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▼ 2008年6月10日(火曜日)
K家次女のちぃちぃです。本日帰国しました。
先週のちょうど真ん中あたりから、ある事情でパソコンが繋がらなくなり
毎日目を通していたこのブログも見れずにいました。
丁度父の容態に変化が起こる前が最後に目を通した日で、
それから数日後、ちょうど日曜日の朝、変な夢を見ました。
夢に父が現れて、私の額にキスをする夢でした。
目が覚めてすごく不思議な気持ちで、何か意味があるのでは・・・とベッドの中で考えていたら
携帯が鳴り、びっくりして携帯を見ると、友人のたけちゃんからの近況報告。
直感的に【これが虫の知らせなのでは】と、感じ
すぐに飛行機のチケットの予約変更をし、翌日に飛行機に飛び乗り
本日帰国しました。
あらかじめたけちゃんから父の様子を聞いていたので、驚くことはありませんでしたが、
私が驚いたのは母の父に対する対応でした。
このブログを通して父の状況を誰もが知っているかと思いますが、
父は意識がはっきりしている時とそうでない時があります。
これは、今日私が家に戻り父が就寝するまでの2時間の間でも分かるほどでした。
ただ、私は普段の父と接するように話をしました。(良いか悪いかはわかりませんが)
母は違いました。
子供をあやすように、話かけていました。そして、この数日間に起きた出来事を父の前で
私に話しはじめました。
父は確かに衰弱していて、自分の力で椅子から立つ事もできません。
体に力が入らず、何かを聞いても声に力もなく、首を軽く動かすぐらい。
それでもたまには、小さい声で返事をしてくれました。
もし、父の意識がはっきりしている時に、今まで起きたことを母が私に話し
それを父が知ったらきっと、悲しむと私は思いました。
家に戻り、今まで見れなかったブログを読み、さらに私の中で色々な思いが生まれました。
ブログ作りのきっかけは母の言葉。
「誰か同じ病の人から何か情報が得られないか、そして、今後もし同じ病の人が
いたら、きっとその人達も必死に情報を得る為に調べあげるだろう。そんな人の為に
少しでも情報を残せたら・・・」これがはじまりでした。
前立腺原発小細胞癌の闘病日記が今では父の痴呆を世間の人に伝えている。
実は今まで伝えていませんでしたが、父はこのブログを知りません。
父は本当に「ええかっこし〜」な人で、自分の病気を恥じて
病院でも癌の本を読む時も必ず、背表紙をしていました。
そんな父の事、ブログの存在を知れば絶対起こり散らすと思い、
父には告げず毎日夜中に更新を続けていた私と母。
母は私がここを離れてから、管理人として毎日大変なのにがんばって
ブログを更新してくれました。
もともと本が大好きな母。文才があり、ユーモアたっぷりのブログが出来、
何よりも多くの方にコメントを残して頂けるようになりました。
これは、私にはできなかったことです。
母の正直な気持ちが皆様の心を打ち伝わった事と思います。
ただ私は、父の気持ちを考えれば、自分が自分でなくなった時の事を書かれていると
知ったら、きっと悲しむのでは・・・と思えてなりません。
【癌が消えるまで】というタイトルが一変して、すでに脳に転移したガン細胞が暴れ出し
父を痴呆へと導き、今では痴呆の父についての記録に変わりつつあります。
これは、正直私が望んだことではありませんでした。
父を恥じているのではありません。
ただ、父の気持ちを考えれば可哀相で。
これからのブログ、何をどう更新すればいいのか、私にはわかりません。
母は疲れて寝てしまいました。
これから母とゆっくり今後の父について、そしてブログについて
相談して行こうと思います。
本日も沢山の方の訪問ありがとうございました。
【ちぃちぃの独り言】
突然父が散歩に行かなくなったのは、きっと自分の中のもう一人の自分に
気がついたからじゃないかと思う。
あれ?あれ?と思う事が増えて、わからなくなり、不安になり、
一人で散歩に出かけて帰ってこれなくなったら・・・って考えて
誰に相談することもなく、自分で自分の身を守ったんじゃないかと思う。
本当は、父と一緒に散歩をしようと思って帰って来たけど
遅すぎたのか、今の父は歩く事もままならない。
私はいつまでも父の娘として、普通に父と接していたい。
おちゃやあっちゃんは戻りたくても戻れないから
その分私が三人分の愛情で父と毎日を過ごしたい。
癌細胞がどうのこうのというより、今は父が幸せでいてくれたらそれでいい。
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