遣いとは裏腹に、驚異的な追い上げで28分51秒の区間賞。日本代表を再び首位に押し上げた。ただ残り1kmで学生選抜の平賀翔太(早稲田大2年)を最後まで引き離し切れず、6区につないだ時の総合タイムは1時間44分15秒で学生選抜とタイムは同じ。「今日は60点。まだまだダメです」。
31秒差の3位にケニア。
そんな接戦でたすきを受けた学生選抜の田中華絵(立命館大3年)はリレー直前、伊東輝雄監督(京都産業大監督、日本学連強化副委員長)から「学生は負けてもともと。気楽に行けと諭され、肩の力が抜けた。単独首位に立つと、そのまま競技場に入り、トラックを1周後、ゴールテープを切った。個人タイムは23分37秒で区間3位。田中より1歳上のポウリン・コリクウィアング(3月1日生まれの22歳)が14秒後にゴールし、ケニアが2位。コリクウィアングは23分20秒の区間賞。さらに6秒差で清水裕子(7月13日生まれの25歳、積水化学)が入り、日本代表が3位。上野は「悔しいですね」と表情を曇らせた。
タイムは下記の通り。
1位 日本学生選抜 2時間7分52秒
2位 ケニア 2時間8分06秒
3位 日本 2時間8分12秒
4位 ロシア 2時間9分35秒
5位 アメリカ 2時間10分54秒
6位 千葉選抜 2時間12分56秒
7位 オーストラリア 2時間14分07秒
8位 イタリア 2時間14分55秒
9位 ルーマニア 2時間15分02秒
10位 カナダ 2時間15分13秒
11位 チェコ 2時間15分23秒
12位 ノルウェー 2時間17分01秒
千葉選抜は久保俊太(4月6日生まれの23歳、富士通)→伊澤菜々花(順天堂大1年)→松本良介(国士舘大4年)→田中真知(7月21日生まれの27歳、積水化学)→宮田越(2月26日生まれの24歳、富士通)→永尾薫(9月26日生まれの21歳、ユニバーサルエンターテインメント)とつないだ。
速いペースのレースが展開される中、久保は必死で食らい付き、8位で伊澤につないだ。
伊澤は15分58秒の区間6位で、自身の目標としていた15分台の快走。「楽しみながら走りたかったので、思い切り突っ込んでいった」
ベイエリアを走る松本と田中は海から吹き付ける風に苦戦し、チームは8位に沈んだまま。宮田は区間6位となる30分19秒でチームを6位に押し上げた。「少しでも順位を上げることだけを考えた。沿道からの『千葉!』と応援してくれる人がいたことが力になった」
起伏の激しい6区を力走した永尾は最後までペースを崩さず、6位を守った。「声援の大傘からも、順位を落とすわけにはいかないと思い、自分の走りに集中した」
渡辺俊明監督(県立長狭高監督)は「海沿いの区間では、風の影響で各選手ともタイムが悪かったが、それでも全員が持てる力をきちんと出した」と高く評価。昨年の4位に及ばないが、目標の6位入賞を果たし、選手らと喜びをともにした。
渡辺監督はさらに「千葉国体で県勢が優勝したことも選手らのモチベーションを高めることにつながった。沿道の人々も、さらに陸上に関心を持ってくれたのではないか」と話すなど、“国体効果”も後押しした点を指摘した。
(その3へ続く) |
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22回目を迎えた「青木半治杯 2010国際千葉駅伝」は11月23日、千葉県総合スポーツセンター陸上競技場を発着とする6区間合計42.195kmのコースで行われた。1、2、4区が5km、3、5区が10km、6区が7.195km。
開始当初まで残っていた雨も上がり、沿道や競技場に集まった約30万人の熱い声援を背に、選手たちは晩秋の千葉路を走り抜けた。
男女が交互にたすきをつなぐ混合方式になって4回目。一部のトップクラスの選手が現在広州(中国)で開催中のアジア大会に参加しているため不在とはいえ、日本代表のメンバーの質は落ちていない。
そんな日本代表を蹴散らし、日本学生選抜が日本代表、そして若手中心のケニアを振り切り、2時間7分52秒で初優勝した。
私は競技場で観戦してきた。会場入りする前には、中継車とバイクを見ることもできた。中継車には、実況を担当するフジテレビの塩原恒夫アナウンサーの姿も。
レース開始は13:07。放送は13:00に開始し、スタートまでの間はキャスターの小倉智昭氏、解説の増田明美氏、リポートと優勝チームインタビューを担当するフジテレビの松村未央アナウンサー、そしてスタートの号砲を鳴らす森田健作・千葉県知事がオープニングトーク。今秋の国体で公式マスコットを務め、来年1月から県のマスコットに昇格するチーバくんの姿も。空はまだ一面雲に覆われており、雨がぱらついていた。
残念ながら中継車への移動に、デジタルカメラの電源が上がるタイミングが遅れ、増田氏の写真は撮れていない。
小倉氏は中央大附属高時代、陸上部に所属し、全国大会に出場した。 レースはスタートから日本代表が飛び出し、上野裕一郎(25歳、ヱスビー食品)が13分33秒の区間記録で、2区の小林祐梨子(12月12日で22歳、豊田自動織機)にたすきをつないだ。前日の会見で「首位で渡すことが自分の役目」と意気込んでいただけに、笑顔でリレー。「やりました! 夢がかなった」と声を弾ませた。
あれっ、小林クラスの選手なら今頃アジア大会に出ているのでは? とお思いかもしれないが、彼女は今年6月の日本選手権女子5000mで途中棄権したため、アジア大会代表に漏れたのだ。実業団に所属しながら、教員免許(数学)の取得を目指して岡山大で学んでいることでも知られているが、実は途中棄権の翌日から教育実習に出ているなど、4年生としてハードな日々を過ごしてきた。
その小林も自身が持つ区間記録には19秒及ばなかったものの、3年連続区間賞となる15分27秒で独走を保ち、3区の佐藤悠基(11月26日で24歳、日清食品グループ)につないだ。「向かい風できつかったけど、最低限の走りはできた。15分間に自分を詰め込めた」としながら、「1人でペースを作れなかった」と課題も胸に刻んだ。
しかし、5,000mと10,000mの自己ベストがともに佐藤より勝るタイタス・ムビセイ(10月28日生まれの20差)が抜き去り、28分57秒の区間賞で4区にたすきをつないだ。その間、藤本拓(国士舘大3年)→竹中理沙(立命館大3年)→矢澤曜(早稲田大3年)とつないだ学生選抜は3位を保っている。
3位でたすきを受けた学生選抜の西原加純(佛教大4年)は7秒先にある日本代表が「近いな」と思ったという。日本代表より28秒先早くトップで3区に入ったケニアをも抜く16分02秒の区間賞。17秒遅れてケニア、さらに27秒離れて日本代表が4区にたすきをつなぐ。
個人タイムで西原に51秒遅れた日本代表の稲富友香(いなどみ・ともか)(1月16日生まれの24歳、ワコール)は「大幅に離され恥ずかしい」と唇をかむしかなかった。
1区の選手が競技場を出た後、トラックではまずリザーブの選手による5,000m走が行われた。空はこの頃から太陽が姿を見せ始めた。
(その2へ続く)
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