ポカラのほほん日記

ヒマラヤの麓、ポカラから、のほほんでドタバタな日々を綴ります

カイラス巡礼

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旅の記憶が新鮮なうちに、書いておこうとこの1週間ほど、毎日、ブログの原稿を書いてばかりの日々でした。
今旅を終えて思うことは、いろいろありますが、確かに言えることは、この旅に出て本当によかったと思っているということ。チベットの大地は私の魂を癒し、チャージしてくれたように思います。そして、これくらいのことでへこたれるなと私を厳しくも励ましてくれたようにも思います。
旅が終わった今も、ランクルで駆け抜けたあの荒涼としたチベットの大地が続く風景は、ちゃんとこの胸の中にあります。胸に手をあてると、あの光景がよみがえり、今も胸が熱くなります。お前は守られている、愛されている、だから、さあ、恐れずに前に進みなさいと、そんな声が聞こえてくるような気さえします。
気候的にも、経済的にも政治的にもこんなに厳しい条件の中を生きている人々がいる…彼らは今日もチベットの曲をふんふんと口ずさみながらあの荒野を走っているのでしょうか…。
生きているこの瞬間、瞬間がとても愛おしく、かけがえのないものに思えます。人生で大切なことはそんな当たり前な気持ちなのだと思います。
このブログの原稿を書く間、心は再びチベットへと舞い戻っていました。でもそれも今日でおしまいです。そろそろ、ここネパールの自分の置かれている立ち位置に立ち戻らねばなりません。そうでなければ、私を受け入れ愛を与えてくれたチベットに申し訳がたちません。
ずっと、ずっと決断できずにあれこれと思い悩んでいた私ですが、それももう終わりにしなさいと、そのきっかけを与えてもらったのでしょう。覚悟すると言葉にするのは簡単ですが、心の底から覚悟するというのは本当にとても難しいことです。そして、どんな時も希望を持って歩み続けるのだ、という言葉は、実は自分自身へ向けた言葉でもあります。
そして、最後の最後になりましたが、一緒に旅をさせていただいたお遍路さんチームの皆様にもこの場をもって、深く感謝の意を捧げます。
カイラスツアーの提案者Kさん、あなたがカイラスに行きたいといってくださったから、私もこのツアーに参加することができました。本当に本当にありがとうございました。今回は途中で戻らねばならず残念でしたが、きっといつかその時がきます。またお会いできるのを楽しみにしています。
小さな体にものすごいパワーを秘めたTさんは、人生の大先輩と尊敬しております。移動中のランクルの中で聞かせていただいたお話、とても感銘を受けました。ガンを克服したその強さ、私にはないその強さに憧れます。
そしてM先生、素敵な奉納の舞をありがとうございました。先頭に立ってお経を唱えるあなたの声はやわらかく、シャンティー(平和的な)な響きに溢れていました。あなたの側にいると誰もが和んでしまうようです。またいつかどこで会えますように。
それから、途中からずっと私と同じテントだった彫刻家のMさん。女性なのにダンディーという言葉がよく似合う、不思議な雰囲気の方でした。一言でいえば、カッコイイ!どうすればそんな風にダンディーに年をとれるのでしょう!私もこんな風に格好よく自分の世界を持っていたいと願います。
あと、このツアーの最高年齢であるにも関わらず、一番若い気持ちを持った方だったのではないでしょうか?いつも、ニコニコ笑顔で見るもの聞くもの全てに感動し、心をときめかせていたAさん。あまりニコニコなさっているから、けがをなさっているを忘れてしまうくらいでした。そして、周りの人もついつい微笑みたくなってしまいます。本当にありがとうございました。
最後に最年少のYちゃん。足を負傷してこの旅の2週間前までギプスだったという彼女。それでも、よくここまで来ました!そしてぼさぼさの私の髪をツゲのくしで何度もといてくれましたね、本当にありがとう。そして、探し物は見つかったのでしょうか?きっと何を見つけたくて、この旅に参加したのだと思います。
また、この旅の主催者側として、たくさんのサポートをしてくれた3名の方々にも感謝いたします。
リーダーとしていつも私たちを勇気づけてくれたSさん。予言めいた発言でいつも私たちに安心感を与えてくださいました。そして、この旅に誘っていただいて本当に感謝、感謝です。Sさんが誘ってくださらなかったら、私からは行きたいとは言わなかったことでしょう。
そして同じくリーダーのJさん。英語も中国語もチベット語もわからないのに、チベット人と強引に会話を成立させてしまう、それはすごい才能だと思います。どんどんと相手のふところに飛び込んでいく、それはとても勇気のいることだと感心すらします。そして、適切な愛あるアドバイスありがとうございました。本当の優しさは厳しさをともなっているものだ。本当にそうですね。
それから何度もお会いしているのに、今回はとてもおちゃめで少年の顔も見せてくれたカメラマンのS君。楽しい会話と、写真撮影ありがとう。ブログでは、私の下手な写真を掲載しましたが、S君のとった写真を見るのが楽しみです。写真を見たら、気持ちはまたチベットに飛んでしまいそうですが。
何度言っても言い足りない気がしてなりません。ありがとう、全ての人に、モノに、ありがとう。この一瞬一瞬をありがとう。
そして、きわめて私的な私のカイラス旅行記につきあってくださった皆様にもありがとうございます。カイラスの旅が終わっても、人生の旅はまだまだ続きます。
このブログを訪問くださったのもきっと何かのご縁でしょう!
皆様もよい旅を!いつかお目にかかれる日を楽しみに。

あまりにも全てが予定通りだったため、予定より3日も早い6月8日にチベットを離れることに。イミグレが混む前にということでネパール時間の朝4時起床、5時半にはホテルを出る。いよいよチベットとお別れと思うと、ランクルの中、 涙がじわり。ニャラムから急激に2,000mの世界へ。視界には急に緑が増えて、どんどんとチベットが遠ざかる。
7時過ぎにはイミグレ前に到着。ここでドライバーさんとはお別れ。本当に2週間弱、よく走ってくれた。言葉はほとんど通じなかったけど、いい人たちだったなと思う。ありがとう!楽しい旅でしたと、ハグハグをして別れる。彼らとはもう2度と会う機会はないかもしれないけど、でも、元気で生きていてほしいなと心から思う。生きていくことだけでも、大変な場所だから、(体力的にも政治的にも)本当に本当に心から祈る。
私たちはあちこちでお経あげたり、湖で沐浴するちょっとへんな日本人のグループだったから、彼らにとって、もしかしたら記憶に残るゲストだったかもしれないけど、さてどうだろう?シーズンともなれば毎日、毎日、あの高原の道をゲストを乗せて走っているのだろう、この人たちは…。
そして中国のイミグレを再びくぐる。くる時は、私たちとインド人グループだけしか見かけなかったイミグレだけど、今日は欧米人の個人旅行者らしい人がちらほら、そして日本人3人組、あとはやっぱりインド人大団体様だ。出国手続きまでは全てチベタンガイドが取り仕切ってくれる。彼らはイミグレの向こう側まで行き来することができる。
本当にありがとう、クンクン!楽しいチベットの旅でした。お遍路チームもみなそれぞれクンクンと記念撮影とさよならのハグハグ。私もばっちり一緒に撮ってもらいました!さようなら、ありがとう!またいつかどこかで会えることがあるのだろうか?もっともっとチベットの暮らしについて、文化について、信仰について聞きたいことがたくさんだったけど、次があるなら、もちっと、私も勉強してから来ます!だから、頑張って!「チベットは、世界の流れから取り残されてしまって、どうしようもない状態にはまっている」とあの日悲しそうな顔で話した君のことを忘れないよ。
「たいてのチベット人は一生の間に生まれたところから500キロの範囲を越える事がないまま人生を終える。女性の場合は100キロの範囲内の人も少なくない。でも、あなたたちはこうして遠くからここまでこれて幸せだ」と語る君の心にあきらめのような、羨望のような、複雑な気持ちがちらりと、見えた。でもね、その気になれば世界一周だってできる私が言うのもなんだけど、移動できる距離と幸福度は必ずしも比例はしないのだよ。人はそれぞれの立ち位置で、幸せになることができるし、そして、誰にでも自分の立ち位置でできることがあり、自分の立ち位置でしなければならないこともある。きっとあなたの歩いている道は私の歩いている道よりも険しく厳しいのだろうけれど、決して、決して、諦めないで。希望を常に持って生きてね!そう伝えたかったけど、あいにく私の英語力はそこまではない。それが一番もどかしい。
そして空気の濃い世界へと再び私は戻ってきた。チベットから戻ったネパールは、まったりと空気が濃く、そしてのんびりとした雰囲気がただよっている。チベットに感じられたようなある種の緊張感みたいなものはここにはない。ああ、ネパールはなんのかんのいっても平和な国なのだと思う。
コダリからの道はくねくねででこぼこでカトマンズから迎えにきたバスのエンジンは登りだとスピードがでない。そうそう、これがネパールだ。対向車がだんだんと増え、たくさんの人、たくさんの車、たくさんの家、たくさんの畑、たくさんの色、なにもかもが突然たくさんで圧倒される。国境のあちらとこちら、ほんの50キロの北と南でなんと世界はこうも違うのだろう。どっちがいいとか悪いとかではなく、同じこの瞬間に生きている私たちの毎日は、生きている場所でなんと違うのだろうと改めて思う。そんな広い世界の中で、一緒に旅を共にできた人々のご縁に感謝。そして旅のつかの間の間ではあったけど、出会い、時を共にした現地の人々に感謝。この旅に出るきっかけを下さった方々に感謝、この旅に出る事に賛成してサポートしてくれた家族に感謝。そして、チベットの大地に感謝。ありがとう。そしてまた会う日まで。

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6月7日朝、小雪がちらつく中、ニャラムへと向かう。途中サガの町でガソリンスタンドに立ち寄るが、カイラスへ向かうインド人団体のランクルが給油待ちの列を作っていた。停電なのか、ガソリン不足なのか、給油機は一台しか稼働しておらず、ここで40分以上の待ちとなる。毎日のようにインド人団体はカイラスに向かうのであろうか?昨日も路上で二十台前後のランクル団体とすれ違った。
ランチタイムの食堂でも別のインド人グループに遭遇。ちょうど砂嵐が吹き荒れる中、インド人たちのランチが終わるのを待つ私たち。停められたトラックにはシュレスタトレックの文字。ああ、カトマンズのエージェンシーなんだなと思う。毎日のように、すごい数のインド人があのカイラスを目指しているのか?彼らの軽装備と重い体でどうやってあの峠を越えるのだろう。それでもインド人はカイラスを目指す。彼らにとっては、これは、お楽しみの旅ではない。巡礼なのだから。
カイラスは、トレッキングルートとしてみた場合は、そう魅力的なところではない。最高高度5,600mのコースは間違ってもトレッキング初心者向けとはいえない。ネパールのトロンパス越えや、エベレストエリアのカラパタール並みの難しさがある。しかし、トレッキングらしいのは、最高標高のドルマ・ラ越えの日のみであって、その前後は平坦で多分上級者には退屈すぎる。トレッキングスタート地点までに延々ランルルで走ってこなくてはならないわりに、トレッキング自体は早い足の人で1泊2日、ゆっくり歩いても2泊3日で終わってしまい、歩き足りない感が残るだろう。そして、その割にランクルにかかる金額は高価すぎる。トレッキングを楽しむならネパールの山々の方がおすすめだ。やはりここは巡礼地なのだ。この山に神聖なものを感じ、それに魅かれる人々にだけに、重要な意味をもつ。
そんなことを考えている間にも車はトンラへ。最初にお経をあげたシシャパンマが見える峠だ。来た時は曇り空であまりまわりのヒマラヤはあまり見えなかったが、今日はいい天気。ここで最後のお経をあげる。旅が無事に終わったこと、私たちを守り導いてくださった神々と仏に対して感謝を込めて。
トンラを越えるニャラムまでは1時間。ホテルで、私を待っていたKさんとJさん。再会を祝って、無事戻れたことを祝って、全員が抱擁、抱擁、また抱擁。そして、リーダーとしてずっとポーカーフェイスで私たちをリードしてきたSさんの涙を初めて見た。「大丈夫ですよ。皆様お四国から呼ばれた皆様ばかりですから」と旅中ずっと確信めいた発言で皆を安心させていたSさんであったが、本当はいつも誰よりも人一倍心配し、人一倍心をくだいて来たのは彼であるのは間違いない。リスクの高いカイラスの旅、そうそう簡単に人を連れていける場所ではないのだ。無事に戻ってこれたこと、それがどれだけ大変なことが、一番その事の重さを感じているのは彼であろうし、ここまで戻って元気な二人の姿を見てどれだけ安堵したことだろう。
明日は、もうカトマンズ。ドライバーさん、チベットガイドのクンクンとは今日がラストナイトである。そんなわけで中華料理屋で今日は打ち上げ。私たちの招待でガイドさんたちドライバーさんたちをおもてなしする。初日に食べた例の「一家村」。それにしてもここの中華はなかなかいける。カトマンズやポカラの中華よりもレベルはずっと高い。ビールを飲んでくつろぐチベットチーム。ドライバーさんたちというのは、どこの国でも飲んべえなものなんだろうか?そして、チベットのドライバーさんたちは全員ヘビースモーカーであった。この高い標高でタバコとビール、さすがチベタンなのである。

※写真は再びトンラ

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6月6日朝、カイラス方面は黒い雪雲の中。きっと上は雪が降っている。天気が崩れがちだったここ1〜2週間でつかの間の快晴だった2日間の間にカイラスコルラができたことは本当にラッキーだったのだろうと改めて思う。
ここのところ定番となったネパール時間で、5時起き、6時朝食、7時出発のスケジュールで帰途へ着く。巡礼は終わり、ここからは移動なのだ、と思う。そして急に後ろ髪を引かれるような、去りがたい思いにかられる。
カイラスコルラの間の氷点下の寒さは本当につらかった。一人で行ったのであればとっとと逃げ帰っていたかもしれない。私のひ弱さでは本当に、ここでは生き残れやしない。でも、私は、またここに帰ってこようとすでに心に決めている。広いチベットの中でも、特に厳しい気候のこの西チベットの荒涼とした大地、その大地が何故かとても愛おしい。便利とか快適とかそんな言葉と無縁のこの場所を何故愛おしく思うのか、理由はわからないけれど、それでも、去りがたく、ただ去りがたく、ランクルの中でうるうると涙を一人で流していた。
お疲れの皆様は幸いに眠っていて、私の涙を知らない。私はずっと窓の外の景色を食い入るように眺めていた。茶色の荒れた大地を。青く深い空を。ぱさぱさに乾いた吹きすさぶ風を。届きそうな高さを流れる雲を。その全てがわけもなく愛おしく、ただ愛おしく、抱きしめたいほど愛おしかった。
それでもランクルは走り続け、カイラスもマナサロワールもどんどん遠ざかっていく。そのうちに何か急に空気の気配が変わったことに気づく。さっきまでの血の騒ぐ感じがいつの間にか消えていた。あの強烈な去りがたい気持ちも消えていた。そして私は、巡礼が終わってしまったことに気がついた。
そんな私のセンチメンタルな気持ちとは別に車は来た道をがんがんととばし、10時半にはランチタイム。来た時も寄った食堂でおにぎりをいただく。ドライバーさんたちはトゥクパを頼んでいてそれもけっこうおいしそうだった。ツァンパにバター茶は厳しいけれど、トゥクパなら大丈夫そう。気分的に余裕が出てきたのか、食堂においてあるカップラーメンに興味を示す、M先生とリーダーのSさん。少し食べさせてもらった中国製のカップラーメンは日本の日新のカップヌードルの2倍くらいの大きさだったけれど、なかなかおいしかった。
来る時は高度順応の意味もあって、ゆっくりと3日かけてやってきた道を、帰りは2日で戻る。本日はサガの手前まで行く。テントに寝るのも今日が最後、明日はニャラムのホテル泊となる。

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ランクルに乗り込む頃から再び小雪がちらつきはじめる。私たちが歩き終わったとたんに再び雪とは、なんということ。途中タルチェンでSさんがJさんに電話を入れる。Kさんは無事回復し、お二人は現在ダムにいるとのこと.あさってニャラムで再会できそう。本当によかった。
ランクルはマナサロワール湖へ再び向かう。今日はここでキャンプ。再びここに戻ってこれて、しかも全員が無事で本当にほっとする。そして後はがんがん戻るのみである。
ところで…ほっとしたところで、出てくるのが食欲!コルラの間は高度が高かったこともあり、自重して消化のよいものだけ、軽いものだけを口にするように心がけてきたが、4,500mのところまで下りてきたことだしもう大丈夫だろう。ということで、じゃじゃ〜〜ん。今晩は日本のカレー。昨日峠を越えたあたりから、徒歩組3名はカレーが食べたくて食べたくて仕方なかったのである。まだ食欲はあんまり…というお遍路さんチームであるが、絶対に出来上がったカレーの臭いに食欲をそそられるはずという自信あり!キッチンテントに入り込み、ネパリコックに日本式カレーの指導を始める私。結構こんな風にスタッフとわいわい仕事をするのも楽しい。
キッチンの外に出ると、再び雲が途切れてカイラスが姿を見せてくれている。最後まで、本当にありがとう!ガイドとドライバーのチベタンチームも無事戻ってこれたことを祝っているのかどこかから調達してきたビールを瓶まま乾杯している。本当に皆様おつかれさま。そして、ありがとう!
果たして夕食のカレーは大好評。食欲があまりないというお遍路さんチームもカレーの臭いに食欲をそそられたのか、いつもよりたくさん召し上がってくれた。本当によかった。コルラできてよかった。そしてみなが無事で戻って来れてよかった。
ところで余談であるけれど、ついに例の一人トランプ、M先生がついに、本日マナサロワール湖畔にてあがったのである。毎日みんながトライしてあがれなかったのに、最後の最後に、これだよ。
巡礼はここマナサロワールに始まり、マナサロワールに終わるのだとふっと思った。
たくさんの人の力を借りて、贅沢なランクルに、テント(しかも設営はすべてスタッフがしてくれる)、上げ膳据え膳の食事、荷物を運ぶヤクに、自分たちを運んでくれる馬などなど、これでもかの至れり尽くせりのツアーだったから、ひ弱な私でも無事戻って来れたのだと思う。チベット人から見たら、なんとひ弱な私たちだったろう。でも、この地は空気は薄く、平地に住む私たちにはただここにいるだけで体力を消耗してしまう厳しい気候条件の場所なのである。
いろんな思いが胸をよぎり、不思議と興奮状態でなかなか寝付けない夜をすごす。数日前はとても寒いと感じたマナサロワール湖畔のキャンプも氷点下の夜を過ごした後では、暖かいと感じる。夜中1時すぎまでうとうとしたり目が覚めたりの状態を繰り返していたように思う。
突然、この母なる大地の上に眠っていることがすごく幸せなことに思えて、嬉しくて涙が出てくる。私はこの大地に抱かれているだという絶対的な安心感。大地から伝わってくるのは、言葉にすれば「慈愛」としか表現できのだけれど、それはとてもとても大きく、優しく、私を包み込んでいて、私はとても幸せな気持ちだった。
ところで、翌朝の朝食でM先生は昨晩はこの地の女神と話していたと語った。豊穣と繁栄の女神がこの地をまもっており、その女神と夜の1時頃までずっと話していて、それが嬉しくてずっと涙が出ていたということだった。

※ マナサロワール湖の羊飼い

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