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智弘院ブログ
千葉九十九里浜のお寺です。お題目の信心によって、心も生活も立て直し

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人間関係のお悩み

お寺ではお悩み相談をしております。
 
 
大体、人間関係、金銭、健康に集約されますが、
金銭、仕事にしても、家族、結婚も人間関係が絡んでおり、
人生とは人間関係につきます。
 
 
ですから、人間関係をよくすることができれば、
幸せを感じる人生となっていくでしょう。
 
 
人間関係をよくするには、仏教から説明しますと、
適度な距離感と、相性、バランス感覚の3つです。
 
 
 
適度な距離感(人間関係にはまりすぎない)
 
 
 
依存し過ぎたり、ハマり込むとトラブルが生じ、
悩みの種となっていくことが多いものです。
ベッタリな関係ではなく、ほどほどの間柄のほうが良いですね。
 
 
「ほどほどの間柄」といっても、それは時間ではありません。
「心の距離」です。
心の距離を適切にするとは、常に相手を敬うことです。
品もよくなり、自然と礼儀作法によって距離感が保たれます。
 
 
しかし、こういう適度な心の距離感を、
「親しみが感じられない」「他人行儀」
と勘違いされることも少なくないですが、
 
 
仏教では、八正道にある「正語」「正業」が基本。
つまり「言葉」と「行為」に注意をすることが大切で、
丁寧な言葉、態度が基本になります。
 
 
人は異なる個性と価値観、人生観も持っています。
生まれも育ちも違います。
一方的な親近感など、急に親しくなったりする「熱しやすく冷めやすい」関係は何かとトラブルを引き起こします。
 
 
 
相性を考慮する(相性の悪い方とは深入りしない)
 
 
 
人にはそれぞれ、育ち、性格、価値観に違いがあります。
そこから相性の合う、合わないが出てきます。
相性を無視すると、現実的にトラブルを引き起こします。
 
 
ここでいう「相性の悪さ」とは、
お互いが成長しあえない関係や、
生理的に嫌悪感や違和感を覚える関係です。
 
 
逆に「あの人と相性が良さそうだ」と思っても、
実は相手への尊敬は無く、
ただ単に「物を言いやすい相手」「扱いやすい相手」
という場合が意外と多いもの。注意したいですね。
 
 
 
バランス感覚
 
 
 
「バランス感覚」があると、
人間関係でつまづくことが少なくなって、
相性が良いのか悪いのかも、なんとなく分かるようになってきます。
このバランス感覚は人間関係だけでなく、
その他のことに関しても適切になってきます。
 
 

仏教では、バランス感覚のことを「中庸(ちゅうよう)」といいます。
中庸とは仏さまが教える大切な姿勢です。

 
 
経典では、熱心に修行し過ぎる弟子に対して、
「琴の弦の張り」に喩えてアドバイスしています。
琴の弦も張りすぎると切れやすくなり、
ゆるすぎると良い音を奏でられないとして、
中庸のある張りが良いことをお釈迦さまは教えます。
 
 
中庸は仏教の柱であり、
修行の仕方、心の使い方、心のあり方、
全てにおいて重んじられ、
「心の清らかさ」と深く関係しています。
 
 
「バランス感覚」を養うことで、
日々の生活も穏やかになっていき、
人間関係も円滑にゆくようになると思います。
 
 
しかし、中には理不尽としか思えない事柄もあります。
前世の業であれば、懺悔滅罪、罪障消滅の為の行いが大切です。
 
 
さて、人生や人間関係で上手くいかないのは、
執着心に原因があるということなのですが、
わかってはいても、手放せないものです。
 
 
その為に仏道修行もあるのですが、ともかく、
この3つの行いを実践してみてはいかがでしょうか。

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心配や不安も過ぎると

心配症
 

お釈迦さまのむかし話。

昔、うさぎが一匹いました。

このうさぎ、普段から、心配することばかりの臆病者で、毎日、不安な生活を送っていたのです。
「日照りが続いて、食べるものが無くなったらどうしょう」
「寝ているときに木が倒れてきたらどうしょう」
「ピョンピョンと飛んでるうちに足が折れたらどうしょう」
心配することは、かぎり無くありました。

そんな心配をしながらも、野うさぎなので、のんびりと昼寝をしていました。
森の中の昼下がり、若葉の光、動物たちの憩いのときです。

その日も、
「もし、この地面が割れて世界が壊れたら、どこに逃げれば良いだろう?」

と、心配しながら、うとうとと昼寝をしていたのですが。

突然、近くの森で『ドッスーン!』と何かが音をたてて落ちました。
大きな音がしたので、心臓が飛び出るくらいに驚いたのでした。

うさぎはあわてて、
「たっ大変だーっ!地面が割れたーっ。世界が壊れるーっ!」

と叫びながら逃げ出しました。

周りには仲間のうさぎがいました。
「どうしたんだい、そんなにあわてて」

と一匹のうさぎが尋ねました。
「大変なんだよ。地面が割れて世界が壊れるんだ!」

とあわてもののうさぎが答えると、
「何だって!それは本当か!」
とみんなビックリ。

半信半疑ながらも、みんな走り出してしまいました。

その近くの草原に鹿がいました。
うさぎ達が走っているのを見て、その理由を聞きました。
「それは大変!」

と理由を聞いた鹿達も気がつけば一緒に走り出していました。

うさぎと鹿が必死になって走っている姿を見た、牛、トラ、サイ、ネズミ、その他大勢の動物達は

「何があったんだろう?あんなにあわてて・・」
と隣のトラに聞くと、
「ワシは何も知らんが・・、でもこれは大変な事に違いないぞ!」
とみんな一斉に走り出しました。


「みんな逃げろー、逃げろー!大地が割れるぞー!」

と誰彼ともなく叫び出し、今や大パニックとなってしまいました。

大変なことに動物たちのゆく手には断崖絶壁。
その向こうには荒海。
 
動物たちは、今や理由もわからずパニックとなり、ただただ海に向かって暴走していました。
 
そんな動物たちの姿を見ていたのが森の王様〔ライオン〕でした。

ライオンはふだんから何事も落ちついて考えるようにしていました。
王様は、家来のサルに聞きました。
「いったい、何が起こったのだ!」
すると、

サルは、

「はい、王様。大地が裂けているそうです。それで皆、逃げ出しているのです」と答えました。

ライオンは
「何だと、大地が裂ける?・・とはいえ、あのまま進めば皆、崖から荒海に落ちて死んでしまうぞ・・。これは止めねば!」

と言って、急いで動物たちの後を追いかけました。

「おーい、待て待て!みんな慌てるな!このまま進めば、皆崖から落ちて死んでしまうぞ!」

と王様のライオンは、みんなを止めました。


「でっ、でも王様、大地が裂け始めているのです。急がねば!」

とトラが言うと、
 

ライオンは、
「では聞こう。この中の誰なんじゃ?大地が裂けているのを見たというものは?」

と問うと、
 

トラは、
「はっはい、それは確かウシ君が・・見たとか。なぁそうだろう、ウシ君?」

と言うと、


ウシは

「いいえ、私はシカ君に、そう聞いたので」
と答えました。


そしてシカは、それをうさぎ達に聞いたと答えました。

ライオンは

「では聞こう。お前たちうさぎの中で、大地が裂けるのを見たものはおるか?」と言うと・・、
「はい、」

と一匹のうさぎが返事をしました。


そして、ピョンと前に出てきて

「王様、私が『ドッカーン!』という大地が裂ける音を、この耳で聞いたのでございます」

と答えた。

ライオンは
「では、その場所に案内しておくれ」

と言い、うさぎを先頭に動物たちは皆ゾロゾロとついて行きました。

「確かこの辺でございます」

と、うさぎ、元居た場所に着きました。

ライオンは
「それにしても、地割れの後が無いぞ」
とライオンは辺りを見回し、・・そして突然笑い出した。


「ワッハハハッ!うさぎが聞いたのはコレが落ちた音だったのだろう」

そこには、大きな大きな〔ヤシの実〕が、三個ばかりゴロリと転がっていました。


そしてライオンはみんなに言いました。
「みんな、良く聞きなさい。うさぎが聞いたのは、この〔ヤシの実〕が落ちた音だったのだ。皆、訳もわからぬ事に慌てて、心を動かすようではダメだ。正しく見聞きして話さなければダメだ。もう少しで皆は、荒海に落ちて命を失うところだったのだぞ。どんな事があっても、心をグラつかせないような訓練をせねばいけないな!」

と話しました。

うさぎも恥ずかしそうに、

「あわてているときこそ落ちついて考えることが大切なんだ」
と、小さくなって聞いていたとさ。

 
おしまい
 
これは、お釈迦さまの前世が[ライオンの王]であった時のお話です。
 
不安やパニック、臆病というものは、いつの時代も誰にでもあります。
心を強くするには、日々の積み重ねが大切です。
 
諸行無常。
すべては移り変わりゆくもの。
 
強い執着は、心配や不安を増幅させます。

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座禅会


今日、第二土曜日は座禅会

どなただも、ご参加いただけます
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病気について

12月13日 おはようございます。
 
ご訪問有難うございます。
 
仏教と病気について
 
現代の医学における治療技術の進歩は、臓器移植や脳手術やバイパス手術、また病気が起こる病原菌の存在をつきとめ、それを駆逐する戦いを通してあらゆる病気を克服しています。
 
 
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しかし、その一方で病原菌を殺す薬剤は副作用(リスク)もあり、かえって病原菌の抵抗力を強め、果てしないイタチごっこの現実もあります。
 
 
お釈迦さまの時代は耆婆(ギバ)という名医が活躍していたし、日蓮聖人も門下の四条金吾さんに医術の心得があったことから、金吾さんの調合する薬を用いられていました。
 
 
聖人は病について経論を通し、病の起こる原因をさらに一歩深く思索して、問題解決の方途を教えていますので、ここで、病の起こる原因と病気に対する仏教の考え方を見ていきます。
 
 
そもそも人間が病気になるのは体の不調や不摂生、また病原菌などがその原因であることは確かですが、仏教では生命自体に病を起こす原因を持っていて、それが病気となって現れることがあると説いています。
 
 
つまり、病原菌などの外的な原因のほか、その人の生命にある内的な原因で病気になることがあり、その原因を究明し、根本的に解決する方法は仏教以外にないと説いています。
 
 
たとえば、貧困、家庭不和、精神異常、思想の乱れ、人が人を殺し合う戦争なども仏教では病であると説いています。これらは、医学だけではどうしても治せない大きな病です。
 
 
極端な言い方かもしれませんが、病を治すのはあくまでも人間の持つ自然治癒力(生命力)が主体であって、医学はその手助けをすることに主眼が置かれ、人間自体の生命力を強くし、病原菌に負けない、また発病しないようにすることが根本課題なのだと思います。
 
 
日蓮聖人
「譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」
 
相手の病い、悩みの根源を見抜かないで安易な指導をした場合は、悩みが解決するどころか、かえって相手を苦しませることにもなります。
 
病気を治療するのはあくまでも医師、医療の専門家の仕事という事も、私たちは注意しておかなければなりません。
 
 
さて、病気のいくつかを挙げていきます。
その病も互いに関連し合っていますが、とりあえず。
 
煩悩というのも病(やまい)です。
三病(さんびょう)といって、心をくもらす三つの病気。
貪(とん)病・瞋(しん)病・痴(ち)病です。
 
肉病
暴飲暴食、日常の不摂生、食生活などによって病気になる。。
これは、お医者様にお任せです。
 
心病
神経の病気など。憂い、恐怖、悲しみ、憤怒などが、程度を超えるとなる病気。
 
呪病
他人の恨み、呪詛の力などによる病気。
 
鬼病(魔病)
悪霊が人身に憑りついて、人の心と体をおもちゃのようにもてあそぶ。
 
霊病
生霊、死霊などが憑りついて病気になる。
 
まだまだ他にもたくさんありますが、また、次回ご紹介します。
あまり聞きたくないかもしれないですよね。
 
医者、薬でも治らない病気は、神仏に手を合わせ、
正しい心を作り、加持祈祷によって治す方法があります。

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考えすぎる人

他人の心を深読みしすぎて疲れてしまいます。

「相手はこう思っているだろうな」「ああ思っているだろうな」
といったことを常に考えてしまう人がいます。

そうなると、当然自分のことが悪く思われないように、いろんな対応をするんですね。いつもニコニコして愛想が良かったり、相手の話に無理に合わせたり、どんな思いでいるか察し続けたりと。
まさに心がフル回転。
これをずっと続けていると、疲れ果ててしまいます。

暗黙の仮定
私たちは、「物事はこういうもの」「人はこういうもの」といった仮定を持っています。それは意外に自分でも気づいていないことが多いものです。
 

この暗黙の仮定が、極端に自分自身を不利にするもの、追い詰めるもの、つまりネガティブばかりの思い込みだと、結果的に心が不安定になります。
例えば

「がんばらないと人に非難される」
「自分は嫌われるに決まっている」

「どうせ、うまくいかないだろう」
「自分はダメ人間だ」
等といった、ある種のあきらめ、絶望感や悲観的なものであったら、実際以上に自分の状況を悪く捉えてしまい、あきらめなくていいことまであきらめ、何事にも消極的になってしまいます。
もしこういった仮定があったら、絶望的になってしまいますよね。

 

やはり、この思い込みを徐々に見直していかなければいけませんし、改善すると人間関係がずいぶん楽になってくると思います。

 
モノゴトは本人が考えているよりも、意外に対したこと無い場合もあるし、当然その逆も言えます。考えれば考えるほど深みにはまる、考えすぎる人のネガティブ思考の特徴とはどういうものでしょう。
 
複雑に考え過ぎるあまり足元を見失っている

問題を複雑視しすぎると、頭の中で混乱が生じてきます。物事の対極にあるものが見えなくなってしまうと、悩みの論点すらもブレてしまうのです。要はシンプルに考えることの真逆を行っているということ。

ポジティブか、ネガティブかで分類したがる
自分の中で湧き起こった感情を良い悪いの2つにだけ分類してしまいがち。
 
物事の考え方がワンパターン化しはじめる

人間は考え過ぎると自分の視野が極端に狭まるもの。思うこともパターン化してしまい、同じことばかり堂々巡りになります。

人間関係そのものが信用できなくなる

人間関係でのトラウマ、トラブル、ストレスなどが重なるに従って、他人を信用することに恐怖を感じるようになり、悪循環になります。

自己解決しようとし過ぎて深みにはまる

失敗しては行けない、頼れない気持ちが先行してしまうがゆえ、誰かに相談に乗ってもらうことすらハードルが高く感じてしまいます。

他のことが目に入らなくなる
一つのことに集中し過ぎるあまり、周りの動きや状況が全く目に入らない状態になります。


自分を許してあげられない

もっとこうしておけば良かった、こう出来たはずだと、結果が出た後でもそこから抜け出せずにとらわれてしまいます。
 
被害者意識に凝り固まる

仕事で失敗したり、友人関係が上手く行かなかったり、恋人に振られたり。自分の欠点を嘆きもしますが、どこに自分の落ち度があったか、なぜ相手は自分を受け入れないのかばかりを追い求めてしまいます。

臨機応変さに欠ける

何ごとも段取り通り行かないとイライラが募り、ひとつ歯車が狂った瞬間にすべてがムダになると思い込んでしまいます。

夢や希望や目標が高すぎる
完璧主義過ぎたり、目標を高く設定し過ぎていることも自分を深く考え込ませる要因のひとつです。
 
余計に気をつかおうとする
自己を犠牲にしたにも関わらず、物事が上手く行かなかったことで周囲に迷惑をかけているのではないか・・・。他者を気にするあまり深く考え込んだり、意味の無いとりつくろいに奔走することもあります。
 
このように極端なネガティブ思考は、気持ちが落ち込んでいる何よりの証拠。うつ病の傾向です。
 

心の病になっている場合、楽になるにはどうしたら良いのか。
これらの考え癖を、より建設的なものに書き換える必要があります。そのためにまずは、自分がどんな仮定をもっているのか、それを知ることが大事です。

自分で気付けているのであれば、修正できているはずですが、特に長い間、心の不調になっている場合などは、なかなか難しいと思います。

この辺を的確に気づき、変えていきたいなら自分以外の第三者の力を借りるのが一番です。自分一人だけでやろうとしても、自分の暗黙の仮定の作用で、盲点があるということです。

ただ第三者なら、誰でもいいというわけではありません。
なぜなら暗黙の仮定を知る作業は、時としてきつくなるものです
自分を見つめる作業なので、そのペース配分は大事。やみくもに見つめると、かえって悪化することすらあります。

具体的には、
自分のやりたいこと
自分のやるべきこと
自分のやった方がいいこと
自分のやらなくていいこと
自分のやれたこと
自分のやれなかったこと
どうしたらやれるか
など
 
こういった分野の専門家と、このような目標を設定しながら、毎日ノートに書くなどして自分自身確認し、報告、相談をして一緒に進めていくのが適切です。


自信(自分を信じること)を取り戻すことから始めましょう。

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