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智弘院ブログ
千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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おえしき報恩法要

今日は、智弘院の御会式です。

日蓮さまの御命日の報恩法要。

日蓮さまの言葉

知恩をもて最とし
報恩をもて前とす
世に四恩あり
これを知るを人倫となづけ
知らざるを畜生とす

恩知らずは、人間の顔をした畜生(動物)と、厳しいお言葉に襟を正す思いです。

法華経、お題目を信仰するものにとって、何よりも大切なお参りです。

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お餅作り

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この記事に

降り積もる雪

欲深き人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う。
高橋泥舟
 
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欲というものは誰にでもあります。
○○が手に入ったら、もうあとは何も要らない!○○が欲しい!」
と強く欲し、手に入ったらなんと幸せなことでしょう。
 
子供の頃に、お小遣いやお年玉を遊びに使うのを我慢して、ずっと欲しかった○○を手に入れて、
「やっと○○が手に入ったー!!」と大喜びします。
 
しばらくは夢中になって、○○を大事にするでしょう。
なのに、いつの間にか○○への魅力が無くなってきてしまう。
 
夢中になっていた○○に対する気持ちが薄れ、そこにあるのが当たり前になってしまい、ひどいと、そのうち相手にしなくなってしまう。
飽きてしまったということですね。
 
この○○が物であれば、まだいいかもしれません。
それが、動物や人だとしたらどうでしょう。
 
相手の心に大きな傷を作ることになってしまいます。
○○が手に入ったら、もうあとは何も要らない!」
なんて発想が、そもそも極端と思われるかもしれませんが、
人間の欲というのは、それくらい偏りがあるものなのです。
 
 
欲深きとは、
節制がなく、他人のことを視野に入れずに、自分さえ良ければいいと考えている心
 
その欲深き人は、どうなるのでしょうか?
 
降る雪と同じように、その欲が積もるにつれて道を失ってしまうことになります。
人としての本来歩むべき道を見失い、しまいには道から外れてしまうということです。
 
 
人の道を踏み外したら、政治家でもスポーツ選手でも、芸能人でも社会的糾弾を受けます。
真面目な人でも、この欲で一生を棒に振る。身を亡ぼすことがあります。
 
 
自分の気付かないうちに心奪われて、人生の目的を見失ってしまうことがありますから、気を付けて教訓にしたいものです。
 

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学びで大切なこと

学ぶことで、大事なこと

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四書五経のひとつ「大学」の冒頭に
「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し。」
とあります。
 
解釈は
「物事には重要な部分と枝葉抹消があり、始めと終わりがある。
何か物事を始める上で、何を先に行うべきか、何を後に行うべきか、
その順序を認識して行えば、間違えが少なく、大きく道を踏み外すことはない」
という意味です。
 

学問にも、本学と末学があります。

人として生きていくということは、どのように生きていくべきなのか。
社会にいかに貢献し、自らの人格をいかに高めていくか、
を学ぶことこそが、本来、学問の中心として学ぶべき「本学」です。
 

生きるための術、スキルやテクニックを学ぶのが[末学]ということになります。

人間としての本質、人格を磨くことが全てに優先しますので、この順序を間違えると本末転倒になる、ということです。


例えば、住宅建築会社の営業で入社した人がいるとします。

その方は、営業さんですから、家を売ることがお仕事になるわけです。

ですから、その会社の建築した家が他社の建築した家よりも、どこが優れているかについて、専門知識もふまえ説明できるだけの勉強をしなければなりません。
また、家の構造やらデザインも勉強しなければなりません。

さらに、お客さんに買っていただけるように営業トークや心理学なども勉強していかなければなりません。
ともかく、多くの勉強をしなければならないのです。

一人前になるのには、少なくても、5年から10年位はかかるでしょう。


例えば、「利のもとは義なり」という言葉があります。
どのような商売でも、利益を出そうとすれば、正義のことを通して得るようにしなければならない。ということです。

これが本学なのです。


お客さんは、建築に関しては素人です。

ですから、ここら辺はごまかして、どうせわからないや、この程度で売りつけちゃえばいいや。というのは「義」ではありません。
しかし、したくなるのが人かもしれませんね。

その誘惑を乗り越え、そのような「不義」はしてはならない、と自らを律することが必要なのです。

その自律を通じて、自らの人格を高めていくのです。
 

これが「本学」です。


また、自分の仕事を通して人々に喜びを与え、社会に貢献しているという実感をもった人生を送っていく、その生き方を学ぶのが「本学」です。


このような、人格を高めることや社会貢献をしていくことに関して、現代日本はあまり関心をはらわなくなってしまいました。


社会貢献や人格を高めようとしない人は、必ず行き詰ります。
本学の部分が全く頭に入っておりませんから、いろいろなところでぶつかります。


謙虚・正義・礼儀・感謝・奉仕・調和・知足などの事柄は、古臭いかもしれませんが、大事なものです。

 
顧みることなく、己を利することばかり。
その影響が多くの方の不幸の温床となってしまっております。
 

お寺で相談をしていて、そう思います。
もっと自分自身を高めましょう。

そして社会貢献をしましょう。
それが、最後は自分を守ってくれることにつながるのです。

日本は、企業や教育の場が末学ばかりで本学がおろそか。
社長、部長、上司やマネージャーなど、リーダーは本学がなければ人はついてきません。
 
皆さん、「本学」を学びましょう。

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七五三祝い

11月になりますと
お寺には七五三の祈祷で
カワイイ子たちが来ます。

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お人形のようです。

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千歳飴の他に
ブッタがせんせい
という本を差し上げてます。

親子で読んで
大切なことを学び
幸せになってくださいね。


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「苦しみ」を知るお釈迦さま2  
 
 
今は科学技術が発展し、昔と時代が変わりました。
さて、苦しみは変わったでしょうか?
 
 
人の苦しみを知り尽くしたお釈迦さまは、
四聖諦の第一番目として「苦聖諦」を説かれました。
苦聖諦の内容は、昔も今も、これからも同じです。

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苦聖諦とは、
 
生まれること
老いること
病気になること
死ぬこと
好きな人と別れること
嫌な人と会うこと
思いどおりにならないこと
五執蘊(身体の苦)を持つこと
 
 
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これらの苦しみを四苦八苦と言います。
今も昔も同じなのです。
新種の苦しみはありません。
 
 
新種のウイルスはありますが、新種の苦しみはありません。
現代人が完全に退治したという苦しみもありません。
科学技術の発展によって苦聖諦の一部が取り除かれた、
というものもないのです。
 
 
人々が聞く質問はいつも同じです。
 
二千五百年前であろうが
現代であろうが
東洋人であろうが
西洋人であろうが
学者であろうが
ビジネスマンであろうが
母親であろうが
若者であろうが
 
聞く質問は決まっています。
自分の悩みや苦しみに関する質問なのです。
 
 
お釈迦さまは
「すべての苦しみを解決する道」
を説かれました。

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その道を実践する人は誰でも、
悩みを解決することができるのです。
 
 
仏教は時代遅れになることはありませんし、どんな人にも通じる教えなのです。皆さまが、仏教に触れることを願っております。
 
 
仏教は、実践です。
今までの行い、生活を変えること。
自己を調えることを教えています。
 
お寺参りは、そのきっかけになります。
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