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お休みした分も今日は2本立てでカバー!?
貨物を中心にお伝えしてきた三岐線の模様ですが、普通列車もちょこちょこと撮ってきましたので、
西武色を色濃く残す三岐線の様子をダイジェストでご紹介。
何の変哲もない田園風景ですが、その後方では9月の紀伊半島豪雨の復旧工事が真っ最中。
三岐色に色付いた畑とご一緒に。
あら線路際にも三岐色が飛び火!?
線路端は茶色くなったねこじゃらしがいっぱい!
うちのお猫さん連れて行ったらパニックかも(笑)
ねこじゃらしの反対側にはきれいな小菊達。
2009年移籍の最新車。行先がLED化されています。
西武カラーを色濃く残す車両たち。
オレンジラインが入ると西武よりも引きしまって見える気がする。
色付く木々にトラクター。青山橋梁を渡る三岐線。
ちょっと傾き出した太陽が眩しく列車を照らしていました。
国鉄101系にも良く似たその姿は、何だか南武線か鶴見線の101を思い出させます。
2011年11月14日三岐鉄道
(1-3)保々-北勢中央公園口間・保々第4踏切 801系803F17列車・101系101F24列車
(4-5)三里-丹生川間・三里8号踏切 101系101F32列車
(6)丹生川駅貨物鉄道博物館 751系751F32列車
(7-8)丹生川-伊勢治田館 801系803F34列車36列車
(9)西藤原駅 101系101F33列車
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三岐鉄道・三岐線
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久しぶりに友人たちと鉄抜きの休日を過ごし、休み明けは仕事が忙しく、
ちょっと更新が滞りましたが今日も引き続き三岐鉄道の模様をお伝えします。
三岐鉄道三岐線の丹生川駅構内には「貨物鉄道博物館」という見どころがあります!
日本初の鉄道貨物専門の博物館として開館したそうですが、
個人的には貨物自体を被写体にすることはほとんどないのですが、
今回は貨物を撮りに来た訳ですから、折角なのでちょっと覗き見。
博物館の運営はボランティアの方々の手で行われていますので、
開館日は毎月第一日曜日のみですが、屋外の展示車両は自由に見学が出来るようになっています。
という訳で今回は収蔵車両を一気にご紹介。
自由に見学できると三岐鉄道のHPにはあったけど・・・
やっぱりちょっと不安だったので、丹生川駅の駅員さんへ一声。
何ともレトロ感漂う出札口から駅員さんが顔を出し、
「自由にどうぞ!」とほっと一安心。
タダ見もちょっと気が引けるので、入場券を買って見学開始です。
博物館入口。
建物内は開館日のみ見学可能ですが、左手の蒸気から後ろの車両たちは見学自由です。
1本のトウジュロがあるだけで、何か随分南に来た様な変な錯覚に・・・
トウジュロ自体は自宅にも育っているんですがね(笑)
《ここから各車両の説明は現地の説明板より引用します》
B4形(39) 製造年:1898(明治31)年 製造所:シャープ・スチュアート
日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、1906(明治39)年に国有化され
1922(大正11)年には東武鉄道B4形39号となって、貨物列車牽引に活躍しました。
1966(昭和41)年に引退してからは、東京都の昭和鉄道高校で大切に保存されてきました。
何とも特徴的な造形の先輪。
Dの文字を模ったようなキャブサイド窓。
木製格子との組合せがモダンな雰囲気さえ感じさせます。
ちょっと洒落た和室の窓みたい。
各所にみられる特徴的な造りが何とも印象的な罐でした。
ワ1形(5490) 製造年:1906(明治39)年 製造所:新潟鐵工所
製造時は北越鉄道(現在のJR信越本線の一部)の8トン積有蓋車でしたが、
後の国有化により各地で使用され、戦後は近江鉄道に移籍しました。
大正時代に荷重を10トン積に増やす改造を受けています。
台枠から上は鋼製の柱に木製の板張りで、引戸も木製です。
サイドにはこんな荷札も。
こういう演出が雰囲気をさらに盛り上げてくれますね。
ト200形(246) 製造年:1917(大正6)年 製造所:日本車輌製造
元は愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が第一次大戦後に
常滑線沿線の貨物輸送需要が急増したため製作した有蓋車で、
大正末期に10トン積無蓋車に改造されました。
本車には、ブレーキシリンダーが無く、白い十字の標記はそれを表しています。
ワフ21000形(21120) 製造年:1934(昭和9)年 ■製造所:汽車製造
有蓋緩急車としては初の鋼製車で、2人乗務用の広い車掌室が特徴です。
2トン積の小さな貨物室は、他の貨物との混載に不向きな鮮魚や貴重品など小口貨物用でした。
1977(昭和52)年からは岐阜県の西濃鉄道に移籍し、推進運転に用いられました。
テラ1形(146) 製造年:1965(昭和40)年 ■製造所:協三工業
水と反応して高熱を発生し、発火の原因となる生石灰などを輸送するため、
車内に木の内張りがない鉄製有蓋車の一種です。
本車は石灰鉱山を控えた岐阜県大垣市の美濃赤坂駅に配置され、
周辺で生産される石灰関連製品輸送に国鉄末期まで活躍しました。
ワ11形(11) 製造年:1929(昭和4)年 ■製造所:新潟鐵工所
新潟県を走っていた蒲原鉄道の10トン積有蓋車です。
昭和に入ってから有蓋車の側面は鋼板張りが一般的になりましたが、本車は木張りです。
かつては中小ローカル私鉄の貨車も沿線の産物や生活物資を積み、国鉄線に乗入れ活躍しました。
DB101 製造年:1957(昭和32)年 ■製造所:協三工業 静岡県の東海道本線用宗駅から分岐していた巴川製紙所の工場引き込み線で、
原材料や製品を載せた貨車の入換えに活躍したディーゼル機関車です。
1986(昭和61)年に引退し、その後名古屋市内で保存され、2004(平成16)年、当館に寄贈されました。
シキ160形(160) 製造年:1955(昭和30)年 製造所:日本車輌製造
変圧器輸送用の130トン積大物車で、1955(昭和30)年富士電機製造(株)向けに製作されました。
車軸12軸、全長23m、自重40トンのマンモス貨車です。「吊掛式」と呼ばれる構造を持ち、
積荷の変圧器は前後に分離したトラス構造の車体の間に挟み込んで輸送します。
タム500形(2920) 製造年:1958(昭和33)年 ■製造所:日本車輌製造
本形式は1931(昭和6)年からの30年間で、
2軸タンク車としては最多の621輌が製造された15トン積ガソリン専用タンク車です。
現在の石油系専用タンク車は荷重40トンを超えるボギー車が主流ですが、
かつては本車のような小型車が小単位輸送に重宝されました。
ホサ1形(1) 製造年:1930年(昭和5)年 製造所:浅野造船所
浅野セメント(太平洋セメントの前身)が川崎の工場へ
石灰石を輸送するために製造した23トン積ホッパ車です。
1966(昭和41)年の廃車後に福井鉄道へ移籍しましたが、
かつてデッキ部分にあった制動手室は撤去され、砕石散布用に改造されています。
タム5000形(6263) 製造年:1968(昭和43)年 製造所:富士重工業
本形式は1938(昭和13)年から1968(昭和43)年にかけて
368輌(改造を含む)が製造された15トン積塩酸(及びアミノ酸)専用タンク車です。
積荷の塩酸は腐食性が強いために、タンク車としては初めて内面にゴムライニングが施されました。
ここまで機関車2機、貨車9両が博物館に展示をされていました。
とはいえ明治から昭和までの車両が一堂に展示されており、
規模が小さいながらもその貴重性は大きく感じました。
木造貨車については定期的に板の張り替えなどのメンテナンスも行われ、
その他の車両についても非常にいい状態をキープしていました。
作業に当たられている皆様の活動に脱帽です。
そして丹生川駅ホーム横にもこちらの2両が。
タム8000形(8000) 製造年:1962(昭和37)年 製造所:汽車製造 15トン積過酸化水素専用タンク車で、純アルミ製のタンク体は鉄製より高価で強度が劣りますが、
過酸化水素が分解するのを抑制します。
本車は2003(平成15)年に廃車されましたが、晩年は関西本線南四日市駅を拠点に活躍しました。
ト1形(15) 製造年:1912(大正元)年 製造所:名古屋電車製作所
窯業に関連した輸送が盛んだった瀬戸電気鉄道(現名古屋鉄道瀬戸線)で使用された10トン積無蓋車です。
アオリ戸と妻板の高さが同じで、アオリ戸は2分割されています。
晩年は名鉄揖斐・谷汲線にて保線のための砕石輸送に使用されました。
《説明は三岐鉄道車輛大図鑑HP(http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm)より引用》
という訳で駅の2両も加えて、総勢13両。
そしてワフ21120・ト246・シキ160・ホキ25767の4両については、
大正から昭和の技術的に重要な貨車として、
国立科学博物館「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」として登録されているそうです。
施設を運営されている皆様には大変失礼ながら・・・
ちょっとローカル線沿線にありがちな、ただ車両置いただけのところでしょ!ぐらいの気持ちでいたのですが、
大変貴重な車両たちに正直驚き、見に行って損はなかったなぁと大満足でした。
2011年11月14日三岐鉄道丹生川駅「貨物鉄道博物館」
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さて引き続き三岐鉄道の話題ですが、三岐鉄道へ向かった目的はナローゲージという事もあるのですが、
やっぱり真の目的は、生別れになってしまった「いぶき」に会いに行くこと。
私の大好きな大井川鐡道で、いつも脇役としてSL急行を陰ながら支えている「いぶき501」。
こいつの弟「いぶき502」がここ三岐鉄道の西藤原駅に保存されているのです。
いぶきが大井川にやってきた時は、501と502の2機が入線してきました。
無事運行開始してまもなく、この2機は中部国際空港の埋立土砂輸送に牽引機の不足していた三岐鉄道へ。
そしてこの移籍が運命の分かれ道に・・・501は貸出、502は売却ということになり、
三岐鉄道での土砂輸送の使命を終えると、大井川へと帰ってきたのは501のみでした。
そんな生別れになった弟に会ってきました。
おーまさに「いぶき」だぁ!感動のご対面です。
西藤原駅のホームにしっかりと腰を降ろしていました。
1灯ヘッドライト、丸みを帯びたつらら切りとちょっと501とは違い
優しい雰囲気の顔つき。
まるで優しい次男坊って感じですかね。
いぶきの台車。裾には白いラインも健在。
大井川にやってきたばかりの501にもこのラインがありましたね。
いぶきの横にあった説明板。 「私の歴史」
私は、今から約50年前の昭和31年に、大阪窯業セメント株式会社(現在の住友大阪セメント)伊吹工場の専用線で働くために、日立製作所で作られた電気機関車です。平成12年3月に静岡県の大井川鐡道株式会社で譲渡され、兄とともに大井川鐡道で余生を過ごすつもりでおりました。
ところが静岡へ引っ越してからすぐ、三岐鉄道から声をかけられ、兄とともに中部国際空港埋立土砂輸送で機関車が不足していた三岐鉄道で助っ人として2年半働きました。土砂輸送期間中は、三岐鉄道が開業70周年記念事業で活気づいていたこともあり、全国から私たち兄弟を撮影に来る鉄道ファンが後を絶ちませんでした。
そして土砂輸送終了後に兄501号は大井川鐡道に里帰りしました。長い間兄弟一緒に過ごしてきたので、別れるときはとてもさみしかったのですが、西藤原でみんなの仲間入りすることが出来て、今はとても幸せです。
中部国際空港埋立土砂輸送完了を記念して 平成15年3月18日 三岐鉄道株式会社
続いてホームから・・・
ちょっとお顔に傷がついてしまっていますが、
ホームに止まるその姿は、まるで駿河徳山を出発していく後ろ姿にもダブりますね。
駅名板とそのお顔を。
「にしふじわら」であることを隠してしまえば大井川と見間違えそうです。
側面の大きなナンバーの下には、三岐鉄道の紋章入り。
ホームから中を覘くと、大井川でも見慣れたノッチの組合せスイッチ表。
これは兄弟変わらず同じですね。
コンプレッサーは誰かに引き継がれたのですかね?
運転席の様子。ちょっと埃を被ってしまってますが、現役当時のままきれいな感じ。 運転室後部壁にあった502の文字。
その奥にかかる工具入れの様なかばんも年季が入っていい感じ。
時折雲の合間から照らす西日が、いぶきの顔をそっと照らしていました。
という訳でいぶき502と感動の対面を果たしたわけですが、
ここ西藤原駅には他にも保存車がありますのでちょっとご紹介。
三岐鉄道開業時から貨物輸送で活躍したE101型102号機。 三岐鉄道電化の昭和29年に大阪窯業セメント伊吹工場へ譲渡されました。
という事はいぶきの先輩ですね!
102といぶきに挟まれるのは、DB25。
小野田セメント(現太平洋セメント)名古屋工場で活躍したスイッチャーです。
関西線の八田と工場の間を行き来していた牽引機ですが工場閉鎖とともに、
沿線にある藤原工場のおひざ元ということで保存されることになったようです。
ここで思った事。
102号機とDB25には屋根があるのに、いぶきにはない・・・
お陰で2機よりも色褪せも激しい(涙)
何とか大切な弟のもとへも屋根を伸ばして欲しいものです。
最後に…何とも特徴的な西藤原駅の駅舎を。
SLと客車を模したその外観。それにしてもなぜ「C11 1」なの? 2011年11月14日三岐鉄道西藤原駅
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今日も引き続き三岐鉄道の話題から。
三岐線に訪れて保々から東藤原の間を貨物の撮影にいい場所を探してロケハン中・・・
宇賀川橋梁の手前に差し掛かったところで、おや!?茶色に黄色い線の凸形がチラリと見えた。
機関車?と半信半疑に近づいてみると、そこには現役を引退したED22 2の姿がありました。
これが青葉生い茂る季節だったら見逃していたかも…
こうして出会えてのも何かの縁ですから少々ここで撮影開始。
ちょっと荒廃気味ですが、三岐線で働く後輩たちをゆっくりと見守っているかのようです。
ED222号の経歴(現地案内板より)
ED222号機は1925(大正14)年に元信濃鉄道(その後国鉄が買収、現在JR)が、
アメリカのウェスチングハウス社に発注して製造されたもので、
車体はボールドウイン社製であり、日本でも数少ない凸形の機関車です。
昭和初期、現在のJR大糸線(松本〜信濃大町)で使用されておりましたが、
昭和31年に三岐鉄道が購入して主に駅構内の入替用として活躍してきました。
その後昭和59年10月に現役を引退して当時同公園で余生を送ることになりました。
形式:ED22 製造年:1925(大正14)年 自重:28.6t
電動機:直流直巻式・68kw・電圧1500V・個数4機
「222」2の3並び。なんかいい事あるかな!?
ボールドウイン社の製造銘板。
楕円の日本式とは違い、何だかカッコイイですねぇ。
側面に残っていた検査表示。
昭和60年だと最近まで動いてたんだぁ!と思ってしまうのは昭和世代の表れ?
もう平成に入って23年も経っているんですがね(笑)
1エンド、2エンドで搭載機器の違いから
ボンネットの雰囲気はがらりと変わります。
しっかり架線がはられパンタが上がっている!
ちょっとポイント高いですねぇ! 足元はスポーク動輪でちょっと頼りなさげ・・・。
2エンド側運転席を覘くと・・・何とも簡素な造り。
窓の向こうには元西武新101系の801系電車が走り去って行きました。
静かに眠るED222の目の前を後輩が元気に駆け抜けて行きました。
先輩の前を過ぎ、宇賀川橋梁を渡って行きました。
2011年11月14日大安-三里間・宇賀川橋梁・いなべ市大安中央児童センター
(10-11) 501レ・ED454+ED455+ホキ1000形4両(フライアッシュ・炭カル貨物)
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11月14日は天皇陛下の還行啓となるお召列車を撮影しようと予定していたのですが・・・
周知の通り14日の運転はなくなってしまいました。
13、14日と連休をとっていたのに、代わりの予定をどうしようか・・・
そんなときに久々に「鉄子の旅」なんて漫画を読んでいたら、
三岐鉄道北勢線のナローゲージの話題が目についた!
うーん、行ったこともないし何だか面白そう!
そういえば三岐鉄道と言えば・・・
セントレアこと中部国際空港建設の際には、大井川鐡道で活躍しているいぶき501がレンタルされた路線。
しかもその時一緒に三岐鉄道へ渡った、いぶき502が今も保存されています。
大好きな大井川鐡道とも縁のある路線、代わりの撮影目標は三岐鉄道に決定です!!
さて三岐鉄道と言えば、東の秩父鉄道同様セメント輸送が盛んで貨物列車が今も残る私鉄路線。
まずはこのセメント輸送に使われる貨物列車を狙いに、三岐線へと向かいました。
まずはアウトカーブから。
重連電機にタキ16両は存在感たっぷり!
いつもは邪魔に映る工場も貨物とはお似合いなコンビ!?
田んぼの中にまーすぐ伸びる線路。
3両の電車を撮るにはもの寂しくも、16両のタキの姿は圧巻!
同じED45形ながら前を行くED459は東部からの転入組。
後ろにつくトップナンバーとはだいぶ雰囲気が違います。
個人的には丸みを帯びたトップナンバーの方が好きかな。
後追いで石灰石の大規模採石が行われている藤原岳とコンクリコラボ。
まずはちょっと色付いた木を入れて青山橋梁を。
眩しく太陽に照らされながらやってきたセメント列車。
いぶきにもよく似た電機。
いぶきもこうして頑張っていたんだなぁ・・・
最後に丹生川駅を通過していく様子を後追いで。
2011年11月14日三岐鉄道三岐線
(1-2) 梅戸井-北勢中央公園口間・3714レ・ED458+ED453+タキ1900形16両
(3-5) 三里-丹生川間三里8号踏切・3713レ・ED459+ED451+タキ1900形16両
(6-9) 伊勢治田-丹生川間・3716レ・ED451+ED459+タキ1900形16両
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