東葛飾総合研究所

活動費のカンパ先は楽天銀行。支店コードは204、口座は普通1881294です。

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腹部のエコーを受けた

お久しぶりです。
 
最近、私は仕事を失いました。業務期間中に足のつま先がかゆくなって靴を脱いで薬をたびたび塗るなど、集中力が低下していたのでしょう。タイムシートのOCR読み取り業務の編集ミスが目立つとの理由で、お呼びがかからなくなったのです。
もし再開したいのであれば、新人研修を改めて受ける形になりますが、現在は新規募集を行っていないとのこと。今後の生活はかなり厳しくなりました。
 
仕事を続けていたので、新たににカンパを呼びかけることはしませんでしたが、緊急事態です。こんな私を助けていただきたく、生活・活動費の支援を再びお願いすることになりました。
 
2006年頃から夏になるとじんましんに悩まされている私ですが、3月30日夜から数日間、両脚、両腕、両手のひらの順に湿疹が発生し、例年になく早い時期となる皮膚科通いとなりました。
診断の結果、湿疹の他に、溶連菌感染症、皮脂欠乏症、肝機能障害、腎機能低下、膠原病といった疑いがあり、416日に受けた献血でもALT(GPT)とγ−GTPの値がやはり高いままでした。
標準値はALT(GPT)545IU/L、γ−GTP1065IU/L。結果は前者が66。後者は43。後者は標準値内ですが、今まで20前後だったのでやはり気になります。
 
ALT(GPT)は肝臓に最も多く含まれる酵素です。肝細胞が破壊されると血液中に流れ出すので、急性肝炎で最も強く上昇し、慢性肝炎や脂肪肝(肥満)などでも上昇します。激しい運動の後に一過性の上昇がみられることがあります。
γ−GTPは肝、胆道、膵、腎などに多く含まれる酵素です。上昇する疾患は閉塞性黄疸、肝炎、アルコール性肝障害などです。病気がなくても長期飲酒者では上昇することが多く、1ヵ月位禁酒するとある程度正常化します。
 
229日には、核磁気共鳴画像法(MRI)を受けましたが、結果は異常なしでした。受ける際、家族に成人病で亡くなった人がいるかを聞かれ、父がそうだと答えました。
受けた理由は、疲労が蓄積すると起きる頭痛が特にここ1年、ひどくなったからです。
 
'99年に61歳で亡くなった父は今の私の年齢の頃はすでに血圧上昇を抑える薬を飲んでおり、定期的に通院している状態でした。晩年は交通事故に遭ったのを境に心筋梗塞と脳卒中も併発していました。9歳の頃から喫煙し、飲酒を辞めることはなかった父の肺は穴だらけで、頭頂部は三角にとんがっていたと母から聞いています。
母方の祖父は'79年に62歳で亡くなりましたが、突然倒れてから1ヵ月後に死亡。母の日記には、ガン、そして体が黄疸していたと書かれていました。
逆に、父方の祖父('87年死去)と母方の祖母('04年死去)88歳まで生きています。といっても祖母の方は認知症で晩年は九十九里ホームにおり、'02年に1回会っていますが、当時は要介護2でした。
 
私の場合、最優先の課題はやはり肥満解消でしょう。私は力士のような“アンコ型”の体型ではありません。“隠れ肥満”というところでしょうか。下着の傷みも早くなり、何枚かは新しく買わなくてはならない状態です。
昨冬は自転車で遠出をすることが1度もないほど膝の状態も悪く、これもあくまでも疑いではありますが、膠原病の影響なのでしょうか。
 
42歳になるまであと2週間を切りました。後厄とはいえ、その影に怯えています。今日は皮膚科で紹介状を作成した宛先でもある、MRIを受けた病院へ行きましたが、やはり脂肪肝であるようです。献血を頻繁に受けており、異常なく他人の体に行きわたっているので大丈夫なのではということですが、腹部の超音波(エコー)と尿検査と採血を受けました。次の通院は5月12日です。
 
楽天銀行以外のカンパ先は以下の通り。
みずほ銀行 渋谷中央支店  普通4609472
三井住友銀行 京橋支店 普通7367050
 
 
前の記事の冒頭からの続き。
私はようやくボランティア活動とトレーニングジム通いができるようになったところ。ひざの痛みの原因は体重増にある。フリーランスといっても、稼いでは過去の大きな借金を返す日々は10年以上続いており、特にここ数年は多忙でジム通いもほとんどなかった。
昨夏は幸いにも東京都江東区有明のビル(ゆりかもめの駅をはさみ、東京ビッグサイトと反対側)で勤務できたことで、日中の猛暑を避ける環境にあったが、自己負担である交通費の工面は綱渡りだった。それを考えると、私の労働環境は実質最低賃金にも達しない。
不況の影響で、物価がデフレ状態だが、時給もジリ貧傾向。こんな世の中に誰がした。精神的に疲れ、集中力が低下したため、今年からは新聞を購読するのもやめてしまった。
 
幸い、仕事で稼いだ賃金で地上デジタルチューナー付きDVDレコーダーを買うことはできているこ。アナログ波のテレビと同じ放送局を同時に見ていると、地デジの方が2秒遅れているのが面白い。
 
しばらくはリハビリに専念するので、このブログは更新しない。皆様からのカンパがないと、仕事先の交通費も工面できない生活状態なので、温かい心付けをお待ちしている。
 
7日前に40歳になった。20歳になったのがまだそんなに昔でもないような感じだが、次の20年を迎えるときの日本がどうなっているのかが気になりまる。
 
1990年の5月14日付のオリコンチャートで1位に初登場したのはたまの「さよなら人類」。♪二酸化炭素を吐き出して あの子が呼吸をしているよ〜で始まる脱力的な歌は衝撃だった。当時、千葉港の工業団地で働いていた私は、昼の散歩で地球はここまで温暖化が進んでいるのかと実感した。日本の二酸化炭素排出量で比較対照の基準とされているのが1990年。25%減らすというのは、国民の生活にも大きな負担がかかることが最近わかってきた。薄型テレビを買える状況にはほど遠い状況だ。
 
写真はグリコ「ジャイアントカプリコ」で、この商品も発売40周年を迎えた。
左が「チョコ&クランチ」、右が「いちご」。マスコットキャラクターは左が「クランチくん」、右が「カプすけ」
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3月13日が54歳の誕生日だった佐野元春は21日、メジャーデビューからちょうど30年の区切りを迎える。
詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップやスポークン・ワードなどの新しい手法を実践し、さまざまなジャンルの音楽を折衷させたロック、ポップ・ソングを発表している。現在は独立系レーベル「デイジーミュージック」を主催し、インターネットを通じた音楽活動などでも先駆的な試みを続けている。

1978(昭和53)年、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称「ポプコン」)に出場。「Do What You Like─勝手にしなよ」で最優秀作詞賞を受賞。立教大学卒業後は東宝系列の広告会社でラジオ番組のディレクターを勤める。
'80(昭和55)年、当時エピック・ソニーレコードのレーベルプロデューサーだった小坂洋二に才能を見出され、3月21日にシングル「アンジェリーナ」でレコードデビュー。疾走感のあるビート、斬新な言語感覚など「日本語によるロック」の新しい方向性を提示した曲。
さらに4月21日、1stアルバム「バック・トゥ・ザ・ストリート」を発表。ロックンロール、バラッド、ジャズなど様々な音楽ジャンルを網羅し、その後の多彩な音楽性の片鱗がすでに現れている。
8月から約1年間、新宿ルイードを拠点に活動を行う。「日本語によるロック」の新たな提示は、日本のロック音楽の転換期であった当時、まだ一部のファンと業界関係者にしか受け入れられなかった。所属事務所がヤングジャパン(フォークミュージック系の大手事務所)だったため、アリス、岸田智史等のオープニングアクトをつとめるなど、苦労を重ねる。最初のライヴはこの年、東京・名古屋・大阪を廻ったクリストファー・クロスのツアーの前座だった。
初めてオリコンにチャートインしたのは'82年4月21日発売のシングル「Sugartime」。同曲を収録し、5月21日に発売した3rdアルバム『SOMEDAY』はLPチャートで最高位4位、100位以内登場37週、売上18.3万枚のヒット。タイトルチューンは永遠のスタンダード・ナンバーとなった。
'83年4月21日発売の4thアルバム『No Damege』は1位を獲得し、100位以内登場24週、売上23.2万枚のヒット。同年、全国ツアー終了直後に渡米し、1年間のニューヨーク生活を送る。
帰国後、'84年5月21日発売の5thアルバム『VISITORS』はオリコンチャートで初登場1位を記録。名実ともに日本のトップミュージシャンとなった。NY生活の成果として、それまで日本になかったラップミュージックを取り入れたスタイルは賛否両論を巻き起こした。
'85年2月1日に国際青年年のテーマ曲として「Young Bloods」を発表。自身のシングルでは初のTOP10ヒットとなり、同曲の印税はアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。同年6月22日に国立霞ヶ丘競技場で行われたライヴイベント「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」に出演。

'86年、それまで培ってきた音楽制作やビジネスのノウハウを元にして自由な表現フィールドを獲得するために、自身によるプライベートレーベル「M's Factory」を立ち上げる。責任編集の季刊誌「THIS」を扶桑社より発刊するなど多岐にわたるメディア活動を展開。またライブ活動においても、東京・日本青年館で月に一度のペースで定期ライブを行う「Tokyo Monthly」を開催。チケット申し込みの電話回線がパンクする事件がおきるほどの人気を博す。ちょうど次作アルバムの制作中ということもあり、レコーディング前の未発表曲を演奏するなどのアクションも頻繁に行われた。

佐野氏のミュージシャンとしての歩みは大きく分けて3つ。
第一期はデビューから渡米まで。第二期は'84年の帰国後からバックバンド「THE HEARTLAND」を解散する'94年まで。実はこのバンドを率いての最後のコンサートを9月15日に横浜スタジアムで見た。第三期は現在のバンド「The Hobo King Band」を結成してから現在。2008年1〜3月まで全国22カ所を回ったツアー「Sweet Soul Blue Beat」では、近年では演奏されなくなっていた80年代のレア曲やライブ定番曲、そしてThe Hobo King Band結成以降の楽曲から構成され、いずれの公演も3時間にも及ぶステージが展開された。

昨年3月31日には、佐野氏の主たる活動のひとつであるラジオDJがNHK-FMで復活。かつての「サウンドストリート」時代のサブタイトルであった「元春レイディオ・ショー」と銘打たれた音楽番組は、「サウンドストリート」時代から数えて実に22年ぶりとなる。
一方、母校である立教大の文学部客員講師として、詩作などに関する講義「文学講義412〜詩創作論2〜」を受け持つ。この活動は現在も形を変えて続けられており、'70年代から活躍する国内のソングライターを招いて、それぞれの創作の核心に迫るというオープン講座が定期的に開催されている。
このテレビ版が昨年7〜9月にNHK教育で放送された「佐野元春のザ・ソングライターズ」。この4月からはシーズン2がスタートする。毎回ソングライターたちをゲストに招いて、主に「歌詞」についてトークし、各2回ずつオンエア。シーズン1では小田和正、さだまさし、松本隆、矢野顕子、スガ シカオ、降谷建志が出演した。

昨日の「ミュージックファイル」(http://chibadult.blog.so-net.ne.jp/2010-03-13)では「Young Bloods」を紹介している。それまでアルバムで2作1位を獲得していたとはいえ、シングル曲が初めてオリコンTOP10に入ったという意味では、佐野氏の人気を確固たるものにしたといえる作品だ。

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昨年12月7日、記録を取るようになってからは50回目の献血を行った。
記念品として、生ラーメン「名人の一杯 食べくらべ」を贈られたので、写真で紹介する。
「全国のラーメン詰め合わせ」といっても、2食だけだが。
1回目に食べたのは「北海道ふーとん みそ味」。あいにく、にんじんとしいたけを切らしていたので、野菜は青菜ばかりだ。
2回目に食べたのは「蔵のまち喜多方 麺匠やまぐち しょうゆ味」。ここではにんじん、ゆで卵を加えている。
いずれも店主監修のもと、「株式会社狩野(かりの)ジャパン」(長崎県大村市東大村1丁目2376-6、http://www.karino-japan.com/)で製造された。

冬は風邪をひきがちな季節のため、献血の絶対量が少ない。特に今季は新型インフルエンザの流行で献血量のさらなる減少が心配だ。血液型別ではOとBが不足しているという。私はO型。

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