智弘院ブログ

千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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答えが欲しい

お釈迦さまに一人の修行者が質問しました。

「これまで何度も同じ質問をしましたが、いつも答えて下さいません。今日はぜひとも答えて下さい。それでなければ修行をやめて家に帰ります!」

その質問とは。
一、世界は永遠か永遠でないか。
二、世界は有限か無限か。
三、霊魂と肉体は同じか別か。
四、如来は死後に存在するかしないか。


第一の問いは、時間の問題

第二は空間の問題。
第三の問いでは、霊魂の消滅と存続。
第四の問いは、悟りと永遠の命。


インドの哲人たちが互いに智慧をしぼって論争していたこと。

宇宙の根本原理とか、真実の自己を追求することなど、インドや西洋の哲学や宗教が答えを求めていました。
 
 
ところがお釈迦さまは質問に答えません。
そして「毒矢のたとえ」を説きました。


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たとえばある人が毒の矢で射られたとする。

するとすぐに仲間が毒矢を抜きとって治療しようとするだろう。
ところがもしも、その射られた人が、
「矢を射たのは、どこに住む、どういう身分の、どういう名前の人間か。弓はどんな弓で、弦(つる)は何でできていて、矢の材質は何か。矢羽根は何の鳥の羽根か。こうしたことが分からないうちは矢を抜いてはならない」

と言ったらどうなるだろうか。

その人は体に毒が回りやがて死んでしまうだろう。

汝が言っているのはそれと同じことである。

なぜなら私はそうした質問に答えるつもりはないから、汝は修行することなく死んでいくことになるからである。

だから私が説いたことは説いたように受け容れよ。

説かなかったことは説かなかったと受け容れよ。
 
私がなぜ説かないのかというと、それらの問題に対する答えは、清らかな行ない、世俗からの厭離、煩悩の消滅、心の平静、すぐれた智慧、正しい悟り、涅槃(ねはん)、の役に立たないからである。


それらの問題に対する答えがあったとしても、生があり、老いがあり、死があり、憂い、嘆き、悶えがある。

 
私が説いているのは、そうした人生の苦しみを解決する道である。
毒の矢を抜き去るように、苦を速やかに抜き去ることがいちばん大事なことではないのか。


この話を聞いた修行者は、目が覚めたように教えを受け入れ、喜んで修行に戻っていきました。

 
 
仏教とは学問ではなく、実践、生き方です。
 
「毒の矢」という日々の苦しみ悩み。
「これはどんな種類の毒なんだ?」
「この矢は何でできているんだ?形状は?」
「どこから飛んできたんだ?」
「誰が矢を射たんだ?」
気にしている内に手遅れになってしまいます。
ただ一言
「矢を抜けよ」
これが仏教です。
世間では原因を放置したままその表面上で、自分の考えこそが正しいと主張し合う事がよくあり、何も前に進まないことがあります。


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