地球環境と食のあり方

毎日の一つひとつが大切だと感じています…

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2009年08月

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大事なとき

「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」
大宇宙の全財産よりも尊い、
この一日の命を
どう使うことができるか。
決めるのは自分です。

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ピンチの後にチャンスあり。
高校野球の試合にはそんな場面がよくありますね。
そんな場面をもって最終回、
ラジオから聞く試合終了。やっぱり毎回、胸が熱くなります。

ラジオからでも
その一瞬一瞬にかけるおもいが伝わります。

そのおもいの強さには
今までの積み重ねた毎日があるからでしょう。
そんなかけがえのない日々。

どんなことでも、
かたちではない、かっこいい言葉ではない
実際にやってきたこと。
そしてそれは、ちゃんとした未来をみてのこと。

実際に行なった一つひとつは責任。
みてください。
そこには結果があります。
命果てるまで責任です。

今日の空をみて思う

北西の空に
大きな北斗七星がみえました。

みえるでしょうか。
遠い空の果て。
みえているのでしょうか。

あの日あの時。
どんなおもいを持ったことでしょう。

この世に生まれ、
この時代のこの時、ここに生まれてきた。

でも考える必要があるはずです。
守るとはどういうことかということ。

守らなければならないと思うということは、
守らなければならない悪い対象があるからですよね。

例えばそれは、家族を危険な場所から守る。
未来の生のために、環境を守る。

それはたくさんあるけれど、
それはすべて、悪いものから守らなければいけないという
人間として生まれて感じる普通のことですよね。

そうであれば
人間として守らなければいけないと感じてしまうことは
悪いことではないのでしょうか。
それならば、いくら正当化しようとしても
安全になりうるものであるとしても
それはやはり悪であると。

そうです。
核のことです。

本日黙祷し、
今自分があるということ、
多くの命のうえにある自分であるということ。
おもわずにはいられません。


大切な貴重な命。
人は夢や希望で、この目覚しい地球の発展を成しとげようとしています。

けれど本当にすごいのは
生命そのものがあるからで、
その生命をつくりだせること自体が
この世の中で一番すごいことなのではと思います。

だから、その生命を失くす原因になることは
やはり悪であるし、
それをつくり、使用する人も悪であるとおもわずにはいられません。

人間は何を求め
どこへ行こうとしているのでしょう。
今日、8月15日に思いました。

八月六日

朝、8時15分。
大きな白いキノコ型の雲が瀬戸内海を挟んで
見えたと言ってました。

それは自然界ではあり得ない
いやなおもいがしたことを覚えていると言います。

あれから64年。
この年月。

この国に生まれ
同じおもいを共有できる
大切な一人ひとりであるはずの私たち。


今朝、
広島の子どもたちからも
代表としての
おもいが聞こえてきました。

その中で
命の大切から
心をうたれた一言がありました。

核兵器をなくす強さ。
そうです。
それを世界に伝えたいですね。

それは、
全てにおいて勝る
信頼と友情であると思います。


広島市長の言葉にありました。
2020年までに世界から核兵器をなくすと。
実現するために、今こそ強い意志をもって。
この国に生まれ
今、生きている感謝のおもいをしめしていきたくおもいます。

歴史と真実の声を学び
行動する中に、
力ある次の歩みをみつける
そんな国民でありたくおもいます。
被爆者平均年齢75.92歳。

児童文学 −兎の眼ー

「あの晩も流れ星が多かった」
「あの晩いうて」
「先生が生まれてはじめてドロボーした晩や」
「先生がドロボーしたの」
足立先生の前にしゃがみこんでいたみさえはびっくりしていった。
「いまみたいに腹がへって死にそうなときに先生はドロボーをした。みさえ、びっくりしたか」
「うん」
みさえはこっくりうなずいた。
ははは……と足立先生は小さく笑った。
「むりもない」
足立先生はみさえの頭をなでた。
「一日に親ユビぐらいのじゃがいもが5つ。ごはんがそれだけやねんで」
「おなかへったやろ」
「いまみたいに、腹がへって苦しゅうて苦しゅうてかなわんかったナ。先生にもおにいちゃんがおった。みさえのおにいちゃんみたいにええおにいちゃんやった」
純はちょっとてれた。
「先生はそのおにいちゃんとふたりでドロボーにはいった。こっそり倉庫にしのんで大豆やトウモロコシをぬすんだ。こわかったなあ。ドロボーはなん回やっても恐ろしいなァ」
「そんなになん回もしたんか」
四郎がかすれたような声でたずねた。
「先生はドロボーが恐ろしゅうて恐ろしゅうてかなわんかった。だから、4回5回でやめてしもた。先生のおにいちゃんはドロボーが平気やった。なん回もなん回もドロボーしたんやな。きょうだいが7人もいたからツバメがえさをはこぶようになん回もなん回もドロボーしたんやな」
「おまわりさんにつかまらへんかったか」
「つかまったで。なん回もつかまった。けど、なん回もドロボーした。先生のおにいちゃんはとうとう少年院におくられることになってしもうた」
子どもたちは恐ろしそうな顔をした。
「その日、先生のおにいちゃんは死んだ」
足立先生があまりあっさりいったので、子どもたちはしばらくその意味をとりかねていた。
「先生のおにいちゃんは、みさえのおにいちゃんみたいに本を読むのが好きやった。死んだとき、文庫本の『シートン動物記』がボロボロになってポケットにはいとった。なん回も読んだんやろなァ」
足立先生は遠いところを見るような眼をした。
「ドロボーして平気な人間はおらんわいな。先生は一生後悔するような勘ちがいをしとったんや。先生はおにいちゃんの命をたべとったんや。先生はおにいちゃんの命をたべて大きくなったんや」
子どもたちしーんとしている。
「先生だけやない。いまの人はみんな人間の命を食べて生きている。戦争で死んだ人の命をたべて生きている。戦争に反対して殺された人の命をたべて生きている。平気で命を食べている人がいる。苦しそうにたべている人もいる」
足立先生はそういってまた眼をとじた。

児童文学 −兎の眼ー 灰谷健次郎 作 より

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