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昨日からの続き
昨年8月6日付け、グーグルドライブに保存してありました。
直接,倉本さまのお手元に届いたかは不明ですが、、
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倉本 倉本 総 さま
前略ごめん下さいませ。
私は福島県川内村のものです。ご存知と思いますが隣は富岡町です。
本来であれば、心を込め自筆にするべきと思いましたが、
悪筆、遅筆故時間がかかる事になりますので、パソコンに打つことに致しました。
ご多忙中、重ねての失礼をお許し頂き是非この手紙に目を通して頂きたいと思います。
私は、先月北海道富良野に行きました。
中富良野、上富良野と、素晴らしい環境の中でキャンプサイトで二泊
次はどこに行こうかと思案しながら駅周辺を回っておりました。
そこで思い立ち「北の国から」資料館を訪ねました。
「北の国から」ドラマ放映時代は子育て真っ最中で一度も観ていません。
ただ、何かで観たり読んだりする中で大変評判になったドラマ、と言う認識だけでした。
ですから資料館も観光客を呼ぶのが目的と思っていたのです。
その資料館の建物がレンガ作りの倉庫でしたので,
それもドラマのイメージを壊さない為と思っておりました。
そのような軽い気持ちでしたが、足を踏み入れたとたん熱いものがこみ上げて来ました。
その受ける雰囲気が魂に響いたのだと思います。
資料館には所狭しと、いっぱい倉本様が伝えたい思いが詰まっていました。
ひとつ、ひとつの言葉や、物たち 映像に感動し、
危うく通り過ぎるだけだったこの幸運に感謝致しました。
そして北の国からが、大変人気があったのはやはり
日本人の魂に響くものがあったからだと納得出来たのです。
311後の北海道新聞に掲載された倉本さまのメッセージ記事は
私に向けて発信されたのではないかと思うくらいに身近に感じました。
申し遅れましたが、
私はフクシマ原発から30キロ圏内川内村の住民で事故当時は村の議会議員でした。
そこで、国と当原発立地自治体そして東電の命無視経済優先の政策をまざまざと見せられ
ここは私のいる場所ではないと、
間近に控えていた議会議員選挙には立候補しませんでした。
ですが、次の年村長の「帰村宣言」に対し、このままでは双葉立地町村全体が帰還に向う危機感から対抗馬として村長選挙に立候補致しました。
相手は大きな組織、裏工作もありますから結果は火を見るより明らかでした。
が立候補したのは私の生き様であり今では、この事に誇りを感じています。
その後避難移住支援活動を展開し、帰還反対反原発活動の関係から渡米の機会があり、
北米南米を5か月かけて回り、帰国し更に福島住民の生きる道を探るべく、
西日本を何度か往復、今回初めて支笏湖に向いその次に富良野に向ったのです。
若い頃、山小屋、スキー場でアルバイト生活も経験、今では無理と思いつつ山小屋に住む憧れを持ち続けていて富良野はそんな想いの延長であり
一度は行ってみたいと思っていました。
日本にこのようなところがあった、、、その広大な景色とお花畑にすっかり魅せられ
ここに住めたらいいな、
と、無理な事を思いつつキャンプサイトに2晩車泊をしたのです。
次は、摩周湖に行ってみたい、、と思いながら
最後にもう一度と富良野駅周辺をうろうろ車を走らせそして資料館を目にしたのです。
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資料館でだいぶ満足したせいもあり、
麓郷と五郎の家に未練を残しながらも高速道路に乗る為南下しました。
その途中の案内板に麓郷方面がありましたが、
かなり空腹だった事もあり,そこを通り過ぎ、トウモロコシを買い食べ、
「さてどうしようか、やっぱり行ってみよう」と引き返す事にしたのです。
夕刻でしたが「拾って来た家」の駐車場に到着、
そこで車中泊 次の日五郎の家巡りを致しました。
富良野市が管理ししっかり観光地になっていた事に驚きました。
が、更に感動を頂き
五郎さんのつまり倉本さんの生き方や、想いを福島の避難している人たちに
この素晴らしい生き方をなんとか伝える事が出来ないか
それには実際ゼロからのスタートを自分でして見せなければ説得力がないだろう、
自分に出来るか、やってみようか、、などと,考えながら観て回りました。
どうすれば可能か考えていくうち
浮かんで来たのが、その2週間ほど前の韓国で案内してもらった「生きた文化遺産」
その広い敷地で現在もそのまま住民が生活していた事を思い出したのです。
五郎さんの家には今は誰も住んでいません。
それは避難生活をしている身からみてとても羨ましいし、
もったいないなと言う想いがしました。
まさに倉本様が五郎さん役に言わせた言葉です。
特に私は団塊世代で今でも山小屋にあこがれがありますから
なおさらこの環境を含め羨ましい想いがするのかも知れません。
家は住まなければ朽ち果ててしまいます。
それは家も住む人と一緒に生きているからなのだと思います。
五郎さんの家がこれからもまだまだ皆さんの為にと考えられるなら
住む必要があるのではないか
そして、観光客がそこで実際に生活をしているのを見れば自分でも出来る!
と思うはずだと思ったのです。
今のままですと、観光客は所詮ロケ用のセットとしか見ないのではないかと思います。
それに
レストランとお土産売り場のあの建物は五郎さんの家の雰囲気からかけ離れて
観光化してしまい、五郎の家はやはりセットに使った仮の家
と言う想いに拍車がかかるのではないかな、、
お土産屋レストランは別敷地に作るべきだったのではないかと余計な事を思いました。
これは倉本さまのお考えから離れていった、と勝手に想像しています。
「黒板五郎の流儀」を見つけ3冊購入しました。
この感動とゼロからのスタートはこの本から伝えられるのではないかと思ったからです。
8月15日から18日まで私主催のイベントを企画しています。
北米南米活動を含めたこれまでの活動の報告なるもの展示ですが、
最終的には福島の若い子達に移住をその覚悟と
五郎の流儀を参考として展示しようと考えています。
そしてなんとか
富良野の五郎の家達を出来れば福島の若者達の移住先として
活かして欲しいと強く思います。
この構想はゼロからのスタートとは言えず、余りにも虫が良すぎるし
最初からうまく行くとは思いませんが可能性はおおいにあると思います。
さて、この為のアプローチをどうしようか思案をしていた所に
先日7月31日福島民友新聞の記事を見つけたのです。
富良野から帰って来て是非手紙を書いて想いを伝えたいと思っていたこのタイミングで
たまにしか買わない新聞に倉本様の記事を拝見するとは,、、驚きました。
神様の采配を強く感じたのです。
しかし
富岡町を舞台に映画を作ると言う事にひとつの懸念があります。
内容は存じませんので先走ってこのような事を申し上げますのは大変失礼と思いますが
もしかしたら、住民の将来に関わる事かもしれない、
それが倉本さまに影響を与えるかもしれないと思いがあります。
ご存知と思いますが、
双葉郡立地町村自治体は何年か先、帰還を目標にしています。
いまだ、事故収束のメドはつかず、放射能は漏れ続け、汚染水汚染物質の処理方法も無く
不測の出来事で更なる過酷事故も想定される中で
帰還はあまりにも無謀過ぎます。
心ある科学者健康被害についての警告を発し続けていますが原発推進政策に押され、
福島は放射能被害も無く、住んでも差し支えないところと、
経済優先の更なる安全プロパガンダで覆われています。
そのような中の倉本様の映画は郷愁を呼び経済優先の帰還政策に拍車をかけ、
放射能安全に加担、つまり住民の健康被害に加担してしまうのではないかと言う事です。
そうなれば原発反対,帰還反対派には
倉本様も名誉と知名度を高めるため福島を利用したと受け取られ、
信用信頼も失いかねません。
富良野の資料館や「五郎の流儀」手作りの家を見て来たものとして
そのような誤解で受け取られるとすれば、
この富良野で築いて来た「北の国から」の倉本様の伝えたかった事にも
影響するかも知れないと危惧しています。
考え過ぎでしょうか、あるいはへ理屈と受け取られるでしょうか?
倉本様がどのようなお考えで映画を作ろうとしているのか
本当の事はこの記事からは分かりません。
何故なら、メディアの記事は都合の悪い事は隠すし、
倉本さまの真意がホントにそのままに記事にしているのかは疑わしいと思うからです。
余計な事かも知れませんが記事を同封させて頂きます。
記事をそのまま受け取らせて頂きますと
自立自律ですから福島帰還復興政策にうまく乗せられてしまうような気が致します。
もし倉本さまがホントに若者や子供の将来をお考えになっての映画であっても、
これまでの事も考え想定外の出来事も想定しておく必要があると思います。
しかしながら、富良野に移住先としてお考え頂きそのようにご協力頂くならば、
それは倉本さまが福島の子供達の未来の命を真摯に考えている事と
世間は納得するのではないかと思います。
福島、それも私たち川内村住民とは切り離せない富岡町を舞台にされる
倉本さまにこの構想を理解して頂きたいと言う想いと
賛同とご支援を得たいという想いにかられこのような手紙を送る次第となりました。
切にこの構想を受け入れて頂きたいと思っております。
よろしくお願い致します。
お忙しい中読んで頂き真にありがとうございました。
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かわうち・ちかちゃん
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