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作業療法士が知られていないこと
教員免許を持っていなければ教育に関わり続ける行政のシステムがないこと
自分一人で問題を乗り越えることがいいとする先生達の価値観 学校に作業療法を届けようとした時 壁となったことでした。 私と校長先生はこの壁を取り除こうと 沢山話し合いました。 校長先生の権限を使って作業療法を使うよう 指示することもできた。 でも、 校長先生は先生達が自分達で使いたい、使う必要がある そう感じることを大切にしたいと その信念を曲げることはありませんでした。 2年間ずっと。 使ってみたいといった幼稚園から導入し 校内研修で、ケース検討から作業療法を知ってもらうことも
幼稚園での取り組みを町の教育研修で発表することも 教育研究として2年間論文を共に書き続けたことも 全てその目的のために,その信念を捨てず 地域の学校に作業療法を届けるという作業の達成のために
校長先生と取り組んできたことでした。 何をしたいのか,なぜしたいのか
話しあいながら進めてきた一つ一つのことを振り返りながら
「壁を取り除きたいんじゃない。壁の向こうに種をまいて,
いつかその花を見た先生達が,壁をとりたいと思ってくれることを,私達はしているんだ」
そう話したこともありました。
校長先生と2年間
壁の向こうに蒔き続けた沢山の種が
壁の向こうで芽を出したのか
花を咲かせたのか
結局
見ることができないまま
校長先生は次の学校に赴任されました。
3年目
教育委員会が,週に1回OTを地域に届けてみようと動きました。
昨日2つの学校からOTに来てほしいと依頼がありました。
今日,1つの学校を訪問すると
すべての学級から一緒に取り組んでみたいと話がありました。
年度が替われば先生が換わり,
また作業療法士を知らない先生が来る。
教育を1人で抱えることに価値を持っている先生も来る。
作業療法士が関わることの新しい制度ができたわけじゃない。
でも,作業の実現に触れた先生達がそのことを伝えることで
作業療法士を知らなくても,使ってみようといってくれる先生がいる。
制度がなくても,まず町の取り組みとしてやってみようと動いた行政がいる。
壁はそのまま残っているけど,
その壁よりも高く花が咲いたのだと感じる。
今壁の向こうに沢山咲き始めた花を
校長先生に見せたい。
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地域につなげ作業の自由
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ここから学校の作業療法が始まった.
出会った校長先生とともに作る
地域の作業.
その奮闘と思い,歓びと感動の歩み.
出会った校長先生とともに作る
地域の作業.
その奮闘と思い,歓びと感動の歩み.
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2年前の3月,作業を大切にする作業療法士に
自分のしたいことを話した。
作業に焦点を当て地域に関わること
それを反対する人はいない。
みんな思いは一緒だった。
後押ししてくれる人だけが目の前にいた。
2年後,
『教育領域の作業療法とその可能性』
として集まったすべてのOTに向けて話した。
ここには作業に焦点を当てることを大切にしている人も
障害に焦点を当てることを大切にしている人も
作業に焦点を当てることを初めて聞く人もいる。
話すことに抵抗はなかった。
不安もなかった。
「伝わる」そう自分の中で
揺るぎない思いもあった。
説得するのではない。
伝えるのだ
教えるのではない。
共有するのだ
そのスタンスと言葉が
この3年間の実践で
学び,持つことのできたものだから。
不安はない。
機能を評価することのできる抜群の技術も
姿勢をコントロールし遊びから療育できる技術も
障害からどうすればいいか予測する考えも
無駄じゃないと感じるようになった。
それらは大切な手段。
そしてもっと大切なのは
作業に焦点を当てることでクライエントと共有できる
その手段を使う目的
そのことを
クライエントが笑顔と言葉と行動で教えてくれたから
技術を守り抜く人を
大切な手段として尊重できる
連携できる
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2011年5月9日
校長先生と教育委員会に作業療法士の目標と役割を伝えた。
2年間活動してきたときの校長先生が
今年度いなくなり,新しい校長先生に代わったためだった。
作業療法士について知っている校長先生がいない。
今から紹介して,
今から活動を見てもらう。
これは3年前のスタートの時と一緒
ではないと思う。
今日ここで紹介する機会を作ったのは
教育委員会だった。
これは大きな一歩。
そして 私には目の前にいる人に伝える言葉がある。
それを 裏付ける経験がある。
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脳性まひだから,いつ転ぶかわからない。
そう言ってその子のそばを離れることができなかった先生。
半年後
子どもたちが,どうしたらその子も一緒に楽しめるか
考えて行動してほしい。
いま,子どもたちが”その子と手をつないで歩く”
そう決めたから,私はここでそれを見守ることをしたい。
と言って笑顔だった。
転ぶというリスク
転ばせないために側にいる
転ぶリスクを伴っても遠くから見守る
避けたいリスク
越えたいリスク
ここにはリスクの先に
その人の未来があるか否かの違いがある
その人の未来への作業が
リスクを伴うとしても
その先にその人の未来があるのなら
それを越えられる可能性を
それを越えられる手段を
共に創造するのが
作業療法士の役割だと思う
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検査を受けることや,検査結果やその子の機能に合わせ加配や支援を受けることを,
親が”説得”される そしてその検査結果に
その診断から作り出される子どもの未来に
親は怯えながら受け止め続ける
社会参加のために仕方ないのだと
そんな親の苦痛の声を沢山聞く
子どもが健康的に生活していくことの実現に
だれも“我慢”することなく, 満足を持って実現していける未来が
必ずある
その実現のために作業療法士はいるのだと思う。
”仕方がない””しょうがない””それが決まりだから””息子さんの為だから” そんな言葉が飛び交わない支援のなかで 保護者や教員,子どもたちの笑顔が増えている事実は
いつかこの地域を染めると思う。
だから たとえ今,私が辛いことを言われても
この事実は 私がしていることの歩みを止めない理由になる。
だから一歩でも, 進み続けることに 今は意味があると思う。 |





