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智弘院ブログ
千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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登詣参拝

前日は麓に泊まり、朝早くから登ります。

登る前に、天狗さまにお経を唱えて安全祈願。
力が、みなぎります。

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木の根が、むき出し。
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生命力がすごい!

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中腹の景色。
気持ち良いです。
が、汗びっしょり。

数時間後、頂上です。
鹿さん親子のお出迎え。

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頂上には池があります。
龍神さまの棲む池です。

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本殿。
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御開帳して、大明神さまを拝し、
目に見えぬ汚れを落とし、
力と智慧を授かり下山です。

良いお参りとなりました。
千葉へ帰ります。

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身延参拝

今日は、山梨県の身延山久遠寺に参拝です。

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白い蓮の花

「蓮始開」(はすはじめてひらく)
蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かせる頃。
水面に葉を浮かべ、幻想的な花を咲かせます。

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七十二候7月12日〜

早朝咲き始め、昼になると閉じてしまう蓮。
花や葉で盆棚を飾り、お盆には欠かせません。
 


名前の由来は、花の中心部にできる花托(かたく)の形が蜂の巣に似ていることから「はちす」となり、「はす」と呼ばれるようになったといわれています。

蓮は、最も古い植物のひとつで、およそ14000万年前にすでに地球上に存在していたといわれています。蓮の生命力は驚異的で、2000年も前の蓮の実が昭和の時代になって発芽した自生地もあります。

 
 
清い華のイメージから、バラモン教、ヒンドゥー教など、神々の多くは、蓮華の上に立つ姿で描かれ、仏教でも、泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲の象徴とされてきました。
 
 
白蓮華は花の中でも最も清く美しい花であり、最高位の仏、経典、教えのシンボルになっています。
 
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仏教の経典(スートラ)の意味は、「縦糸」です。
過去・現在・未来を編む縦糸のことで、いつまでも変わらない真理という意味を持っています。
教義を中心としたスートラ、縦糸に対して「横糸」はタントラといい、実践中心の行です。
 
 
「正しい教えである白い蓮の花の経典」という意味のタイトルが名づけられた経典が、妙法蓮華経です。
 
 
妙とは、「微妙(みみょう)」の略で、「不可思議」「趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあること」「巧妙」などの意味に通じ、正しき教えを表します。
 
 
妙法とは、「妙は仏であり、法は私たち」、「妙は真理であり、法は現象」という二元性を同時に表す言葉・思想でもあります。
 
 
もう一つ重要な意味があります。
 
普通の植物の場合は、花が終わって実をつけますが、蓮は、他の植物と異なり、花と実が同時につきます。
このことを「華果同時」といいます。
 
このことが、法華経の教義である「因果倶時」に通じているため、法華経のタイトルに蓮華の文字が入っているのです。
 
 

「妙法は因果倶時の法門なり。華果同時の蓮華の如し。」

とは、日蓮聖人のお言葉です。
 
「因果異時」、原因があって結果が生じるという観方ではなく、
「因果倶時」、原因も結果も同時にあるという観方には、時間の経過はありません。
 
 
たとえば、
人を虐待した時、既に地獄に落ちている。
物を惜しんだ時、既に餓鬼に落ちている。
礼を逸した時、既に畜生に落ちている。
成仏を誓った時、既に仏になっている。
ということです。
 
私たちが生まれた時、既に仏の性を持っている。
仏の性が目覚めた時、既に成仏している。
ということです。
 
 
「正しい教えである白い蓮の花の経典」は、
「因果倶時という妙法を説く経典」という意味になります。
 
 
世間に起こるあらゆる事件や事故等のニュースの中に住むことなく、汚れに染まらない蓮華の如く、清々しく、清らかな日々で生活する。
 
 
その為に法華経の信仰があり、毎日お題目「南無妙法蓮華経」を唱えています。

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目覚める

覚悟
 
「おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光で 月を見るなり」
古歌
 
「覚悟」と言えば、重大な〈決意〉や〈決心〉を意味します。
「決死の覚悟」といえば勇ましいですが、時代劇などでは「お覚悟めされ」といえば諦めの心持ちを示します。
 
 
仏教でいう「覚悟」は、
真理を〈さとる〉、真理に〈目覚める〉ことを意味します。
 
覚も悟も同じく〈さとる〉こと。
覚は不覚に、悟は迷に対して用いる言葉です。
 
 
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お経には
「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」と説かれています。

覚悟を得た人を「仏」といいます。


そこで思うことは、私たちが覚悟すべきは、人間は本来一人ひとりが独立者でありながら、この世では絶対に独りでは生きられない。生かされて生きているのが人間である、ということです。

 
 
覚悟、つまり〈いのち〉の真の相に気づくことが大事でしょう。

思い上がりを捨てて、おかげさまの心を持つことです。

 

いつも悪口を言っている人がいます。
勤めている会社や、卒業した学校、住んでいた場所など。

 


そこには、今でも勤めている人や、通っている人や、住んでいる人がいます。
その人たちの耳に、その悪口が聞こえたら、どうなるでしょう。

 
 

言われた人たちは不愉快に思い、悪口を言った人は嫌われます。
何か問題が起きれば、ひたすら他人のせいにしてしまう人は、自分の間違い、至らなさを反省することがあまりありません。

 

「おかげ」で生かされていることを自覚する機会に恵まれず、どうしても自分中心の発想、利己主義で生きてしまい、「正直者は馬鹿を見る」と言うようになってしまいます。


正直に生きている人は、そういう人をすぐに見抜きます。
そして、その人から遠ざかっていきます。

 
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
 


良い正直の徳を持つ人は決して孤立せず、周りから人が寄ってくる、助けてくれる人や協力者が必ず現れるものです。


「見栄を張り」「格好をつける」こともありますが、やはり、正直を旨として、地道に仕事に打ち込み、世のため人のために真面目に生きていく、良き正直者でありたいものです。

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平成30年7月7日七夕

快晴となり、前日の雨が嘘のよう。
子供たちの思いが届いたようです。

智弘院の夏恒例の流しそうめん。
今年も大勢の方がお申し込みくださり、楽しんで頂きました。

まずは、七夕のお願い

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安全の御祈願

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記念写真
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さあ、竹取です。
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沢山のかぐや姫、かな?
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お寺に戻って、器と箸を作ろう!

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そうめん流しの竹、長いなあ〜
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さあ、食べるぞー!

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バーベキューは野菜ばっかり。
子供たちはお肉が無くて不満だけど、ママさんたちは喜んでくれました。

お酒も無くて、心身ともに健康的なお寺のBBQ 

遊びと学び
用意されたものを食べる普段と違って、自分たちで準備した分、美味しかったでしょう。

夏は、お寺で流しそうめんしたな〜という、思い出が一つできました。




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