たゞ考

考へてる丈だから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる。

歌は自分でうたう歌

こどものころ、学校で「象徴天皇制」に就いて習ったとき、
腑に落ちませんでした。

そしてそれは、ぼくが幼いからわからなかったのではなく、
いつまでたってもわからないものなのでした。

「象徴」とはなにか。
「天皇制」とはなにか。
「元号制」とはなにか。

いま、この改元のタイミングで、
もうすこしそのような議論が行われてもよかったのではないかと思います。

過去に、天皇の名の下で、国内外の大勢の人間が死にました。
国歌も、国旗も、その時のまま、
天皇制も、元号制も、その時のまま、血みどろです。
なぜ、あのとき、捨てられなかったのか。
なぜ、あのとき、変われなかったのか。

そしてあのとき変われなかったとして、
いま、何ができるか。何をすべきか。
そのような議論が、行われてもよいのではないかと思います。



こどもたち、どうか、
今の、この、お祭りムードも含めて、学校やテレビで大人たちが教えること、
あるいは、その「なにも教えてくれない背中」に、
すこしでも違和感を覚えたら、それを忘れないでいてほしい。

与えられた祭囃子を唱和させられているうちは、目の前はひらけない。
自分がうたいたい歌を、自分でコンポーズしてうたってほしい。

節目くらい、自分で考えて、自分でつけよう。

ぼくも、苦しいけれど、しぶとくがんばります。

70

5月3日の東京臨海広域防災公園では憲法集会が行われていた。

毎年感じることだが、年配者が多い。
年配者たちが一生懸命、非戦を叫んでいる。

公園の周りからは、街宣右翼が拡声器で脅している。
昨年よりも気になったので、集会を妨害したい彼らの目的は達され始めている。

警察も多くいる。
さて、だれを守ってくれるのか。


多目的広場では、集会の参加者でも右翼でもない若者たちがバーベキューをしている。
こどもたちは凧揚げをして走り回っている。
年寄りのがんばりも、右翼のがんばりも、まるで目に入っていないかのように。


ぼくは全部を眺め回して、その異常すぎる光景に、すこし眩暈を起こす。
右翼の怒声に邪魔されながらも伊波洋一のスピーチに耳を傾け、
物販エリアで購入したサーターアンダーギーを頬張った。

正直なところ、ぼくは右翼に怯えていた。
サーターアンダーギーを咀嚼しながら、その甘みで心を落ち着かせようと努めた。
「沖縄のおばあが作りました」と言って優しく手渡してくれた女性の声を思い出す。


憲法集会に若者が少ない理由はわかりきっていて、
どうせみな、遊んでいる。

…と、ぞんざいな物言いになったけれど要するに、それを考えるのが、ぼくは一番怖い。


242年前の3月、パトリック・ヘンリーは言ったらしい。

Is life so dear, or peace so sweet, as to be purchased at the price of chains and slavery? 
Forbid it, Almighty God!
I know not what course others may take;but as for me, give me liberty or give me death!

鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。
全能の神にかけて、断じてそうではない。
他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私について言えば、私に自由を与えよ。然らずんば死を与えよ。


今の日本は、鎖の付け方がうまくなったよなと思う。
うまく飼いやがる。
うまく鎖を操って、憲法集会を年寄りばかりにしやがる。

鎖を付けられた側が、それに対して不平を言わない。不平を感じない。
あるいは操られ踊らされることに、快感さえ感じている。
あるいは気が付きもしない。
それが、この国の闇だ。


「沖縄のおばあが」
また聞こえてきて、すこし泣きたくなる。


ああ、ああ、
しっかりしなきゃ。




知性や想像力や、自己の尊厳を抛擲してしまえるほど、
鎖と隷属は悦ばしいものだろうか。

その留連の中で容易く蔑棄してしまえるほど、
命や平和に価値は無いだろうか。


全能の神にかけて、断じてそうではない。
「努力が常に報われるとは限らないが 努力以外に 生きていてすることもない」





今年は、ほとんど毎月、阿部芙蓉美のライヴで三軒茶屋に通うことになりそうだ。
阿部芙蓉美のライヴの日を「芙蓉日(ふゆび)」と名付けた。冬は、好きだしな。

おそらく毎月、辛口のジンジャー・エールを頼んで、
これまた毎月、口の内でぱちぱちと弾ける炭酸ガスに咳き込むのを堪えたりするのだろう。

そうして毎月、開演前には飲み干してしまって、小説などを読みながら阿部芙蓉美を待つのだろう。


さらにはきのうのぼくがそうであったように、前の月の自分のことを思い出して、一ヶ月間を反芻するのだ。

そのときに、うんざりしたくないよな。
きのうのぼくみたいに、「ああ、おれ、なんにも変わってねえな」とうんざりするのを、繰り返したくない。


もちろん、人生は、ぼくの意図なんか無視して、勝手に変わっていく。
何年も飲んでいなくて、飲むつもりもなかったのに、
こないだ行った居酒屋で同僚が一口飲ませてくれたシャンディ・ガフを、
すこしおいしいかもと感じてしまったようにさ。


「努力」というのがなんなのかって、いま思ったのは、
炭酸ガスが水面で気化する瞬間の、あのぱちぱちに合わせて、人生を上手に踊るということなのかな。
あたふたと踊らされるのではなく、自分のこころとあたまで踊るということ。

それを、毎日、繰り返すこと。……ま、できるだけ。


毎月、おいしいジンジャー・エールが飲みたいよな。
シャンディ・ガフも、たまにはいいかもな。あれば。





盧溝橋事件というのは、インターカレッジの授業で習った。日中全面戦争の発端となった事件だ。でも、今となってはほとんど忘れられたできごとといっていいだろう。インターハイスクールでも、使う教科書は普通の高校と同じで、歴史の教科書には、盧溝橋の盧の字も出てこない。祖母にそう話したら、びっくりしていた。大切なことをどんどん教えなくなっている、と。でも、何が大切なのかは、時代によって評価が変わる、と反論すると、祖母は、知らされなければ、重要かどうかも判断できないでしょ、と肩をすくめた。

... 平井和菜



私は長い間、「やさしいことが一番強い」と真剣に思って生きてきました。もちろん、やさしさだけでは戦争はなくなりません。では何が必要か。やっぱり、知識を持つこと、何が本当に起こっているのかを自分で知ろうとし、そして想像力を持つことだと思っています。そのためにも、私たちは、私たちの国が、他国に対してしようとしていることについて、隠されることを許してはいけないと思うのです。

... 丸井 春



ずるくなりなさい。嘘をつきなさい。志を貫くために、もっとしたたかにおなりなさい。あなたを庇護する者に力があるなら、その力を頼って、利用して、それでもなお、あなた自身を、あなたの人生を歩んでほしいと願っています。

... 住井美香





「平和」という言葉の形骸化が進んでいる。
そして僕はいま、この言葉を遣わなくなった。
いつか、リラックスした顔で、言える日がくればいいと願っているよ。それまで、な。
そのいつかが、僕が生きているうちにはこないとしてもさ。

したたかになりたい。今はただ。

aurora

2016年、よくそばにいてくれたミュージシャン10

岩崎愛
チャットモンチー
阿部芙蓉美
Margaret Glaspy
おとぎ話
Sara Hartman
Sarah Jaffe
Taken by Trees (the Concretes)
Wolf Larsen
YUKI

ほぼ女性ですが、
年末になって、忘れらんねえよや踊ってばかりの国も聴いています。
ゆらゆら帝国や銀杏BOYZにも興味が有ります。

11月と12月は、朝も夜もおとぎ話ばかり聴いていました。
以前から知っていたバンドで、今までもちらちらと聴いていたのですが、
突然、ドボンと恋に落ちまして、今は虜です。

来年は、阿部芙蓉美とおとぎ話にぜったい会いにいく。
もう決めちゃったもん。

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