クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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11月16日(水)曇りのち晴れ(沖縄)

 今夜は満月。それを沖縄の海岸で見た。

 今週、西高東低の冬型の気圧配置が強まって、ここ沖縄は大陸の高気圧の縁にあたり、次々と厚い雲が湧き出して、連日概ね曇りの天気。そして季節風がかなり強く吹きつける。

 サンゴ礁からなる沖縄の海はもちろん美しいのだが、陽光を浴びると、さらに、信じられないくらい美しく光り輝き、マリンブルーと一言では言い表せないくらいの、深い深いエメラルドグリーン、ネイビーブルーなど七色の色彩を放つ。

 だが、今のところまだ残念ながらそんな輝きは見れずにいる。(最終日4日目にだけ、やっときれいに晴れ上がった。)

 夜になっても時折小雨が降ったり止んだりの天気だったのだが、夜半になって急に空が変わった。見る見るうちに雲が消えてゆき、東の空に十五夜の月が姿を現した。

 たまらず宿舎を飛び出して、海岸へ。既に空には殆ど雲はなく、もともと白いサンゴ礁でできた砂浜は、月の光に照らされて、いよいよ白く浮かび上がっている。

 砂浜に下りて、波打ち際を歩く。見上げると満月はすでに東の空高いところにある。しかしよく見るとそれはどうも信州で見ていたお月さまとはだいぶ感じが違う。

 信州で見る月はもっと色が青白く、いかにも「冴え冴え」とした冷たさが凄絶なまでの美しさを感じさせるのに対し、南国沖縄で見る満月はもっと「なごみ系」の「癒し系」の暖かい感じがする。

 月といえば、今まで見た月の中で最も忘れられないのが、タイのチェンマイで見たピンク色の月。その時も満月だったようだ。

 長々と書いてきたが、普段の生活の中、とりわけ20世紀の電気、照明の発達ですっかりその存在感が失われてしまった「月」の存在を、我々が1年のうちで最も意識する季節は無論秋だろう。

 特に個人的には10月の下旬頃の月が一番美しいような気がする。だいぶ気温が下がってきて、空気が透明になった空に、冷たくそして妖しく光る月には、1年のうちでこの季節だけの、何か特別に秘められた魔力のようなものを感じることがある。

 (中秋の名月とよくいわれるが、あの頃(9月頃)は何だか暖かすぎて、そんな一種の緊張感みたいなものがまだないような気がする。)

 今年は実にタイミングが悪くて、10月の下旬はちょうど下弦の月から新月の頃で、月を愛でようにも月が出ていなかった。1つ前の満月は10月17日だったのだが、今年は秋の長雨が10月にずれ込んでそれがようやく終わるころで、せっせと「雨に似合う曲」を書いていたのだった。

 こうして11月の今頃になって「月」という季節の題材を書いているのだが、自分の中の「秋」という季節の深まりのキーワードになるのは、

  風(初秋)9月初め →
  影    9月中旬 →
  雨    9月下旬 →
  空(青空)10月上旬 →
  黄葉   10月中旬 →
  月    10月下旬 →

ざっとこんな感じ。こんなイメージでこの20年間季節をとらえ、音楽を楽しんできた。そんな自分にとっての年中行事を、初めて文章につづった年に、妙にその季節感とずれるような天候が続くのは残念だ。

 日頃の、いや年々の自分の行いが悪いからだろうか。いや悪いのは季節を狂わせている地球温暖化のせいだ、といつものお決まりのフレーズで話を終わらせよう。(苦笑)

 さて、1年のうちでこの季節の月にのみ感じる独特な「冴え冴え」とした輝き、妖しいまでの魅力、人の心を惹きつける、いや魂が吸い取られてしまうような官能性。それに最も相応しい音楽といったら、やっぱりワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ではないだろうか。

 (シェーンベルクの「浄夜(浄められた夜)」もその候補だとは思うのだが、この曲はもう夏に紹介してしまった。http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/8636286.html

 リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813〜1883)。この人ほど好きか嫌いかはっきり分かれてしまう音楽家もいないのではないか。ワーグナー礼賛派(いわゆるワグネリアン)か反ワーグナー派か。人ははっきりとどちらかに別れてしまうように思う。

 熱狂的なファンがいる一方で、とことん毛嫌いするワーグナー嫌いが存在すること自体、ワーグナーの音楽が西欧音楽の中で、他に代えることができない強烈な個性の光を放っている証拠だ。

 とことん嫌いというのも含めて、後世の音楽家でおよそワーグナーの音楽に影響を受けなかった者はいないだろう。ワーグナーの音楽の洗礼を受けなければ、近代フランス音楽は生まれなかった。フランクも、ショーソンもそしてドビュッシーも。

 ワーグナー独特の半音階的旋律がなければ、シェーンベルクの十二音技法、無調の音楽は生まれなかった。ということは20世紀の現代音楽は産声を上げなかったといっていいだろう。

 ワーグナーの音楽の特徴を一言でいうと、勇壮さと官能性。その勇壮さ(スケールの大きさ)を代表するのが、クラシック音楽史上最大の曲「ニーベルングの指環」だとすれば、官能性の頂点に立つのがこの「トリスタンとイゾルデ」。

 その前奏曲を少し聴いただけでも、この音楽の持つ妖しいまでの官能性、魂を吸い取られてしまうような魔力、人を好きだという気持ちに、激しく誰かを恋しいと想う気持ちに、誰もが無理やりさせられてしまうのではないか。
 
 この暴力的といってもいいワーグナーの曲の持つ圧倒的な力に抗えられる人は、この世にはいないのではないかとさえ思ってしまう。

 楽劇「トリスタンとイゾルデ」はワーグナーが、有名な1848年のパリの二月革命に影響を受けた翌年のドレスデン自由主義革命に参加、失敗し、スイスのチューリッヒに亡命していた時代に書かれた。

 この頃彼はチュ−リッヒの豪商ヴェーゼンドンクの経済的な支援を受け、創作活動に没頭することができたのだが、同時にヴェーゼンドンクの妻マティルデへの想いを募らせる。

 (「ヴェーゼンドンクの5つの詩」はその頃作られた歌曲(オーケストラ伴奏)であり、いわば「トリスタンとイゾルデの姉妹篇である。)

 「トリスタンとイゾルデ」は当時のワーグナーが不倫の恋に悩むヴェーゼンドンク夫人との関係を、中世北欧コーンウォルの国王マルケの妃イゾルデとマルケ王の甥トリスタンとの悲恋の関係に移し変え、作ったとされる物語である。

 と、こういえば聞こえはいいが、実生活ではこの曲を書くためにワーグナーはヴェーゼンドンク夫妻の住む家の隣に新邸を構え(構えてもらい)、そこで創作活動とともに、堂々とマティルデとの逢瀬を楽しんでいたのだ。

 パトロンの妻に手を出すだけでも凄いのに、その隣に住んで堂々と不倫をする。「面の皮が厚い」とはまさにこういうことをいうのだろう。

 まだ続きがある。確かにこのオペラの台本や総譜はマティルデに捧げられたのだが、その6年後ミュンヘンでこの曲が初演された時指揮棒を振るったのが、彼の弟子で大指揮者のハンス・フォン・ビューロー。

 だがその頃ワーグナーはビューローの妻で、リストの娘であったコジマに女児イゾルデを産ませているのだ。しかもビューローの第3子として。

 人間ワーグナーを評すれば「厚かましい間男」という感じかな。そして自らの作品の上演実現のためには有名なミュンヘン国王ルードヴィッヒ2世をはじめ、パトロンの好意を最大限脛の骨までしゃぶり尽くして利用する。

 大芸術家には違いないが、人間的にはお付き合いしたくない奴、絶対に友達にはなりたくないタイプだ。ワーグナー嫌いの人の多くは、案外作品そのものにではなく、彼の人間性を嫌ってという人も多いのではないだろうか。

 ところでワーグナーの音楽の官能性というのはいったいどこから出てくるのだろうか?

 私はやはり、彼の音楽手法であるあの半音階的旋律に秘密があるように思う。低い方から白鍵、黒鍵、白鍵、黒鍵…と徐々に徐々に音階が上がってゆく、あの手法。

 それはまるで、男性が愛する女性を抱擁する際に、髪の毛、そして背中と遠くからだんだんに少しずつ
指を這わせ、じらしにじらせて、ついに核心に迫っていく陶酔の愛撫のようだと言えば、ちょっと問題発言かな。

 すると女性の方はまるで、満月に照らされた沖縄の浜辺に、波が遠くからゆっくりと徐々に徐々に近づいてきて、やがて最大の高さに達すると今度は徐々徐々に潮が引いていく様のように、いわゆる女性の快楽曲線が放物線を描くような心持ちにさせられてしまうのではないでしょうか。

 何だかいかにも中年おじさん的な説明になってしまったが、トリスタンとかマーラーのアダージェットが特に女性に人気が高いのも何となく分かるような気がするのだ。

 それに聴き手を官能の陶酔の中に引き込むなどというのは、人妻キラーのワーグナーからすれば朝飯前だったのかも知れません。彼にとっての女性遍歴はいわゆる「芸の肥やし」だったのでしょうか。

 「トリスタンとイゾルデ」ー前奏曲と愛の死ーというのは、この曲の最初と最後の部分をつなげたもので、この曲におけるワーグナー旋律のエッセンスがつまっている。

 オペラ全体では他にも第1幕前奏曲が終わるとともに、船のマストの上から水兵が歌う「風よ、吹け吹け」の場面(ここはカラヤン盤のペーター・シュライヤーの歌唱が一番耳に残っている。)

 また第2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱、第3幕冒頭の間奏曲のオーボエの、2人の運命を暗示する世にも哀しげな響きなど、随所に印象深い場面がある。

 演奏はカラヤン、ベーム、バーンスタイン、クライバーと名演が目白押しの中、一番古いのだがやはりフルトヴェングラーが1952年にロンドンのEMIでスタジオ録音した全曲盤を第一に推す。(英EMI 29 0684 3)もちろんモノーラルだが、深々としたオーケストラの音が意外なほど良い録音だ。

 20世紀最大の指揮者といっていいウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)は19世紀のロマン主義的な雰囲気を持つ最後の指揮者といわれるが、なにぶん録音には恵まれなかった。

 それは当時の録音技術の稚拙さももちろんだが、何よりも即興性を重んじる彼の芸術観がスタジオ録音を拒否していて、当時の録音は殆どがライヴだった。

 このレコードは彼が初めてスタジオ録音に応じたもので、このテープバックを聴いたフルトヴェングラーはその音質の良さに驚き、自らの演奏をスタジオ録音することに前向きになったといわれるが、残念なことに彼に残された時間はわずかだった。

 このレコードの聴きどころは2つ。1つはフルトヴェングラーの指揮。彼の演奏で最高なのはベートーヴェンとワーグナーだと思う。ここにはフルトヴェングラーにしか描けない、ワーグナーの音楽の独特のうねり、官能性が刻印されている。

 もう1つはこれまた20世紀最高のワーグナー歌手といわれたスウェーデンのキルステン・フラグスタートのイゾルデ。厳かさと神々しさすら感じる彼女の強く美しいソプラノ。その後彼女を超える「イゾルデ歌い」は未だに出ていないといわれる。

 冬を思わせる寒さの中、煌々と、冴え冴えと青白く光る月のあかりの中で、「トリスタンとイゾルデ」の官能の世界に浸ってみたい。


 最後に、酩酊し池に映る月をとろうとして、足をすべらせて池に落ちて死んだ、という逸話を持つ李白の詩を。
 

      静夜思

    牀前 月光を看る
    疑うらくは是れ地上の霜かと
    頭(こうべ)を挙げて山月を望み
    頭を低(た)れて故郷を想う



     

閉じる コメント(17)

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先週、ドイツに出張に出かけていたのですが、夕食に出かけたときに、まんまるい、とっても大きな月を見ました。仕事後の心地よい疲れもあって、しばらく見とれてしまったのですが、まるい月は何か引き込まれる様な不思議なものがある気がします。久々でした、あんなに大きな月を見たのは。

2005/11/21(月) 午前 7:19 [ nakkun ]

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静夜思「床前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷」中国の学校ではこれで習っているようですが、いろいろあるようですね。月といえばわたしもこの詩が思い浮かびます。

2005/11/21(月) 午後 2:58 you

私も、10月後半あたり、夜が寒くなってきたあたりの月はいつもみとれてしまいます!遠くの土地も照らしてしまうくらいの光を放ってますよね。ピンクの月ってすごく気になります!!なんでピンクなんだろう??

2005/11/21(月) 午後 9:31 [ - ]

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記事からすこしはなれてしまいますが、この曲、なにぶん長いので、私は、《前奏曲》と《愛の死》だけ聴くことがほとんどです。「管弦楽曲集」にはいっているもの(F35G 50285)。たぶんおもちでしょうね。ベルリン・フィルの響きがたまりません。

2005/11/22(火) 午後 0:08 kal*s*974

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ヴァーグナーの音楽には敬意を表しながらも、オペラのプロットには疑問を感じます。そして「トリスタン」は最も苦手。全曲を聞き通したことは確か3度しかありません。今一度月夜に聞いて、マルケ王の長々とした悲しみに耳を傾けてみるとするか。。。クライバー盤しかないけど。

2005/11/22(火) 午後 1:04 zar*th*s*rafu*i

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昔、昔、又その昔ミュンヘンに留学生でいた頃、STAATSOPER で、トリスタンを見ました。今は亡き HANS HOTTER のマルケ王が素晴らしくて長丁場を引き込まれる様に聞きました。今、あんな舞台の再現はミュンヘンでも無理でしょう。指揮は JOSEPH KAILBERTだったと思います。

2005/11/22(火) 午後 4:55 [ gulliverbros ]

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なっくん、僕も昔写真ですが、ケルンの大聖堂の横に真丸いお月様が出ている写真を見たことがあります。和歌にみる日本人の月の感じ方、漢詩にみる中国人のとらえ方、そして西洋人、皆違うでしょうね。特にあちらの人は満月を特別なものとみてるようですね。狼男とか、lunaticという言葉とか。

2005/11/22(火) 午後 8:27 gustav

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youさん、中国で見る月は如何ですか。月もスケールでかそうですね。阿部仲麻呂の詩もそうですが、中国では月というと望郷の念と結びつける感じがしますね。

2005/11/22(火) 午後 8:32 gustav

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atiuさん、同じ思いで月を見ていらしたんですね。チェンマイの月は何でピンク色に見えたんでしょうねぇ。緯度の関係?それとも酔っ払っていたのでしょうか?

2005/11/22(火) 午後 8:37 gustav

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kalosさん、僕ももっぱらこの演奏のハイライト盤(英SERAPHIM 60145)で、《前奏曲》と《愛の死》だけですよ。ベルリン・フィルのはエンジェルの1938年盤ですよね。一度伝説的な1930年盤を聴いてみたいです。

2005/11/22(火) 午後 8:50 gustav

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ふじやん、僕も全曲聴き通したのはカラヤン盤が1度。フルトヴェングラーも2,3度くらいしかないです。さすがに2幕のあの愛の二重唱の陶酔の場面を延々と聴かされるのはしんどいです。逆に第1幕は最初から最後まで一気にいけますね。ワーグナーのオペラで一番好きなのは「トリスタン」と「ワルキューレ」の第1幕です。

2005/11/22(火) 午後 8:57 gustav

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gulliverbrosさん、ハンス・ホッターを生で聴いたんですね、すごい。ショルティの「ワルキューレ」のウォータンのイメージが強烈で、ホッターは僕にとっては神様みたいな存在です。寂寥としたSERAPHIM盤の「冬の旅」は愛聴盤。指揮もカイルベルトとなると名演だったんでしょうね、さぞかし。

2005/11/22(火) 午後 9:08 gustav

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グスタフさんはフルトヴェングラーを聴きこんでおられるのですね。コメントに書いたもの、解説書によると、1954年4月27日にベルリンで行われた演奏会の実況だそうです(この曲の録音は、全曲盤以外に5種類のこっているとか)。

2005/11/22(火) 午後 9:20 kal*s*974

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僕のベルリン・フィルは1938年2月11日の演奏です。(A-WF60030)フルトヴェングラーに熱中したのは高校時代でした。大学に入るとワルターに惹かれるようになりました。人生観もその頃から変わった気がします。最近またフルヴェンの新録音が発掘されつつあるようですね。

2005/11/22(火) 午後 10:31 gustav

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「トリスタン」と「ワルキューレ」の第1幕、同感です!そして全体として「マイスタージンガー」ですね。

2005/11/24(木) 午後 0:55 zar*th*s*rafu*i

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ワーグナー、あまり得意じゃないんです。でも、ジェシー・ノーマンが「愛と死」を歌った映像は、あまりに素晴らしくて、聴いたあとしばらく放心してしまうほどでした。また好みも変わってくるかもしれないので、時々はCDを引っ張り出して、聴き続けようと思っています。

2005/11/27(日) 午前 2:15 [ - ]

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pyangumさん、返事が遅くなってすみません。ワーグナーのあまりに壮大な曲って、ちょっと尻込みしてしまうところありますよね。いいんです、いいんです。「トリスタン」の愛の死と「ジークフリート牧歌」だけ聴いていれば。そのうち「タンホイザー」序曲とか広げていけばいいんじゃないですか?

2005/12/5(月) 午後 9:42 gustav


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