備忘録

子宮体癌から5年〜生きていることに感謝!

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瀬戸内海に浮かぶ周囲4キロの島、広島県大久野島。
この島には終戦まで、国際条約違反として使用が禁止されていた毒ガス兵器の極秘製造工場があった。
工員として働いていたのは、地元で暮らす人々。誰もが、家族のため、国のためと信じて
懸命に毒ガスを造り続けていた。
そして戦後、彼らの多くは、毒ガスを間接吸引したことによる重い後遺症に悩まされることになった。

この番組は、戦後一貫して毒ガス被毒者を診療し続けた医師・行武正刀さんを、3年間に渡って取材した記録である。行武さんが診察した被毒者はおよそ4500人。そのカルテには被毒者の病歴と一緒に、
診察の合間に彼らが漏らしたさまざまな言葉が記されている。「彼らの言葉は戦争の貴重な記録である」そう考えた行武さんは膨大な時間をかけて、証言集を編さんし始めた。
しかし去年春、肺にがんが見つかり、今年3月帰らぬ人となった。享年74。
被毒者を見守り続けた一人の医師の半生をたどりながら、戦時中の毒ガス製造の実態と毒ガスにほんろうされた人々の苦悩を伝える。

この島では、昭和4年から、最大時年間1500tのインペリットやルイサイトという毒ガスが
生産され、主に中国戦線で使用された。
当然、ジュネーブ議定書違反なので、地図からは周辺の島々もろとも末梢され、海岸線を走る列車の窓は鎧戸が下ろされ、家族に対しても仕事内容をもらさないよう箝口令がしかれ、憲兵によるチェックもあったという。
戦後は、証拠隠滅のため、いち早く関係書類が焼却されたが、労働者に後遺症が相次いで発症、
明るみにでることになったそうだ。

陸軍は、労働者に対して「毒ガスは、敵の戦意を喪失させ、戦闘力をそいで、かつ戦死者を出さない
人道的な兵器」と説明していたそうだが、退職を願った人には、憲兵がやってきて、責め立て、
殴打するので、毎日、泣き泣き自転車を工場に走らせていた、と証言した患者もいたとか。

毒ガス兵器の使用について、長年否定してきたが、2007年にアメリカ公文書館で、
中国戦線での作戦文書が発見され、政府も認めたそうである。

行武さんは、昭和37年に対岸にある忠海病院に広島大から派遣。
毒ガスの後遺症に対する治療(対処療法しかないそう)と4500人分のカルテは、
イラン・イラク戦争の毒ガス後遺症患者に役立っているそうです。


まだ、こんなにも生々しいかたちで後遺症に苦しんでいる人が、原爆以外にもいるという驚き。
ベトナム枯葉作戦でも、米軍の中の後遺症が問題になっていましたが、
戦地に赴かない非戦闘員にまで、こんな被害が生じる戦争のむごさを改めて思い知らされました。

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