ある もの あるままに

たまたま そこに あったから? かしら

無視なんか してませんよ

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狭い入り口を広く使うために出している、小さなひさし、
その外れに幾つもの植木鉢が並んでいます。
この季節生えているのは、雑草ばかり。

植えっぱなしの球根がときどき、
芽を出して思いがけない花を咲かせてくてます。
先月の末には玩具のラッパを小さくしたような水仙が
たくさん咲きました。
直径1センチほどで鮮やかな黄色。
名前は忘れたけれど、確か水仙です。
 
昨日の朝、貝殻みたいなものが、
カラスノエンドウの中に浮かんでいました。
よく見ると、
隣の鉢から伸びている細い茎の先についている莟らしい。
薄いクリーム色、細長い卵形、まるで桜貝のように
繊細だけれど、ベージに近いクリーム色。
 
今朝、花が開きかかっていました。
花びらはレモン色よりちょっと暖かな感じ。
さあ、なんの花かしら?

イメージ 1生協のカタログで黄色の花の球根を見つけると、
片っ端から注文して、ここの鉢に植えていました。
一昨年、去年、今年はやすんでいます。
 
この花、葉っぱは目立たないけれど、
ショウブやアヤメのように平たくて、もっと細い。
そして、細くて強い茎。
太極拳や気功で出会う「勁」
という言葉そのもののバネのある強さ、
感激的です。

この花の名前、お分かりの方教えて下さい。
継母に育てられたという女性が、
「本当の母親だったら、愛情いっぱいに育ててくれたんでしょうが、
母親には親しむことができなかった」と、何かの拍子にぽろっと話された。

それなりに幸せだったようです。でも、もし、実の親に育てられたら、
もっと違う人柄に育ったかもしれないと感じているのでしょう。
 
ところで、わたしは、こどものとき
「きっといまに、本当のお母さんが現れるんだ」
と空想するのがすきだった。
 
うまれてからずっと山奥に住んでいて、
紙芝居なんて見たことがなかったのに、ちょっとした町に引っ越した。

そこで始めて見た紙芝居が、継母にいじめられていた女の子の話だった。
『ほんとうのお母さんが現れて、幸せになりました』
というハッピーエンド。
 
私の母親はしっかり者、
私はだらしがない上にゴウジョッパリの意気地なしで、よく叱られた。
大人になって思い返せば、言うことは聞かないのに、
何か言うとすぐに泣く娘は、扱いにくかったに違いない。
 
母の日が近づくと、お店には母の日のプレゼントが沢山並ぶ。
お母さんへの感謝のコピーが新聞にも、広告のチラシにも並ぶ。

それをみるといつも、子供のときに空想して遊んだ、フィクションみたい、と思う。
男性の感じるおかあさんと、女性の感じるおかあさんの違いもあるのでしょうが。
 

イメージ 1イメージ 2
子供になったつもりで、怖いお母さんの顔を描いてみました。
























ついでに、やさしいお母さんも。

子供のように生き生きした絵は、描けません。

アネモネ と 北風

高校が春休みになった最初の日曜日。
雪ではなかったけれど、体感温度はこの冬一番の冷え込みでした。
新しくなった駅舎には、風よけスペースがあって、エアコンも入っています。
一時間に平均一本の電車を待つのには、夏も冬もありがたい場所です。
 
二つ空いていたベンチに座ってほっとすると、
「うーつ、さむー!」
とドアが開いて、華やかな色が飛び込んできました。
トンと隣に座ったので見ると、膝をごしごし、丸い小さな膝は紫色。
 
前に立っているのは、ジーンズのパンツ。
 
クスッと小さく笑ってしまったらしく、
華やかで柔らかな短いワンピ−スに、ジーンズのジャケットを
羽織った少女がこちらを見ます。
私も安心して笑うと、笑い顔を返してくれる。
 
「寒いでしょ。でも、可愛いよ お人形みたい」
「かわいいって お人形だって」
ジーンズのパンツの人を見上げた。
短めにカットした髪を、上手にピンで止めている。
 
子供のときに読んだ本を思い出した。花園に咲くアネモネ姉妹、
温かい春がきて、思い切り咲いたら、
イメージ 1意地悪の北風が雪を連れてやってきた。
「寒い」と身を寄せあう姉妹。
そこだけ憶えていて、続きはどうなったか、記憶にない。
 
「日曜日にはあのスカートで出かける」
と決めていたから、
あれしか着る気にならなかったんだなあ。きっと。
 
その夜は雪でした。早く帰ったかしらあの子たち。

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音が目覚めさせてくれる何か

ピアノの先生のレッスンにお母さんが男の子を連れてきている。
先生が
「音階を弾きなさい」
が、子供は、どうも、のらないらしい。
子供がお母さんの顔を見る。
何度か繰り返されてから、やっと、その気になる。まだ学齢前の小さな男の子。
先生は、「やればできるのに」と満足した反応で、しかし、ため息まじり。
ある小説の出だしのシーンだった。中身は忘れたのにここだけ憶えている。

シンガーソングライターがどこかで書いていた。やはり、子供時代、
近所の年上の女の子のところで、始めてピアノに触った時の記憶。
鍵盤を打つと、何かが見えた。目の前に新しい世界が広がった。
それで、ねだって、ねだって、ピアノを買ってもらった。

ある音楽教室の発表会だった。年下の生徒から演奏が始まっていたらしい。
ほんの少し遅れてついた私は、演奏者が入れ替わるときの、
何秒かあいだに、開いた扉から暗い会場に滑り込んだ。
たどたどしく流れていたピアノの音。
そのピアノの音に、不意をつかれた。
一つ一つの音に、その子供の感じているものがつまっている。

あの小説の中の男の子は、自分の世界が心に立ち上がってくるまで、
ピアノに手を下ろすことができなかったのかもしれない。

当たり前に溢れている音楽がじつは、一つ一つ、宇宙を持っているらしい、
と気がついたのは最近。これもひとつの初心と言えるかもしれない。
それ以来、私の「そのとき」の宇宙とシンクロする音楽に出会えると、
眠っていた心が目を覚ますような気がする。

ここで描いている木っ端、ふと目に入って道で拾ったもの。
斧で割ったらしいラフな肌理が美しい。見ていて厭きない。

猫がなめる のは

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「あなたの今年の幻は?」と聞かれて、絶句したことがあった。
日本に長く住んでいて、日本語のよくできるカナダ人の先生だった。
まず頭に浮かんだのは、
「この先生は、私のことを少し頭がヘンと思っているのかしら?」
だが、
「私の幻は、皆さんに勉強してもらうために、何をすればいいかということ」
みたいな言葉が続いたので、ほっとした。

それで、そうかVISIONのことか と気がついた。

言葉はむずかしい。
外国の言葉を日本語にするのはとくに大変です。
一つの言葉が、日本語にするといくつもの違った意味を持つらしいのだから。
日本語だって、時代とともに少しずつ意味がずれてきているらしい、けれど。

さて、猫も見ていると、一つの動作が
違う意味で使われることがあるらしいと、最近気がついた。

二匹の猫が日向の座布団にくっついて寝ていた。
そこにもう一匹がやってきて寝ている猫の一匹を舐め始めた。
まあやさしいのねと思いながら、見るともなしに見ていると、いやに熱心。
ふつう猫は好意を示すために舐める。それにしてはちょっとしつこいんじゃない?。

他のことに気をとられてから、また見ると、なんと、
舐められていた猫の場所に舐めていた猫が寝ていたのです。
割り込んでしまったらしい。
舐められていた猫は、座布団からはみだしていました。

あのとき、あの猫はどんなつもりで舐めていたんでしょうね。
「ちょっと、ごめん。あたしを入れてね」
だったのかしら。


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