智弘院ブログ

千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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苦しみを知る人

「苦しみ」を知るお釈迦さま1  

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お釈迦さまは慈悲の人。
お釈迦さまは因果を悟った人。
苦しみをすべて知り尽くしている人。
 
人の苦しみは痛いほど分かります。
理解できない苦しみはなかったので、
さまざまな問題を解決出来たのです。
 
お釈迦さまは
「すべての生命は無明によって苦しんでいる」
ということを理解していました。
 
ですから、
悩んでいる人や失敗した人がいても、
その人たちを責めることはしません。
相手のことをけなすこともしません。
 
私たちは日常生活の中で、失敗して苦しむことがあります。
その上、周りから「なんでそんなことやったのか」と責められたり怒鳴られたりすることもあります。
 
お釈迦さまはそのような言い方はされませんでした。
お釈迦さまは
「人間はそんなもので、愚かなことしかやりません。
無明があるから悩みや苦しみがあり、失敗するのです」
と理解して、人を貶すことも非難することもしませんでした。
 
また、
神を信じる人と信じない人とを二分化して、
信じる人は天国へ、
信じない人は地獄に落ちる、
といった「脅して処分する」ということもしませんでした。
 
皆のことを平等に見ていたのです。
お釈迦さまの時代、999人も殺害した「アングリマーラ」という殺人鬼。
普通に考えれば、極悪人で救いようのない人だと誰もが思うでしょう。
 
でも、お釈迦さまはそのようには考えなかったのです。
 
ほんとうは素直でまじめな性格を持っている青年ですが、人から間違った考えを教えられたために残忍凶悪なことをした、と考えていたのです。
 
このように、お釈迦さまは人を責めたり脅すことはしませんでした。
 
そうではなく
「私も輪廻の中でずっと苦しんできました。
しかし苦しみを解決する方法を見出しました。
君たちにもその方法を教えてあげましょう」
という態度なのです。
 
人が失敗して悩んでいるのを見て
「あんたは不幸だ」
と言うのではなく、
 
「無明と煩悩があると苦しみます。
以前は私もそうでした。
しかし今は苦しみがありません。
幸福です。その道を君たちにも教えてあげましょう」
という態度なのです。
 
これがお釈迦さまであり、仏教です。
 
智弘院では、仏さまの教えをお話させていただいています。

紅葉狩り

紅葉
 
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美しく色づく季節になりました。
私は紅葉が大好きで、特にモミジ、カエデが好きです。

智弘院も四季折々の木々で楽しみたいとモミジを植えてあります。
 
また、終わりのない落ち葉掃きの季節でもありますが、これも修行。 

少しづつ寒くなっていく風を肌で感じ、落ち葉を眺めていると、冬の厳しい修行を思い出したり、よし!やるぞと決心したり、紅葉を見ると情が動かされるものです。

紅葉はなぜ起こるのか? 

紅葉のメカニズムはいまだわかっていないことも多く諸説あるとのことですが、ひとつの説を取り上げます。
 


春に芽吹いた葉は、夏に一所懸命に光合成をして幹に栄養を送る仕事をします。

 
しかし秋になると日差しが段々弱くなり、光合成をして得られるエネルギーが少なくなります。
 

そうすると、緑の葉を維持するのに必要なエネルギーが、光合成により得られるエネルギーより多くなります。
 

収入と支出のバランスで言えば赤字の状態に陥ります。
 
この状態を放置すると、夏までせっかく幹に貯めたエネルギーがすべて無くなってしまいます。
 
そこで、樹木は落葉することを決断します。
 
その時、葉は自らに残ったエネルギーを保全するために赤い色素を出し、エネルギーをすべて幹に送ってから、枯れて落ちるのだそうです。
 
その保全のための色素のおかげで鮮やかな紅葉にある訳です。
 

綺麗だなと思ったり、もののあはれにて感傷的になったりしながら、見上げる鮮やかな紅葉の中では、自分がどうなってもこの子だけは守りたいという親心のような温かい心を感じ取れます。
 
親とはそういうものですね。

仏さまも同じ。
親心で、見捨てることなく私たちを見守ってくれています。
 
誰でも持っているはずの温かい心。
親から躾けられたわけでもなく、学校で習うものでもなく、
幼いものや自分より弱い人に手を差し伸べる暖かい心。
 
この温かい心で、地球上で生命の誕生から現在まで、大切にいのちが繋がってきたのだと思います。
 
そう思うと、自分一人で生きているのではなく、大きな生命の流れの中で、様々な人や、もののおかげで生きていることに気づかされます。
 
自分だけ良ければなどという心のよどみが洗い流され、
澄んだ心でお蔭さまと周りの方々に素直に感謝して、

お蔭さまとご先祖さまにも自然と掌を合わせる。

紅葉の見頃はまだかな。

万物が支え合って生きていることに改めて感謝し、花見で一杯をしたいと思います。

羊飼い

ヒツジの親子
 
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羊飼いは、ヒツジの群れを餌場に連れて行くために、
川を渡らせようとしていました。
 
川は浅かったのですが、ヒツジたちはなかなか渡ろうとしません。
なぜかというと、群れの中に母ヒツジと子ヒツジがいたからです。
 
子ヒツジは小さくて弱いものですから、
母ヒツジが心配して川を渡ろうとしなかったのです。
 
羊飼いは困りました。
いくら叱っても怒鳴っても脅しても、
母ヒツジはいっこうに動きません。
 
そこへ、お釈迦さまがやって来ました。
 
お釈迦さまは黙ってヒツジの群れの中に入り、
その中にいた子ヒツジを抱きあげて川を渡り始めました。
 
母ヒツジもお釈迦さまの衣に口をつけながら後をついて行き、
ほかのヒツジたちもいっせいに川を渡ったのです。
 
渡り終わると、お釈迦さまは子ヒツジを岸に置いて去って行かれました。
 
これを見ていた羊飼いは
「これが人間の道だ」
ということに気づきました。
 
叱ったり怒鳴ったり蹴ったりしてもうまくいかない。
心を読んで理解しなくてはならないのだと。
 
羊飼いは、母ヒツジの心を理解していなかったことに気づいたのでした。
 
 
お釈迦さまに出会って、自分たちの問題を解決していった人たちの物語が、経典を通して私たちに教えています。

智弘院には修行体験があります。
いろいろな方が、それぞれの思いをもってお寺を訪ねてまいります。
 
昨日で二泊三日の修行体験を終えられた方は、鴨川市から来たお医者さま。
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ホテルみたいです。



植島医師は、海外でも数年間学んで来られた、循環器、心臓血管の専門医。
日々、生死と隣り合わせにいる患者さんの治療に携わっておられます。

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重責を担う立場にもあり、自身を見つめ直す修行のようです。

修行体験を通して日本文化、仏教の精神を学ぶためにも智弘院に来ました。

仏教の教え、捉え方、考え方などお話させていただき、

読経、写経、坐禅、作務など、修行の体験をしていただきました。
 

2日の濃密な時間で様々な意見交換が出来ましたこと、
私にとりましても、有意義な時間となりました。


仏教精神や死生観
生きるとは
死とは
幸せとは

看取り、尊厳、延命

医療問題、制度問題
世界情勢と各国の医療
将来の日本

お話しは多岐にわたり、あっという間の三日間。
医療と倫理、社会の変化など複雑ですが、思想理念を持ったお医者様が増えていくことを願い、今後のご活躍を祈るばかりです。

無いという幸せ

無罪の幸せ

お釈迦さまは、在家(一般人)の幸せを4つ示しています。

1.財産を所有する幸せ
2.財産を使う幸せ
3.債務がないという幸せ
4.罪がないという幸せ

 
前半二つは「ある」幸せ。
後半二つは「ない」幸せです。
 
「ある」幸せ、何かを持つ、何かを味わう幸せは、人生には欠かせないものです。しかし、どれほど沢山の富があっても、
「自分には過ちがあった、非難されるようなことをした、あの人を傷つけた」
「もしも誰かに知られたらどうしよう、報いを受けたらどうしよう」
という憂いがあればどうでしょう? 
安らぎは簡単に損なわれてしまいます。
 
「ない」ことの幸せは、何にも代えがたいものです。
 
ある国の王妃の侍女で「クッジュッタラ」という女性がいました。
国王は毎日、王妃に花を買うためのお金を授けていました。
お金を預かって、市場に花を買いに行くのはクッジュッタラの役目。
 
毎日、花屋のスマナのところに行って、花を買っていましたが、ある日のこと。
お釈迦さまとお弟子さまたちが食事のお布施を受けるためにスマナの家を訪れました。そこへクッジュッタラがいつものように花を買いに行ったのです。
 
スマナはクッジュッタラに
「今日は私の家にお釈迦さまとお弟子さまたちがお布施を受けにいらっしゃっています。食事のお布施が終わったら、あなたもいっしょにお釈迦さまの説法をお聞きなさい。花を買うのは、説法が終わってからにしてください」
と言いました。
 
そこでクッジュッタラは食事が終わるのを待ち、説法を聞くことにしました。クッジュッタラは注意深く説法に耳を傾け、その場で自分自身をよくよく観察して、説法が終わったときには、預流果(悟りの第一段階)に達していました。
 
ところで、その日までクッジュッタラは、花を買うために預かったお金の半分で花を買い、残りの半分はねこばばしていたのです。
 
しかし、お釈迦さまの説法を聞いて悟ったものですから、『他人の財産を盗もう』という気持ちが消えてしまいました。そこでその日は、預かったお金の全部を使って花を買って戻りました。
 
いつもの2倍ある豪華な花に王妃は驚きました。
王妃は、いつもよりたくさんの花を見て、今日はなぜこんなにたくさんの花を買ったのですか、と聞きました。
 
クッジュッタラは正直に
「これまで私はお預かりしたお金の半分で花を買い、残りの半分は自分のものにしていました。今日はお金を全部使って花を買いました」
と告白しました。
 
このときクッジュッタラは『嘘をつかない』という戒律を守ったのです。
 
自分の罪を認めることは、とても勇気がいることです。
王のお金を横領していたことが明るみに出れば、どのような罰を受けるか分かりません。
 
けれどもクッジュッタラは、罰を受けることよりも、罪を重ねることの方が苦しいことに気づいたのです。
 
「盗みをする」「うそをつく」ことを彼女は手放しました。
 
王妃は
「では、なぜ今日はお金の半分を自分のものにしようとしなかったのですか」
と尋ねると、
 
クッジュッタラは、
「お釈迦さまの説法を聞いたからです」
と答えました。
 
クッジュッタラがあまりにも率直に正直に答えるものですから、王妃はクッジュッタラを咎めるどころか、自分よりも高い台に座らせて敬意を表しました。
 
「あなたをそこまで変えたという尊い説法を、ぜひ聞いてみたい。今日から侍女の仕事はしなくて結構です。お釈迦さまの教えを聞いてきて、私たちに伝えてくれませんか」。
 
その日以来、クッジュッタラは聞いた説法を、王妃と宮殿の大勢の人たちに話しました。
クッジュッタラは記憶力に優れ、耳にした説法を一字一句間違えずに記憶し、話すことができたといわれています。自由に外出することがかなわない王宮の女性たちも、彼女のおかげで教えを聞き、多くの人たちが心を清らかにしました。
 
『南伝大蔵経』より
 
過ちのない人生はありません。
しかし、過ちを犯していたとしても、自身を省みる勇気によって幸せへと転換できることを、このお話は伝えてくれます。
 
お寺では、懺悔の修行を大切にしています。
日蓮聖人いわく
「妙とは蘇生の義なり」
 
教えを聞き、よく考え、行うことで、生まれ変わります。


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