智弘院ブログ

千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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チョコレート

チョコの裏側の話 
資本主義の暗黒面

 
チョコレートの原料カカオは、赤道近くの高温多湿な地域で栽培されます。
そのカカオ生産地では、農薬の使用や森の伐採などにより生態系や環境が破壊されたり、地域の子どもたちが学校に行けずに危険な労働を行っていたり、さまざまな問題がおきています。
ガーナを含む西アフリカ4カ国で、カカオ農園で数十万人の子どもが働き、そのうちの64%が14歳以下であることが分かりました(国際熱帯農業研究所、2002年)。
 
全世界のカカオ豆の7割は西アフリカで、特に4割はコートジボワールで作られています。


チョコレート製造には、カカオ豆の粉砕が必要で、それには巨額の設備投資が必要となってきますが、途上国ではそれが困難となり、外国資本が工場を建て、安く調達したカカオ豆から生産したチョコレートを販売することで莫大な収益をあげます。

 
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カカオ豆は途上国にとって、重要な外貨獲得源ですが、大変厳しい競争にさらされていて価格は下がる一方です。
カカオ生産農民は生きる為にだけ重労働で低賃金のカカオ生産に携わって、多くはカカオ豆が何に使われるかすら知らず、チョコレートを見た事も無い農民達も多いといいます。

 
 

市場価格の安さと、利益を上げるために安い労働力を得ようとして、児童労働、子どもの人身売買につながっていきます。



カカオ豆の生産のため、2〜30万人を越える西アフリカの子どもたちが働いていると言われています。

 
コートジボワールに人身売買されカカオ豆農場で働く子どもたちが殴打されながら、賃金なしでわずかな食料と睡眠で1日12時間から14時間働くことを強要されているとの報告もあります。


節分といえば鬼は外
 
 
鬼は、「隠(おん・おぬ)」が語源といわれています。
「隠」は「この世のものではない、見えない存在」という意味があり、人の力を超えるもの、人に災いをもたらすものとされています。
 
 
その鬼には五種類ありまして、赤鬼、青鬼、黄鬼、緑鬼、黒鬼がいます。
その5つの色が煩悩に当てはめられております。
 
 
また、身体にとって大事な五つの臓器にも当てはめられております。
臓とは、からだに必要な気血水や精などをつくり、ためるところで、とても重要なのです。病になる時は、これらが不足している状態で、臓は精神ともつながりがありますから、他の臓腑とも様々なかたちで関係しています。
 
 
払う鬼は
外から来る災いの鬼と
内から出る煩悩の鬼です
 
 
赤鬼の色の意味は貪欲(とんよく)

分かりやすくいうと、強い欲望です。
鬼といえば赤色ですが、全ての悪心の元となります

 
心臓の赤色で、循環機能、精神活動、記憶意識思考判断を表します。
利害、損得などは、正しい判断を誤らせ、他人や社会に損害を与えます。
当たり前の日常に目を向けて、感謝をすることが大事ですね。
すべての悪の象徴とされる赤鬼、自分の中の悪い心を取り除きます。
 
 
 
青鬼の色の意味は瞋恚(しんに)
自分に都合が悪いと、すぐ怒ったり、人のせいにして、憎しんだりすること。貧相で欲深い心を表しています。
 
腎臓の青色、成長発育生殖老化、生命維持機能、泌尿器系などを表します。 
怒りは短命になりますよ。
悪意や憎しみ、怒りなどの象徴の青鬼を取り除けば、福徳に恵まれます。
 
 
 
黒鬼の色の意味は愚痴(ぐち)
疑心暗鬼にとらわれ、愚痴や妬みが出てくることです。
 
脾臓の黒色、消化吸収、血流消化、吸収機能、水分、栄養の代謝などを表します。
物事を消化できないと愚痴が出ますし、なかなか成長しにくいですよね。
疑心暗鬼の象徴の黒鬼、卑しい気持ちを追い払い、心の平穏を願います。 
 
 
 
緑鬼の色の意味は不健康

倦怠、眠気、ダラダラしたり、やる気がない、気力がない状態です。

肝臓の緑色、筋肉、自律神経を表します。
とにかく楽な方がいい、そういう自身の不摂生の象徴の緑鬼、反省し健康的で規則正しい生活を心がけることを願います。
 
 
 
黄鬼(白鬼)の色の意味は我執(がしゅう)
過去のことに、とらわれ過ぎて、思い悩み続けるのは良くないことです
 
肺臓の黄色、呼吸皮膚機能などを表します。
とらわれは、息苦しいですよね。
心の動揺や後悔の象徴の黄鬼、過去の後悔から解放され、自己中心的な甘い考えを取り除き、公平な判断ができるようになるよう願います。
 
 
仏教という、仏さまの智慧と生き方、心のあり方と身体機能と健康はつながっています。
祈りの心と、智慧と修行という武器で、5つの鬼に立ち向かう。
 
 
五色の鬼
赤鬼・・・貪欲。欲深いこと
青鬼・・・怒り・貧相。怒りやすいこと
黒鬼・・・愚痴。疑り深いこと
緑鬼・・・不健康。だらだらすること
黄鬼・・・我執。過去にとらわれて前に進まないこと
 
節分に、今年1年の自分が打ち勝ちたい煩悩の色の鬼に豆をぶつけてみてはいかがでしょうか?

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国を守る

日本人の老後


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日本が売られる


生きることで精一杯もある
自由という権利も得ました
楽しむことが生きがいもいい


しかし考えて欲しい


日本を守ることは
いのちを守ること


国を守るとは郷土を守ること
郷土とは自然の恵みであり
神仏であり先祖であり墓所
墓とは家であり親であり「いのち」


個人が優先され
個人が強くなり
親も家も墓も郷土も
無くなっていく


便利や楽を求めれば
いのちが粗末になる

国も郷土も家も墓も親も同じ
すべて「いのち」のつながり

親を、いのちを大事に出来ない国は亡び
属国と成り果て奴隷の末路です

我が子の死を受け入れるまで
 
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キサー・ゴータミー、彼女は舎衛城の貧しい家に生まれました。
そんな彼女も、結婚し、一人の子供が産まれました。
 
 
幼い頃から貧しさと苦労続きだった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとした時でした。不幸にも、突然の夫の死に出会うのです。
 
 
ある日、路上に倒れている夫を見つけました。この時、彼女のお腹には二人目の子供が宿っていたのです。
 


あまりの突然の不幸に、哀しみに沈んでいた彼女にさらに追い討ちを掛けるように、二人の子供は亡くなり、両親も世を去ってしまうのです。

 
 
自分ひとりだけがこの世に残り、こんな辛い苦しみがあるだろうか、彼女は死んでしまったわが子を抱いて、町中を歩き回ります。
 
 
「誰か、この子の薬を知っている人はいませんか!」
家々を尋ね歩く彼女に、何人かの人はこう言いました。
 
 
「お母さん、あなたは正気を失っておられる。死んだ子供の薬を求めて歩き回っているのだから」
 
 
しかし彼女は答えました。
「いいえ、私は必ずこの子の薬を知っている人を見つけ出します」
 
 
この様子を見ていたある賢者は、彼女を憐れに思って話しかけました。
「お母さん、私は薬のことは知りません。でも薬を知っている人なら知っています」
 
「どなたがご存知なのですか?」
 
「師が知っておられます」
 
「教えてください!」
 
 
彼女は、舎衛国に来ておられたお釈迦さまを訪ねます。
 
 
「尊い方、あなたは私の息子の薬をご存知だとうかがいました」
 
「はい。そうです。知っています」
 
「どうか、この子の薬をください。何でもします、分けてください!」
 
 
お釈迦さまは、必死に願う彼女の目と、腕に抱かれた赤子を見つめ、言いました。

「では、よいかな、よく聞きなさい。この町中の家の中から、未だかつて死人を出したことのない家を見つけなさい、そして、その家から芥子の種をもらってきなさい。そうすれば、私はあなたに、その子供を生き返らせる薬を作ってあげよう」
 
「わかりました、師よ!」
 
 
その言葉を聞いた彼女は、芥子の種が子供を生き返らせてくれるかもしれないと一縷の望みを得て、子の亡骸を抱きかかえながら気力をふりしぼって再び町に戻っていきました。
 
 
最初の家の前に立って、彼女はさっそく尋ねます。
 
「お宅に芥子の種はありますか? 息子の薬になるのです」
 
「ありますよ。ちょっとお待ちなさい」
 
 
芥子の種を持って出てきた家の人に、再び彼女は尋ねました。
 
「お宅では息子さんも娘さんも、どなたも亡くなった方はおられませんか?」
 
「何をおっしゃいます。うちでは今生きている人よりも、死んだ人間のほうがずっと多いですよ」
 
「それなら、これは受け取れません。この子の薬にはなりませんから」
 
 
それから、数えきれない家々の玄関をノックしてまわります。

「いやあ、うちは去年父を亡くしたばかりでねえ」


「私のところは三ヶ月前に見送ったばかりさ」


「うちには芥子の種はあるんだが、これまでに三人亡くしているよ」

 
 
芥子の種はあっても、死人を出したことのない家庭はありませんでした。
 
 
身体はくたくたに疲れ果てていますが、彼女は次第に心の平静さを取り戻していきます。
 
 
「皆、必ず家族の死を経験している、自分だけが悲しいのではなく、皆悲しい別れを乗越えて生きているのだと」
 
 
「ああ、なんと恐ろしいこと。私は今まで自分の子供だけが死んだのだと思っていた。でもどうでしょう。町中を歩いてみると、死んだ人のほうが生きている人よりずっと多いなんて」
 
 
彼女は次第に、自分の命と思っていた子供の死を受け入れていき、子供の死はもうとりかえしのつかないことだ、しかし子を亡くしてもなお生きている私はここにいる、その現実にようやく気付くことが出来ました。

 
彼女にとってケシ粒さがしは、自分探しでもあったのです。
 
 
お釈迦さまのもとに戻り、自分自身が気付いたことを話しました。
この時、お釈迦さまの教えを初めて聞きます。
最愛の子供を亡くしたことを縁に仏法に出会ったのです。
 
 
仏教は決して死者を生き返らせる奇跡を説くものではなく、むしろ諸行無常という厳然たる事実を説き、なお生死を越える道を説くものです。それがお釈迦さまの示された法です。
 
 
彼女は、お釈迦さまの教えを聞き、悲しみを乗越え、新しい道へ向かう心が生まれ、より深い悟りを得ようと出家して弟子になることを願い出ました。
 
 
幼い頃より苦難の道を歩み、人として、女性として生きることの苦しさを体験してきた彼女は、真に心から喜べる幸せを手に入れようと、尼僧となって修行に励み、生きていくのでした。

 
お釈迦さまは、相手の立場に立って、巧みな手立てをもって課題を出し、経験を通して真理に気づくように導かれます。
 
 
その課題を、時間をかけて取り組ませていくことによって、キサーゴータミーは死という問題をだんだんと受け入れていくのです。
 
 
この話では、愛する人の死が自分自身と向き合う機会となり、仏の教えと出会う得難い機縁となりました。
 
 
無常の理に目覚め、生死を超える道を求めるところに、私たちの苦しみや悲しみの根本的な解決があることを教えています。

成人式

 成人式

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以前は小正月の15日でした。。
昔でいう元服、大人の仲間入りです。
 
西郷隆盛が尊敬した人物に橋本佐内がいます。
天保5年、福井の医者の家に生まれ、16歳で全国の優秀な青年が集まる緒方洪庵の適塾に学び、20歳にして福井藩の藩校の責任者を務めます。
藩主の側近としては、藩政や教育改革に当たり、国の政治にかかわり、全国を飛び回りますが、安政の大獄で26歳で処刑されてしまいました。
 
橋本佐内は子供の頃に自分のことをこのように語っていました。
「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、しかも弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がないように思う。
これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。
一体自分はどうしてこんなに駄目なんだろう。
そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした・・・」
 
深く自分を恥じた佐内は15歳の時、決意を固めます。
そしてこの時に書き上げたのが「稚心を去れ」「気を振え」「志を立てる」「学に勉める」「交友を選ぶ」からなる『啓発録』です。
 
 
『啓発録』
 
第一に稚心(ちしん)を去れ
稚心とはおさなごころということにて、俗にいう童(わらび)しことなり
 
反省や工夫、努力もないのに、勉強が急に出来るようになったり、競争に勝てたり、夢がかなえられたりすることは、ありません。自分とその運命を変えようと思うなら、自分の「子供っぽい心」を捨て去ることが大事です。
 
人の中にある稚心とは、遊びを好む心、お菓子などを欲しがる心、親の眼を盗んでは仕事や勉強をさぼり、困ったことがあればすぐ父母に頼ろうとする心、また、父や兄の厳しい指導を恐れ母の膝元に隠れようとする心などです。
 
 
第二に「振気」
気を振(ふる)う
 
気とは人に負けない心を立てることであり、恥ずかしいことを無念に思うことから生まれる意気込みのことです。
負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが人を変えるエネルギーになるのです。
 
 
第三に「立志」
志を立つ
 
志のないものは魂のないものと同じで、いつまでたっても成長することはありません。
そして、どれだけ目標を高く掲げても、あくまで地道な努力が大切です。
志を立てた者とは、行きを決めた旅人のようなもの。朝のうちに出発すれば、明日はどこ、あさってはどこ、という具合に次第に目的地に近づいて行く。どれほど才能が劣っている者であっても、このように努力を続けていけば到着しないということはないのです。
 
 
第四に「勉学」
学に勉む
 
学ぶ、ということは習うということに等しく、素晴らしい人物の良い行いを手本として慕い、その人の生き方に劣らないように努めることこそ何より大切な学問です。
 
勉強とは、単にいい成績をとることでも、暗記した知識をひけらかすことでもありません。そのような考えは、勉学の意味を誤解していて、人は「自分自身」のために生きるというより、もっと大きな「なにものか」のために生きてこそ真の生き甲斐に巡り会えるものです。
 
 
第五に「友を選べ」
交友を選ぶ
 
友達には「損友」と「益友」という二つの種類があるので、その違いをよくみて選ぶことが必要です。
友人の中に「損友」がいたら自分でその人を正しい方向へ向けてやらなければならない。「益友」がいたら、自分の方から声をかけて、どんなことでも相談していつも兄弟のようにつきあうべきです。
 
私たちの周りには多くの友がいます。しかし、一緒に遊んだり同じ趣味を持つ友人はたくさんいても、自分を高めてくれ、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達がどれほどいるのでしょうか。そういう友を「益友」と呼び、そのような友人を、何においても大切にするべきであると言っています。
 
以上
 
この五つの大切なことについて書かれた『啓発録』。
橋本佐内15歳が、成人とは何かを教えています。


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