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5月4日(水)晴れ
今は季節的にいつなんだろう?初夏?晩春?そのどちらもというところでしょうね。
そういう季節と季節の変わり目というのが、一日一日微妙な変化があって、「季節ファン」(?)としては一番趣きを感じるのだけれど…。
まあ、明日5月5日が暦の上では「夏に立(はい)る日」=立夏ということなので、今日は無理やりまだ春、春の終わりということで、4月のうちに紹介しきれなかった曲を紹介しましょう。
そのうちの1曲がシューベルトの三大歌曲集の一つ「美しい水車屋の娘」。
社会人1年目。東京から信州に帰り、郷里の学校で非常勤講師をしていた。
季節感の少ない都会暮らしに慣れていた若者にとって、信州の季節の移り変わりのダイナミックさに圧倒されながら、毎日次の日の授業の予習に追われていた。生徒も人なつこく、毎日が夢中で新鮮で楽しかった。
しかし4月も終わりくらいになると、毎夜の深夜にわたる予習でさすがに寝不足で、非常勤で授業オンリーなので2時位に授業が終わると自転車でまっすぐ家へ。
ソファーに寝転ぶと「ひねもすのたり」と春の昼寝!そんな時、よくBGMにしていたのがヴンダーリッヒが唄う水車屋の娘だった。
4月の作曲家はシューベルト!そんな私見を以前に書いたが、春への憧れ、ロマンティックなものへの憧憬が人一倍ありながら、それを実生活ではストレートに出すことができないほどシャイであり、
生粋のウィーンっ子なのにどこかイモッぽい彼の垢抜けなさが、春の中でも4月、早春のイメージを僕に抱かせる原因かもしれない。
それにしても永遠の青年フリッツ・ヴンダーリッヒの声質はこの曲にピッタリだと思う。
1823年シューベルト26歳の年、彼が学生時代の友人ラントハルティンガーの部屋に上がりこんで、友人の帰りを待っている間に、
机の上に読みかけのまま置いてあった同時代のロマン派の詩人ウィルヘルム・ミュラーの詩集をのぞき込み、すぐさま20曲の連作集を魅せられるように作り始めたという、この曲の成り立ちを語る有名なエピソードがある。
年季奉公を終わった粉屋職人の若者が、親方(マイスター)に別れ放浪の旅に出て、ある水車小屋で働いているうちにそこの美しい娘に恋をする。
しばらく蜜月の時を過ごすが、やがて失恋し、若者は失意の中、水車屋を去っていく…。
悲劇的な結末で終わるストーリーだが、随所に若者らしい、甘い感傷、恋の喜びと不安、そして悲しみが連作20曲に歌われる。
「さすらい」「どこへ」「とまれ」「いらだち」「朝の挨拶」どれもが素晴らしい曲だ。
「Dein ist mein Herz,Dein ist mein Herz, und soll es ewig bleiben.
僕の心は君のもの、そして永遠にそうであれ。」(「いらだち」より)(対訳 石井不二雄)
「さすらい」というのは、中世以来ドイツの人々にとっては特別な意味合いを持つ言葉である。中世以来ドイツの若者には18歳になったら4年ほど、定職を持たず、各地を放浪する(さすらう)習慣があるという。
15世紀末、ドイツ史上最も重要な画家アルブレヒト・デューラーもまた19の年から4年間ドイツ各地を放浪し、いわば「世間という大きな書物に学び(デカルトの言葉)」、
さらにイタリアに旅し、あの「28歳の自画像」を始めとする数々の傑作を残すに至った。
18から4年間というのは今の日本でいえばちょうど大学生活4年間に相当する。今の日本でも4年間大学に高い学費を払うよりも、その間その費用を使って、日本を、そして世界をこの目で見てくる「さすらい」の4年間を過ごした方が、よほど価値があるかもしれない。
少なくともその「さすらい」を大卒と同等の価値と評価してくれる企業や社会風土ができれば、日本の若者の可能性はもっと広がるかも知れませんね。あなたはどう思われますか。
私の最も愛する男声歌手はヘルマン・プライですが、この曲と「大地の歌」に関しては、永遠の青年ヴンダーリッヒが一番と信じてやみません。ピアノはフーベルト・ギーゼン。(LP: Grammophon MGW5147)(CD: GRAMMOPHON UCCG3359)
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痛々しい音楽ですね。青春とは自分を傷つけるもの。今の季節、交響曲5番もいいですね、爽やかで。
2005/5/4(水) 午後 5:41 [ lol ]
5番のシンフォニーもさわやかで好きです。「春のシューベルト」ということではもう1曲、最後の弦楽四重奏曲第15番も是非聴いてほしい曲です。人を好きになってしまうどうしようもない気持ち…が音楽になったようなそんな作品です。
2005/5/4(水) 午後 8:16